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第一章 黄昏の箱庭 第一話 「見知らぬ空の下で」

夢を見ているのだと思った。

真っ白な光の中を、ひたすら落ち続けているような感覚だった。身体の感覚は曖昧で、上下も分からない。ただ意識だけが妙にはっきりしている。世界大会の歓声が遠くで聞こえる気がした。


世界大会優勝

表彰式

優勝特典

アステリアへの能力付与


そこまでは覚えている。だがその後が駄目だった。

巨大な樹を見た気がする。空を覆うほどの巨大な樹。現実ではあり得ない光景だった。

そしてアステリアだけがどこか別の場所へ引き寄せられていく姿を見た気がした。

気がした、という曖昧な表現になるのは、それがあまりにも現実離れしていたからだ。


やがて浮遊感が消えた。重力が戻る。

次の瞬間、悠真の身体は固い床へと落下した。


「いっ……!」


鈍い衝撃が背中に走る。目を開けると、最初に見えたのは石造りの天井だった。

反射的に身体を起こし、周囲を見回した。


高い。異様なほど高い。


そこには見慣れた幾何学模様が刻まれていた。

そして悠真は固まった。


「……嘘だろ」


目の前に広がる光景を俺は知っている。いや、知りすぎるほど知っていた。


円形の石造りの大広間。

中央に描かれた巨大な魔法陣。

四方へ伸びる通路。

壁面に埋め込まれた魔力結晶。


その全てが見覚えのある配置だった。


あり得ない。

あり得るはずがない。


ゆっくり立ち上がり、周囲を見回すが、何度見ても変わらない。


「黄昏の箱庭……」


思わず口から漏れた。


それはゲーム《Eternal Garden Online》において、プレイヤーネーム《ノア》である自分が作り上げた国家の中心施設だった。


ゲーム開始から八年。

何度も増築を繰り返し、試行錯誤を重ね、ようやく完成した理想の拠点。


黄昏の箱庭


世界大会決勝でも使ったばかりだ。

しかし目の前の光景はゲーム画面ではない。


風が吹いている。石壁に触れると冷たい。遠くで鳥の鳴き声まで聞こえる。


現実だ。


どう考えても現実だった。


「いや待て。落ち着け」


悠真は自分に言い聞かせた。こういう作品は知っている。


異世界転移

異世界召喚


ネット小説で何度も読んだ。だがまさか自分が当事者になるとは思わない。

とりあえず深呼吸をする。


一回。二回。三回。


全く落ち着かない。むしろ焦りが増した。


「夢じゃないよな……?」


頬をつねる。


痛い。


普通に痛い。


「最悪だ」


思わず漏れた。


世界大会で優勝して引退しようと思っていたのだ。

有給を取って温泉でも行こうかと考えていた。


なのに、目が覚めたら異世界かもしれない。

意味が分からない。


その時だった。

背後から足音が聞こえた。


重い。


だが一定のリズムで近付いてくる。


悠真は振り返った。そして息を呑んだ。


銀髪

紅い瞳

狼耳

漆黒の甲冑

長身の男


一目見て分かった。

忘れるはずがない。


フェンリスだった。


黄昏の箱庭第一席

神狼族の王


ゲーム内最強クラスの戦闘能力を持つNPC。

そのフェンリスが目の前に立っていた。


いや、立っていたどころではない。


フェンリスは悠真と目が合った瞬間、片膝をついた。

騎士が主君へ向けるそれと同じ動作だった。


「ご無事で何よりです、我が主」


低く響く声。感情のこもった声。

録音された台詞ではない。

生きた人間の声だった。


悠真の思考が数秒止まる。


「え?」


それしか言えなかった。


フェンリスは不思議そうな顔をした。


「主?」


「いや、待て」


「はい」


「フェンリスか?」


「はい」


「本物か?」


「その質問の意味が分かりません」


「だろうな」


当然である。フェンリスには分からない。

しかし悠真からすれば大事件だ。

自分が作ったNPCが目の前で喋っているのだから。


混乱していると、別方向から聞き慣れた声がした。


「相変わらず面白い反応ですわね」


悠真は反射的にそちらを見る。

そこには長い黒髪を揺らしながら歩く美女がいた。


リリアーナ

真祖吸血鬼

黄昏の箱庭第二席


彼女は優雅にスカートの裾を摘まみ、小さく一礼した。


「ご機嫌よう、我が主」


「リリアーナまで……」


「当然おりますわ」


当然ではない、全く当然ではない。

