8、弱点
「もう! なんでこんなところに出るのよ!」
憤慨するステラ。吐き出した言葉には苛立ちがまじっているが、それも仕方ないといえる。
千尋を追いかけて通りを左折した後、細かい路地を行き交っているうちに迷子になり、自分の直感を信じて進んでいるうちに先ほどの戦闘の行われた並木道へと戻ってきてしまっていたのだ。
自分としては東側に進んでいると思っていたのだが、結果的に逆方向に進んでいたということで、彼女の苛立ちの原因の一つにその方向音痴も含まれていただろう。もう一度来た道を戻ろうかと考えていると、
「お~~~い、すてら~~~~~!」
遠くから間の抜けた声で小さな女の子に呼ばれる。走りにくいだろうに、両手を挙げて左右に振りながら近づいてくる。途中二度ほどこけて、やっとのことで目の前までたどり着いた。
レン=プリシオ。千尋と同い年ぐらいに見えるほど童顔で低身長だが、実年齢は二十四歳。ステラより五つも年上である。
「レンちゃん、あまり大きな声で呼ばないで。リーダーに見つかりたくないの」
並木道に数人のメンバーが固まっている。先ほどの戦闘の検分を行っているところだろう。距離がそれなりにあるのだが、一応腰をかがめて小さなレンの陰に隠れる。
「りーだーならいないよぉ。なんか死んじゃったみたい」
「えっ……」
目を丸くするステラ。
トロトロ話すレンから事情をうかがうに、早朝にはすでに殺されて別の者と入れ替わっていたとのこと。どうりで仮病を言い訳にしたとき物分りがよかったのかと、一人納得。少しばかり胸のうちに去来してくるものはあったが、感傷に浸っているわけにもいかない。その場で立ち上がる。
レンに別れを告げて走り出そうとしたとき、遠くから女性や子供の悲鳴が聞こえてくる。振り返ると、一匹の大きな虎がもの凄い勢いでこちらに向かってきていた。
「あれ使役式だね。誰のだろ。殺っちゃう?」
子供が母親に尋ねるような顔でレンが見上げてくる。一目で使役式と見抜いた観察眼、動じない精神力、対処に自信をみせるその様は、彼女がこれまで一線を潜り抜けてきた魔術師であることを示している。言いながらポケットに手を忍ばせるレンだったが、
「待って」
ステラが止める。
パペットちゃんのぶれた視界でしか確認できなかったが、ステラにはその大虎に見覚えがあった。近づいてきながら徐々にスピードを落としていく。その背中には黒いスーツを着た男がうつぶせに倒れていた。
大虎はステラの顔を一度目に留めると、突如ボンッと弾けて一枚の札になった。慌てて落ちそうになった男――学長のラルドを支える。
レンは落ちた札を手に取ると、レアカードを引き当てた小学生のようにはしゃぎ出した。
「ねぇ、みてみて! ト学式だよ! すご~い、わたし初めて生でみたよ」
「ト学式? 珍しいの?」
あまりメジャーな術式言語ではないせいか、札に書かれた文字をみてもステラにはピンと来ていないようであった。
「珍しいよ! これね、日本語のひらがなとカタカナと漢字をくずして書いてるんだけど、その字の組み合わせかたとかくずしかたにもルールがあってって、ああ、文字が消えていくぅ」
空気に溶けるように消えていく魔素。同時にボロボロになった札を残念そうに眺めるレン。
一方ステラは今の一言を聞いて、
日本語……。やっぱり……。
「ねえレンちゃん、悪いけどこの人お願いね。たぶん誘拐された学長さんだと思うから、みんなのところに連れて行ってやって」
「えっ!? 連れて行く? わたしが? このふとった人を? どうやって?」
自分の三倍ぐらい体積のあるラルドを指差して尋ねるが、ステラは返事を返すことなく、虎が走ってきた方角、シャンゼリゼ通りの東に向かって真っ直ぐ走り始めた。とりあえず通りの突き当たりにあるコンコルド広場、そこまで行ってみようと思い、全力で走り出した。
□ □ □
「あーあ。いくら犯罪者を捕まえるためだからといっても、ここまで派手にやったら協会でもフォローしきれないよ?」
呆れがちに言う『石の魔術師』。
元々オベリスク周辺は開けた空間になっており、遠く離れた建物にまで被害が及ぶほどの爆発ではなかったのだが、破壊の規模うんぬんよりも千尋がそのような手段を用いたことを遠まわしに非難しているようだ。もちろん本気ではないが。
何も内側に響いてくることのないその言葉を聞き流し、千尋は再び上着のポケットに手を入れる。式札は残り八枚。薄っぺらい和紙が十四枚。
