表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
式神の魔術師  作者: 池上葉
第一章 託された使命
9/25

9、封じ手

「さあ千尋。これで邪魔者はいなくなった。あのうるさい学長も君が逃したようだしね。警察が来るにももう少し時間がかかるだろう。その前に君の答えを聞かせてもらおうか」


「答え?」


「僕の目的がなんであるかはもうわかっているんだろ? さっき言ったよね。『石の魔術師(ホルンフェルス)』にはどうしても生き返らせたい人がいるって。それに協力するかどうかの話だよ。まぁ、君が言うように、『生命の魂源』はただ死者を生き返らせるといった術式ではないのかもしれない。でも、似たようなことはできるんだろ?」


「だから白々しいんだよ。本当は知っているんだろ、その術がどんなものか。あんたの素性にも六年前から見当はついている。これ以上くだらない演技をするのはやめようよ」


「六年前……か。そうか。どうりでこの六年、君や千影の居場所がつかめなかったわけだ。雲隠れしていたんだね、僕の『正体』を知って。でも、直接的には君と面識はないはずだけどね」


「面識はなくても、あんたがあの村の住人だったことには変わりない」


「そっか。じゃあ僕が生き返らせたい人が誰かも想像ついているというわけか」


「そう。村から離れたあんたが六年前にあの事件を起こしたのは、父の持つ『生命の魂源』を狙ってだ。というより、ホントは父を説得しようとしていたんじゃないの? あんたが生き返らせたい人というのは、父さんにとっても大事な人だからね」


「うん、そうだね」


 薄く笑みを浮かべたまま、小さくうなずく『石の魔術師(ホルンフェルス)』。感情のない瞳でそれを見つめる千尋。わずかに間をあけて、


「でも父さんは首を縦には振らなかった。だから襲った。村人だけではなく、僕ら兄妹にまで矛先を向けて」


「その通りだよ。まぁ、逃げられてしまったことは誤算だったけどね。それに、こんなに長いこと君たち姉弟きょうだいを探し回ることになるとも思ってなかったし……。しかし、ずいぶんうまいこと隠れていたじゃないか。おかげでこっちは苦労したよ。そもそも僕がこんなに事件を起こして世界中に『石の魔術師(ホルンフェルス)』の名を知らしめているのは、君たちへのアピールのためでもあったんだよね。君なら復讐のためにいつか僕の前に現れるんじゃないかと思ってね。そしてそれは実現したわけだ」


「それで自分の行動を正当化しているつもり? あんたのせいでこれまで一体何人死んだと思ってるの?」


 『石の魔術師(ホルンフェルス)』はそこでフッと笑うと、


「おいおい千尋。君らしくない。さっき君の父親について話した時は眉一つ動かさなかった男が、ここでは他人の命を心配かい? お父さん、草葉の陰で泣いてるよ?」


「関係ないね。あんたの話が本当だったとしても、その父親はただの抜け殻だ。生前の父の形をしていても、それは父ではない。石になってあんたのコレクションに加わっていようが、人知れず白骨化していようが、そんなもの僕にとってはどうでもいいこと。この場において、あんたの命を終わらせること以上に優先すべきことは今の僕にはない」


「復讐じゃなかったんじゃないのかい?」


「これは復讐ではない。あんたに対する恨みの感情なんて僕の中には何一つ残っていない。ただ、これから姉さんが自由に生きていくにあたって、あんたの存在は邪魔なんだよ。だから殺す。そのためにここまで来た。それが僕の使命だ」


「使命……ね。君にとっての最優先は千影なんだね。だったら一つ良い案がある。先ほども言ったが、奪われた呪術書を探し出し、君が持っている呪術書と一緒に僕のもとに持ってくるんだ。そして君が僕のために『生命の魂源』を使用する。それが済めば、二度と千影には手を出さないと誓おう。どうだい? できるだろ? なんなら魂の原料となる人間は、僕が適当に狩ってきてもいい。そうすれば君も命を長らえることができるし、これからは僕たちを恐れることなく千影と一緒に生活していくことができる。悪くない提案だろ?」


