23、切り札
この時点では、二人の戦いが始まってまだ三十秒も経過していない。
何が起きているのかさっぱり付いていくことができないステラ。
目で追いながら何が起きているのかを想像することしかできない八芽。
起きている現象を踏まえ、それに対応する術を模索し、決意した『石の魔術師』。
誰一人として気付いていなかったようである。
すでに、千尋が次の一手となるべき罠を張り巡らせていたことに……。
千尋の攻撃をかわし、着地する『石の魔術師』。
ここからだ。ここからは身を削って実を取りにいく。石の魔術を解除し、運動エネルギーだけを解放する。膝を曲げ、千尋の行く先に狙いを定め、飛び出そうとした、その時――
足下から無数の大蛇が絡みついてきた。
「なにッ!?」
もちろん本物ではない。式神だ。突如弾けた札によって姿を現した無機的な生き物なのだが、一体いつそんなもの仕掛けたというのか?
いや、今はそれよりも――
腕で両目を隠す。
その上腕に千尋の指が突き刺さる。肉が抉られ、尺骨の砕ける音がした。石の魔術を解いたのが仇になったようだ。
すぐに千尋の手に触れようとその意思を示すが――逃げられた。
一度体勢を立て直す必要がある。石の魔術を発動。両足に鋭い牙を突き立てた大蛇が石化する。ダラダラと流れ落ちていた血液と一緒に、乾燥した紙粘土のように剥がれ落ちていった。
動脈をやられたか……。
傷口だけ石で止血し、周囲に目を光らせる。
まったく……、君って子は……。
呆れにも似た感情が浮かぶ。
注意してみて初めて気付いた。土色に同化した無数の式札が、足下に散らばっていたことに……。それこそ、足の踏み場もないほど。
無数の現代魔術を発動させる合間に、言語だけを記した式札をばらまいていたのだ。こちらに気付かれることなく……。
『――戦闘という面に関して、古代魔術が現代魔術に劣ると言われているのは、その術式を構築するまでの時間に差があるから』。
どうやら、目の前を行き交っている千尋にはその常識は通用しないようだ。
あまり魔素は消費したくないが、ばら撒かれた式札をリセットさせておきたい。そう考えた『石の魔術師』。
彼の体を中心に、円状に石化の波が広がっていく。草花や枯れ葉、折れた小枝や式札が石となって固まっていく。
半径三十メートル。この領域内にある全てのものが灰色の世界と化した。
千尋も警戒して距離を空けているだろう。逃げ回られたくないからあまり使いたくなかったのだが、千尋が仕掛けた罠を無効化するためだ。これは必要な処置だ――と顔を上げたその目の先に、千尋の指があった。
「なっ!?」
反射的に顔を背けるが、左目の一部を削られた。
どうして! まだ石化の波は活きている。わずかでも地面に足が触れれば、その瞬間に石に取り込まれるはずなのに……!
片目を閉じたまま顔を上げる。苦笑するしかなかった。
いつの間に召喚したのか、四十羽を越える式鳥が自分を取り囲むように飛び交っていた。ただ、飛んでいるのは鳥だけではない。
千尋もだ。
式鳥を空中の足場として、地面に足をつけることなく飛んでいる。
先ほどまでの平面的な動きではない。前後左右、さらに上下の動きも加えた立体的なパフォーマンス。しかもさらに速さが増しているように思える。
これまで散々チートだ反則だと言われ続けてきた『石の魔術遣い』だが、ここに来て、逆の立場でその言葉の意味を理解することになってしまったのであった。
真正面から千尋が飛んでくる。見えたのではなく、そう感じられただけ。しかしこの場合、そう感じられるだけでも大したものであるといえる。
両腕を持ち上げ、眼球のある部分を覆い隠す。そこに向かって千尋の硬質化した二本の指が衝突した。雷鳴にも似た破砕音と共に、無数の石の破片が辺りに散らばる。
爆発の衝撃すら相殺してしまう石の防御力だが、指先に集中した今の千尋の攻撃は、そのエネルギーすら上回っていた。
数十メートル後方まで派手に吹き飛ばされていく『石の魔術師』。次の瞬間には同じ威力の攻撃が背中側から打ちつけられていた。
なおも右から左から、前から後ろから、上から下から、延々と繰り返される無限地獄。地上十数メートルの位置で、さながらピンボールのように弾かれ続けるが、それでも急所である両目は腕で覆ったまま隠し続ける。
今の『石の魔術師』には、そうすることしかできなかったのであった。
くっ、このままではマズイ……ッ!
