22、再戦
「出てきた!」
十階建てのビルの屋上。双眼鏡をしっかりと握りしめ、弾んだ声を上げるステラ。
丸く切り取られた視界の中に、玄関から出てくる千尋の姿。玄関先まで連れ立った真冬は、主の背中に向かってお辞儀で見送る。
「わぉ、本当に普段からテイシュカンパクごっこやってるのね、あの二人は」
何やら間違った知識が彼女の中に植えつけられているようだが、何事もあやふやなイメージのまま捉えることの多い彼女にとって、この程度のことは些事でしかない。
もうすぐ夕方の三時に迫ろうかという頃。赤みの増してきた日差しの中、ステラは地上へと下りて千尋の追跡を開始した。
彼我の距離は五十メートル弱。
これ以上近づけば、何をどうしようがまず間違いなく気取られる。千尋が警戒心をあらわにするのは千影に関する時だけだが、それでも勘の良さは人並み以上だ。慎重に事を運ぶ必要がある。
ゴクリと唾を飲み込むステラ。
これから『石の魔術師』と再会するにあたって、居場所を突き止めるまでは千尋に気付かれたくなかった。
別に邪魔したいわけじゃない。三年前のように止めに入るつもりもない。
ただ、見届けたいのだ。
『石の魔術師』と千尋にどんな因縁があるのかは知らないが、そこに自分が足を踏み入れるべきではないのかもしれないが、それでも、ただ見届けたかったのだ。
前日から徹夜で仕込んだ追跡班。
いつもそばにいるパペットちゃんのほか、エルフリーデちゃんとシンシアちゃん。
後の二体は昨日雑貨屋で仕入れた新入りだが、パペットちゃんよりも手足が長いため機能性は拡充しているといえる。彼女らの働きには期待したいところ。
早速シンシアちゃんの目の前を千尋くんが通り過ぎていく――と、ハラハラした心持ちで見守っていたステラだが、すぐに安堵の吐息。
予想した通り、千尋に気付く素振りはない。後から入ってきた異物には目敏く反応する彼でも、最初からそこにあるものにまで注意を割くわけではなさそうだ。
問題はここから。追跡班の数が限られているため、慎重に、かつ効率よく彼女たちを運用する必要がある。見たところ、周囲には千尋が放ったとおぼしき式神はいない。列からはぐれたアリんこが一匹目についたが、まさかこれを使役しているわけでもないだろう。
大丈夫。千尋にも変わった様子はない。もっと近づいて尾行を開始することにした。
歩き始めて数分。ブロック塀を曲がった千尋。早速姿が見えなくなる。
奥にはエルフリーデちゃんが待ち構えているが、まだそこまで行ってはいないもよう。見失いたくなかったため、物陰からそっとシンシアちゃんに覗き込ませる。
千尋から目を離したのは五秒。通りは一本道。しかし、そこに彼の姿はなかった。
「えっ!?」
驚いたステラだったが、シンシアちゃんも困ったような顔でこちらを振り返ってくる。時間をかけて調整した自立起動式だが、彼女もこの後どうしていいのかわからなくなったようだ。
いや、そんな顔で見られても……。
表情の設定までした覚えはないんだけど……、と困惑するステラ。両者の間に微妙な空気が流れるが、ここでハッと気付く。
現在ステラの視界には、自分以外の三体の人形の目を通して映像が送られてきている。
その中の一体――シンシアちゃん。
そう、通路の角からこちらを見ている困った顔のシンシアちゃん。
彼女の視界には自分の姿が映っている。こちらを見ているのだから当たり前だが、彼女の目を通して、自分の背後に何者かの影がチラチラ映り込んでいるのだ。
ちょっと待って……。
得体のしれない不安を覚え、恐る恐る振り返ったその先に――
「何やってるの、ステラ」
「ひゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ……!?」
びっくりし過ぎて腰が砕けそうになる。
「ち、千尋くん!? なんで!? なんでここにいるの!?」
「いちゃ悪いの?」
「悪い! ……くないけど、えっ、えっ、えっ。なんで? たった今あそこの角曲がって行ったじゃない。どうやって私の背後に!?」
「何言ってるの。さっきからここにいたけど」
「嘘! またそうやって誤魔化して~!」
「別に誤魔化しているつもりなんてないけど……、そんなことより一つだけいいかな」
「何?」
「人の後つけないでもらえる?」
「嘘ついてるじゃないっ! というか、やっぱり私が尾行してたの気付いてたんだ!?」
「そりゃあ気付くよ。中腰の体勢でこそこそ動き回っていたら……。周りから変な目で見られていたの気付いていなかったの? ステラってそういうところあるよね。一つのことに集中して周りが見えなくなるの。一度客観的に自分の行動見直した方がいいんじゃない? あれじゃあ僕じゃなくても簡単に気付くよ」
本人は真摯にアドバイスしてあげているつもりなのだろうが、それを聞かされる側からすれば、
「こ、子供のくせに、な、生意気なこと言ってくれるじゃない……」
頬がぴくぴくひきつっている。平静を装うには、あまりにも核心を突かれ過ぎてしまったようだ。
「それならこちらも言わせてもらうけどさぁ――」
「それじゃあ」
聞く耳持たずに立ち去ろうとする千尋。
「ああ、ちょっとぉ!」
