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式神の魔術師  作者: 池上葉
第一章 託された使命
13/25

13、曲事

 三ヵ月後。


 高校を卒業した清之介と高校を途中退学したさつきが、結婚した。卒業するまで待つと清之介は言ったのだが、一日でも早くというさつきの願いでそのように決まったのだ。


 さつきは三上家へと嫁いだが、清之介は八芽に連れられて家を空けることが多く、二人で一緒にいられる時間は限られたものだった。


 それでも二人は子宝に恵まれた。結婚して一年後に一人目、その一年後に産まれてきた子は死産だったものの、その翌年には三人目が産まれた。


 多くの人が祝いの言葉をかけてくれたが、その中に正太郎の姿はなかった。


 正太郎はあの後ずっと、屋敷の離れに閉じこもったままだったのだ。一日中というわけではない。夜中など、人のいない時間帯に外に出ることはあったが、ほとんど家人とは顔を合わせることなく、ひたすら離れの部屋の中に閉じこもり続けた。


 当然のように高校は中退。職にもつかず、ただお手伝いさんが運んでくる食事を口にするだけの毎日。両親も幾度も外に出てくるようにと説得したのだが、正太郎の態度が変わることはなかった。あの日を境に完全に人が変わった正太郎を前にして、両親も少なからず責任を感じてしまっていたのだろう。それ以降、二人が離れに近付くことはなかった。



 三年後。清之介の父――総一と、母――ゆかりが揃って事故で他界。

 清之介は魔術協会日本支部に属しながら、三上家の当主となる。



 そしてさらに季節は巡る。




 清之介とさつきが結婚して十一年の歳月が流れた。

 八月半ば。せみのよく鳴く暑い夏の日の出来事だった。


 白い割烹着かっぽうぎを身につけた中年の家政婦が、心配そうな顔でさつきへと話しかける。


「奥様、本当によろしいのですか?」


「ええ、あなたにはいつもよくしてもらっているからね。お盆の時くらい帰省してもらわないと申し訳が立たないわ」


「そんな、三ヶ月に一度はまとまった休みを頂いておりますし、わたくしめのことなら気になさらなくても……。それよりも奥様のお体のことの方が大事です。今回は双子を身篭られたのですよ。もし何かあった時のためにも、やはりわたしの帰省は先延ばしにした方が――」


「いいのよ。明日になれば清之介様も帰ってきますし、そろそろ安定期にも入る時期だからね。それに一樹かずき百香ももかもいてくれますから。あの子たちがしっかりしているのはあなたもよく知っているでしょう?」


「……わかりました。それではお言葉に甘えさせてもらうことにしますね」


「ええ、そうしてちょうだい」


 自分用にあてがわれた部屋へと戻り、仕度を済ませる家政婦。少ない荷物を持ち、居間へと顔を出す。


「それでは奥様。三日後のお昼には帰ってまいりますので」


「ゆっくりしてきてね。ああ、そうだ。途中であの子たち見かけたら日が暮れないうちに帰ってくるように伝えてちょうだい」


 家政婦は穏やかな笑みで応え、三上家を後にした。


「千尋、千影、しっかりと育ってちょうだいね」


 暖かみのある声でお腹をさする。


 一人目の一樹かずき、二人目の十羽とわ、三人目の百香ももかにはそれぞれ、男か女かわかった時点で名前をつけるようにしていた。お腹の中にいるうちから名前を呼んでやれるからだ。それは今回も例外ではない。

 妊娠四ヶ月目。それほどお腹が出ているわけでもないが、さすがに今回は双子。いつもより張りのある膨らみに、自然と表情にもいたわるような笑みが生まれる。


 昔ながらの日本家屋である三上家の屋敷。その縁側には似つかわしくない西欧製のロッキングチェアが置かれていた。その上で揺られながら、まどろみの中へと誘われること数分。


 さつきの目がパチッと開かれる。


「何用ですか? 正太郎様」


 背後に、腕を組ながら柱にもたれかかる、離れの住人がいた。


 同じ敷地内で生活しているとはいえ、めったに自室から出てこない正太郎。食事を毎日運んでいる先ほどの家政婦でも、数ヵ月に一度見かけるかどうかといった頻度だ。さつきが義理の弟をその視界に入れたのは、実に三年ぶりのことだった。


