第十九話 王達の蹂躙
白銀の英雄が倒れた。
その事実は、戦場全体へ瞬く間に広がっていく、まるで伝染病のように。
絶望という名の病が。
「オスカー様が……」
「負けた……」
「嘘だろ……」
「英雄が死んだ……」
兵士達の顔から血の気が引いていた。
先程まで存在していた戦意が消えていく。
希望が消えていく。
勇気が消えていく。
そして残ったのは、純粋な恐怖だけが兵士たちの心を埋め尽くしていた。
フィアはゆっくりと立ち上がり目の前で倒れているオスカーをまだ見ている。
体中に小さな傷があり血が滲んでいたが、かすり傷程度である。
決して楽な戦いではなかった。
オスカーは強かった。本当に強かった。
だからこそフィアは最後まで全力で戦った。危ない場面もいくつかあった。
レベルがすべてではない。経験や技術を合わせればレベルの差は埋まっていく。
ただ、オスカーとフィアにはレベル差だけではなく、経験や技術でも差がついていた。
「……強かったよ、本当に」
ぽつりと呟く。
戦士としての敬意だった。
その頃。
グラディス軍本陣。
ゼルバルトは言葉を失っていた。
視線の先にあるのは倒れているオスカー。
そして悠然と立っているフィア。
あり得ないことが起きている。
何度も。何度も。頭の中で否定する。
獣人だぞ。女だぞ。
軍団長ではおそらくない、ということは神狼王でもない。
そんな存在に。
オスカーが負けた。
現実だった。
そして。
オスカーとフィアの決着がついた直後、フェンリスが前へ出る。
戦場が静りかえった、誰もが自然と彼へ視線を向ける。
神狼王
第一軍団長
黄昏の箱庭最強の存在の一人
銀色の髪が風に揺れる。
黄金の瞳が敵軍を見渡す。
その姿は美しかった。
そして恐ろしかった。
その存在感だけでグラディス軍の兵士たちは直感した、フィアやその他今まで戦っていた敵が黄昏の箱庭で最強ではないこと、これから更なる恐怖が待っていることを。
フェンリスはゆっくりと歩き出す。
たった一歩。
それだけで戦場の空気が変わった。
たった一歩。
それだけで、兵士達が震え始める。
「な、何だ……」
「息が……」
「苦しい……」
フェンリスは何もしていない。
歩いているだけだが、神狼王の魔力はそれだけで周囲へ影響を与える。
神狼族の王のみが持つ固有スキル。
王としての格そのものを魔力へ変換し、周囲へ放つ絶対威圧である。
格下はそれだけで戦意を失う。
ドクン
兵士達の心臓が跳ねた。
ドクン
また跳ねる。
圧倒的な恐怖
抗いたくても抗えない。
本能が理解してしまう。
勝てない。
目の前にいる存在には天地がひっくり返っても勝てない事を。
武器を捨てる兵士が現れる。
膝をつく兵士が現れる。
逃げ出す兵士も現れ始めた。
将校達が叫ぶ。
「逃げるな!!、立て!!、戦え!!、命令だ!!」
誰も聞かない。聞きたくても聞けない。
狼の群れに囲まれた羊へ向かって戦えと言うようなものだった。
フェンリスが消える。
神狼王だけが極めた神狼族最高位、神速の移動術。
次の瞬間、敵軍中央で大地が陥没する。
ドゴォォォォォォン!!!
その場にいた百人隊が消えていた。
正確には、百メートル以上吹き飛んだ。
フェンリスが拳を振っただけ、たったそれだけだった。
ただ、それだけの動きで周囲数十メートルにいた兵士達は鎧ごと吹き飛ばされていた。
「ば、化物だ!!」
死が目の前にある中、絞り出すかのようにようやく兵士達は言葉にした。
化物
一般の兵士から見ればその認識は正しかった。いや、そこにオスカーがいたとしても同じ表現をするだろう。フェンリスは人から見ればそれだけ理の外にいた。
フェンリスが再び拳を握ると、銀色の巨大な狼の顎が出現する。
地面ごと。
兵士ごと。
陣形ごと。
そこにある全てを噛み砕く。
数十人が一瞬で戦闘不能になる。そして戦場が崩壊していく。
時を同じく、ラグナも動いた。
第二軍団団長
黒竜の王
ラグナ
彼はずっと腕を組んで戦況を見ていた。
オスカーが死んだ。
血狼の牙も消えた。
敵軍は崩壊寸前。
それだけで十分だった。
「終わらせるぞ」
静かな声だった。
しかし、周囲の竜人達は歓声を上げた。
竜王が動く。
それがどういう意味か知っているからだ。
ラグナの体から黒い魔力が噴き上がる。
空が暗くなる。
大気が震える。
兵士達が顔を上げた、そこに見えたのは生を諦めるのに十分な絶望の光景。
見えたのは巨大な黒竜の幻影。
幻影ではあるが、本物と見間違うほど巨大な光景。
次の瞬間、兵士たちに味わったことのない圧が加わるり。
神狼王の威圧とはまったく違う、竜の王のみが持つ王者の威圧。
恐怖ではなく、圧殺。
「ぐっ……」
兵士達が潰れる。
膝をつく。
呼吸が出来ない。
存在そのものに押し潰され、兵士たちが竜王の前に跪くような光景が広がる。
兵士によっては倒れ、意識を失っていた。
そして、ラグナが口を開き黒い光が集まり始める。
魔力
闘気
竜王としての力
全てが一つになる。
「滅竜砲」
次の瞬間。
世界が黒く染まった。
直径数十メートルの極大なブレス。
目の前にあるすべてを滅ぼす漆黒の破壊光線。
ドォォォォォォォォォン!!!