振り回されるのはいつだって彼女のようだ。
「待って! わかったわ。こうなったら本当のこと言ってあげる」
無表情だが、面倒くさそうに振り返る千尋。
「千尋くん、これから『石の魔術師』と一戦交えるつもりなんでしょ」
「……………………」
無言で応える千尋。言い当てられたことによる戸惑いではなく、『だから何?』と態度で示したつもりだ。
短い付き合いだが、ステラも今の千尋の動作の意味を理解している。
次がこの場における最後のやり取りになる――と。これ以上ふざけた言い合いを続ければ(本人はふざけているつもりはないが)、千尋は見向きもせず行ってしまうだろう。そうなれば姿を見られた以上、もうどんな手を使っても追跡は不可能。逃げられてしまう。
一転して真剣モードで尋ねるステラ。もちろん止めるためではなく、
「私も連れていって」
これには千尋も、
「なんで?」
当然こうなる。しかし千尋は知っているはずだった。それを思い出したのは、ステラが例の呪術書の一部を手にしたことによってだ。
「私だってこの一件には関わりがあるわ。私にこれを託して死んでいった仲間のためにも、この事件の結末を見届ける必要があるの。お願い、千尋くん。邪魔しないから連れていって」
しばしの無言をはさみ、
「わかった。その代わり、危なくなっても助けてあげないよ」
「望むところよ。私だって魔術師の端くれ。危ない橋の一つくらい渡る覚悟はできているわ」
千尋は一度ステラの右腕があった場所に目を留めたが、「そう」とだけ答え、夕陽の照らす通路を確かな足取りで進み始めた。
二人がタクシーに乗ってたどり着いたのは、ロンドン郊外にあるノーベリー・パークの広場の中ほど。公園というわりには、周囲は無造作に樹木が立ち並んでいるだけの広大な敷地。
チラホラと民家も見受けられるが、見通しが悪い上に人払いの結界も張っているのか、辺りには誰もいない。
「ここか……。いよいよね。千尋くん、途中で危なくなったらちゃんと私を呼ぶのよ……って、あれ? 千尋くん? どこ行ったの?」
たった今まで隣を歩いていたはずだが……、とそこで見つける。
五十メートルほど進んだところに一人の老婆がおり、その隣に立って何か話していた。
「いつの間に……」
ステラが駆け寄ったのと同時に、千尋はそこから離れていく。木々の合間にある開けた空間。そこで立ち止まる千尋。ここが決戦の舞台として選ばれた場所のようだ。
肝心の『石の魔術師』はまだ到着していないようだった。
「あの、こんにちは。えと、千尋くんとはどういったご関係で……?」
老婆に向かって話しかける。この場にいるというだけで、彼女も特別な人間なのだろうと察するステラ。すぐに自分の名を名乗っていないことに気付き、
「あ、失礼しました。私、ステラス・エンフィールドという者です。千尋くんとはちょっとした知り合いというか、まあ友人みたいなものなんですけど……」
老婆は、
「おや、あんたは……」
ステラの顔に見覚えがあったようだ。
「その右腕、不自由していないかい? いい義手を作ってくれる人間を知っている。今日本にいるはずだが、紹介してやろうか?」
「いえ、もう慣れましたから。何も不便なことなんてないですよ」
「そうかい」
一度対面したことはあるはずだが、今の会話でもステラは気付かなかったようだ。三年前、右腕を切断した時に現場にいた老婆と同一人物だったということに。
一言二言会話したはずだか、意識が朦朧としていたし、覚えていなくても無理はないかねぇ。まぁ、はっきりと覚えている……というよりは、忘れることができないあたしの方が異常なのかもしれないが……。
そのように胸中で一人ごちる老婆こと、ナディア・リドル。姿は白髪の学院長だが、ここでは千草八芽と表した方がよいだろう。
そのまま黙り込んでしまった八芽。結局名前どころか、尋ねた千尋との関係も聞けずじまいだったステラだが、そこに意識を向けていられないほどの高鳴りを、胸の中に感じた。
林の向こうから悠然と歩いてくる、一人の男性の姿を捉えてしまったからだ。
ナディアのとき同様、こちらも忘れてしまっても仕方がないほどの面識の薄さだが、あの時の軽薄な笑みは脳裏に焼きついて離れることはない。
カステル・リッチ――改め、『石の魔術師』。
因縁を孕んだ最強の敵が、今――三上千尋の前に起つ。
「やぁ、千尋。元気にしていたかい?」
「……………………」
「話すつもりもないというわけか……。まあいいや。それで、約束通り呪術書は持ってきてくれたかい?」
「……………………」
何も答えない。ただ一点に『石の魔術師』を見つめる。
「おいおい千尋、これは私闘じゃない。正式なルールに則って行う真剣勝負の場だ。そもそも挑発して呼び出したのは君だろ。今更用意できていませんなんて言うなよ?」
「……………………」
何も答えない千尋。ここで八芽が口を入れる。
「安心しな、『石の魔術師』。ちゃんとあたしが預かっている。約束は約束だ。どんな結末になろうが、最後にはちゃんとあたしが尻拭いしてやるさ」
今の最後の一言は、千尋の製作した呪術書――『生命の魂源』が触媒としての働きを得ない場合は、もう一度あたしが新しく作り直してやる。それでいいだろ?
