第三話 獣人の子供たち
外周調査隊から報告を受けた直後。
黄昏の箱庭中央塔の会議室には、珍しく緊張した空気が流れていた。
「確認する」
悠真は机の上に広げられた地図を見ながら言った。
「獣人の子供三人を発見」
「はい」
答えたのはフェンリスだった。
「追手は二十数名。装備から見て賊ではなく正規兵の可能性が高いとのことです」
「そして俺達はこの世界のことを何も知らない」
悠真は地図から視線を上げた。
これまでゲームの世界なら全て把握していた。
どの勢力が存在するのか。どの国が危険なのか。どこに強敵がいるのか。
だが今は違う。ここは見たこともない世界だ。
黄昏の箱庭の外に何があるのかすら分からない。
だからこそ慎重になる必要があった。
「救助には向かう」
悠真ははっきりと言った。
「だが戦うことが目的じゃない」
フェンリスとラグナが頷く。
「俺達より強い存在がいる可能性もある」
「……」
「相手が雑魚だと思い込むな」
フェンリスが僅かに目を細めた。
その言葉は彼にとって予想外だったらしい。
悠真は続ける。
「この世界の常識も、強さの基準も分からないんだ」
「主」
「なんだ?」
「ご安心ください」
フェンリスはどこか嬉しそうに言った。
「我らは決して油断しません」
隣でラグナも静かに頭を下げる。
「閣下の命令は絶対です」
少しだけ安心した。
フェンリスは戦闘狂ではないが、目の前に敵がいれば嬉々として突っ込むところがある。
ラグナは慎重だが、自分が強いことを疑わない。だから念押しは必要だった。
「それと」
悠真は二人を見る。
「今回は少人数で動く」
「はい」
「獣人の子供相手に武装した男三人で行くのは嫌だからな」
その言葉でフェンリスが首を傾げた。
「何故でしょう」
「知らない武装したいかつい男が、いきなり現れたら怖いだろう」
即答だった。
フェンリスはショックを受けたような顔をする。
「私がですか」
「お前、自分の顔見たことあるか?」
銀髪
赤眼
二メートル近い体格
漆黒の甲冑
どう見てもラスボスである。
「……」
フェンリスが少しだけ落ち込んだ。
珍しい。
悠真が苦笑していると、会議室の扉が勢いよく開いた。
「呼びましたかー!」
元気な声と共に飛び込んできたのは獣耳の少女だった。
腰まで伸びた茶色の髪
大きな狼耳
そして忙しなく揺れる尻尾
フィア
フェンリス直属の側近であり、遊撃隊長を務める神狼族の少女だ。
見た目は十代後半。
実際には百年以上生きているらしいが、悠真にはよく分からない。
とにかく明るく、誰とでも仲良くなれる。
黄昏の箱庭でも珍しい性格だった。
「フィア」
「はい!」
「今回の作戦は一緒に来てくれ」
「任せてください!」
何も聞かずに胸を張る。実にフィアらしい。
「子供の保護が目的だ」
「じゃあ尚更です!」
フィアは笑った。
「フェンリス様より私の方が向いてます!」
「おい」
フェンリスが抗議する。
しかし悠真も同意だった。フィアなら警戒されにくい。
それに子供の扱いも上手い。
「ラグナ」
「はい」
「お前もだ」
「承知しました」
すると会議室の隅から小さな笑い声が聞こえた。
長い黒髪を束ねた女性が立っている。
竜人族の女性。レイナだった。
ラグナ直属の側近であり、治安維持隊長を務めている。
ラグナ軍団の中では珍しい頭脳派であり、実質的に軍団のまとめ役でもある。
「何がおかしい」
ラグナが低い声で聞く。
「いえ」
レイナは微笑んだ。
「また団長が怖がられているのかと思いまして」
「……」
「今回も私が同行します」