基本的に式札と和紙が受け持つ役割に違いはない。その差は、ただ組み込むことができる情報の多寡でしかない。ここでいう情報とは千尋が出す命令の質や量以外に、使役された式神自身の体の大きさも含まれる。
具体的にはツバメやカラス程度の大きさの式鳥から、昆虫などのような式虫は和紙を用いることが多く、先ほどの大虎や大蛇などの式獣は式札を使うことが多い。大きなものを動かすということは、それだけ各部位に意味を持たせてやらなければならないのだ。
式札か和紙か、どちらを用いてどのような手段で『石の魔術師』を仕留めるか――。
先ほどの流れを踏まえ、少しだけ考える――と、その時、
「お前かぁ! 『石の魔術師』は!」
腹の底に響く声を上げながら、一人の男が近づいてくる。
イワン・ホドルコフスキー。
ロシア連邦軍の魔術対策庁出身。軍の中でも取り分け武闘派で名の知れた男。青い瞳で視界に収めるは、ひょろ長い男の姿――『石の魔術師』。
直接的な恨みがあるわけではない。しかし、妻と息子が事故に遭った直後、ネット上でたまたま目にした一つの情報。死者を生き返らせるという術式――『生命の魂源』。それについての情報を『石の魔術師』が握っているという文言を目にした時から追い求めてきた相手。
『石の魔術師』の身柄と引き換えに、軍の施設で亡くなった妻と息子の保存を依頼し、この一年どんな小さな情報にも食いついてきた。
ネットを使い、探偵を雇い、自身でも『アルカナ』について徹底的に調べ上げた。
全てを投げ打ち、全てを懸けて己の肉体を鍛え上げてきた。全ては家族を救うために――。
『石の魔術師』。事件の度に姿形を変え、捜査の目を逃れ続けてきた魔術師。今の世において、魔術によって顔や体格を『無理やり』にでも変えることは不可能な技術ではない。そのため、基本的に魔術犯罪者は現行犯で取り押さえることが望ましい。科学捜査によって人物を特定することができても、足取りを追うことが難しく、悠々と行方をくらませてしまうのが魔術師という生き物だからである。
握り締めた金属棒に力を入れ、一歩一歩近づいていく。すでに千尋の姿など映っていない。
「『石の魔術師』だな。散々顔を変えて逃げ延びてきたようだが、今回ばかりはそうはいかねえぜ。お前には聞きたいことがあるからな」
落ち着いた声だが、それだけに重い響きがあった。
「もしかして『生命の魂源』のことかい? それだったらそこにいる千尋の方が詳しいよ?」
「なに!?」
ギロリと隣りを見るが、千尋は目線一つよこさない。千尋自身イワンのことなど目に入っていない。動揺どころか、反応一つしない少年を見て、
「適当なことほざいてんじゃねえ」
イワンには信じられなかったようだ。『石の魔術師』はわざとらしく眉を寄せると、
「ネットで僕の名前と一緒に『生命の魂源』が出てからというもの、最近多いんだよね。君みたいな輩が。これってどうすればいいだろうねぇ……。殺しても殺しても沸いて出てくるんだから堪ったものじゃないよ」
「安心しろ。そんな苦労も今日限りにしてやる。さっさと武器を手にしろ。捻り潰してやる」
「おやおや、こちらの準備が整うのを待ってくれるなんて、ずいぶんとお優しいことじゃないか。でも今のは君らしくない一言だったんじゃないか?」
「あ? 何言ってやがる。お前が俺の何を知ってるっていうんだ」
「百人でチームを組んだら、九十九人を足蹴にし、罠にかけ、囮に使ってでも最後の一人として目的を果たす。それが本来の魔術師って生き物だ。そう言っていたのは君じゃないか。味方を犠牲にしておいて敵に礼義を払うなんて、そんなの聞いたことないよ」
言葉に詰まるイワン。十分ほど前に千尋に向かって吐き捨てたセリフだ。
なぜこいつがそのことを……。ガキが『石の魔術師』に告げたのか? しかしわざわざ口にするようなことでもない。ならどうして……。
色々と疑問が浮かぶが、すぐにその答えを知ることになる。
左腕の袖口で親指の先ほどのサイズの蜘蛛がモゾモゾ動いていた。
「チッ!」
瞬間的に金属棒で振り払う。
地面に叩き落されたそれは、折った紙を巻き戻すかのように一枚の和紙に戻っていった。小さい文字で羅列されていた魔素が、空気に溶けるように消えていく。
――今の術式言語、見覚えがある……。
イワンが見上げると、
「式神だよ」
答えたのは千尋ではなく『石の魔術師』。続けて、
