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閑話 花の観測者

薄紅色の花弁が風に舞っていた。


誰もいない、静かな丘だった。

空は青い。

雲はゆっくりと流れている。


遠くには枯れた森、さらにその向こう。

大陸を見下ろすように巨大な樹の影が立っている。


世界樹ユグラシア


その姿を眺めながら、一人のハイエルフが花へ水を与えていた。


長い銀髪、白い衣装、穏やかな瞳、第五軍団長


アステリア


五百年前。

まだ誰も知らない時代。

彼女は小さな木桶を置くと、植えたばかりの苗木を見下ろした。


枯れた土地だった。本来なら植物など育たない。

淡い翠色の魔力が指先から流れる。途端に、萎れていた葉がゆっくりと持ち上がった。


ほんの少しだけ。本当に少しだけ生命が戻る。


その様子を見ながらアステリアは小さく微笑んだ。


「良かった」


誰に向けた言葉でもない。

ただ自然に零れた言葉だった。


五百年後。この苗木は巨大な森にはならない。たくさんの命を救う訳でもない。


だが、それでも何もしないよりは良い。そう思っていた。


風が吹く。銀髪が揺れる。


その時だった、足音が聞こえた。

アステリアは振り返るとそこには数人のエルフが立っていた。


痩せていた。

服も傷んでいる。

長い逃亡生活を続けてきたのだろう。


代表らしい年老いたエルフが頭を下げる。


「ありがとうございました」


深い礼だった。

アステリアは困ったように笑う。


「何もしていません」


「いいえ」


老人は首を横に振る。


「貴女が来てから子供達の病が減りました、水源も戻りました、森も少しだけ息を吹き返しました」


アステリアは何も答えない。答えられない。

ただ、子供達が笑っている姿を見るのは好きだった、花が咲くのを見るのも好きだった。


だから手伝った。本当にそれだけだった。



夜

遺跡

人気の無い石室


薄暗い室内に灯りが揺れているなか、アステリアは机へ向かっていた。


机の上には地図、資料、そして数冊の記録帳。

羽ペンを手に取り、文字を書き込む。


さらさら


静かな音だけが響く。


手を止める、少し考える。そして書き足した。


そこで終了。

説明は無い、理由も書かない。必要ないからだ。

正確には、書いてはいけない。


アステリアは羽ペンを置き、机へ肘をつく。

疲れていた。肉体ではない、精神が。


この世界へ来て何年経ったのだろう。

この世界に転移してからまだ数十年程度しか経っていない。

だが、長い。すでに数百年を過ごしたかのようにとても長く感じる。


花畑が恋しい。

第五軍団が恋しい。

エルシア、悠真・・・・・・・・皆の顔を思い出す。

思い出すたびに少しだけ胸が痛くなる。


会いたい。


それが本音だった。

だが、まだ会えない。



石室の奥

桜の紋章が刻まれた結晶が置かれていた。

アステリアはそれを見つめる。


静かに、本当に静かに指先で表面を撫でる。

透明な結晶、小さな記録装置。


未来への保険。


そんな存在だった。


「気付いてくれますかね」


苦笑が漏れる。答える人はいない。


だが、何となくミレイアなら気付く気がした。

あの天才は昔からそうだった。普通の人が見落とすものを平然と見つける。


だから、たぶん大丈夫だろう。

そう思うことにした。



遺跡の外へ出る。

夜空には無数の星。月明かりが世界を照らしている。風は少し冷たかった。


アステリアは丘の上へ立つとそこから遥か南を見る。さらに東を見る、北を見る、世界全体を見渡すように。


長い時間、一人で黙ったまま。


やがて、小さく呟いた。


「もう少しです」


誰へ向けた言葉なのか。本人にも分からなかった。

世界へ向けたのか、遠い仲間達へ向けたのか。あるいは、自分自身へ言い聞かせたのか。


答えは無い。


ただ、その瞳には希望があった。

五百年という時間に押し潰されない強さがあった。

諦めない意思があった。


だからアステリアは再び歩き出す。

静かな夜道を、誰も知らない未来へ向かって。足を止めることなく。


その背中を見送る者は誰もいない。

ただ夜風だけが舞い散る桜の花弁を運んでいた。


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