敵軍の一角が消えた。
消滅
そこにいた兵士達
攻城兵器
補給隊
そこには元から何もなかったかのような光景、全てが吹き飛んだ。
ゼルバルトが震える。
あり得ない。
人間の技じゃない。
その通りだった、黄昏の箱庭の竜人誰もができるわけではない。これは竜王の技だ。
そして、ラグナはまだ終わらない。
右手を空へ掲げると膨大な魔力が収束する。
空が黒く染まった。
生き残った兵士達が顔を上げるとそこに見えるのは新たな絶望。
小さな山ほどもある巨大な黒い魔力球。
まさに黒い隕石だった。
終焉竜星
「落ちろ」
その一言と同時に黒い隕石が落下していく。
ドゴォォォォォォォォォォォォン!!!
戦場全体が揺れた。
巨大なクレーターができ、そこにいたはずの敵軍数百名はどこにも見当たらない。
消滅
完全に悪夢だった。
そして、最後に動いたのはミレイアだった。
第四軍団長
アラクネの女王
研究者。発明家。
少しだけ倫理観が壊れている女。
ミレイアは戦争中だというのに手帳を見ていた。
目の前では兵士達が逃げているなか、真剣にメモを取っている。
「実験日誌その二百十三」
「この状況はちょうど良いですね」
パタン
手帳を閉じて、敵兵のほうを見る。
その顔は満面の笑顔だった。
何故か分からないが兵士達が凍る。まるで金縛りにあったかのように。
そこにはフェンリスやラグナとは別の恐怖があった。
理解不能なのだ、ただ笑顔から出ている雰囲気はまさに女王のそれだった。
ミレイアは魔道具を取り出す。
水色の球体
試作品
「まだ完成していないんですが」
兵士達は金縛りで動けないなか、なんとか逃走試みるが既に遅かった。
「丁度良いので実験します」
「ま、待て!」
「安心してください」
ミレイアは真顔で答えた。
「死ぬかどうかも確認項目です」
兵士達はその悪意の無い言葉に絶望した。
それが一番怖かった。
魔道具起動と同時にアラクネ女王の能力が発動する。
無数の魔糸により空、地面、兵士達の全てが蜘蛛の巣に包まれる。
拘束されるたら最後、動けない、逃げられない。
ミレイアがメモを取る。
「拘束強度良し、耐久性も良好、よし次」
魔力暴走誘導弾
爆発と悲鳴
ミレイアは目の前で起きている光景を真剣に観察し、記録する。
「なるほど、こちらは改良の余地がありますね」
本当に研究データを取っているだけだった。
「次」
まだまだ続くミレイアの実験に兵士達は更なるに恐怖を感じた。
ミレイアの実験は始まったばかりである。
フェンリスは暴力
ラグナも暴力
リリアーナは恐怖
ミレイアの理解不能な実験
全員が別方向の怪物だった。
ゼルバルトは呆然と戦場を見る。
神狼王
竜王
吸血鬼の女王
アラクネの女王
こんな存在達が、同じ国家にいる。
その事実が、今さらながら理解できた。
最初から、勝負ですらなかった。
そして、神狼王フェンリスがゆっくりとこちらを見る。
黄金の瞳に見つめられ、蛇ににらまれた蛙のように体が動かない、逃げられない。
フェンリスの視線の先にいるのは。
ゼルバルト・グラディス。辺境侯本人だった。
神狼王は静かに歩き出す。
ついに決着の時が来た。
グラディス辺境侯国
黄昏の箱庭
その戦争はついに終わりを迎えようとしていた。