ダメージ自体は石の力によって抑えられてはいるものの、その代わりに平衡感覚が失われていく。
このまま脳の機能が低下していけば石の魔術が解除されるだろう。これが千尋の狙いかッ!
それを証明するように、狙われているのは体の中心部。瞳ではない。誘導しやすい位置へと『石の魔術師』を弾くためだろう。
ならばと――
空中で上体をひねり、体勢を変える。体を動かせるということは石の魔術を一時的に解除したということでもある。そのせいで千尋から強烈な一撃を背中に浴びてしまったが、変化はもたらすことができた。
地面に足を付けることに成功したのである。すぐさま足と大地を石で繋げる。これで弾き飛ばされることはない。
さらに体を丸め、魔素の放出量を増やして衝撃を緩和させる。
ひとまず最悪な状況から脱することができた……が、危機が去ったわけではない。
安全を確保した代わりに、この場から一歩も動けなくなったのである。
一定のリズムで繰り返される千尋の攻撃。規則的だが、手拍子で音頭が取れる速さではない。
どうする……。このままだと、殺られはしないが殺れもしない。たった一秒でいい。千尋の動きを止めることができたら……。
その思考の果てには、彼が隠し持っている『ある秘術』へと繋がっていた。
『観ただけで石化させる』という『石眼』のことだ。
ここまでそれを使わなかったのは、切り札として最後まで秘蔵しておきたかったわけではない。
『石の魔術師』の目的は明瞭だ。
『生命の魂源』を手に入れ、あの人を生き返らせる。そのためには千尋と決着をつけなければならない。ならば、隠し立てする必要はない。初っ端から『観て』、千尋の動きを止めればいい。
相手を無駄にいたぶる趣味はないし、力比べがしたいわけでもない。
石化させて終わりならとっくにやっている。
ただ、ここまではそれができていないのだ。
石眼――対象物を見て石にするには、ピントを合わせる必要がある。時間にすれば一秒程度。
しかし、その一秒の間に千尋は五~六の術を行使してくる。八芽でも千尋が魔術を使用していると気付かせないほどの早業だ。
もはや、ピントを合わせるどころか、視界に入れておくことすら困難な状況にある。
だからこそ触れなければならない。直接触れなければならないのに……。
予想以上だ。想定外だ。規格外だ。まさかここまでの化け物になっていようとは……。
このまま石の魔術を行使し続け、亀のようにジッとしていれば、いずれ魔素が尽きて無防備な状態をさらすことになってしまうだろう。
先に千尋の魔素が尽きればしめたものだが、恐らく自分の方が早い。石の魔術は燃費が悪いのだ。一回一回の術行使で大量の魔素を消費してしまう。
このまま千尋の攻撃を受け続けていれば、もって三分。あと三分後にはガス欠だ。
それだけはなんとしても避けなければならない。
そのためにはどうすればいい。どうすれば反撃のきっかけを得ることができる……?