「お腹の子にさわります。あまり驚かせないでください」


 わずかに動揺しながらも、平静を装って話しかける。


「兄貴は?」


 久しぶりの対面。正太郎の第一声はそれだった。


「任務で出られています。明日戻られる予定ですが……」


「そうか……」


 しばしの沈黙。ジッとさつきを目におさめたまま立ち去ろうとしない正太郎。そこに不穏な空気を感じながらも、


「お茶いれますね」


 台所へと立つさつき。

 だが、すれ違いかけた彼女の手を、正太郎がつかみ取った。


「何をするのです!」


 振り払おうとするが、正太郎は離さない。


「さつき、聞いてくれ。大事な話だ」


 動きを止めて見上げるさつきに、


「俺と一緒にここを出よう」


「なっ、何を言っているんですか!」


「さつき。俺は真剣だ。本気で言ってる。俺は今でもお前のことを愛している」


「やめてください!」


 振りほどこうとするが、正太郎は力ずくで押さえ込む。


「この十年、俺は死ぬ気で努力してきた。八芽さんも昔言ってたろ? 死に物狂いでやれば俺は兄貴にも劣らないと。それをさつきの前で見せてやるよ」


「やめてッ!」


 暴れるさつき。それでも正太郎は手を離さない。


「俺の方が兄貴より強いことを、優秀だということを証明すればいいんだろ! なぁ、そうなんだよな! さつきがあいつを選んだのはそういう理由だろ? じゃなきゃ、あんな堅物かたぶつ選ぶわけないもんな! そうだろ? なぁ!」


「やめて! 離してッ!」


 汗で滑り、手がすっぽ抜ける。その拍子に畳の上に仰向けに転ぶさつき。すぐに起き上がろうとするが、正太郎が馬乗りになり、そのまま両手首を押さえ込んでくる。

 同時に着物がはだけ、首筋から肩にかけて素肌があらわになる。それを見た正太郎。彼の中の抑圧された何かが振り切れたことを、はからずもさつきは察してしまった。


「はぁ、はぁ、さつき……、いいよな? さつきぃ!」


 着物を強引に脱がせにかかる正太郎。抵抗は、できなかった。

 肘から先が石にされており、同じく石の塊となった畳と完全に同化していたからだ。


「安心しろさつき……、終わったら……、すぐに術を解いてやる。怖がらなくていい。俺の方が……、あいつよりも満足させてやれる……ッ!」


 あらわになる乳房。ますます興奮して呼吸が荒くなる正太郎。そのまま顔をうずめにかかるが――


「えっ……」


 素っ頓狂な声を上げ、動きが止まる。自分の腹部にさつきの右手が添えられていたからだ。


 ただれられているだけ。押し返そうと思えば簡単にできる。それなのに動けなかったのは、もちろんそれが石化したはずの右手だったからだ。

 直後、ドンと衝撃波。八十キロはあるだろう体が天井付近まではね上げられる。


「グアッ!」


 よだれか胃液かもわからないものが、口から糸を引いて畳へと垂れていく。四つん這いになりながらさつきを見ると、


「なにッ!」


 逆再生するように、石化したはずの左手までもが色を取り戻していく。ものの数秒で完全にそれは元の状態へと戻った。


 自由になった手で着物を整えるさつき。しかしそこに恥じらいはない。

 正座し、背筋を伸ばし、りんとした眼差しで正太郎を見据える。声色までもが威厳に満ちていた。


「私を誰の娘だと思っているのです。生まれた時からずっとあの人のそばで苦楽を共にしてきたのですよ。あなたにできることが私にできない道理がありましょうか。正太郎。三上家当主の妻として命じます。即刻離れに戻りなさい。そして二度と許可なくこの屋敷に立ち入らないように。それが守られるならこの件は不問に処します」


「さつき……」


 正太郎から熱が引いていくのがわかった。だが、たかぶった感情全てがそれで解消されるものではない。


「さつき! 頼む! お願いだから俺と一緒になってくれ! 俺なら兄貴よりもお前のことを幸せにできる! なぁ!」


 膝をつき、頭を下げ、わめき立ててでも我を押し通そうとする。みっともないのは自分でもわかっている。それでもこの十一年、考え、悩み抜いた末に出した結論がこれなのだ。折れない。折れたくない。


 さつきは一瞬だけあわれむように目を細めるが、しかし固くなった態度をひるがえしたりはしない。


「おこがましいにもほどがあります。あなた高校をやめてから今まで何をしていたのですか? 出された食事に手をつけ、ずっと部屋に閉じこもっていただけでしょう。そのお金は誰が稼いできたものですか? この屋敷は誰のものですか? 全て清之介様でしょう。ほどこしを受けながら感謝することもできず、そればかりか自分の兄をあいつ呼ばわりしておとしめる発言。正太郎、もう一度だけ言いますよ」


