第十話 獣人達の誇り
黄昏の箱庭に救出された奴隷達が到着してから一週間が過ぎていた。
新しく保護された百三十名以上の亜人達も少しずつ落ち着きを取り戻し始めている。
最初は誰もが怯えていた。人を信用しない。食事を出されても疑う。部屋を与えられても安心しない。
それも当然だった。
彼らは裏切られ続けてきたのだから。
しかし時間というものは不思議なものだ。
少しずつ。
本当に少しずつではあるが。
彼らの表情は変わり始めていた。
黄昏の箱庭、居住区。
エルナは不思議そうな顔で街を歩いていた。
救出されたエルフの少女である。
今日も周囲を警戒していた。
だが。以前ほどではない。
犬族の子供達が走り回る。
兎族の少女達が買い物をする。
竜人の職人達が荷運びをしている。
獣人も。エルフも。普通に暮らしている。
何度見ても不思議だった。
エルフの里でもここまで多種族が共に暮らしている光景は見たことがない。
「エルナ!」
声がした。振り返る。
フィアだった。
今日も元気である。
「何してるの?」
「散歩」
「そっか」
フィアは迷いなく隣へ座った。
エルナは少し驚く。
奴隷市場では誰も隣へ座らなかった。
皆余裕がなかったからだ。
「馴染めそう?」
フィアが聞く。
エルナは少し考える。
そして。素直に答えた。
「まだ分からない」
フィアは笑った。
「だと思った」
それを責めない。焦らせもしない。
だから少しだけ話しやすい。
「でもさ」
フィアは空を見上げる。
「ゆっくりでいいんじゃない?」
「……」
「みんな最初はそうだったし」
三兄妹も。風牙の住民も。白耳の生存者も。皆そうだった。
だから急ぐ必要はない。
フィアは本気でそう思っている。
エルナは少しだけ微笑んだ。
救出されてから初めてだった。
その頃。
中央塔では別の問題が起きていた。
「足りない」
ミレイアの第一声だった。
悠真は頭を押さえた。最近このパターンが多い。
「今度は何が」
「全部です」
「雑だな」
「本当に全部です」
資料が山ほど置かれる。
農地。住宅。食料。水路。工房。
人口が増えれば当然負担も増える。
世界核による補助はある。
しかし万能ではない。
「現在人口三万五千二百四十八名」
「増えたな」
「増えています」
「まずいか」
「今は問題ありません」
ミレイアは頷く。
だが、次に続けた言葉が重要だった。
「今は」
会議室が静まる。
「今後さらに難民が増えます」
誰も反論しない。増える。間違いなく。
グラディスとの戦争は始まったばかりだ。
奴隷として囚われている者もまだ大勢いる。
救えば増える。
それは避けられない。
「では質問です」
ミレイアが言った。
嫌な予感しかしない。
「住まわせる場所は」
「作る」
「食料は」
「増産」
「農地は」
「開拓」
ミレイアはじっと見てくる。
悠真も見返す。
沈黙。
やがて。ミレイアが苦笑した。
「言うと思いました」
「無理か?」
「いいえ」
意外な返答だった。
「可能です」
全員が顔を上げる。
「本当か」
「ただし時間は掛かります」
つまり。
今から準備を始める必要がある。
戦争だけしていればいいわけではない。
国家を育てなければならない。
悠真は改めて王であることを実感した。
同じ頃。
グラディス辺境侯国。
辺境侯城。
ゼルバルト・グラディスは報告書を眺めていた。
気分は最悪だった。
奴隷市場襲撃。百三十名以上消失。奴隷商人からの抗議。援軍拒否した貴族達。
そして。
黄昏の箱庭。
全ての問題が繋がっている。
「確定だな」
誰も返事をしない。
重臣達は黙っている。
「奴らが動いている」
低い声だった。
怒りを抑えている。それが逆に恐ろしい。
「軍は」
側近が答える。
「現在一万千八百」
増えていた。
数日前より遥かに。
「一万五千まで増やせ」
ゼルバルトが言う。
会議室が静まる。
「閣下」
重臣の一人が恐る恐る口を開いた。
「相手は地方国家です」
「なら?」
「過剰戦力では」
ゼルバルトは冷たい視線を向けた。
重臣は黙る。
「副将が死んだ」
「先鋒が潰された」
「奴隷市場が襲撃された」
そして。机を叩く。
「それを地方国家と呼ぶか?」
誰も答えられなかった。
返す言葉が無い。
ゼルバルトは立ち上がる。
窓の外を見る。その遥か向こう。
南部。
「確かな戦力差をもって必ず潰す」
低い声だった。
しかし確かな殺意があった。
本格的な戦争が近づいている。
黄昏の箱庭。
夕方。訓練場。
そこには多くの獣人達が集まっていた。
風牙の住民。
救出された奴隷達。
そして元からの住民達。
何をしているのか。
訓練だった。指導しているのはガルムである。
相変わらず仏頂面だ。
「遅い」
一言。
それだけで全員が震える。
怖いからだ。
「剣を持て」
「足を止めるな」
「敵は待たない」
厳しい。本当に厳しい。
しかし。
誰も文句を言わなかった。
違う。
言えなかった。
その時だった。
救出された犬族の青年が転ぶ。
訓練剣が手から落ちる。
ガルムが近付く。
周囲が固まる。怒られると思った。
だが。意外にもガルムは剣を拾った。
そして青年へ渡す。
「立て」
「……」
「立て」
青年が立ち上がる。
震えている。
するとガルムは言った。
「お前は弱い」
皆固まる。相変わらず容赦がない。
しかし。続く言葉が違った。
「だから強くなれ」
青年が顔を上げる。
ガルムは真っ直ぐ見ていた。
「二度と奪われないために」
訓練場が静まり返る。
ガルムは不器用だった。
優しくない。言葉も少ない。
だが。本気だった。誰よりも。戦場を知っているから。
奪われる苦しさを知っているから。
救出された者達の表情が少し変わる。
被害者のままでは終わらない。強くなれるかもしれない。
そんな希望が生まれていた。
戦争の足音が響いている。
しかし黄昏の箱庭もまた成長していた。
国家として。
そして。
戦うためではなく。守るために。
戦いは、さらに大きなうねりとなって動き始めていた。




