第九話 奴隷商人
黄昏の箱庭へ救出された亜人達が到着してから三日が過ぎた。
救出作戦は成功だった。
死者はゼロ。負傷者も最小限。
獣人達もエルフ達も安全な場所へ移送できた。
本来なら喜ぶべき結果だ。
だが。黄昏の箱庭の中枢にいる者達は誰一人として浮かれていなかった。
なぜなら。これは始まりでしかないからだ。
奴隷市場を一つ襲撃しただけ。
根本的な問題は何も解決していない。
奴隷商人も。人身売買も。亜人への迫害も。
まだ存在している。
むしろ敵に存在を強く印象づけてしまった。
戦いはこれからだった。
中央塔会議室。
リリアーナ軍団による救出作戦の報告会が行われていた。
「救出人数百三十五名」
セレスが報告する。
「獣人九十三名、エルフ十八名、ドワーフ七名、その他十七名」
悠真は頷いた。
数字として見れば大きな成果だ。
だが。それでも救えたのは一部に過ぎない。
「確認する」
悠真が言う。
「まだいるんだな」
会議室の空気が重くなる。
セレスは静かに頷いた。
「はい」
予想通りだった。
「推定で数千名規模」
「グラディス領全体です」
フィアが顔をしかめる。
「そんなに?」
「奴隷制度そのものが存在しますので」
誰も反論できない。
市場を潰しても終わらない。奴隷商人を捕まえても終わらない。
国が許している。
それが最大の問題だった。
「ですが」
その時。ノワールが口を開いた。
全員の視線が集まる。
「今回の作戦で得た物もある」
そう言って数枚の書類を机へ置く。
名簿。売買記録。契約書。大量の資料だ。
「押収した」
ノワールは相変わらず短い。
説明は最小限。だが十分だった。
セレスが資料を受け取る。
そして読み始めた。最初は真顔だった。
しかし。
数分後には表情が変わっていた。
「これは……」
珍しい。冷静なセレスが驚いている。
ラグナが聞いた。
「何だ」
セレスはゆっくり顔を上げる。
「想像以上です」
「何が」
「繋がっています」
会議室が静かになる。
セレスは資料を広げる。
複数の名前に印が付けられていた。
「奴隷商人、グラディス軍、一部貴族、商業組合」」
そして。
「同じ金の流れがあります」
悠真の眉が動く。
つまり。点ではない。線なのだ。
「組織化されてるのか」
「恐らく」
セレスは頷く。
「かなり前から」
ヴィオラが微笑む。
だがその笑顔は冷たい。
「なるほど」
「腐っていますわね」
珍しく機嫌が悪そうだった。
優雅な吸血鬼の外交官も、流石に人身売買は気に入らないらしい。
「面白くありませんわ」
「珍しく怒ってるな」
悠真が言うと。
ヴィオラは微笑んだまま答えた。
「当然です」
そして。
その紅い瞳が少しだけ細くなる。
「種族が違うだけで商品扱い」
「私は嫌いですわ」
その一言に嘘はなかった。
ヴィオラ自身も吸血鬼。
人類至上主義国家では迫害対象だ。
だからこそ思うところがあるのだろう。
会議が続く。
ノワールが新しい地図を広げた。
「次の標的」
そこには複数の印が付いていた。
「奴隷商人?」
悠真が聞く。
ノワールは首を横に振る。
「違う」
そして。一つの名前を指差した。
「マルクス商会」
会議室が静かになる。
聞き慣れない名前だ。
「何だそれは」
フェンリスが聞く。
答えたのはセレスだった。
「人身売買最大手です」
今度は全員が反応した。
「最大手?」
「はい」
セレスは資料をめくる。
「表向きは商会」
「実態は奴隷組織」
「南部一帯へ奴隷を流通させています」
嫌な話だった。
だが。同時に収穫でもある。
初めて敵の中心が見えてきた。
その頃。
グラディス辺境侯国。都市ヴァルド。
豪華な屋敷の一室。
一人の男が怒鳴り声を上げていた。
「何故だ!」
机が叩き割られる。
高価な木材。だが気にしていない。
男の名前は。
マルクス・ベルヘイム。
マルクス商会会頭。
そして。南部有数の奴隷商人だった。
「百人以上だぞ!」
怒鳴る。
顔を真っ赤にして。
「百人以上消えたんだぞ!」
部下達は縮こまる。
誰も何も言えない。
実際に大損害だからだ。
商品。金。信用。まとめて失った。
しかも。相手が分からない。
それが一番不気味だった。
「夜鴉だそうです」
部下の一人が答えた。
マルクスの表情が変わる。
「本当にいるのか」
その名は聞いていた。
裏社会で広まっている存在。
夜鴉。
正体不明。正体不明なのに確実に仕事を成功させる。
そして。最近はもう一つ名前が出始めていた。
黄昏の箱庭。亜人の国。神狼王の国。
馬鹿げた噂。
だが。最近は笑えなくなってきた。
「辺境侯へ伝えろ」
マルクスが言う。
部下達が顔を上げる。
「ゼルバルト閣下へ、必ずだ」
目が据わっていた。
本気だ。
「亜人共が動いている、国家規模で」
その言葉は正しかった。
もはや個人ではない。奴隷を逃がす義賊でもない。
組織だった。王がいて。軍がいて。仲間がいる。危険な存在だ。
同じ夜。
黄昏の箱庭。
救出された亜人達の宿舎。
エルナは窓の外を見ていた。
静かな夜だった。隣では子供達が眠っている。
平和な光景。未だに信じられない。自分が自由だということが。
その時だった。
扉が開く。
リーファだった。
優しいエルフの治癒師。
「眠れませんか?」
柔らかい声。
エルナは小さく頷く。
「少し」
リーファは隣へ座る。
無理に話さない。急かさない。静かな時間が流れる。
やがて。
エルナが呟いた。
「どうして」
「?」
「どうして助けたんですか」
リーファは少し考える。
そして笑った。
「助けたかったからです」
シンプルな答え。
あまりにも。拍子抜けするほど。
エルナは困惑する。もっと立派な理由があると思った。
だが。
リーファは続けた。
「主様がそういう人だから」
悠真の顔が浮かぶ。
あの日。広場で迎えてくれた人。
王だと聞いた。だが偉そうではなかった。むしろ普通だった。不思議なくらい。
「変な人です」
リーファが笑う。
「でも」
空を見上げる。
優しい表情だった。
「良い王様ですよ」
エルナは何も言わなかった。
だが。ほんの少しだけ。本当に少しだけ。
未来を考えてみようと思えた。
翌朝。
中央塔。
ノワールは新しい報告書を机へ置いていた。
「確認完了」
悠真が目を通す。
そこには一つの名前が大きく書かれていた。
マルクス・ベルヘイム。
人身売買組織。奴隷商会会頭。
そして。
ゼルバルト・グラディスと繋がる人物。
悠真は静かに書類を置く。
戦争が近付いていた。
だが。敵は軍隊だけではない。
今回の救出作戦で、それを痛感した。
奴隷商人
腐敗貴族
差別思想
そして国家
黄昏の箱庭が相手にする敵はあまりにも大きい。
それでも。悠真は立ち上がった。
守ると決めたからだ。もう迷わない。
窓の外には太陽が昇っていた。
戦いは、さらに深い闇へ踏み込もうとしていた。




