20、魂の源
背後から追いかけられていることなどつゆほども知らず、千尋は虎の口元で身悶えていた。
「おろしてよぉ!」
顔をバチバチと叩くが、式である虎はまばたき一つしない。主の命令を忠実に遂行することが、この虎に与えられた使命であり、この世に存在してよい理由だ。
何としても逃げ通してみせる――そのように考える知能がこの虎にあるのかは甚だ疑問だが、清之介の想いを『イメージ』として受け取っていたことは間違いないだろう。
動植物であれ死体であれ、元が紙のような有機物から生み出された式神であれ、こういった自立して動くことを許された使役物は、自身の中に焼きつけられた術式言語以外にも、術者の想い、祈り、願いといったあやふやなものにも影響を受けていることが確認されている。
この辺りの原理的な解明には今のところ至っていないが、ただ一つだけはっきりしているのは、強い想いには強い行動で応えるということだ。
虎の中に焼きつけられた術式の一つに、接近する敵への対応パターンも記されている。
基本的には『一番近い敵、または接近する攻撃から離れろ』という回避プログラムが焼きつけられているが、逆の見方をすれば、自分から近づいての攻撃、または反撃の手段が記されていないことでもある。
だが、
清之介の『敵を排除したい』という雑念も『イメージ』として汲み取ってしまったせいか、側面から近づいてきた敵に、虎は鋭い爪を振りかざしてしまった。
一撃で絶命しかねない威力を備えていたが、中途半端な応対が逆に虎を窮地へと追い込む。
動きの質は勝っていても、数では圧倒的に相手側に分があるのだ。しかもそのほとんどが遠距離攻撃用の術式。
清之介に与えた直撃雷と同じ電圧、同じ電流、同じ速度で放出された雷撃が、虎の全身にくまなくヒットした。
百パーセント記述された術式通りに発動する現代魔術と違い、使役式、または触媒などを利用した一般的な古代魔術は、このように術者の不安定さがもろに現象として表れてしまう。
それがプラスに働くこともままあるが、清之介のような一流の魔術師ともなれば、極力イレギュラーな要素を排斥したがる傾向にある。
使役したものに勝手な行動を取られたら、今のように不測の事態を招くだけで、先の展開の見通しが立たなくなるからだ。
清之介も、普段であれば絶対にこんなミスはしない。想いや願いなどの不確定要素は排除し、ただ自分の命令に忠実に動く道具――それ以上のものを式に求めようとはしないのだが、今回ばかりは『石の魔術師』の策略にしてやられたようだ。
村人を殺害して清之介の動揺を誘ったことである。
さらに不運なことに、現場に千尋が現れ、そこを『石の魔術師』に見つかってしまったこと。千尋を庇って攻撃を受け、なおかつ無力な息子をこの危険地帯から逃がさなくてはならなかったこと。
さしもの清之介も、この状況では雑念が入ってしまうことは避けられなかったようだ。
敵の攻撃で吹き飛ばされ、山の傾斜を転げ落ちていく虎。ダメージが一定量を越えたのか、虎の体が弾け、一枚の式札に戻り、焼きつけられた魔素が消え、そしてボロボロの紙くずになって風に飛ばされていった。
残されたのは、土まみれになった千尋のみ。あちこち擦りむいていた。ひょっとしたら骨にひびが入っていたかもしれない。しかし、そんな痛みも気にならないほど、迫ってくる黒ずくめの男たちに恐怖を覚えていた。
「やだ……、来ないで……」
まだ六歳になったばかりの千尋。まともに式は扱えないし、立ち向かう気力も萎えていた。べそをかき、ただ震えることしかできない。
そんな彼の前に、一人の少女が降り立った。
同じ年の同じ日に生まれた姉――三上千影だった。
「千尋、下がって」
無表情から発せられる抑揚のない声。千影はポケットから十数枚の和紙を取り出すと、それを一気に空にばら撒いた。
空中で一枚一枚に文字が記され、風に乗って舞いながら弾ける。それは燕に似た鳥に姿を変えると、一斉に男たちに襲いかかった。
なおも千影は、毒蛇や毒蜘蛛、狼や鷲など、清之介に匹敵するほどの手際で次々と式神を召喚していく。
その場から動くことができず、ただそれを眺めることしかできない千尋。
すごい、と思ったが、羨ましいとは思わなかった。物心ついた頃から天才だの神童だの、清之介や八芽の再来だのと周囲に持てはやされてきた千影。
双子なのに千影は優秀で、自分は何もできない。そう思うことはあっても、それが嫉妬心に繋がることはなかった。