 犠牲になるのは見ず知らずの人間。これ以上ないくらいに譲歩した『石の魔術師(ホルンフェルス)』の提案。


 しかし、


「断る」


「どうしてだい?」


「理由は二つ。一つは、あんたに千影を狙う動機がなくなったとしても、あんたが生きている限り千影の脅威である可能性は何も変わらないということ。今度は別の人間を生き返らせろって言ってくるかもしれないんだし。一パーセントでもそれがあるのならあんたの提案にはなんの価値もない」


「そう……。もう一つは?」


「そんなまどろっこしいことしなくても、今この場であんたを始末すればこちらの目的は達成できるということだ」


 落胆したように息を吐き出す『石の魔術師(ホルンフェルス)』。


「千尋。勘違いしちゃいけないよ。これはね、君にとって一番丸く収まる案は何かと考えた末に、僕が妥協して出してやった結論だ。この場で君を捕らえ、千影に呪術書を持ってこさせてもいいんだけど、それだと僕が面倒くさいじゃないか。だから君が苦労しろって言っているんだ。君が自分の意思で呪術書を持ってきて、『生命の魂源』を使用する。それで済む話なのに、どうしても意見を変えるつもりは……ないようだね」


 最後に千尋の顔を見て、悟ってしまったようだ。何を言っても無駄であると。


「勝てない戦いに挑むのは勇敢とは言えないよ。それは無謀って言うんだ」


「……………………」


「答えは変わらないようだね。なら――」


 直後、

 一瞬にして距離を詰める『石の魔術師(ホルンフェルス)』。手刀一閃。横薙ぎに振るわれたそれに、千尋は身をかがめてかわす。返す刀で『石の魔術師(ホルンフェルス)』の手が再び伸びてくるが、そこに式鳥を割り込ませて距離を空けるための時間をつくる。


 追撃は来なかったが、突っ込んでいった式鳥は石にされて砕け落ちていた。

 一羽無駄にした形だが、何もしなければ今ごろ石にされていたのは千尋の方だ。


 『石の魔術師(ホルンフェルス)』は感心したように口角を持ち上げる。


「いい判断だ。反応もよい。だが、これから放つ全ての攻撃を完璧にかわし続けることなんてできるかな? 知ってるよ。今空に浮いている十羽の式鳥を最後に、君は新たに式神を発動させることはできないってことがね」


 『石の魔術師(ホルンフェルス)』は千尋が所持していた式札や和紙の枚数を把握しているわけではない。断言したのは別の理由からだ。


「もう魔素が尽きて何もできないんだろ? あれだけ大量の式を使役したんだ。それも仕方ないね。ト学式は式神に応用を利かせやすい反面、どうしても術式が長くなってしまうのが難点だ。つまりそれだけ術者の魔素を消費するってこと。こんなに長いこと話しているのに、君が何も行動を起こそうとしないのが何よりの証拠だよ」


 再びダンッと地面を蹴って一気に距離を詰める。連続して振るわれる攻撃に、千尋は必要以上に大きく動いて避けていく。同時に式鳥を操り、『石の魔術師(ホルンフェルス)』の弱点を狙うが――


 あっさりと迎撃されてしまう。


「どうした千尋。こんなシンプルな攻撃が通用しないことくらい、聡明な君にならわかるだろ? それとも余裕がなくなってきたのかな?」


 残り五羽。

 『石の魔術師(ホルンフェルス)』を仕留めるには目を突き破って脳を破壊し、絶命させるしかない。しかしそれは相手もわかっていること。油断も隙もなく、威嚇も陽動も通じない。おまけに動きが速すぎて式鳥のみでは正確な部位を捉えきれない。


 残り三羽。

 飛び回る式鳥に接近する『石の魔術師(ホルンフェルス)』。隙をみて攻撃するどころか、逆につかみ取られ、石にして握りつぶされる始末。


 明らかな力の差。

 防戦一方。


 『石の魔術師(ホルンフェルス)』の魔術による運動性能の底上げが、両者の体格以上に二人の差を広げていた。辛くも決定的な一打を逃れているのは、千尋の反応速度と使い捨てにされた式鳥以外に理由はなかった。