 一呼吸はさみ、


「今すぐこの屋敷を出ていきなさい」


 何も応えることができなかった。代わりに立ち上がり、部屋から姿を消すことでその答えを示したのだった。

 うつむきながら出ていく正太郎。火の消えたロウソクのように、男の気配は死んでいた。


「申し訳ありません、正太郎様……」


 小さなつぶやきが、暑く湿った空気をふるわせた。






 半年後。


 三上家の広い屋敷に、赤ちゃんの鳴き声だけが響き渡っていた。

 清之介、さつき、八芽、一樹、百香、家政婦と助産師の女性。数多くの人間が寄り添ってはいるが、誰も言葉をもらさず、寝室の中は重苦しい空気に包まれている。


 たった一人の赤ちゃん、千尋ちひろの鳴き声だけが家政婦の腕の中で反響している。


 一組の布団の上には上体を起こしたさつきと、その腕に抱かれる形で、すでに亡骸なきがらとなった千影の姿があった。


 陣痛があった時までは母子ともに健康だった。しかし最初に取り上げられた女の子の赤ちゃん――千影が、その時点で呼吸をしていなかったのだ。

 助産師を中心として、必死になって手を尽くしたのだが、千影の心臓が再び動き出すことはなかった。


 色の抜け落ちた顔で、ただ静かに千影を見下ろすさつき。

 彼女のショックははかり知れないものがあっただろう。なぜならちょうど十年前、さつきは二人目の子供――十和とわと名付けた女の子を、今の千影と同じように死産で亡くしているからだ。


 誰も言葉を発しない。清之介はさつきのそばに、八芽は取り出した煙草をポケットにしまい直し、今年十一才と九才になる年の離れた兄妹は、子供ながらに気を遣って大人しくしている。


 涙などとうに枯れ果てたのか、憔悴しょうすいしきった顔で我が子になるはずだったものを抱き寄せる。まるで自分の命そのものを抱え込むように。


 やがて――

 スッと顔を上げた清之介。八芽に一度目配せし、二人で寝室を後にした。


 屋敷の縁側にある庭へと移動する。木の幹に背中を預け、煙草に火をつける八芽。フーッと一息ついたのを見計らったように清之介が口を開いた。


「八芽さん、例の呪術書を貸していただけませんか」


「例の?」


「とぼけないで下さい。『生命の魂源』ですよ」


「別にとぼけちゃいないさ。あんなの一体なんに使うっていうんだい。まさかあんた、自分の命と引き換えに千影をよみがえらせようとしているわけじゃないだろうね」


「それ以外に理由が必要ですか」


「そういう問題じゃないよ。お前は生者で、千影は死者だ。生きている者の命を差し出してまで死んでいる者を蘇らせるようなことはあっちゃならないんだよ」


「しかし、あなただって旦那さんの魂を使ってあの術を発動させたでしょう!」


「あの時は仕方なかったのさ。うちの人はがんの末期でもう助からないことがわかっていたからね。ならせめて――ってことで了承したが、今思えば失敗だったと思ってるよ」


「失敗? 失敗だと。『あの子』が失敗作だとでも言うつもりですか!」


「落ち着きな。そうは言ってないよ。あの術そのものを使用したことを悔いているのさ。人間に限らず、全ての動植物は死に向かって生きている。その逆はありえないし、あっちゃいけないんだよ」


「今さら倫理観の押しつけですか。別に命をもてあそぼうとしているわけじゃない。俺の魂で救える命があるのなら、俺はそれを試さなくてはならない。他の誰でもない。自分の娘だ。もうこれ以上さつきの悲しむ姿なんて見たくないんだ……」


 思いの丈を吐き出す清之介。それを聞いた八芽は、ため息にも似た息を一つ。


「なんで男っていうのはみんなこうなのかねぇ。お前が仕事に行くとき、残されたあの子がいつもどんなことを考えて待っているのか、あんた一度でも考えたことはあるかい?」


「心配してくれていることは知ってます。だけど、最初から危険な仕事だと知って一緒になってくれたんだ。俺にもしものことがあっても、その覚悟はできているでしょう」


「覚悟決めたくらいで簡単に割り切れるようなら、誰も苦労なんてしないんだよ。千影の代わりにあんたが命を落とすようなことになったら、さつきが受けるショックは今の比じゃないよ。それに、今回は不測の事態というわけでもない。生まれてくる子に病気があったり、障害があったり、生を享受することができなかったり……。そんなのどこにでもある話だ。あの子だけが特別なわけじゃない」


「なら、俺はどうすればいいんだ……」


「受け入れな。それしか方法はない」


「……………………」


「この場合、悲しみの色のほうが強くなることは仕方ないさ。だから千影のことを忘れろなんて言わない。それでも千尋は生きているんだ。産まれてきたばかりなんだ。なら、無理にでも笑ってあの子を抱きしめてやりな。それが今のお前にできることさ」


「はい……」


 声は小さかったが、気持ちはふっ切れたようだ。八芽の後に続いて、清之介はさつきの待つ寝室へと戻っていった。



 数多い魔術師の中でも指折りのエリートである二人。罠を回避するすべには長けていたし、どこからの攻撃にも対応できるように常に気を配ってもいる。


 しかし、さすがにこの時ばかりは例外に数えられたようだ。


 二人そろって術的な痕跡を見逃したのである。


 ここが三上家の屋敷ということで油断していたのもあったのだが、それ以上に相手の技術が優れていた。


 正太郎が放っていた式虫――毒々しくも紫の色を背に持つ小さな蜘蛛くもが、近くで彼らの話を耳にしていたのである。

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