19、襲撃
九年前。それは千尋が六歳の頃の出来事だった。
真面目な父さん、歳が離れているせいか面倒見のよい一樹兄さんや百香姉さん、お手伝いさんや親戚のおじさんたち、三上塾に来る一つ年下の女の子、真冬ちゃん。
優しい人たちに囲まれ、何の疑問も抱くことなく千尋は幸せを享受する日々を送っていた。
――ただし、その中に双子の姉、三上千影の名は含まれていなかった。
「ねぇ、お父さんはいつ帰ってくるの?」
夕食時。座布団の上にしっかりと正座した千尋。テーブルを挟んで正面に座る一樹へと尋ねる。普段は父が居座る場所だが、仕事で不在の時は家長代理として一樹がこの家を取り仕切っている。
まだ十七才の学生だが、幼少の頃から清之介に厳しく躾られてきたこともあり、家族しかいないこの場においても行儀はよい。落ち着いた雰囲気もあって、年齢よりは大人びて見える。
「ああ、確か明日の朝一で帰ってくるんじゃなかったかな」
ゆったりとした口調。まだ幼い千尋にも聞き取れるように気遣った様子がある。
「やった! 今度はどんなおみやげ買ってきてくれるかな」
右隣にいる百香を見上げる。千尋の嬉々とした表情に釣られ、ついこちらも顔が綻んでしまったようだ。
「もう、お父さん遊びに行っているわけじゃないのよ?」
写真でしか母の顔を知らない千尋にとって、年の離れた百香が母親代わりだった。
長年この屋敷に仕えているお手伝いさんから「さつき様に顔も雰囲気もよく似ていらっしゃる」などと言われ続けてきたせいか、百香自身も意識してそのように振る舞っている節がある。
ポロポロこぼした食べかすを拾いながら――しかし決して厳しい口調で注意などせず――付きっきりで千尋の相手をする。この優しい百香のことが、千尋は大好きだった。
「さあさあ、みんな。まだいっぱいあるからたくさん食べてちょうだいね」
お手伝いの中年女性が、トレーにたっぷりとおかずを載せながら運んでくる。
「千影ちゃんも、まだお代わりあるからしっかり食べるのよ?」
千尋の左隣に正座していた千影は、
「はい、有り難うございます」
全く表情を変えずに答え、その数分後に、
「ご馳走さまでした」
自分の分として出されたものを残さず平らげ、食器を持って台所へ。水につけた後、無言のまま自室へと戻っていった。
不安げにその背中を見送った千尋。百香の袖をつまみながら、
「ねぇ、どうして千影はいつもあんなにおこっているの?」
「うーん、別に怒っているわけじゃないんだけどね……」
言葉を濁しながら愛想笑い。助けを求めるように一樹へと目を向ける。それを受けて、
「気にしなくていい。あいつは少し特別なんだ」
「とくべつって? 僕たちの中で一番うまく式神が使えるから?」
直球で尋ねる千尋。逆を言えば、六歳の妹よりも式神が使えないと言われた長男だが、本人に気にした様子はない。
「俺も百香もそっちの才能はからっきしだからな。そういった面でいえば千影は特別と言えるんだが……、うん。まぁ気にするな。お前もいずれわかる時がくる」
「ふーん……」
昔から千影について尋ねるたびに、このようにはぐらかされてしまう。疑問は膨らむばかりだが、解消できる手立ては今の千尋は持ち合わせていなかった。
翌日の午後。
学校が終わるやいなや、走って自宅へと戻る千尋。なぜこれほど急いでいるのかというと、仕事で家を空けていた父と二週間ぶりに会えるからだ。
町にある小学校からの帰り道。山間にある自宅までは五キロも距離があるが、この日ばかりは疲れも感じさせない足取りで走り続ける。
大きな通りから小道に入り、山麓へと抜ける。一般道からは外れるが、直接山の斜面を登っていった方が近道である。この辺りは庭みたいなものだ。道に迷う心配もないと、息を切らしながら登っていく。
異変に気付いたのはその時だった。
「ん……。なんかくさい……」