 残り一羽。


「威勢のいいこと言っていたわりにこんなものかい? 奥の手でも隠しているのかと思って様子を見ていたわけだが、そろそろ決めてもいいよね? ああ、安心していいよ。君の体まで石化させるつもりはない。それじゃ顔が誰かわからなくなっちゃうからね。適当に痛めつけた顔写真でもネットに公開すれば千影も釣ることができるだろう」


 最後の一言を聞き、終始無表情だった千尋の目の色が変わる。


「奥の手がないわけでもないよ」


 静かに告げる。同時に千尋の体がぼんやりと光り始める。


「自分の命を懸けた最後の特攻か。やはり君が一番に優先するのは千影の安全なんだね」


「それが僕の役目だ」


「『今の君』らしい答えだよ。でも――」


 チクリと首筋を何かに刺される。反射的に握り締めると、毒々しい紫色をした蜘蛛が、手のひらの上で広がって一枚の和紙に戻っていく。


「式神を使えるのは君だけじゃないって知ってるはずだろ? というか、僕の『正体』に気付いていたのなら最初から警戒していなきゃ」


 たしなめるような口調。しかし言われたことが耳に入ってこない。視界が揺れ、固いアスファルトの上に倒れる千尋。

 腕にも足にも力が入らない。ぼやけた視界の中、『石の魔術師(ホルンフェルス)』の浮かべた笑みだけがはっきりと目に映った。


「千尋。その歳でこれだけト学式を使いこなせるんだ。大したものだよ。さすがは父親譲りといったところか……。でもね、所詮君のは机上の産物だ。机の上で考え出されたパフォーマンスに過ぎないんだよ。実力の拮抗した相手との戦闘経験なんてほとんどないだろ? 戦ってみてそれがよくわかったよ」


 倒れたまま相手の男を見つめる。もはや今の千尋にはそれしかできない。最後の一羽となった式鳥を操ったところで意味をなさないだろう。


「現代の『遣い手』と呼ばれる優秀な魔術師は、そのほとんどが多様な術を身につけ、奥の手まで隠し持っている。奥の手といっても君みたいに命を燃やすような手法じゃない。生き残るための切り札さ」


「……………………」


「式神しか使えないことが悪いと言っているんじゃない。それに頼り切った君の戦い方が愚かだと言っているんだ。実際に君の父親の三上清之介も『式神遣い』なんて恐れられていたけど、彼だって式神しか使わなかったわけではないからね」


「……………………」


「そうだな……。あと三年、例えば現代魔術の修得にでも励んでいれば、もう少し善戦することはできていただろうに……。まぁ、それでも結果は変わらなかっただろうけどね」


 千尋の頭上に立つ『石の魔術師(ホルンフェルス)』。


「最後に言い残したことはあるかい?」


 言われた千尋は――無表情に相手の目をジッと見つめている。


「フッ、まだ逆転の目を探っているか……。そのあきらめの悪さが君が今ここにいる理由にもなっているんだろうね。まぁどうでもいいか。少しだけ眠っててもらうよ、千尋」


 『石の魔術師(ホルンフェルス)』が手を上げたその時――


「千尋くん!」


 女性の抜けた声が広場に響き渡る。

 息を切らしながら現れた女性は、ステラス・エンフィールド。


 ステラは細長い腕輪をはめた右腕を突き出すと、


水のイバラ(ソーンバイト)


 ステラの全身から放出された魔素が腕輪――術式補助の機器を通して一瞬にして液体化すると、植物のくきの形状をともなって『石の魔術師(ホルンフェルス)』に殺到した。


 長さ三メートル弱。鋭い棘の生えたそれは、放物線を描きながら『石の魔術師(ホルンフェルス)』の右足に突き刺さった――が、もちろんこの男の異名が人体への侵入を許さない。


 阻んだのは石の壁。しかし――

 ステラの放った攻撃はそこで終わることはなかった。


 茎が縄状にたわみ、『石の魔術師(ホルンフェルス)』の体に巻きついていく。通常であれば棘が肉体に刺さり、対象者は動きを制限されることになるのだが、やはりそこは『石の魔術師(ホルンフェルス)』。触れた部分全てが石によって守られる。