小さい頃から父や兄に「千影は特別なんだ」と聞かされてきたからだ。
まだ幼い千尋には、その『特別』が何を意味しているのか想像もできなかったが、自分なりに解釈して『こう』思い込むことはできた。
きっと、こんなロボットみたいな冷たい人間にならないと、式神をうまく使うことはできないんだ。僕は人間だからうまく式神を使えないんだ。友達もいない、笑うこともない、こんなつまらない人間が特別だというのなら、僕は今のままでいいや――と。
そのせいか、千尋はここ一、二年、自分から千影に話しかけることはなくなっていた。
何を尋ねても愛想のない返事、冷めた目で見返されるだけ。
正直、千影のことが苦手だった。向こうも自分のことを嫌っているのだと思った。
なのに、
「千影! もういいよ! 逃げようよ!」
どれだけうまく式を使えても、千影はまだ六歳。体力差も人数も圧倒的に不利。出し切った式神が次々と破壊され、術者である千影も敵の攻撃にさらされる時間が増えていた。
なのに、一歩も千尋の前から動こうとはしない。
なんで自分のことを庇ってくれるのかわからなかった。
僕のこと嫌いなんじゃないの?
混乱していく思考。その最中、
「千尋、早く逃げて」
こんな時にもかかわらず平坦な声色。
「やだよ、逃げるなら千影も一緒に」
すがるように言うが、
「私は無理」
「なんで!?」
「敵に背中を向けると二人ともやられるから」
「じゃあ、千影が……逃げてよ」
思い切ってそのように言ってみると、
「無理」
「どうして」
確かに自分では敵の足止めなんてできないだろうけど――そう思ったが、
「私は、家族を守らなくてはならないから」
一拍置き、
「私の中にある魂が、そうしてほしいって言ってる気がするの」
「た、たましいとか、わかんないよ、そんなこと言われても」
「いいから早く行って」
「やだよ! 逃げるなら千影も一緒に――」
きりがないと思ったのか、ここで千影が実力行使に出る。今まで敵の陽動と攻撃に使用していた狼を利用して、強引に千尋をこの場から連れていかせる。
「だめだよ、千影!」
遠くなっていく声に振り返りもせず、千影は敵を正面から見据えた。
□ □ □
想定外、といえばそれまでだろう。
充分に作戦は立てていた。どう戦えばよいのか。規格外なのはわかっている。だが、さすがにこれは反則だろう。
胸中で一人つぶやく清之介。
今の『石の魔術師』が、あの時見せてくれた八芽以上に石の魔術を実践的に使えるのはすぐにわかった。
まさにその通り名を冠するに相応しい実力。
初見でこいつに勝てる魔術師は、恐らく世界中探しても見つからないだろう。
八芽がこの術を封じていた理由もわかる。悪用されれば世界そのものを滅亡させてもおかしくない危険な代物。
だがそれは、
敵に触れなければ大丈夫とか、そういったものではない。
真にこいつの恐ろしいところはほかにある。
それは――
『観ただけで』対象物を石に変えてしまうということだ。
完全に反則だ。ふざけているとしか言い様のない馬鹿げた事実。
しかし手がないわけではない。視点を合わせられた、その瞬間に石にされるわけではないからだ。
カチリとロックを合わせるような一瞬のラグ。奴の目元が魔素で揺らいでからの一秒程度。
それさえ回避すれば石化は免れられる。
とはいえ、それもほんの一瞬だ。奴の視点から逃れるのは難儀を強いられる。
『石の魔術師』自身はこれを切り札として隠し持っていたかったようだが、清之介相手には出し惜しみするつもりなどないようだ。
そのせいで左手の肘から先は失ってしまったが(石にされた瞬間自分で切り落としたのだが)、問題はここからどうするか……。
現在大木の裏側に身を寄せている。相手も警戒して近寄って来ない。しかしそれも時間の問題だ。どうする――
肝心の体は先ほどの電撃で思うように動かない。
相手が初っぱなから切り札を解除してきたのは、こちらの状態を考慮に入れた上でだろう。
式札を握りしめる。残り十二枚と和紙が四十五枚。しかし、全部使いきる前に体内の魔素が尽きる方が早そうだ。
この場に八芽がいれば、もしくは石の魔術を解除する術さえ自分が修得していれば――
今さら考えたところで後の祭りである。
巷では天才魔術師だなんだと言われているが、本当にそうなのは八芽の方だ。あの人が真に優れているのは、膨大な術式を区分けして留めておける記憶力と、任意の情報を瞬時に取り出すことができる抽出力にある。
