第十三話 影の戦争
戦争はまだ始まっていなかった。
しかし。既に死人は出始めていた。
それがリリアーナ軍団の戦いだった。
グラディス辺境侯国。
軍事拠点都市ガルド。
大規模な軍需倉庫が並ぶ街だった。
兵糧。武器。矢。薬品。
軍を動かすために必要な全てが集まっている。
戦場で剣を振るう兵士達から見れば地味な場所だ。
だが実際は違う。
補給が止まれば軍は死ぬ。それはどの世界でも同じだった。
深夜。
倉庫街の見張り兵達は異変に気付いていなかった。
彼らはいつも通り巡回している。
いつも通り酒を飲み。
いつも通り愚痴を言い。
いつも通り朝を迎えるはずだった。
しかし。
その日は屋根の上に黒い影があった。
ノワールだった。
風すら音を立てない。足音もない。気配もない。ただそこにいる。
まるで夜そのものだった。
赤い瞳が倉庫群を見下ろす。
「確認完了」
小さく呟く。
その頃。
グラディス軍本陣。
ゼルバルトは作戦会議を開いていた。
大地図の前に有力将校達が集まっている。
その中心にはオスカー・ヴァレンの姿もあった。
英雄。レベル85。グラディス最強の剣。
誰もが尊敬する男だった。
「補給はどうだ」
ゼルバルトが聞く。
副官が答える。
「問題ありません」
「輸送も順調です」
「兵糧も十分です」
その報告を聞きながら。
遠く離れた場所で。ノワールは静かに笑っていた。
いや。正確には少し口元が動いただけだった。
誰も見なければ気付かない程度に。
なぜなら。
その報告は既に間違っているからだ。
通信魔法。
離れた場所にいるリリアーナへ情報が送られる。
任務完了の報告とともに。
黄昏の箱庭。
第三軍団本部。
ノワールが報告を終える。
「補給拠点一、機能停止」
「補給拠点二、半壊」
「輸送路三本、使用困難」
リリアーナが楽しそうに紅茶を飲んでいた。
「順調ですわね」
「はい」
「敵は?」
「気付いていません」
ノワールが答える。
その横でセレスが笑った。
「本当に可哀想ですわ」
全然可哀想だと思っていない顔だった。
そして。
ヴィオラも別の戦場で働いていた。
貴族達との会談である。
ローウェン伯爵。ヘルム子爵。その他中立派貴族。
戦場にいないから戦っていない。
そんなことはない。
むしろ今もっとも重要な戦場かもしれなかった。
「本当に戦争へ参加しなくてよろしいので?」
ヴィオラが優雅に尋ねた。
伯爵が苦笑する。
「したくても出来ん」
「民が疲弊している」
「これ以上徴発は無理だ」
嘘ではない。だが全てでもない。
グラディス軍の未来に不安を感じているのだ。
ヴィオラはそれを理解していた。
だから刺激しない。脅さない。ひたすら利益を語る。
結果。
さらに二つの貴族家が消極姿勢を表明した。
兵士支援なし。資金支援なし。
結果としてグラディス軍はさらに弱体化していく。
翌朝。
輸送隊が襲撃された。
犯人不明。死者十二名。兵糧の一部消失。
補給拠点が炎上。
原因不明。倉庫全焼。
輜重隊長が行方不明になった。
必然、大騒となる。
「何が起きている!」
将校達が怒鳴る。
しかし誰にも分からない。
敵襲の痕跡がない。侵入者も見つからない。ただ被害だけが増えていく。
黄昏の箱庭中央塔。
作戦室。大量の地図を広げたセレスが発言した。
「確定しました」
周囲にはリリアーナ。ヴィオラ。エルシア。
そして悠真達もいる。
セレスは杖で地図を指した。
「敵主力軍一万千五百」
「その内訳は騎士団千五百、重歩兵四千五百、槍兵二千、弓兵二千、魔道兵千五百、支援兵五百」
数字が並ぶ。
「人数が減ったな」
悠真のつぶやきに、リリアーナが微笑むが何も言わない。
セレナが続ける。
さらに別の資料が広げられた。
「問題はこちら」
補給拠点。街道。物資輸送。
そこに赤い印が付いている。
「敵軍は短期決戦を前提にしています」
「長期戦になると?」
ラグナが聞く。
セレスは即答した。
「負けます」
会議室が静まった。
「兵糧が足りません、財政も厳しい。今回の動員は無理をしています」
つまり。今のグラディス軍は見た目ほど余裕がない。虚勢だ。
大軍に見えるだけ。
その事実に一番喜んだのはフェンリスではない。
ミレイアだった。
「助かりますね」
「助かる?」
悠真が聞き返す。
「戦争は数字なんです」
珍しく真面目な顔だった。
「敵が飢えれば勝手に弱くなります」
身も蓋もないが、事実だった。
セレスが計算結果を提出した。
「敵軍一万千五百」
「冒険者五百」
「総勢約一万二千」
悠真が頷く。
するとセレスが続けた。
「ただし」
眼鏡を押し上げる。
「実効戦力は違います」
地図へ指を走らせる。
「補給不足、士気低下、支援貴族離反、物流混乱」
全てを加味した結果。
「実効戦力は一万程度」
部屋が静まる。
戦争前にも関わらず敵はさらに二千近く弱体化している。
誰がやったのか。
説明は不要だった。全員がリリアーナを見る。
リリアーナは優雅に微笑んだ。
「そんなに見ないでくださいませ」
フェンリスが腕を組む。
「恐ろしい女だ」
「褒め言葉ですわね」
「ああ」
即答だった。
ラグナも頷く。
「戦いたくない相手だ」
「私もですわ」
リリアーナは笑う。
「敵に回したくありませんもの」
みんな同じことを思った。
その日の深夜。
ノワールが一通の報告書を持って現れた。
「報告」
リリアーナが視線を向ける。
ノワールは一枚の紙を差し出した。
そこに書かれていた名前を見て。
リリアーナの笑みが消える。
血狼の
A級冒険者パーティ。
奴隷商人との取引記録
人攫い
違法売買
獣人村襲撃
大量の証拠。
そして。ある一文。
『獣人の子供二十三名売却』
部屋の温度が下がった気がした。
ノワールは知っている。
この反応を。リリアーナが本当に怒っている時の表情。
静かになる。笑わなくなる。それが一番危険だった。
長い沈黙の後。
リリアーナは書類を閉じる。
そして。いつもの笑顔を浮かべた。
しかし。
ノワールは分かる。セレスも分かる。ヴィオラも分かる。
これは敵にとって最悪の笑顔だ。
「開戦が楽しみですわね」
優雅にそう言う。
だが。紅い瞳だけは笑っていなかった。
血狼の牙がまだ知らないだけだ。
自分達が既に。吸血鬼の女王の獲物になっていることを。
そして。
黄昏会戦まで残りわずか。
本当の戦争が。
すぐそこまで迫っていた。
もうやっと書きたかった戦闘が描けます!