 直後、一気に水のイバラが石化し、ボロボロになって剥がれ落ちていった。


 ステラも負けじと第二、第三の『水のイバラ(ソーンバイト)』を放ち、『石の魔術師(ホルンフェルス)』の動きを止めにかかる。

 倒せるとは思えない。だからこその時間稼ぎ。『水のイバラ(ソーンバイト)』に対処を余儀なくされている間に、千尋を救出し、この場を離れる。そう考えての行動だったのだが、


「ええい、鬱陶うっとうしい」


 『石の魔術師(ホルンフェルス)』はイバラに絡みつかれたままステラに肉薄する。そのまま強引に右腕をつかみ取ると、


「安心しなよ。今はまだ千尋を殺したりはしない。まだやってもらわなければならないことがあるからね。女、邪魔しないでくれるかな?」


「そんなことさせないわ!」


 腕を振り払い、背後に飛びすさる。再び術を発動させようと右腕を持ち上げるが……。


「いやぁ、なにこれ……!?」


 手首から徐々に広がる石化の波。それは肉体ばかりか、肌に触れた腕輪、衣服にまで広がって胴体に迫っていく。


「や、やだ! やめてよッ!」


 ステラ自身、『石の魔術師(ホルンフェルス)』についてはみっちりと調べ上げている。自分が何をされたのか、相手が何をしたのか、どうして目の前の男が『石』と呼ばれているのか、それは頭では理解できていたのだが、実際に腕の先から朽ちていく肉体を前にすればパニックを引き起こしても仕方ない。


 混乱し、悲鳴を上げ、絶望に満ちていく。


 石化は肘を越えて肩に向かって進んでいく。徐々に感覚のなくなっていく右腕。少しでも遠ざけようと右腕を真っ直ぐ伸ばして顔を背けるが、もちろんそんなことで防げるわけもない。

 認めたくない現実、押し寄せてくる恐怖心からか、意識がスーッと遠のいていくが――


 それを引き戻したのは猛烈に走る激痛だった。


 上空を旋回していた式鳥が真っ直ぐ急降下し、ステラの肩口から腕を切断したのだ。


「あああああああああああ……ッ!!」


 飛び散る鮮血。衣服が血に染まっていくことにも構わず地面の上で転げまわるステラ。


「どういうつもりだい? 千尋」


 『石の魔術師(ホルンフェルス)』が倒れたままの千尋に問いかける。もちろんその意図がわからずに尋ねているわけではない。千尋がやったことは、ステラを石化の侵食から守るため。だが、


「どうしてこのような方法を選択するんだい? どうせ死ぬことに変わりないんだ。放置しておけばいいだろう。君がやったことはね、ただいたずらに彼女に苦痛を与えただけなんだよ」


 千尋は何も答えない。その目は『石の魔術師(ホルンフェルス)』を捉えたまま微塵も揺らぎはしない。

 急降下した式鳥はステラの腕を切断した後、固い地面に全身を打ちつけすでに絶命していた。

 状況的には万事休す。それでもその瞳だけは揺るがない。


「わかってるよ。君が諦めの悪い子だっていうのは……。いや、諦めることなんてないだろうね。だから終わらせるしかない。恐怖も絶望も感じることなく、ただ静かに……」



 ――数秒の



 言葉が途切れたのは話し終わったからではない。


「……ぐっ……ッ……」


 『石の魔術師(ホルンフェルス)』の全身が硬直していた。指先一本動かすことなく……いや、動かすことができずに、千尋を見下ろしたまま、しかし、その顔は苦悶に満ちて――


 チッと舌打ちに似た音が『石の魔術師(ホルンフェルス)』の口元から漏れ、同時に全身から湧き出た魔素が石となって固まっていく。空気の入る隙間もないほどカチコチに固まったその瞬間――