古代魔術師が修得できる術式言語は大抵一種。
一つの術は一つの回路に例えることができる。
術式を発動させる際、全てを頭の中で処理しなければならない『古代魔術師』にとって、別の言語や法則で成り立っているものを記憶していると、互いに干渉し合って混線し、元々修得していた術にも悪影響を及ぼしてしまうからだ。
所詮自分なんて、ちょっと人よりも呑み込みが早いだけのただの凡人。学んだ1を忘れずにいることはできても、八芽のように0から1は生み出せないし、100も200も脳の中に留めておくことはできないのだ。
だからあの人は自分に石の魔術を教えてはくれなかったのだ。
「そろそろ、終わりにしようか」
大木の反対側。『石の魔術師』がゆっくりと近づいてくる。
よくて相討ちか……。
これ以上自分の生きる未来は想像できそうにない。しかしそれで構わない。この禍根は俺たちの間で終わらせるべきものだ。
覚悟を決めて立ち上がる。式札を手に脳内で術式を展開。
――だがその時、式鳥を通じて割り込んでくる映像に、千影の姿が映った。たった一つの式神をそばに、残り三人となった敵と交戦中。千尋を追っていった連中だが、千尋の姿はそこにはない。千影が召喚した式獣にくわえられ、その場から離れていっていた。
千影が千尋を逃がしたのか……? お前……。
『生命の魂源』によって生ある者として再び息を吹き返した千影。物心つく前から千尋との違いは明白だった。
決して泣かず、笑うこともない。子供のくせに妙に悟った顔で世間を見つめ、必要なこと以外は口を開かない。
育て方が悪かったのだと思うことはない。
普通の人間ではないという意味で、この子は『特別』なのだ。
――肉体は、焼きつけられた術式によって動くだけのただの入れ物。
――魂は、他人であるさつきによって与えられたまがい物。
全ての動植物は死ねば霊的エネルギーとなって空間に満ちる。かつて八芽はそんなことを言っていた。
式はその霊的エネルギーを原料に使役される『造り者』のことだ。
なら、
その霊的エネルギーの根幹を為すものが魂であるのならば、与えられた術式通りにしか動くことのない彼女のことは、このように言い表すことができるのではないだろうか。
――三上千影は人間ではなく、式神である、と。
これまで親兄弟に迷惑かけることなく、異常なほど完璧に三上家の三女という役割を果たしてきた千影。
術者は正太郎である。そこに落ち度はないどころか、施行された術は完璧なものであった。さつきの気持ちを汲んで、真摯に取り組んだものと思われる。
なら、
どうして千影は千尋を助けるような真似をした?
式神はそんなものではない。特定の人間を守れ、とでも命令されていない限り、自分の命を優先する。それが使役されたものの思考回路だ。
千影が千尋を助けるなんて、そんなイレギュラーな行動を取るというのは、正太郎の術が不完全であったという理由以外には、一つしか思いつかなかった。
お前か、さつき……。
本来なら魂(霊的エネルギー)など対象物を動かすだけのエネルギー源でしかない。
それが術式によって支配された肉体にまで影響を与えるとなると、その想いの強さとはいかほどのものだったのか……。
これまでさつきが経験してきたこと、気持ちや感情、願いや祈り、そして想いが、魂を媒介に千影の中で溶け、染み込んでいったのだ。
それ以外の答えは、導けなかった。
今まで気付いてやれなくて済まなかった、千影。
駄目な父親でごめんな、千尋。
感情に動かされるなんて魔術師として失格だ。
でも、今だけはお前たちの父親でいさせてくれ!
送られてくる映像に変化が生じる。敵の一人が千尋を追跡し始める。千影も二人を相手にしながらその後を追っている。
時間がない。
清之介は式札全てに魔素を供給。十一羽の巨大な蝶と、一羽の大鷲を召喚。
大鷲の背に乗り、その場を離れる。残りは全て捨て駒だ。『石の魔術師』の視界を防ぎ、同時に足止めするために――
「くっ……!?」
やはり思った通りにはいかないか。背中を『観られた』。
そこを中心に徐々に石化の波紋が広がっていく。
駄目か……、思うが、侵食のスピードが落ちていく。
どうやら石化の影響度は、『石の魔術師』との距離に比例しているようだ。
同時に、監視していた式鳥を千影の援護に向かわせる。一人を始末することに成功したが、代わりに式鳥が撃破される。映像が途切れる。
頼む! 間に合ってくれ!