――と言っているようにも聞こえる。事実、『石の魔術師』はそのように受け取ったようだ。
「いいでしょう。ならこれで契約は成立だ。あ、先に言っておきますが、もし約束を違えるようなことがあれば――」
「あたしがそんな無粋な真似すると思うのかい」
「……そうですね。あなたはそういう人だ。信じましょう」
一体この人は何者? 『石の魔術師』とどういう関係? そんな疑問が浮かんでいそうな顔で隣の老婆を見つめるステラ。しかしそれに応えてくれる者はいない。
『石の魔術師』は千尋に視線を戻すと、
「さて、それじゃあ早速始めようか。戦う前に何か言い残したことはあるかい?」
自分が負けることなど微塵も思っていないような口ぶり。千尋は、
「一つだけ」
ここでやっと口を開く。
「何かな?」
尋ねると、
「最初から本気できた方がいい。勝負はそう長くはかからない」
これにはさすがにフッと口もとを緩める『石の魔術師』。
「その自信がどこから来ているのか、見せてもらおうか」
「いいよ。ただ、その時にはあんたは死んでいる。すぐにわかるよ」
「それは楽しみだ」
――ここで、
両者の気配が変わったことを、図らずも二人の傍観者は感じ取ってしまった。
先に動いたのは千尋。
ただし、ステラにその動きは追えていなかった。
「消え……た……!?」
つぶやいた時には、『石の魔術師』もその場から消失していた。
一方、辛うじて二人の動きに八芽は付いていけていた。
一瞬で視界の端から端に移動し、互いに手を繰り出して攻防を繰り広げている。ステラ含め、一般人からしたら、線状になった影がチラついているようにしか見えていないだろう。
それほどの速さ。明らかに人の動きではない。
どこを見ていいのかわからないステラとは対象的に、八芽の眼球はせわしなく動き続ける。その上で感嘆としたものを胸のうちで吐き出していた。
『石の魔術師』はわかる。自身の肉体を半分ほど石化させ、現代魔術と併用させることによって移動速度を限界まで引き上げている。半分ほど石化といっても『六対四』の割合で固定とか、そんな『大雑把』にやっているわけではない。
着地や移動の瞬間に石化の比重を上げ、千尋に接近し、体を動かす時に『重くなった石』を解除し、さらに肉体の速度を上げている。
わずかな違いだが、それがかつて八芽が正太郎の前で披露したもの――あれ以上の速さの実現に至っているのだ。
大したものだと八芽は思う。完全に石の魔術を使いこなしている。少なくとも、自分は戦闘中にこれほどの微調整は繰り広げられない。
その才に羨望とかすかな嫉妬心を抱いてしまうほどだった。
八芽ほどの人間にそう思わせるのだ。今の『石の魔術師』の技術の高さがどれほどのものか、否が応でも理解させられてしまう。
だが、
八芽が驚いているのは『そちら』ではない。
千尋だ。
八芽ほどの一流の魔術師ともなれば術的な痕跡は見逃さない。注視しているとなると尚更だ。
それなのに視えないのだ。術を使う際のちょっとした動作や雰囲気、魔素の揺らぎなどを視認することができないのだ。
つまり、
――肉体の機能だけで『石の魔術師』の動きに付いていっているというのかい……!?
