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式神の魔術師  作者: 池上葉
第一章 託された使命
14/25

14、哀情万化

 その日の深夜。


 清之介の寝ている寝室を抜け、仏壇のある部屋へとおもむいたさつき。明朝、千影の簡易な葬儀を執り行うため、この部屋で布にくるまれて安置されていたのである。


 今のさつきは精神的にだいぶ落ち着きを取り戻していた。清之介や母の言葉、心配してくれた一樹や百香、そして生まれたばかりの千尋の存在が、彼女の心に暖かみをもたらしてくれたからだ。


 体が傷まないように保冷用のパックを小さな箱に敷き詰め、その中央に千影が寝かされている。

 寝室を出る前に見た千尋の寝顔と、なんら変わりのない無垢な顔。それを見ているだけで、触れているだけで、閉じていた栓が再び開きそうになる。


 冷たくなった頬に指を這わせていると、


「生き返らせたいか?」


 背後から聞こえてきた突然の問いかけに、その場で体が浮き上がりそうになる。


 半年前と同じようにふすまのへりに肩を預け、腕を組んで見下ろす正太郎の姿。

 許可なく立ち入るなと命令したはずだが、今のさつきにはそこに向けられる意識はなかった。


「生き……返らせる?」


 自分で口にしながら、言葉の意味は理解できていないようだ。


「そうだ。千影、と言ったか。俺がその子を生き返らせてやろうかと、そう言っているんだ」


「何を馬鹿なことを……。そんなことできるわけが……」


 その言葉を遮るように、正太郎が着物のふところから一冊の帳面を取り出す。ただ、帳面といっても市販されているものではない。年代を感じさせる古びたハードカバーに、中は羊皮紙が使われた、いわゆる魔術書の類である。


「『生命の魂源』。死者を再び生ある者としてこの世に生まれ変わらせる術だ」


「なっ……、どこでそんなものを……!?」


「お前の母親だよ。八芽さんが管理している書物庫から拝借してきた。家中トラップや感知用の術式が張り巡らされていたが、あの人が使いそうな術の傾向は知り尽くしている。今の俺ならそれらを潜り抜けることなど造作もないさ」


「なぜ、お母様がそのようなものを……」


「さあな。あの人も昔一度だけ使用したことがあるそうだが、今はそのつもりはないらしい。つまり、千影を生き返らせる術を知っていながら見殺しにしているというわけさ」


「見殺しだなんて……。きっと何かお考えがあるのだと思います」


「その『お考え』とやらは千影の命よりも重いものなのか? 言ってもそんなの倫理的な問題だろ。死んでいる人間を生き返らせてはいけませんなんてな」


「でも……」


 顔を伏せるさつき。生き返らせることができるなら、ぜひともそうしてやりたい。

 しかし彼女は母親には逆らえない。

 八芽が良しとしないなら、自分もそれに従うしかない……のだが……。


 正太郎は、


「そうか。別に俺としてはどちらでもいいこと。その子を骨壺に入れる覚悟ができているならもう何も言うまい」


 呪術書を懐にしまい、踵を返す。部屋から出ていこうとしたところで、


「待って」


 呼び止めるさつき。


「正太郎様、ズルいです。そのようなこと知ってしまえば、私にはほかに選びようがないではありませんか……」


 母の子を想う気持ち以上に優先すべきものなど、今のさつきにはなかった。


「決まりだな」


 再び室内へと足を踏み入れる正太郎。

 千影の前で膝をつくと、


「ただ、この術を使用するには対価となるものが必要になる」


「対価……?」


「生きた人間の魂だよ」


 ハッと息を呑む音が正太郎の耳に届く。


「お前にその覚悟があるか?」


 ここまで来たら躊躇ためらう理由などない。さつきは首を縦に振った。

 それを見届けた正太郎。呪術書の一ページ目を開く。そこに書かれた文字を見たさつきは、


「正太郎様、この術式言語は……?」


四諦したい式だ」


「そのようなもの、どこで……」


「この十年、俺には使える時間がたっぷりあったからな……いや、今はそんなこと話している場合ではない。兄貴や八芽さんがいつ駆けつけてくるかわからない。始めるぞ」


 さつきの両手を自分の背中に押しあてさせ、右手を千影に、左手でページをめくりながら音にならないつぶやきを繰り返す。速読しているかのような速さで眼球がせわしなく動く。

 数万字にも及ぶ文字が正太郎の脳に蓄積され、魔素を介し、意味のある言葉として千影の中に焼きつけられていく。


 そして、


 最後の一ページを終え――


「行くぞ!」


 その言葉を合図にさつきの体がぼんやりと光り出す。繋がった腕を通じて正太郎の体を抜け、千影の小さな体へと吸い込まれていく。


 全ての光が消えると同時に聞こえてきたのは、


「おぎゃぁぁぁ、おぎゃぁぁぁ」


 弱々しくて儚い泣き声。


 しかし、


 それこそが、その声こそが、彼女の生きている証しでもあった。


「良かった……」


 正太郎の背中にぐったりと倒れ込むさつき。


 閉じられた二つの眼から、無色の液体が正太郎の着物に染み込んでいく。しかし、抜け殻となった彼女が動くことは、もうない。


 穏やかにたたえられた表情だけが、さつきが千影に残した最期の贈り物となった。

次話から現代に戻ります

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