16、撒き餌
翌日。
国立ロンドン魔術専修学院内のとある一室で、二人の男女が向かい合っていた。
一人はこの学院の長――ナディア・リドル。またの名を千草八芽という。扉の前で立っている三上千尋の祖母である。
「どうだった?」
それだけ尋ねた八芽に、千尋は何も応えない。
「あてが外れたことがそんなに不満だったのかい?」
「別に怒っていない」
終始無表情だが、不満と言われたことに対して律儀に応じる。八芽は話題をそらすように、
「あれから三年か……。早いものだねぇ、子供の成長というものは」
当学院の制服を身につけた千尋を見て、しみじみと語る。
今や身長一七〇センチを越えた千尋。当時の面影は残るものの、あどけない表情から一転し、引き締まった大人の顔つきへと変化を遂げている。
『石の魔術師』に敗れたあの日から三年の歳月を経て、少年から青年へと羽化を果たしていた。
「そんなことより――」
感傷に浸る暇も与えず、
「いつまでこんなこと続けないといけないの?」
「こんなこととは?」
「協会の手伝い」
「おや、乗り気じゃなかったのかい? あんたが『石の魔術師』を探しているというから、協会に無理いって、奴が現れそうな現場にあんたをねじ込んでやっているんじゃないか」
「別に頼んでない」
「じゃあなんで文句も言わずにやってくれているんだい? 『協会のお手伝い』とやらを」
一部強調して告げた八芽に、千尋は、
「あんたには借りがあるから」
「千影を引き取ったことだね。でもそんなのは借りとは言わないよ。あたしだってかわいい孫娘と久し振りに再会できたんだ。むしろ感謝してるくらいだよ」
「そう。でもそれはそっちの考え。僕はそうは思っていないってこと」
遠回しに恩義を感じている旨を伝えている千尋だが、表情からはとてもそうは見えない。祖母に向かって『あんた』とか『そっち』というような言葉遣いなのも、九年前の事件を機に、それまでの千尋の人間性が変わってしまったことが原因だった。
その変わるきっかけとなった『石の魔術師』との邂逅。
千尋は、千影の面倒をみてもらったからという建前を前面に押し出しつつも、姉に危険が及ぶ可能性を考慮した結果、『石の魔術師』はこの手で始末しなければならないと判断し――
八芽は、変わってしまった千尋が元に戻ることはないと知りつつも、この事件はこの子の手によって決着をつけさせなければならないと判断し――
互いが互いの考えを読み取ることなく、自分の都合を押し通した結果が『協会の手伝い』となってしまっていたのだ。
「でも、千尋。あんただって本当は期待していたんだろ? 今度こそ奴の足取りをつかめるかもしれないって。だから千影を言い訳にしてあたしが紹介した仕事に参加した。だろ?」
『あえて』、水中に沈んでいたものを水面まで引き上げた八芽。わざわざ口にしなくてもいいことなのだが、今の千尋にはこれくらいのことをしなければ一人で抱え込んで閉じこもってしまうだろう、そのような判断からだった。
一緒にいる期間は短かったが、相手は娘の息子だ。それくらいはわかるつもりだった。
千尋は、
「万に一つの可能性を潰しているに過ぎないよ。期待するというほどじゃない」
「じゃあこれからどうするんだい?」
八芽に誘導されていることに千尋は気付いていたのか――。
恐らく気付いていただろう。その上で彼は告げた。
「すでに『バフォメット』が出没する隠れ家は突き止めてある。出てこないなら無理やり引っ張り出してやるまでだよ」
バフォメット――アルカナの下部組織。そして九年前に千尋の住む村を襲った実行組織。
「勝算は?」
尋ねた八芽。バフォメット襲撃の成否ではない。『石の魔術師』を引きずり出し、その上で奴に勝つことができるのか――それを問うたのだ。
「もう、あの頃の僕じゃない」
それが答えだった。
千尋は踵を返し、室内を後にした。
□ □ □
ロンドン郊外にある一軒家。周囲の邸宅とはひときわ趣の異なる建物が、その場所に立地していた。
――日本家屋。
立派な門構えに瓦葺きの屋根、縁側に面した庭や池には盆栽や錦鯉までみられ、完全にこの一角だけイギリスの住宅事情とは雰囲気が一変している。
しかし、敷地の前の通行人は気にも留める素振りがない。近所の人だから見慣れているというわけではなく、この建物自体が、人の意識から外れるように結界が施されているのだ。