額から流れ落ちる大粒の汗にも気付かず、ひたすら二人の動きを追い続けた。
戦闘中の二人に視点は移る。
「くっ……!?」
自身の瞳に突き立てられた指。それをギリギリのタイミングでかわす『石の魔術師』。
共に人外の域へと達したスピード。
八芽でさえ二人の『速さ』は互角だと認識していただろう。
だが、違った。
『石の魔術師』は苦戦していた。
唯一の弱点である瞳へと、何度も何度も接近を試みてくる千尋の食指。ここまで避けられているのは勘に頼っているところが大きかった。
その状況を生み出しているのは、やはり千尋の『速さ』。
だが、最高速は両者にそれほどの違いはない。むしろ『石の魔術師』の方が若干上なくらいである。
それなのにここまで追い詰められてしまうのは、動きの『繋ぎ』となる緩急の部分――つまり山と谷の差が極めて小さいことにある。
視界の右端から左端に移動したかと思いきや、次の瞬間には右側から肉薄してくる。
出力100から0へ。そのすぐ後にはまた100へと移行。慣性の法則すら無視したような無茶な動き方。こんなの自分でも無理だと『石の魔術師』は思う。
当然肉体がついていけるはずがない。それとも最初から壊れること前提で短期決戦に持ち込んでいるのか――?
しかし、千尋の体には外傷も内出血もない。各関節部も正常に作動しているようだ。
「……………………」
攻撃の手を止め、観察することに意識を費やしたおかげか、『石の魔術師』はそれに気付いた。
――いや、使っている。千尋は魔術を使い続けている。ただ、あまりにもその間隔が短いのだ。一秒間に何十回と信号を出すパルス波のように、使っては止め、使っては止めを繰り返している。
物質の硬度に作用する圧密化方式。これで肉体を頑強にし、術を解除――その影響が残っているうちに次の術式、運動エネルギーに作用する熱変換方式で高速度移動。さらに着地した足下(土の地面)を硬質化させて次のステップの土台にしたり、大気中の圧力を下げて空気抵抗を減らしたりなど、細かく挙げればまだまだ出てくるだろう。
状況に応じてそれら一つ一つの術式を細かく使い分けているということだ。
一秒の何分の一という間隔で……。
なぜ同時に使用しないかといえば、『石の魔術師』のような現代魔術と石の魔術(全く違う術式言語)との合わせ技ならまだしも、同じ言語形式である現代魔術同士を併用すると、互いに術干渉を起こして不発、暴発を起こしてしまう恐れがあるからである。
だからこそ、一つ一つの術式を区切りながら使用しているわけだが、やはり問題はその速さ。
三年前、『石の魔術師』は倒れた千尋に向かってこう言った。
――あと三年、例えば現代魔術の修得にでも励んでいれば、もう少し善戦することはできていただろうに……と。
その結果がこれである。
善戦どころか、明らかに千尋が圧倒している。
隙あらばどこからでも瞳を狙ってくる千尋。『石の魔術師』からすればむしろ接近戦は望むところだった。
彼からすれば、触れればいいのだ。触れればOUTにできる。直接肉体に触れる必要はない。服の裾でも袖でもどこでもいい。意思を持って触れば、あとはそこを中心に石となって広がっていく。
しかし、触れるどころか、逆に千尋から胸倉をつかまれて強引に引き寄せられる。勢いのまま両目に二つの指を突き刺しにくる千尋。これはあごを引いておでこで受けることによってなんとか防いだが……。
これには苦みの利いた笑みを浮かべるしかない『石の魔術師』。
触れられれば終わりだということは向こうもわかっているはずである。それなのに自分からこちらの体に触れてくるとは……。
相手から触れられても意味がない。自分から触りに(術をかけに)いかなくてはならない。
もっとギアを上げる必要がありそうだ。
『石の魔術師』は決意する。重い石を脱ぎ捨て、己の肉体のみで千尋を捕らえにいくしかないと。
つまり、移動の際に石化は使わないことにしたのだ。
全身の筋繊維や血管、腱がぶちぶちと千切れていくだろうが、今目の前にいるのはそれだけの相手。それだけのリスクは負わなくてはならない。
――認めてあげるよ、千尋。よくここまで成長したものだ。君は今まで僕が出会ってきた中で最強の相手だよ。
『石の魔術師』の両目が剣呑な光をにじませた。
この時点では、二人の戦いが始まってまだ三十秒も経過していない。
何が起きているのかさっぱり付いていくことができないステラ。
目で追いながら何が起きているのかを想像することしかできない八芽。
起きている現象を踏まえ、それに対応する術を模索し、決意した『石の魔術師』。
誰一人として気付いていなかったようである。
すでに、千尋が次の一手となるべき罠を張り巡らせていたことに……。