 石を突き破り、拘束された縄から抜け出るように勢いよくそこから離れる。


 今『石の魔術師(ホルンフェルス)』がやったことは、『何者か』からの術干渉を遮断するために、体と外界との繋がりを一時的に断ったのである。


 自由を取り戻した体で見据えるは、広場の奥から歩いてくる一人の老女。


「これは驚いた……。『時の魔女(ウィッチクラフト)』。まさかあなたとこんなところでお会いするとは……」


 五十メートルほど離れたところで、老女がニコリと笑う。


「相変わらず地獄耳のようだ……」


 つぶやいた直後、老女の背後から炎の筋が一直線に走ってくるや、『石の魔術師(ホルンフェルス)』の眼前で爆発するように燃え広がった。


 大きく背後に飛びのき、着地する。老女の後方に控える一人の若者を見て、


「クロウリー家のせがれまで……ったく、次から次へと……」


 かすかに苛立ちの気配。新手の二人に意識を残しつつも、チラリと千尋を見やる。

 まだ毒が利いているのか、千尋は仰向けに倒れたまま動かない。


 ――ここは連れ去るのが得策か……?


 しかし、

 だいぶ距離は空いてしまったが、近づけばまた同じ攻撃が来るだろう。別に今の炎の術に恐れをなしているわけではない。『石の魔術師(ホルンフェルス)』が警戒しているのは老女のほうだ。十メートルほど先で立ち止まった老女――国立ロンドン魔術専修学院学長、ナディア・リドル。


「あんたとは何年ぶりになるかねぇ……」


 先に口を開いたのはナディア。『石の魔術師(ホルンフェルス)』は軽い調子で答える。


「十二年ぶりですね。あなたが『あの現場』にいれば六年ぶりだったのですが……。まぁ、その場合、こうしてお会いすることはなかったでしょうが」


「よく言うよ。あたしがいない時を狙ったくせに……。それよりなんだい、その喋り方は。もっと普通に話せないのかい?」


「いいじゃないですか、別に。外見と喋り方が一致しないと不自然でしょう? それよりあなたの方こそ変装し、身分を偽ってまでこんなところで何をしているのです?」


「ほっときな。ただの老後の趣味さ」


「老後というほど年は取っていないでしょうに……」


 言いながら、千尋を連れて遠ざかっていく男を確認。イギリスで五本の指にも数えられる魔術名家、クロウリー家の嫡子ちゃくし。エイブラハム・クロウリー。


 千尋を地面に寝かせ、そのままステラの止血を始める。

 その様子を眺めつつ、ナディアは、


「うちの学院で成績トップの子なんだけどね、さすがにあんた相手じゃ荷が重いだろう」


「そうですね。あなたがいなければすぐにでも殺して、千尋を奪い返しているところです」


「……そこまでしてやらなければならないことなのかい? おっと、これは『今のあんた』には愚問だったかい?」


「ええ、あなたも私の『正体』は知っているでしょう。なら言うまでもないことです」


「そうかい。だったらこれ以上話し合う必要はなさそうだね。『石の魔術師(ホルンフェルス)』、と言っておこうか。『石の魔術師(ホルンフェルス)』、あたしに免じてこの場は引きな」


「おや、私のことを捕まえにきたのではないのですか?」


「それができればとっくにそうしてるさ。でもあたしじゃあんたを捕らえることはできない。逆にあんたもあたしを殺すことはできない。だろう?」


 『石の魔術師(ホルンフェルス)』は答える代わりに薄く微笑んで首を縦にふった。


「わかりました。ここは一旦引くことにしましょう。どうせ盗まれた呪術書の回収もしないといけないことですし、そちらから先に片付けることにしますよ」


「ああ、せいぜいがんばって世界中を探し回ることだね」


「すぐに見つかることを祈っていますよ」


 その言葉を置き土産に、『石の魔術師(ホルンフェルス)』は広場から去っていった。


「さて……」


 息を吐き出し、三人のもとに歩み寄る。ステラは腕を布で巻かれたまま、地面に倒れてうなされている。この場合、急救車を待つ以外施せる処置はないだろう。切り離された右腕も完全に石化しきっており、ところどころ朽ちている。