デリバリーや郵便配達員など、目的を持ってこの家を訪れた人は皆一様に目を見張ったりするのだが、そうでない者にとっては数ある風景の一つに過ぎない。
街を歩いていても、いちいち街灯の位置や正確な数が記憶に残らないように、この家もまた、人の認識の外側に追いやられているのであった。
午後五時。
学院を抜け、自宅へとたどり着いた千尋。玄関の引き戸を開け、中に入る。
「お帰りなさいませ、千尋様」
上がり框に膝をつけ、三つ指ついて待ち構えていた女性――霧野真冬。八芽が千尋と千影のために用意してくれた家政婦ではなく、千尋がハウスキーパーとしてこの家に住まわせている『式神』だ。
歳は千尋とほとんど変わらないだろう。髪は短くまとめられており、動きやすい和服に身を包み、慎ましく控えた動作で主の帰宅を出迎える。
「うん」
聞こえたかどうかといった音量で返事し、居間へと上がる。襖に手をかけた瞬間わずかに動きが止まったが、構わず室内に足を踏み入れる。
「あ、千尋ちゃん、おかえりー」
チラリと目をよこし、しかしすぐにテレビに体を向けて踊り出す女性。千尋は呆れることも驚くこともなく、いつものように平然とした態度で口を開いた。
「姉さん、何やってるの」
「なにってエアロビよ、エアロビ。エアロビクス」
「……そう」
「千尋ちゃんも一緒にやら――」
「やらない」
「もう、ホントはやってみたいくせにー」
口をプーと膨らませた後、息を荒くしながらその場で足踏みを始める。
三上千影。
八芽が用意したこの家屋で、三年前から一緒に生活し始めた双子の姉。
室内には千影が脱いだ制服が散らかされており、カバン(その中身まで)が散乱している。テーブルの上に放置されたやりかけの課題を見るに、途中で飽きてしまったのだと思われる。その割りにきっちりタンクトップとスパッツで決めているのは、彼女が形から入るタイプの人間だからだろう。
精神的に未熟な一面を見せているが、それはここが自宅で、相手が千尋と真冬しかいないからだといえる。
それを証明するわけではないが、彼女は学院では常に成績で一、二位を争うほど優秀で、『落ち着いた物腰』と『控え目な態度』、それを際立たせている『可憐な容姿』が、学院に在籍している上流階級の紳士淑女にも一目置かせる存在になっているのである。
汗で湿った髪を顔に貼りつけながら、ドタドタバタバタ飛び跳ねている今の千影を見れば、大方の人間は幻滅してしまうだろうが……。
それほどまでのギャップが今の千影にはあった。
ちなみに、成績で争っている相手というのは千尋ではない。
千尋も同じ学院の生徒ではあるが、彼は授業に参加したことなど一度もない。千影のクラスや交遊関係は完璧に把握しているが、自分のクラスに関してはおなざり――というより、自分のクラスがどこかも知らないのである。
彼が学院に行く理由はただ一つ。
ナディア・リドル学院長、改め、千草八芽と連絡を取るためだ。
彼女とコンタクトを取るには、直接対面を果たすしかない――携帯の番号や自宅の場所は教えてもらえないし、学院に連絡しても一般回線からでは繋いでもらえない。彼女がこの家に顔をみせに来る時はいつも唐突なので、千尋の方から八芽に会うには彼女のいる場所に赴くしかないのである。
なら、なぜわざわざ学院の生徒にならなければならなかったかというと――
千草八芽は、当学院全域に及んで結界を張り巡らせているからだ。
それは、侵入者の感知と同時に、『外部の人間』では絶対に自分のもとにたどり着けないような細工を施しているため。
ナディア・リドルという名で偽っているとはいえ、いつその正体が公になるかわかったものではない。腰を落ち着けるための居場所を確保するために、長い年月をかけて完成させた術式――『四季詞陣』の結界を学院全域に張っているわけだ。
そのため、たとえ身内の千尋であろうが探索能力に優れた術者であろうが、外側からの侵入では彼女のもとにたどり着くことは決してできないのである。
千尋が千草八芽という魔術師に会うためには、この学院の関係者になるしかなかったのである。
午後七時。夕食。
「うん! おいしいよ、真冬ちゃん!」
畳の上に女の子座りの千影。箸をクルクル回しながら真冬の作った料理に舌鼓を打つ。
「有り難うございます」