「世界中でこの手の使役式が流行っているけど、日本の式神ほど使い勝手のよい式はないよ。昔から使われている斗学式はひらがな、カタカナ、漢字、これら膨大な種類の文字を組み合わせて使用されているわけだが、現代風にアレンジされた今のト学式は、ローマ字と算用数字まで踏まえ、さらに書体を崩して書くことによって表現に幅を持たせている。つまり、使役された式神自体が状況に応じて細かく対応できるように術者が命令を与えることができるってわけだね。まぁ、その分修得の難易度は相当高いけど……」
「いつから探っていやがった……!」
静かに憤慨するイワン。
「いつから? それを聞いてどうするっていうんだい? 言っておくけど、ただ全体の動きを把握しておきたかっただけで、君自身から有用な情報を得たくてこんなことをしたわけではないよ。もっとも、個人的に知りたかった人には真っ先に潰されちゃったけどね」
チラリと千尋を見る。その様子に気付いたイワンはチッと舌打ち一回。そこには『気付いていたんなら教えろよ』といった思いも含まれていたが、それ以上にここまで気付かなかった自分に対する苛立ちの方が強かったようだ。
「おしゃべりはこの辺でいいだろ。さっさと始めようぜ。それとも降参して洗いざらい話してみるか?」
凄みを利かせるイワンに、
「断るよ。そんなことする理由がないからね」
「だろうな」
半ば予期していた答え。イワンは地を激しく蹴って駆け出すと、『石の魔術師』の左肩に向けて思いっきり金属棒を振り下ろした。
殺すには頭部を狙うのが一番だが、情報を吐かせるためには生け捕りにするしかない。だからこその胴体を狙った一撃だったが、『石の魔術師』相手にそんな手加減は意味を成さない。
大木をも弾き返す威力――だが、『石の魔術師』は左手の手のひらでその衝撃を全て受け止めてしまう。
爆発したかのように石が弾け飛んでいくが、『石の魔術師』の手が砕けたわけではない。飛び散った石の正体は、『石の魔術師』自身から吐き出される魔素だった。体から放出された魔素を瞬間的に石化させることによって、物理的な障壁にしているのだ。
この魔素を固形化させること自体は特に珍しいものではない。
四元素方式の一つに数えられる『固体化』である――が、ただの固体化ではなく、これを『石化』させていることが彼の特異性を表しているのであった。
それを証明するかのように――
「なっ!?」
受け止めて握り締めた金属棒が、徐々に石化し始めていた。自身の魔素だけではなく、他の物質に干渉する現象そのものが現代魔術の『固体化』で説明できるものではなかった。
思わず手を離して距離を取るイワン。『石の魔術師』が握り締めた金属棒はすでに全体が石となっていた。あのまま握っていれば恐らく手を伝って全身まで侵されていただろう。
イワンはすぐさま懐から二つ目の金属棒を取り出す。
嘲笑うように鼻を鳴らす『石の魔術師』――だが、彼が笑ったのはイワンよりも千尋の行動を見てのようだった。
イワンの背後にいる千尋。その周りには十四羽の式鳥と、八匹の大蛇が式神として使役されていた。
「学習能力のない子だ。動物園でも開く気かい?」
そこで初めて千尋の様子に気付くイワン。間にいる自分を無視しての『石の魔術師』とのやり取りに、瞬間的にカッとなる。
「こっちだ! オラァァァッ!」
愚直なまでに正面から突っ込んでいき、金属棒を頭上高く振り上げる。『石の魔術師』もゆっくりと片手を上げるが、振り下ろされた金属棒がその手に収まることはなかった。
落ちた先は『石の魔術師』の目の前。
ドゴォと半円状に抉れるアスファルト。破片が宙を舞い、
「オラァ!」
それらを強引に振り払う。イワンの考えはシンプルだった。手のひらで受け止められたのなら、それ以外の部分に直接ぶつければダメージを与えられるのではないか――。
今の攻撃はそのための目くらましだった。
反射的にしゃがんで避ける『石の魔術師』。それを待っていましたとばかりに、下段から金属棒を振り上げる。さすがにこのラグのない連携を前にすれば、さすがの『石の魔術師』も攻撃の軌道を読んで手のひらで受けるといったことはできない。
腹部から左胸にかけて金属棒が衝突する。
――だが、
ガキィィンと音を立て、またも『石』に阻まれる。『石の魔術師』は直接イワンの胴体に触れようと手を伸ばしてくるが――、そこに高速で迫る二つの影。
二匹の式鳥が正面から向かってきていたのだ。
ここまでの『石の魔術師』の動きを考えるに、千尋が予想した頭部への攻撃すら石の魔術でダメージを相殺してしまったのだ。ならここも避ける必要はどこにもなさそうに思えるのだが、なぜか真横の開けた空間に転がりながらかわす『石の魔術師』。
千尋からすれば、この動きは読み通りだった。