山頂方向から焦げたにおいが漂ってくる。心なしか、木々の奥がうっすらとした靄に包まれているような……。
何か嫌な予感がする。走る足に一層の力を込め、急いで山の中腹まで駆け上がる。
小高い丘の上まで出たところで、千尋は足を止めた。
「そんな……」
村全体を見渡せる位置。見下ろす家のあちこちから火の手が上がっていた。
「か、火事だ……!」
一軒一軒声をかけていくが、返ってくるものは何もない。
千尋はこの段階にきて、先ほどから感じていた違和感の正体に気付いた。
人がいないのだ。
まさか全員逃げ遅れたわけでもないだろう。一人くらい誰かいてもいいと思うのだが……。
そのようなことを考えながら歩いていると、枯れ枝の弾ける音とともに、ゴーッと腹の底に響くような音が聞こえてきた。
通りの奥一体に広がる家の裏側からだ。確か村長さんの家。幸いにもこの家には火の手は上がっていない。中に入って助けに行こうか迷ったが、まずは裏手から聞こえてくる音の正体を突き止める方が先決だ。そう思った。
移動し、そっと壁から顔だけ出してみる。
「あ……あ……」
かすれた声が喉の奥からしぼり出される。その音の正体とは――
人が、燃やされる音だった。
一人や二人じゃない。数十人。恐らくこの村落一帯に住む大半の人間が山積みにされ、巨大な炎によって覆われている。
周囲にはフード付きのマントをまとった複数の男が取り囲んでおり、どのような原理かこの時の千尋には見当もつかなかったが、男たちの両手から一様に炎が吹き出している。
まるでガスバーナーで肉を焼くように、人間が火に焦がされていく。
「あ……あ……」
後ずさり、尻餅をつく。自分の見ているものが理解できなかった。
極度の混乱状態の中、一人の顔が思い浮かんだ。
「そうだ、お父さん……。お父さんは……?」
自宅は村の反対側だ。お父さんがこんな奴らにやられるわけがない。お父さんならきっと大丈夫なはずだ。
そう信じて立ち上がる。フードの男たちに気付かれないように距離を取り、自宅までの道を急いだ。
一方、その頃。
屋敷の庭先。複数の男たちに半円状に囲まれた三上清之介。中央に立つ男をにらみ付ける。
上空には数羽の式鳥が行き交っており、村の状況は大まかではあるが理解できていた。
今日の昼過ぎ。突如襲ってきた『バフォメット』と思しき、黄色の逆さ十字のマークをフードに印した黒ずくめの集団。そして、それを率いた石の魔術師。
すでに何名かが石化させられており、残りは何ヵ所かに集められて火を放たれている。
「なぜだ……! なぜこんな酷いことができる……ッ!」
どのような任務でも決して感情的にならない男が、怒りをあらわにし、血走った目で石の魔術師――ホルンフェルスをにらみ付ける。
『石の魔術師』は、
「なぜって、これは全てあなたに責任があるんですよ」
平然とした様子で告げる。
事件のたびに姿を変える『石の魔術師』。今の姿は、見た目三十代の男性。黒のスーツに黒のネクタイ、髪もジェルできれいにまとめられており、まるで喪に服した礼装を意識しているようである。そのような気持ちなど微塵も持っていないであろうが……。
「俺の責任だと……? 先ほどの要求に応えられないと言ったことか」
「ええ。あなたが持っている『生命の魂源』で『あの人』を生き返らせてほしい。魂の原料となる人間はこちらで用意する。そう言ってお願いしたのに、どうして首を縦に振ってくれないのです? あなたにとっても大事な人じゃないですか」
「確かにな。しかし、『あいつ』を生き返らせるからといって、その代わりに誰を犠牲にするつもりだ? この術を行使するには、生きた人間の魂が必要になるんだぞ」
「そんなの、その辺を歩いている人間を適当に狩ってくればいいじゃないですか。家族を救うためです。見知らぬ他人に気を遣う必要がどこにあるというのです?」
「お前は……、お前は人の命をなんだと思っている!」
「別に」