ラグナが何か言い返そうとしたが、結局黙った。
どうやら図星らしい。
こうして救助隊は五人となった。
悠真
フェンリス
フィア
ラグナ
レイナ
少人数ではあるが、黄昏の箱庭の中でも最上位に近い面子だ。
一時間後。
彼らは東方へ向かっていた。外へ出て改めて感じる、この世界は酷かった。
土は痩せている。
木は枯れている。
川は細い。
生命の気配が少ない。
風に乗って砂が舞う。
はるか遠くには岩山が見えるだけだ。
「本当に人が住めるのか?」
悠真の呟きにレイナが答えた。
「正直厳しいと思います」
「だよな」
「食料問題が深刻になります」
ラグナも頷く。
「長期的な定住には向きません」
フィアだけが辺りをきょろきょろしていた。
「あ」
「どうした?」
「いた」
全員が足を止める。フィアの視線の先。
岩陰に三つの小さな影があった。
獣人の子供達だった。
少年が一人。少女が一人。さらに幼い子供が一人。
服はぼろぼろ、身体も痩せている。
まともに食事をしていないのは一目で分かった。
「待て」
悠真が全員を制止する。
「俺達が近付くと警戒される」
そしてフィアを見る。
「頼めるか?」
「はい!」
フィアは武器を外した。
両手を見えるように上げながら、ゆっくり近付く。
完全に隙だらけだったが、それでも子供達を安心させるためだろう。
「こんにちはー」
返事はない。
少年が短剣を構える。
震えていた。恐怖で。
しかしフィアは笑ったまま座り込む。
子供達と同じ目線まで腰を落とした。
「お腹空いてる?」
少年が黙る。
少女が僅かに反応した。
「平気」
そう言ったが、腹の音が鳴る。
フィアは鞄から干し肉を取り出した。
「いる?」
三人が固まる。
「毒なんて入ってないよ」
「……」
「ね?」
しばらく沈黙が続く。
やがて一番小さい子が干し肉を見つめた。
それを見た少年が苦しそうな顔をする。
必死に耐えていたのだろう。
フィアは待った。
急かさない。責めない。
ただ笑顔で待つ。
そして少年がゆっくり手を伸ばしかけた瞬間だった。
「見つけたぞ!」
怒鳴り声が響いた。
全員が振り返る。
土煙から馬の姿が見えた。
武装した兵士達が二十名以上、隊列を組みながら接近してくる。
子供達の顔が一気に青ざめた。
特に少年の反応は明らかだった。
恐怖
憎しみ
絶望
それら全てが混ざっている。
悠真は内心で舌打ちした。嫌な予感しかしない。
兵士達は到着すると同時に武器を向けた。
「何者だ貴様ら」
隊長らしき男が前に出る。
悠真も一歩前へ出た。
「その前に聞きたい」
「何だ」
「この子供達を追っているのか?」
「ああ」
躊躇なく答えた。
「理由は?」
「逃亡奴隷だからだ」
直後に少年が叫んだ。
「嘘だ!」
兵士が睨み付ける。
その反応だけで十分だった。
嘘を吐いているのはどちらか。
全員が理解する。
フェンリスの目が細くなった。
ラグナの表情も消えている。
レイナなど完全に冷めた目になっていた。
悠真は静かに息を吐く。
どうやら最初の接触は最悪の形になりそうだった。
「その子供達は保護する」
そう告げた瞬間、隊長が嘲笑う。
「なら貴様らごと始末する」
その言葉と共に、空気が凍り付いた。
フェンリスが一歩前へ出る。
神狼王の圧力が静かに広がる。
兵士達はまだ気付いていない。
目の前にいるのが誰なのか。何なのか。
全く理解していない。
悠真は小さく頭を押さえた。そして思う。
――頼むからテンプレ通り弱い敵であれ、そうだった場合は本当にやり過ぎないでくれ。
だがフェンリスの口元には、既に獰猛な笑みが浮かんでいた。




