第十四話 夜霧の国
竜人山岳王国を出発してから半日
今日もラグナは飛んでいた。巨大な黒竜の姿で雲海の上を悠然と、圧倒的な速度で。
そして、その背中ではレイナが死んだ魚のような目をしていた。
疲れている。心の底から精神的に。
フィアが心配そうに覗き込む。
「大丈夫?」
「大丈夫ではありません」
即答だった。
フィアは首を傾げる。
「そんなに?」
レイナは遠くを見る。竜人王国の方向を、その先にはもう見えなくなった天空城塞があった。
そこには白銀の髪をした戦闘狂の王もいる。
レイナは深いため息を吐いた。
「そのうち分かります」
それ以上は語らなかった。語りたくなかった、語れば現実になりそうだった。
南へ進むにつれて、景色が変わり始める。
巨大山脈が減る、険しい崖も少なくなる。
代わりに増えたものがある。
霧だった。
最初は薄かった、遠くの谷間を白く埋めている程度。
だが飛び続けるにつれ濃くなっていく。谷、森、川、全てを白く隠している。
やがて、地上が見えなくなった。
フィアが身を乗り出す。
「わぁ……」
思わず声が漏れる。
幻想的だった。世界が白に包まれている、雲の中を飛んでいるような感覚。
エルシアも静かに眺めていた。
美しい。だが同時に、どこか不気味だった。
何かを隠しているような霧。
そんな印象を受ける。
オルフェが説明する。
「夜霧魔族領ですね、昔からこの霧に守られていると言われています」
「天然の要塞です」
悠真は頷く。確かにそうだった。
侵略者は方向感覚を失う、軍は分断される、補給線は崩壊するかなり厄介な環境だ。
だから魔族たちは長く独立を保てたのだろう。
さらに進む。
すると霧の中に灯が見えた。
一つ、二つ、十、百、無数、白い霧の海に浮かぶ灯火。
幻想的な光景だった。
やがて、巨大な都市が姿を現す。
夜霧魔族領王都
ノクティス
獣王連邦とも、ドワーフ王国とも、竜人王国とも違う異質な美しさがあった。
黒い城壁
白い霧
青白い魔導灯
静謐でどこか神秘的
そして思った以上に整備されていた。
悠真は少し驚く。
もっと荒れた国を想像していた。
しかし違う、街路は整い、建物も美しい。人々の生活も落ち着いている。
普通の国家だった。
「魔族ってもっと怖い人達かと思ってた」
フィアが素直な感想を言う。
ノワールが静かに答えた。
「人類側の認識です」
短い言葉。
確かに、悠真達ですら先入観を持っていた。
魔族、敵、脅威
人類側はそう教えられてきたからだ。
だが現実は違う。
市場がある、家族がいる、笑う子供達もいる、獣人やドワーフたちと何も変わらない。
生きている人々だ。
それだけだった。
広場へ降り立つ。
ラグナだけは相変わらず目立つ。
黒竜、巨大、目立たない方がおかしい。
兵士達が集まる。
しかし、警戒というより確認に近かった。
獣王連邦、鉄峰ドワーフ鉱山国、竜人山岳王国、三国の印章付きの紹介状もある。
王城へ向かう途中
悠真は違和感を覚える。
静かだ。王都なのに活気はある、人もいる、だがどこか張り詰めている。
獣王連邦の力強さとも、ドワーフたちの情熱とも違う、何かを耐える空気。
そんなものがあった。
やがて、王城最奥。執務室。
案内された先は謁見の間ではなかった。会議室でもない、執務室だった。
大量の本棚、資料、地図、そして机。
その机には信じられない量の書類が積まれていた。
山、本当に山だった。
フィアが思わず呟く。
「うわ……」
そしてその書類の山に埋もれるように座っている人物がいた。
黒髪
端正な顔立ち
二本の角
紅い瞳
魔王アザゼル
夜霧魔族領統治者
南方最強の魔王
のはずだった。
だが、第一印象は疲れてる。
だった。
物凄く、信じられないくらい。
アザゼルはペンを置いてゆっくり顔を上げる。
目の下には薄く隈がある。疲労の色は隠せない。
しかし、知性は感じる鋭い目をしていた。
悠真達を見る。
一人一人、丁寧に。最後に深く息を吐いた。
「ようこそ」
静かな声。
威圧感はない、だが不思議と耳に残る。
「会いたかった」
その言葉に悠真は少し驚く。
アザゼルは苦笑した。
「正確には」
机の書類を指差す。
「助けてくれそうな人が来てくれて嬉しい」
沈黙
そしてフィアが吹き出した。
「魔王なのに!?」
アザゼルは真顔だった。
「魔王だからだ」
即答
「仕事が増える」
悠真も吹き出しそうになる。
フェンリスですら少しだけ視線を逸らした、笑いを堪えている。
ラグナは首を傾げていた。
アザゼルは天井を見る。遠い目で。
「税収」
一枚
「農作物生産量」
一枚
「人口統計」
一枚
「物流整備」
一枚
「治安維持」
さらに一枚。机の書類を叩く。
「戦争どころではない」
心の底から本音だった。
その光景を見ながら悠真は少し笑った。
思っていた魔王とは違う。全然違う、だが何となく分かる、この人はきっと良い王だ。
獣王ゴドリック
炎鉄王ドゥルガン
竜王ヴァルキリア
魔王アザゼル
形は違う、性格も違う、だが全員に共通しているものがある。
民を守ろうとしている。
その一点だけは確かだった。
夜霧魔族領
最後の南方国家
そしてアステリアの足跡を追う旅も、いよいよ終盤へ近付いていた。