恐ろしく冷めた一言。質問したことを後悔するほどの響きだった。
「今のお前には愚問だったかもしれんな……。しかし、だからといって、なぜ村の者にまで手をかける必要があった! これは明らかにやり過ぎだ!」
「そうですね」
「何平然としている……。お前の生まれ育った村でもあるだろうがッ!」
「そんなことはもう忘れましたよ。私の目的はあなたにその呪術書を使わせることのみ。村人を襲ってあなたの気が弱い方向に流れれば、それだけ目的を達成できる可能性が高まるわけですからね」
「やはり……やはりあのとき貴様を殺しておくべきだった……ッ! 俺の甘さがこの状況を招いたんだ……」
悔しそうに歯噛みする清之介。それを見て含んだ笑みを漏らす『石の魔術師』。
「その甘さで、あなたは息子さんの命も失うのですよ」
息子? 一瞬考える清之介。まだ子供たちは学校のはずだ。もしかして学校にもこいつの手の者が……。
しかし違った。
「動揺して視界が狭まっていますね」
清之介の背後に人差し指を向ける『石の魔術師』。振り返ったその先に、怯えた表情のまま固まっている千尋がいた。
「殺れ」
部下に指示を出した直後、打ち合わせでもしていたかのような連係で一斉に男たちが動き出す。所持していたASMは銃型。メモリに記載されていた術式を通じ、魔素が電荷を帯び、帯電し、一気に銃口から放電される。
電圧は二十万ボルト。自然現象で観測される落雷の十分の一程度、電流も低く抑えられているが、その分魔素を馬鹿食いしなくて済む。
元々この村を襲撃するにあたり、注意すべきは清之介ただ一人。これは『石の魔術師』が抑え込むからいいとして、『バフォメット』が同行したのは村人を捕らえるため。
無力な人間一人一人を捕まえるのに、わざわざ魔素を大量に必要とする術を用いてこちらがスタミナ切れを起こしてやる必要はない。その判断から、スタンガン程度の威力しか持たない術式メモリを所持していたのだ。
無論、清之介一人であればこの程度、受けるも躱すも相殺するも自在に選択することができただろう。それだけの対応力はある。実力差もある。
しかし、ただでさえ気が急いている時に、息子の千尋を守らなければならないこの状況。
今の清之介は、自分の体を盾にして庇うことしかできなかったのであった。
「ぐあああああぁぁぁ……」
背中一帯から右腕にかけて、衣服と皮膚が焼け焦げる。裂けた皮膚から血がにじみ、地面に斑点を残していく。
「お父さん!」
「大丈夫だ……千尋……!」
清之介は懐から式札を取り出し、術を発動。大型のスクーターよりも一回り大きな虎を式神として使役。与えた命令はシンプルだった。それだけに術式構築にかかる時間を短縮できた。
命令は――千尋をこの場から逃がせ。ただそれだけ。
虎は、千尋のズボンのベルトに牙を引っかけると、颯爽とその場から姿を消した。
「ここは一人でいい。追って始末しろ」
『石の魔術師』の無情な宣告。それを受けて、黒いフードを被った男たちが一斉に虎の後を追って走り出す。
「させるかッ!!」
清之介が札を持って間に入るが、
「くっ!?」
一瞬で間合いを詰めて邪魔をする『石の魔術師』。
明らかに肉体の限界を超越した速度。これも彼の通り名が示した実力の一つだった。
「『生命の魂源』を使えば千尋の命は助けてやる、と言いたいところだが、どうせ応じるつもりはないのだろう?」
「当たり前だ。一人の魔術師として、お前を殺し、全てを終わらせる」
「その結果、千尋だけではなく、一樹や百香、千影の命を犠牲にしてしまってもか?」
「二度、言わせるな」
そこで清之介の雰囲気が激変した。
怒り、でも、憎しみ、でも、ない。
敵性として定め、明確に排除するための意思、それを、たった今、宿した。
かつて家族の一員だった目の前にいる人物を、この手で殺すと、そう決めたのだ。
今の三上清之介は、どうしようもないほどに、魔術師の目をしていた。