上空に躍り出ること一分あまり。
「いた!」
千尋と千影、同じところで倒れている。残りの敵二人も近くで血まみれになって倒れている。
相打ちか……。クッ! まさかこんな結末になっていようとは……。
止め処ない焦燥。それは自身の体と二人の安否、どちらからもたらされたものなのか――
着地。二人に駆け寄る。千影には――息がある。しかし意識が混濁。出血量もそれなりのものだ。
千尋は――こちらはもっと酷い。全身の皮膚が焼け焦げ、腹部には穴も開いている。
必死に名前を呼びながら止血。ありったけの和紙を貼りつけるが、こんなもの一時しのぎにしかならない。その時、
「……うさん」
千尋が瞼を開けた。
「すまない……、千尋……」
不甲斐ない父を許してくれ。その謝罪の言葉は彼の耳に届いただろうか。
千尋は安心しきった顔で再び眠りについた。
千尋と千影。二人を抱え、大鷲の背に乗る。『石の魔術師』に見つからないように低空飛行を心がけながら、袖口から一枚の紙を取り出す。
式神を使役するわけではない。すでに紙には文字がびっしりと書き記されている。そこに魔素を送り込みながら耳に押し当てる。
八芽が清之介に持たせていた、連絡を取り合うための通信用の術札だ。
「八芽さん! 今どこですか!」
『緊急事態かい?』
すぐに返答が来たことには安堵したものの、
「『石の魔術師』が村に攻めてきました。八芽さんは今どこに?」
『今イギリスにいる。悪いがそっちには行けそうにない』
それを聞いて狼狽する清之介。
「そんな……、このままでは千尋と千影が……。村のみんなも……」
清之介がこれほど取り乱す様は、八芽も初めてのことだっただろう。
『しっかりしな! 状況は』
我に返る清之介。村人が殺され、千尋と千影も重傷、自分も石の侵食にさらされ、やがて動けなくなる――と。
『『生命の魂源』は手元にあるね? それを使うかどうかも含め、今決断しな』
「決断?」
『千尋と千影、どちらを蘇らせるのか、それとも二人ともこのまま弔ってやるかだよ』
「どちらかを選んで、どちらかを見殺しにしろって言っているのか!?」
『だから、どちらを選ばないことも含め、決断しろと言っているんだ。お前が動けるうちに身を隠し、その居場所をあたしに伝えさえすれば、少なくともお前の命は救ってやれる。完全に石化さえすれば、しばらくは今のお前の状態が維持されるからね』
「俺がそんな道を選ぶと思うのか? 自分だけ助かるなんて……、それじゃあこの二人に対する裏切りになるだろ!」
『ああ、お前がそう答えることは知っていたよ。だから『生命の魂源』を使うのかどうかを尋ねたんだよ。本当は、あたしはあの術を使わせることは反対だ。しかし、それじゃああまりにも千尋と千影が不憫じゃないか。元々あたしがこの術さえ作らなければ、こんなことにはならなかったんだから……』
「だから俺に『生命の魂源』を持たせておいてくれたのか……? こうなるかもしれないと、こうなった時のために、俺がこの術を使用するかもしれないから、だから……」
『少し違うね。あんたにその呪術書を持たせておいたのは、あたしとあんたのどっちかが生きていれば『石の魔術師』に対抗する術が維持できると踏んでのことだ。できることならお前にはその術を使ってほしくなんてないんだよ。でも、性格的にお前には無理だろ? 見届けることと見殺しにすることを同じ意味に捉えているお前には……』
「ああ、無理だ……。自分の大切な人の命が失われるというのなら、この術が手元にある限り使ってしまうだろう。だが、俺には選べない……。千尋と千影、どちらを選べばいいのか……。なぁ、八芽さん。あんたなら二人とも助けられる方法知っているんじゃないのか?」
『……………………』
数秒の沈黙。背中から肩口、下側は腰にまで石化が進行している今の清之介からすれば、耐え難いまでの時間。
「なぁ! 八芽さん!」
『二人とも助ける方法はある。だが、かえってそっちの方が二人を苦しめる結果になるかもしれないよ』
「『石の魔術師』に再び狙われることになるからか?」
『そういう意味ではないんだが……』