腕で両目を庇いながら、答えを探すように周囲を見回す。
――と、そこで一人の女を見つけた。八芽の隣りにいる若い女。
見たことのある顔だ。覚えている。確か三年前、あの女の右腕を石化させたとき、千尋が残り一羽しかない式鳥を使って助けた、あの時の女のはずだ。
「……………………」
千尋とどんな関係かは知らないが、まぁ、連れてくる方が悪いよね。少しばかり利用させてもらうよ。そのためには……。
八芽は『石の魔術師』の視線に気付いていた。その上でこう思った。何を観ている……と。
戦いが始まる前に『石の魔術師』は、これはルールに則った真剣勝負、そのようなことを言っていた。
――ルール……。それは、千尋を殺しても目的の品――『生命の魂源』が手に入るように、あたしに立会人を頼んだこと。もしあれがそれ『のみ』を指して言っていた言葉なら……。
あれは千尋との勝負云々ではなく、あたしと『石の魔術師』との約束、それをあたしに守らせるための決まり事と捉えてよいのなら、『石の魔術師』と千尋の勝負において守られるべき約束ごとなど存在しない。
近くに伏兵を仕込ませていようが、卑怯な手を使おうが、構わないってこと。つまり最初から『何でもアリ』だったってことかい。
馬鹿だね、あたしは。この戦いをスポーツの延長か何かだと勘違いしていたよ。あんたも千尋と同じで、目的に向かって一途なんだねぇ……。
『石の魔術師』に『観られた』ことによって、八芽の全身が一気に石化し始めた。しかし、この術の発案者は八芽自身である。石化させられた端から元に戻していくことはできる。
ただ、元に戻せるといっても完全に解除しきるまでは肉体は動かせない。無理に動かせばどこかしらポッキリ折れたり、ダメージが残ってしまうだろう。
もう少し早く気付いていれば、術をかけられたそばから無効化できていたのだが、今回は完全に油断していたようである。
もちろん『石の魔術師』の標的は八芽ではない。ただ邪魔されないように一時的に八芽の動きを止めたかっただけのようである。
――狙うべきはもう一人の女だった。
千尋の猛攻に耐えていた『石の魔術師』。千尋が離れた瞬間、足下の石を脆くし、引き抜きながら二人の女性のもとへと駆け出した。
「!?」
それに気付いた千尋。反転し、式鳥から受け取るエネルギーを利用して一気に詰め寄る。
追ってきたことを察知した『石の魔術師』。わざとスピードを落として短剣をちらつかせる。
予想した通り、斜線上に千尋が割り込んできた。ステラを殺させないために……。
もちろんそのためには『動きを止めて対峙するしかない』。
二人が戦い始めて、ここまでまだ一分も経っていない。展開についていけずにしどろもどろのステラ。彼女からすれば、状況が移り変わるほんの一瞬の出来事に過ぎなかったのだろうが、『石の魔術師』からすれば、引き寄せ、手繰り寄せ、やっとの思いでつかみ取った貴重な一秒間であった。
ズズズズズ……と、千尋の衣服を始め、肉体が石によって侵食されていく。
「千尋くんッ!」
悲鳴にも似たステラの叫び。
「うるさいよ。ちょっと黙っていてくれる?」
キッと見つめたその先で、ステラの口もとが石化した。それが鼻にまで及んでいれば窒息していたのかもしれないが、石の侵食はそこで動きを止めていた。『石の魔術師』の意思で止めたのだ。それが気まぐれではないことは、『石の魔術師』という人物を知っている者ならわかりきっていたことであろう。
殺すことに躊躇などしない男が、ここであえてステラの命を繋いだということは、抵抗できなくなった千尋に対する最後通告だったのだということに。
「千尋、本当にこれが最後だよ。僕には生き返らせたい人がいるって前に話したよね。君が『生命の魂源』を使ってその人を蘇らせてくれるのなら、ここにいる彼女にも、君のお姉さんである千影にも今後一切手を出さないと約束しよう。もちろん生きた人間の魂はこちらで用意する。君が自分の命を犠牲にする必要はない。どうだい、これ以上ないくらいの提案だろ?」
三年前にも告げた内容。
これに対する千尋の返答は――なかった。口にまで侵食は及んでいない。話そうと思えば話せたはずだ。それでも無言だったのは、代わりにその意思を別の形で示したからだ。
上空を飛び交っていた四十羽の式鳥が、一斉に『石の魔術師』に向かって急降下してきた。
地上に放たれた一斉掃討。乱発されたガトリングガンのように固い土が抉られていく。
無論、『石の魔術師』には傷一つつかない。周囲を土煙が覆いつくす。
