第二話 黄昏の箱庭の住人たち
五千を超える住民たちの歓声が収まったのは、それからしばらく後のことだった。
悠真は現在、黄昏の箱庭中央塔の会議室にいた。
巨大な楕円形の机
重厚な椅子
壁面に描かれた紋章
全てがゲーム内で自分が設計したものそのままだった。
ただ一つ違うのは、それらが現実として存在していることだ。
窓の外を見る。
見たことのない山脈が遠くに見える。ゲームマップには存在しなかった景色だ。
その事実が、ここが《Eternal Garden Online》の世界そのものではないことを何より証明していた。
「つまり整理すると……」
悠真は頭を押さえた。
「俺たちは黄昏の箱庭ごと、どこか知らない世界に飛ばされた」
「現時点ではその認識で問題ないかと」
目の前に座るミレイアが答える。
「少なくとも私はそう結論付けています」
「ゲーム世界じゃないんだな」
「げーむ、というものが何かは分かりませんが」
そう言って首を傾げるミレイアに、悠真は小さくため息を吐いた。
やはり噛み合わない。
さっきまでは混乱していて気付かなかったが、今になって違和感がどんどん増えている。
フェンリスたちはNPCではない。
それどころか、自分たちが架空の存在だという認識すら持っていない。
まるで最初から生きていた人間のように会話している。
「なあ、ちょっと確認したいんだが」
「何でしょう、閣下」
答えたのはラグナだった。
「お前たちは、自分たちが黄昏の箱庭の住人だと思ってるんだよな?」
「当然です」
「じゃあフェンリス、お前はどこで生まれた?」
フェンリスは一瞬だけ不思議そうな顔をした。
「神狼族の集落です」
「覚えてるのか?」
「もちろんです」
あまりにも自然な返答だった。
「幼い頃は山の麓で暮らしていました。冬になると獲物が減り、狩りに出る父に付いて行こうとしてよく怒られました」
悠真は固まった。そんな設定は知らない。
いや、正確には作っていない。
神狼族の生態については何度も設定を書いた。しかし父親の話など記載していない。
「父親?」
「はい。既に亡くなっておりますが」
フェンリスの口調に嘘はなかった。
作り話をしているようにも見えない。本当に存在した過去を話している。
「母は?」
「健在です」
「兄弟は?」
「妹が二人おります」
悠真は思わず頭を抱えた。
設定欄には存在しない。
だがフェンリスは本気で語っている。
「……リリアーナ」
「何でしょう?」
「お前も覚えてるのか?」
リリアーナは優雅に微笑んだ。
「もちろんですわ」
彼女も淡々と語り始める。
幼少期
吸血鬼同士の権力争い
黄昏の箱庭へ来た経緯
配下達との出会い
数百年の人生
細部まで存在していた。矛盾もない。迷いもない。
そこにいるのはゲームキャラクターではなく、一人の人格を持った存在だった。
「ラグナは?」
「私も同様です」
「ミレイアは?」
「当然ありますよ」
三人とも当たり前のように答える。
悠真だけが取り残されていた。
(どうなってるんだ……)
設定した覚えのない記憶。書いていない人生。存在しないはずの過去。
だが彼らには確かにそれがある。
やがて一つの結論へ辿り着く。
自分が作った設定は土台に過ぎなかったのかもしれない。
最初から彼らは生きていた。そこに人生が積み上げられた。
そう考えた方が自然だった。
すると今度は別の疑問が生まれる。
「なあ」
悠真はフェンリスを見る。
「お前の故郷はどこにある?」
「神狼族の集落ですよ」
「だから、その場所だ」
フェンリスは困った顔をした。
「申し訳ありません」
「何が?」
「わかりません」
「は?」
会議室が静まり返った。
「どういう意味だ?」
「私も説明が難しいのですが……」
フェンリスは少し考え込む。
やがて慎重に言葉を選びながら話し始めた。
「神狼族の集落は確かに存在しました」
「うん」
「私もそこで育ちました」
「うん」
「ですが場所が分からないのです」
「意味がわからん」
それは全員同じだった。
リリアーナは吸血鬼領を知っている。
ラグナは竜人の里を知っている。
ミレイアもアラクネたちの集落を知っている。
しかし、そこへ行く方法を知らない。
地図もない。場所も説明できない。
まるで記憶だけがある状態だった。
「待てよ」
悠真は眉をひそめる。
「じゃあお前ら、箱庭の外へ出たことないのか?」
四人が顔を見合わせる。
そして全員が頷いた。
「ありません」
悠真はしばらく言葉を失った。
おかしい。黄昏の箱庭は本来ゲーム内国家だ。
しかし彼らにとっては故郷であり現実。
ならば外にも世界があるはずなのに、その記憶が存在しない。
「まるで……」
思わず口から漏れた。
「箱庭だけ切り取られて存在していたみたいだな」
誰も答えなかった。
だが全員が同じ違和感を抱いていることだけは分かった。
「まあいい」
考えても答えは出ない。今は情報が少なすぎる。
「アステリアの捜索状況は?」
話題を変える。
途端に空気が引き締まった。
フェンリスが口を開く。
「捜索隊を三十隊編成済みです」
「成果は?」
「ありません」
「こことは別の場所に飛ばされた可能性は?」
「高いかと」
ミレイアが静かに言う。
悠真も同意だった。転移の瞬間に見た。
アステリアだけが別方向へ引き寄せられていた。
今考えると、あれは幻覚ではなかったのだろう。
「必ず見つける」
そう言うと、四人が力強く頷いた。
その時だった。
会議室の扉が勢いよく開いた。
「失礼します!」
飛び込んできたのは神狼族の兵士だった。
フェンリス直属の部下である。
「何事だ」
フェンリスが立ち上がる。
「外周調査隊が帰還しました!」
「報告を」
兵士は一瞬だけ息を整え発言した。
「アステリア様の行方は現在つかめておらず調査継続中。ただ、東方五十キロ地点にて生命反応を確認!」
全員の視線が集まる。初めて発見された外部の存在だ。
会議室の空気が変わる。
「人間か?」
ラグナが問う。
兵士は首を横に振った。
「違います」
「では何だ」
「獣人です」
会議室に沈黙が落ちた。
フェンリスの目が細くなる。
「獣人だと?」
「はい」
「何名だ」
「三名」
少ない。兵士の報告は続く。
「全員子供です」
そして次の報告が会議室をさらに重くした。
「追跡者を確認」
「追跡者?」
「はい」
兵士は強く頷く。
「何者かに追われています!」
フェンリスが立ち上がった。
紅い瞳に鋭い光が宿る。
獣人。しかも子供。
彼にとって見過ごせる話ではない。
「距離は」
「接触まで最短二時間」
会議室が静まり返る。全員の視線が悠真に集まる。
悠真は机に肘をつき、静かに考えた。
異世界初日。
事情もわからない。
相手が何者かも不明。
本来なら慎重になるべきだろう。
だが。
追われている子供を見捨てる選択肢だけはなかった。
悠真は顔を上げる。
「助けられるか?」
フェンリスが笑った。
それは第一席軍団長としてではなく、一人の獣人としての笑みだった。
「命令を」
「保護せよ」
即答だった。会議室の空気が変わる。
フェンリスが立ち上がる。
ラグナも続く。
リリアーナは面白そうに微笑み、ミレイアは既に何か計算を始めていた。
悠真は知らない。
その決断が、この世界との最初の接触になることを。
そして。
その獣人の子供たちとの出会いが、後に黄昏の箱庭の運命を大きく変えることを。
まだ誰も知らなかった。