だがさらに後ろから声が聞こえた。


「閣下」


振り返ると巨大な人影が立っていた。


ラグナ

竜騎士王

黄昏の箱庭第三席


「お身体に異常はありませんか」


「ないけど」


「本当ですか?」


「本当だ」


「念のため検査を」


「いらない」


「そうですか……」


本気で残念そうな顔をされた。

護衛騎士の鏡すぎて怖い。


そして最後に現れたのは白銀の髪を揺らす女性だった。


ミレイア

黄昏の箱庭第四席

研究責任者


彼女は興味深そうに悠真を見つめている。


「面白いですね」


「何が?」


「転移現象ですよ」


「転移って言った?」


「はい」


さらりと言った。まるで天気の話でもするかのように。


「あのな」


悠真は頭を抱えた。


「俺だけ状況が分からないんだが」


「私達もよく分かっていません」


ミレイアは真顔で言った。


「ただ少なくとも、私たちの国の中ではありません」


「……だろうな」


そうでなければ説明が付かない。

だが一つだけ気になることがあった。


そこにいるのは四人


本来いるはずの五人目が見当たらない。

悠真の胸が嫌な予感でざわつく。


「アステリアは?」


その瞬間。


空気が変わった。四人とも沈黙する。

フェンリスが代表して答えた。


「見つかっておりません」


「……どういう意味だ」


「そのままです」


フェンリスは首を横に振る。


「本拠地を確認しました。しかしアステリアだけが見当たりません」


「外は?」


「確認済みです」


ラグナが答える。


「不在です」


悠真は歯を食いしばった。

転移の瞬間に見た光景が頭をよぎる。

アステリアだけが別方向へ消えていった。

見間違いではなかったのかもしれない。


ミレイアが静かに口を開く。


「生存はしていると思います」


「根拠は?」


「勘です」


「研究者の言葉じゃないな」


思わずツッコミが出た。

だが少しだけ気が楽になる。

ミレイアなりの励ましだったのだろう。


その時


外から歓声が聞こえた。


地響きのような歓声。

何千という声。

城塞全体が揺れる。


悠真は目を見開いた。


「なんだ?」


フェンリスが微笑む。


「主をご案内します」


四人に連れられながら外へ向かう。

巨大な扉が開く。


その瞬間


悠真は言葉を失った。

視界いっぱいに広がる巨大な都市。


城壁

兵舎

工房

住宅区

農地

訓練場


そこには数え切れない人影が存在していた。


獣人

吸血鬼

竜人

アラクネ

エルフ


見覚えのある顔もある。

ゲームで何度も見た配下達だ。

そして彼らは一斉にこちらを見た。


誰かが叫ぶ。


「ノア様だ!」


歓声が爆発した。

数千人が駆け寄ろうとし、指揮官達が慌てて止める。


その中でフェンリスが一歩前へ出た。


「主がお見えになった」


その声が広場全体へ響く。


次の瞬間だった。


五千人を超える者達が、一斉に膝をついた。


地面が揺れる。

壮観という言葉では足りない。

圧倒的だった。


「お帰りなさいませ!」


誰かが叫ぶ。その声に続くように無数の声が重なる。


「お帰りなさいませ、我らが主!」


歓声が空へ響く。


悠真はただ呆然と立ち尽くしていた。

世界大会優勝者として歓声を浴びたことはある。

だが今感じているものは全く違った。


彼らはファンではない。プレイヤーでもない。

自分を本気で主君だと思っている。


信頼している。

頼りにしている。


その事実の重みが肩へ圧し掛かってくる。

フェンリスが静かに言った。


「いかがですか、主」


リリアーナが優雅に微笑む。

ラグナは誇らしげに胸を張る。

ミレイアは面白そうに周囲を観察している。

そして五千人の配下達が待っていた。


悠真は青空を見上げた。


知らない世界。

知らない空。

帰れる保証もない。

行方不明の仲間もいる。

不安しかない。


それでも。目の前の者達を放っておくことはできなかった。

だから小さく息を吐き、覚悟を決める。


「……とりあえず、状況説明から頼む」


こうして《黄昏の箱庭》は動き出す。

世界ランキング第一位のプレイヤーではなく。

異世界に転移した一人の男と、五千人の配下によって。

その物語の始まりを、まだ誰も知らなかった。

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