「こりゃあ駄目だね。組織が完全に死んでしまっている。切り落とさなければ治すことはできたんだが、あたしらが駆けつけるまで間に合いそうになかったようだし、これがベストな選択だったのかもね。まぁ、命があるだけでも有難く思いな」


 ステラは顔中から汗を流しながら、弱々しい笑みをみせる。


 一方、千尋の方も汗をダラダラと流していた。しかしこちらは意識が混濁こんだくしてうつろな状態だった。毒が全身に回っているのだろう。『石の魔術師(ホルンフェルス)』の狙いを考えるに、千尋を交渉材料に千影に呪術書を持ってこさせるつもりのようだったので、命にかかわるたぐいの毒ではないのだろうが、表れた症状は深刻さを物語るものだった。


「すみません。毒の種類がわかればすぐにでも医者に血清を手配してもらうこともできたのですが、自分の勉強不足なせいか、さすがにそこまでは……」


 申し訳なさそうに報告するエイブラハム。この状況なら検査もなしに特定できるわけがないのだが、真摯に頭を下げる姿には彼の生真面目さが表れていた。


「別にお前が気にすることでもないさ」


 言いながら千尋の胸に手を置くナディア。ブツブツと何かつぶやいた直後、ナディアの体から湧き出る無色透明の魔素が、千尋の体を覆い始める。

 すると、千尋の顔から次第に汗が引いていき、毒蜘蛛に刺された傷口からドロリとした液体が出てきた。千尋はパッとまぶたを開くと、何事もなかったかのように起き上がった。


「なっ!? 学院長、今のは……」


 尋ねたエイブラハムに、


「なあに、少しばかりこの子の時間を戻しただけさ」


「時間を……? そんなことが……」


「正確には、起きた現象をだけどね。エイブラハム、お前ももうじき卒業だろう。なら覚えときな。世の中にはお前の知らない魔術や異能の力というのは腐るほど存在している。他の者たちからすれば、クロウリー家に伝わる『火の業』もその一例に入るだろう。この世界で無事に『定年』を迎えたいのであれば、常に奥の手は隠し持ち、探究心と努力する心は忘れないことだね」


「はっ、肝に銘じておきます」


「ん、急救車が到着したようだ。エイブラハム、お前はそこのお嬢ちゃんを運ぶの手伝ってやりな」


 命じられるまま、救急隊員と一緒にステラを車に運ぶエイブラハム。千尋はその場に立ち尽くしたまま、『石の魔術師(ホルンフェルス)』の去っていった方角を見つめ続けていた。


「だからやめておきなって言ったろ」


 話しかけられるが、千尋は反応一つしない。悔やんでいるわけでも意固地になっているわけでもない。その目は、未だに標的に対処するすべを模索しているように見えた。


 構わずナディアは続ける。


「目標を視界に収めたからって、互いの力量も考えずに突っ込んでいくのは馬鹿のやることだ。時に引いて力を蓄えることも大事。それが結果的に一番の近道であるものだからね。そんなんじゃ、父親の無念は晴らせないよ」


 ピクリと反応する千尋。昼時に部屋に呼び出された時は、父親の死について千尋はナディアの前で断定していない。ということは――


 それを言ってくるということが、父の死の原因を知っているということでもある。

 それを知っているということが、彼女の正体を絞り込む要因となる。


 千尋はこの時点でナディアの素顔を知ってしまった。老人の変装をしたこの女性の正体をだ。

 気付いたことには特に言及せず、淡々と彼女に告げた。


「別に復讐するつもりなんてない。でも、『石の魔術師(ホルンフェルス)』は倒したいと思っているし、あんたが言っているのも事実。修行に費やす時間が必要なようだ。しばらくの間、千影の面倒をあんたに任せたい。頼める?」


 それを頼むということが、千尋が自分の正体に気付いたのだと理解したナディア。

 そんな彼女が出した答えは――


「仕方ないね。『孫』の頼みとあったら断るわけにもいかないか」


 言いながら顔の前に手をかざす。次いでカツラを取り払ったその姿は、年の頃五十から六十台の日本人女性。千尋の母――さつき、その親――八芽やつめ。六年ぶりの祖母との再会だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