「そう、それが君の答えか……。まぁ別に構わないよ。君との勝負に勝てば『生命の魂源』は確実に手にできるのだから。後は千影の身柄を確保して、君に言うことをきかせればいいだけだからね。千尋。目的に向かって真っ直ぐ突き進むしかない『式神の特性を備えた君の考え』は僕にもわかる。千影のことを考えるなら僕に生きてもらっていては困るのだろう。でもね、君は式神であると同時に考える知能を持った一人の人間でもあるんだよ。意固地になってせっかくのチャンスを棒に振るなんて馬鹿らしいと思わないのかい?」
「……………………」
「無駄か……。式神っていうのは、どこまでも憐れな生き物なんだね……」
そのようにつぶやきながらも『石の魔術師』は警戒していた。もうすぐ石の侵食によって千尋の体は呑み尽くされようとしている。だがまだ意識は保てているはずだ。
それなのに返ってくるアクションがない。まさか今の式鳥が全てでもあるまい。この男ならこっそり何かをどこかに仕込んでいてもおかしくない。
辺りを漂う土煙がいい証拠だ。視界を遮り、最期の特攻にかけてくるのか、それとも注意を引きつけ、八芽の回復を待っているのか――
どちらも無駄だよ。両目は自分の腕でカバーしているし、八芽が完全に機能を取り戻すにはもう少し時間がかかる。
そう、君が石と成り果てるのを待てるくらいにはね。
薄く微笑む『石の魔術師』。それは油断ではない。ただ事実を胸のうちで口語に置き換えているだけだ。
「千尋、三年前に教えたよね。君があと三年現代魔術の修得に励んでいれば、もっといい勝負をすることができるだろうと。確かにその通りだった。いや、いい勝負どころか、完全に君が圧倒していた。でも結果はご覧の通りだ。なぜかわかるかい?」
「……………………」
黙ったまま耳を傾ける千尋。答えられないのか答えたくないのか――
「あのとき僕はこうも言ったよね。切り札を持てと。残りの命を燃やしつくす類いのものではなく、生き残るために必要とするものをって。実際に君は僕の『石眼』にかかってしまった。隙をみせたのは君だが、しかし一発で形勢は逆転した。そして覆すことはもう不可能。これが切り札だよ。この世界で生きていくためには必要なものだ。千尋、君にはあるのかい? この絶対絶命の状況を覆す切り札ってやつが。ないだろ? つまりもう終わりってことさ」
薄く微笑む『石の魔術師』。
もう一度記すが、それは油断ではない。ただ事実を述べているだけだ。石の魔術の根幹を知り尽くした八芽でさえ対応の遅れを取り戻すのに必死になっている。その彼女がしばらく動けないということは、先史有史問わず、世界全人類の誰であったとしても、この窮地を脱することなどできはしないということだ。
例外はない。
裏技も通じない。
四肢が石化したくらいなら切り落とせば済む話だが、今の千尋は首から上を残して完全に灰色に染まってしまっている。
詰み。手詰まり。投了。チェックメイト。
すがる希望は泥の中にも存在しない。
だがここで、あえて――
あえて『石の魔術師』の落ち度を挙げるとすれば、それは三年前のあの戦いにまで遡る。
元ロシア連邦軍魔術対策庁所属――イワン・ホドルコフスキーとの一戦。
千尋との共闘によって得た最大のチャンス。「目を狙え!」珍しく声を張り上げた千尋に釣られ、イワンが伸縮棒を突き出した時だ。
タイミング的にはアウト。『石の魔術師』の瞳に突き刺さり、眼窩を抉って脳漿をぶち撒けていた『はずの』一撃。
しかし結果は顔のそばを抜けていっただけで終わった。イワンの右腕が途中で石化を始めてしまったため、狙いが逸れたからだ。
あの時『石の魔術師』は、「例えその武器を通してだろうと、僕の体に一瞬でも触れれば君の体まで干渉させることはできるんだよ」と言った。つまり前段階の攻防において、伸縮棒の攻撃を石の魔術で防いだという事実、そのことを言っているのだ。
いつでも、どのタイミングでもイワンを石化させることはできた……と。
だが千尋はそう思わなかった。あの時――これも珍しく――目を大きく見開いてまで千尋は何かを見ていた。見て、気付いてしまった。
イワンの体が石化を始めたのは、右腕の肩口からだ。イワンの斜め後ろから見ていた千尋にはわかった。それが、『石の魔術師』の視点が定まって『一秒程度の時間が経過した時』だと。伸縮棒でもない、イワンの鬼気迫った形相でもない。咄嗟だったのだろう。攻撃を防ごうと、つい咄嗟に、不自然に肩口に『固定された』『石の魔術師』の視点。
それを千尋は見ていたのである。
だから、
知っていた。
そう、
千尋は知っていた。
『石の魔術師』が、『観ただけで対象となる部分を石化させることができる魔術を備えているという事実』を、千尋は三年前から知っていたのである。
石の魔術に対応するのに、この三年という期間はそれほど短いものではなかった。
そう、
切り札を、今、投入する。




