第五話 黄昏の箱庭
「ほ、本当に……いいの?」
荒野を歩きながら、獣人の少年は何度目か分からない質問をした。
悠真は苦笑する。
「何がだ?」
「俺たちを連れて行くことだよ」
「言っただろ」
「でも……」
少年は言葉を詰まらせた。
後ろでは妹二人がフィアに手を引かれている。
つい数時間前まで怯えきっていた子供たちだが、フィアの持ち前の人懐っこさのおかげで少しずつ警戒を解き始めていた。
「お腹空いてる?」
「……うん」
「よし!今日はごちそうだからね!」
「ごちそう?」
「箱庭のご飯はおいしいよ!」
フィアは自慢げに胸を張る。
その様子を見た少年は困惑していた。
正直、信じられないのだろう。
人間が助けてくれた。獣人が普通に笑っている。
竜人もいる。自分の常識ではあり得ない光景だった。
悠真だって似たようなものだ。
昨日まで会社員だった人間が、今は五千人以上の住民を抱える勢力の長になっている。
人生とは分からないものである。
「名前、聞いてなかったな」
悠真が言うと、少年は少しだけ警戒した顔をした。
だがすぐに答える。
「アレン」
そして隣の少女を指差した。
「妹のミア」
さらに一番小さな子。
「こっちがルナ」
ルナと呼ばれた幼い少女はフィアの後ろに隠れながら小さく頭を下げた。
「私はフィア!」
フィアは何故か張り切って自己紹介する。
「神狼族!」
「し、神狼族……」
アレンが驚く。
神狼族は獣人の中では何か特別な存在なのだろう。
アレンはそれを思わせるような反応をしていた。
フェンリスを見ると、彼は特に気にした様子もなかった。
むしろ周囲を警戒している。
「何か気になるか?」
悠真が尋ねる。
「いえ」
フェンリスは首を振った。
「ただ、妙です」
「妙?」
「生命反応が少ない」
その言葉にレイナも頷く。
「ここまで少ないのは違和感があります」
周囲を見回す。
確かに動物らしき姿もほとんど見当たらない。
木は枯れ、土も痩せているように見える。
ゲームで設定した不毛地帯より遥かに酷かった。
アレンが苦笑する。
「普通だよ」
「え?」
「この辺は全部こんな感じ」
悠真は言葉を失う。当たり前のように言われた。
つまり、アレン達にとってこれは日常なのだ。
荒れ果てた土地。
少ない食料。
いつ襲われるか分からない生活。
それが普通。
その事実が少し重かった。
数時間後。
遠くに城壁が見え始める。アレンが足を止めた。
「あれ……?」
呆然と呟く。
その気持ちは分かる。
悠真自身も初めて見た時は圧倒された。
巨大な城壁。
見張り塔。
整備された外壁。
箱庭のゲーム画面では見慣れていたはずなのに、実際に目にすると全く違う。
圧倒的だった。
「ここが黄昏の箱庭だ」
悠真がそう言うと、アレンは信じられないという顔をした。
「村じゃないの?」
「違うな」
フィアが笑う。
「すっごく大きいよ!」
城門へ近付く。
すると見張りの兵士たちが気付き、一斉に敬礼した。
「お帰りなさいませ!」
その声に合わせるように周囲の住民達も頭を下げる。
アレンは固まった。
ミアも目を丸くする。
ルナは意味が分かっていない。
「な、なんで……」
アレンが震える声で聞いた。
「なんでみんな頭を下げてるんだ?」
「え?」
今度は悠真が困る。
言われてみれば不思議だ。日本人感覚からすると偉い人扱いされるのは未だに慣れない。
するとフィアが当たり前のように答えた。
「主様だから」
アレンはますます理解不能な顔になった。
城内へ入る。
するとさらに衝撃が待っていた。
活気がある。
人がいる。
笑い声がある。
市場がある。
訓練場がある。
工房がある。
「……嘘だろ」
アレンは呟いた。
獣人が普通に歩いている。
竜人が店を開いている。
エルフが買い物をしている。
アラクネが荷物を運んでいる。
種族が混じり合っている。
そんな光景は見たことがなかった。
「ここ……何なんだ?」
誰に聞いたのか分からない。
ただ漏れた言葉だった。
答えたのはレイナだった。
「私達の国です」
簡潔だった。
だがその言葉には誇りがあった。
フィアが三兄妹の手を引く。
「まずご飯!」
その一言にルナの目が輝いた。
食堂へ向かう。
扉を開いた瞬間、香ばしい匂いが広がった。
焼きたてのパン。
肉料理。
スープ。
アレン達が見たこともない量の食事が並んでいる。
「食べていいの?」
ミアが恐る恐る聞いた。
「もちろん!」
フィアは笑った。
「いっぱいあるから!」
三兄妹は最初こそ戸惑っていたが、だが空腹には抗えなかった。
夢中で食べ始める。
特にルナは泣きながら食べている。
よほど飢えていたのだろう。
その光景を見ていた悠真は少しだけ安心した。
少なくとも助けたこと自体に後悔はない。
その時だった。
近くの席から声が聞こえた。
振り返ると工房の職人らしき男が笑っている。
「閣下らしいですね」
「今度は獣人か」
「そのうち百人くらい連れてきそうだな」
周囲から笑い声が上がる。
アレンが不思議そうに聞く。
「怒らないのか?」
「何が?」
「食料とか」
職人は首を傾げた。
「子供だろ?」
まるで当然のことを言う。
「そんなもん気にするな」
アレンは黙った。
ずっと理解できなかった。
なぜ助けたのか。
なぜ守ったのか。
何が目的なのか。
だが今少しだけ分かった気がした。
ここは違うのだ。自分が知っている場所とは。
やがて夜になる。
三兄妹には住む場所も用意された。
清潔な部屋。
柔らかい寝具。
安全な屋根。
全てが信じられないものだった。
眠る直前。アレンは窓の外を見た。
灯りが見える。
笑い声が聞こえる。
獣人も。竜人も。エルフも。
皆普通に暮らしている。
「ここなら……」
初めてそう思った。
「生きられるかもしれない」
その頃。
遠く離れたグラディス辺境侯国では。
馬を走らせ続けた隊長が、王都へ辿り着いていた。
「報告します!」
血相を変えたまま謁見の間へ飛び込む。
上官が眉をひそめた。
「何事だ」
隊長は震える声で答える。
「南部に新たな勢力が出現しました!」
「……何?」
「獣人です!」
「それだけか?」
「違います!」
隊長の顔には今も恐怖が残っていた。
「神狼族がいます!」
「竜人がいます!」
「化物です!」
謁見の間が静まり返る。
やがて上官は冷たい目を向けた。
「詳しく話せ」
隊長は知らない。
自分が持ち帰った情報が、多くの命を奪うきっかけになることを。
そして黄昏の箱庭も知らない。
彼らの存在が、既に人類国家の一つを動かし始めていることを。
その夜。
静かに、新たな火種が生まれた。