気持ちの込もっていなさそうな声で返答するが、千影に気にする素振りはない。
「姉さん、こぼれてるよ」
口に運ぶたびにご飯粒をポロポロこぼす千影。見かねて千尋が教えてやるが、
「えっ、あ、ホントだ。じゃあ千尋ちゃん取ってくれる?」
そのくらい自分でやりなよ――普通ならこのように突き放すところだが、そうはしないのが千尋である。
スパッツ姿のまま夕食にありついた千影。その太ももや股の間に落ちたご飯粒を一つずつ丁寧に指でつまんで拾い上げる。時折肌が触れるたびに「あん」とか「ひゃあ」とか聞こえてくるが、千尋の表情は真剣そのもの――無表情だからそのように見えるだけかもしれないが――姉の反応に耳を貸すことなく全てを皿の上に戻す。
終わったよ、と声をかけようとしたところで、
「千尋ちゃん、ココ、ココ」
自分の頬っぺたを指差し、顔を突き出してくる千影。
先ほどまでそんなところにご飯粒なんて付いていなかったはずだが、姉さんがやれというならやるしかない――と、そっと指でつまんでお皿に戻す。しかし、
「ううん! 違う違う! そこは取ったご飯粒は食べてくれないと。ひょい、パクって感じで。はい、やり直し」
わざわざご飯粒を付け直し、顔を突き出す千影。
これをやり直すことに一体なんの意味があるのだろうと思いながらも、姉さんがやれというならやるしかない――と、言われたまま指先でつまんで自分の口に放り込む。
「ウフフ……」
気味の悪い声をもらしながらも、ご満悦の千影。
「……………………」
箸を止めたまま二人の様子を眺めていた真冬。特に表情を変えることなく食事を再開した。
日付変わって午前零時。
オックスフォード近郊にある寂れた裏通りに、かつてセント・エリスと呼ばれていた教会があった。
宗教活動の拠点として百年単位で歴史のあったその場所も、現在では野良猫の住処として解放されているだけの古びた建物と成り果てている。
周囲の薄気味悪さも相まって、正常な感覚の持ち主ならまずこの辺りには近寄らないだろう。
この通りから数十メートル離れたアパートの屋根の上に、一人の男が立っていた。
――三上千尋。
先日使用した仮面をかぶり、フード付きの黒いマントを身にまとっている。その眼光は鋭く、その存在は抜き身のような危うさを秘めていた。
彼の見下ろす先には、もはや教会とは名ばかりの建物がある。しかし直接それを視界に収めているわけではない。
体長一センチしかない超小型の式虫――黒い蜘蛛を象った三十を越える式が、四方八方から建物を取り囲み、千尋に映像を送りつけているのだ。
それほど精度を求めたわけではない。そこに標的がいるかどうかだけわかればよいのだ。
映像は粗いが、その分小型化に至っている。敵に気付かれる可能性は考慮しなくてもよいだろう。
街灯のない裏通りの中で、教会の中から薄ぼんやりとした明かりが漏れている。窓や扉の隙間を通して式に確認させる。
中にいるのは小汚い身なりをした老人か――? いや、違った。
黒くうごめく複数の影が、一つのテーブルを囲っていた。
天井付近まで侵入を果たした式虫。真下では、血のように赤黒い色をした液体で、魔方陣のような紋様を直接テーブルに描いている。
夜な夜な集まって何をしているかと思えば、『召喚の儀』と呼ばれる、霊的エネルギーを任意の形状に留め、実体化させる古代魔術の一種だった。
亡くなった者だとか、それこそ神を顕現させるための儀式魔術とされているが、難易度の割りに効果を得ることが難しく――というより成功した例を聞いたことがない――こっくりさんや占い、信徒を騙し操るために偽った憑依術などと同じ、あくまでも現世にいる人間を納得させるために行われる“遊び”だ。
まさか本気でそれをやろうとしているわけではないのだろうが、それを本気でやれると信じ込んでいそうな雰囲気が、この儀式場にいる者たちから伝わってくる。
まぁ、どうでもいい。
千尋は肩越しに視線を送る。すると、闇から浮き出てくるように背後から何者かが近づいてきた。千尋と同じような格好をしているが、フードで隠れて顔までは判別できない。
隣りに並び、動きを止める。
――事ここに至り、互いに言を交わすことはなし。
たった一言。千尋はつぶやいただけだった。
「殺せ」
次の瞬間、二つの影がアパートの屋根から消えた。