転がった先で待ち構えていた八匹の大蛇。待っていましたとばかりに『石の魔術師』の全身に絡みつく。『とある部分』を除いて、光沢のある蛇柄が全身を覆い隠した。
『石の魔術師』の通り名が示すように、彼は石を自在に操ることができる。脆くするも堅くするもお手の物――しかし、例え脆くしたとしても、それが体の動きを阻害する抵抗となることに変わりはない。
一瞬の硬直が招いた危機が、彼をただの人に変える。
徐々に大蛇の胴体が単色の石にされていくが、だが遅い。
ただ一箇所空けられた『その部位』に向かって、残りの式鳥を殺到させたのだが、
「うおらぁぁぁぁ……ッ!」
ここで邪魔が入る。式鳥の進路を阻むようにイワンが体を入れてきたのだ。
振り上げられた金属棒。圧密化方式によって得た硬度と質量。そこに全体重をかけた一撃は、頑丈性を追求した金庫であっても破壊されるに至ったであろう。
しかし――それでは『石の魔術師』は倒せないのだ。
瞬間的に千尋は叫んでいた。
「目を狙え!」
素直にその指示に従ったのは、イワン自身このようなチャンスは二度と訪れないと踏んでのことだった。目的のためには殺すことはできないが、だからといって手加減もできない。考慮する時間がなかったことがこの反応の速さに繋がっていた。
肘を引き、突きの体勢へと移行。次の瞬間には金属棒の先端を『石の魔術師』の片目に向けて走らせていた。
「チッ」
荒い舌打ちの音色が大蛇の内側でこもって消える。『石の魔術師』の初めて覚えた焦り。
――ここで「!?」何かに気付いた千尋――直後、
ズガアァァン! と大量の石が弾けて後方へと吹き飛んでいった。
「あ……あ……」
突いた状態のまま動きを止めるイワン。目は大きく見開かれており、口からはかすれた声が漏れている。
ここにきてようやく自分の犯してしまった過ちに気付いてしまったか――。
いくら必死だったとはいえ、殺してしまえば元も子もなくなると。『石の魔術師』から『生命の魂源』について聞き出すことが目的であり、そのために相手の動きを封じる必要があっただけだったのに……。
それが永遠に失われてしまったことからくる後悔が、今のイワンの放心に繋がっていた……。
――否、
それは違った。
吹き飛んだ石は、『石の魔術師』の石化した頭部ではなく、その横。千尋が使役した、ぐるりと巻かれた大蛇の腹部だった。
「さすがに今のは少し焦ったよ」
『石の魔術師』の全身に絡みついていた太く長い『石』が、ボロボロと砕けて剥がれ落ちていく。
イワンは右腕を伸ばしたままギロリと睨みつけるが、その状態から動こうとはしない。いや、できないのだ。今やイワンの肉体は、四肢の先から付け根まで、その全てが灰色に染まっていたからだ。『石の魔術師』はその肩にポンと手を乗せると、
「石化が間に合ってよかったよ。正直に言うと、あのまま突かれていたらさすがの僕でも昇天していたからね」
突く直前に右上半身が石化し始めたため、狙いが外れてしまったのだ。
そして今の『石の魔術師』の一言。これまでの戦いでの『避け』と『受け』の違い。それは瞳を狙われているかどうかの違いということ。
目が弱点であるということを、自白したのだ。
この発言が虚偽であるかどうかなど詮索する必要はないだろう。今までの動き全てがそれを証明しているし、だからこそ千尋はそこを狙って攻撃しようとしたのだから。
「いつ……だ。どうして……俺の体が……」
かろうじて絞り出した声。疑問を口にしたイワンに『石の魔術師』は、
「武器だよ。例えその武器を通してだろうと、一度でも僕の体に触れれば直接君の体にまで干渉させることはできるんだよ」
「……ッ」
「残念だったね。最初から振りかぶらずに突いていたら、僕を殺すことができていたのだから……ああ、そういえば『生命の魂源』について聞きたかっただけだっけ? なら最初から頭下げていれば教えてあげたのに」
全くそんなこと思っていないだろう声色で告げる。そうこうしているうちに、イワンの上半身は一部を残して完全に石化が侵食しきっていた。
あえて『その部分』を残したのは、最期の一言を聞くためか――。
「言い残したことはあるかい?」
『石の魔術師』はイワンの肩をトンと押す。
言葉を残すにはあまりにも短いその時間に、
「ちっくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお……ッ!!」
傾きながら石像と化し、固い地面で砕けて散った。嘆きの叫びは、遠く離れた地で眠る家族のもとに届くことはなかった。