「どういうことだ?」
『時間がない。とりあえずあたしの家に向かうことはできるかい? うちの庭に桜の木が植えてあったろう。その下を掘り返してみな。そこに答えがある』
「……わかった。八芽さんの家ならすぐ近くだ。行ってみる」
大鷲を限界まで飛ばし、庭先へと降りる。すでに石化は肩を越え、下半身は太ももにまで侵食している。まともに歩くことはできないため、大鷲から転げ落ちる格好で桜の木の下へ。
左手も欠損しているため、右腕だけで固くなった土を掘り返す。ほどなくして、指先に硬い何かが当たった。幅二~三十センチ、長さ五~六十センチほどの石でできた物体。
「八芽さん、これは……」
通信用の紙を丸め、耳の裏にはさみながら尋ねる。八芽の返答と、『それ』を手元に引き寄せたのは同時だった。
『石化した十和の遺体だよ』
「なっ!?」
驚きのあまり噎せ返りそうになる。
三上十和。長男の一樹が生まれた一年後、三上家の長女として生を授かった女の子。しかし千影の時と同じで、生まれた時には呼吸をしておらず、様々な処置もむなしく死産として処置された……はずだった。
「ど、どうして十和……が……」
『申し訳ないとは思ったが、さつきのため……、いや、あたしのためだね。十和が亡くなったことを知った後、魂が抜けないように封をして、後で火葬場に持っていく前に遺体をすり替えさせてもらった』
「だから……どうしてッ!」
『あたしがうちの人の魂を使って、一度『生命の魂源』を使用したことはあんたも知ってるね』
「『さつき』のことですよね。幼少の頃、事故に遭ったさつきをご主人の魂で……」
『そう。さつきは一度死に、式神として生を育むことになった。術者はあたし。あたしがあの子に式神として命じたのは、普通の人間として生きなさい、それだった。だけどねぇ、この術で生まれ変わったあの子は、絶対に人の一生分の人生を歩むことなんてできないんだよ』
「どういうことですか」
『『生命の魂源』。その魂の源はどこにあるのかって話だよ。あの子の中には父親の魂が入っている。親子とはいえ、言ってみれば他人だ。本来相容れないはずのものを、無理やり肉体に留めて維持しているんだ。小さな歪みはやがて大きくなり、いつか崩壊の憂き目を見ることになるだろう。そう長くないうちにね』
「臓器移植による拒絶反応のようなものですか」
『ああ、だがこれは、時間が経過するごとにリスクが高まる時限爆弾のようなものだ。いつ破裂するか誰にもわからないし、寿命を迎えるのを待ってくれるほどタイマーは長くない』
「だから、十和の魂を使って術をかけなおそうとしたわけですか?」
『そう。一つの魂を使い終わったら次の魂へ。使えるものを再利用しようとしたわけさ。酷い女だろ。成仏させてやることなく、ずっと暗い檻の中に十和の魂を閉じ込めておいたんだ。天罰が下り、地獄に落ちるくらいじゃあたしには足りないかもね……』
清之介はなぜ八芽がこんなことをしたのかわかる気がした。ご主人が癌で永くないことを知り、絶望に打ちひしがれていたその矢先、愛する娘に先立たれてしまったのだ。
どんな経緯でこの術を作ったのかは知らないが、救える手段が手元にあったなら、もう一度さつきの声を聞いてみたいと思って行動に移してしまったのも無理のないことかもしれない。
そう、今自分がやろうとしていること、その同じ心境に当時の八芽もいたのだ。
だからこそ、それは間違っていないのだと、清之介は八芽に伝える必要があった。
「でも、そのおかげで俺たちは家族になることができた。一樹や百香、千尋や千影、そして十和も含め、俺たちはあなたの家族だ。八芽さんがさつきを救わなければ、ご主人の意思がなければ、今の俺たちはここにはいない。だから、俺はこの術を使う。次の未来に俺の意思を託すために」
『そうかい。そこまで言うなら……もう何も言わないよ』
「はい。八芽さん、今までありがとうございました」
別れの言葉。
『うん、ご苦労様。事が済んだら、ゆっくり休みな』
それが二人の最期のやり取り。彼女にしては、ずいぶんとやさしげな声色だった。




