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第七話 夜鴉は檻を開く

夜のヴァルドは静かだった。

昼間は喧騒に包まれる奴隷市場も、日が沈めば静寂が支配する。


もっとも。それは表向きだけの話だ。


実際には違う。地下牢では今日も誰かが泣いていた。

今日売られた者。明日売られる者。家族と引き離された者。

様々な境遇の亜人達が檻の中で夜を迎えている。


希望はない。未来もない。

少なくとも彼らはそう思っていた。



ヴァルド奴隷市場。

地下三階。

石造りの通路に一人の男が立っていた。

見張り兵である。夜勤は退屈だった。

地下牢の奴隷達は大人しい。

逃げる場所などない。助けも来ない。だから油断していた。


その瞬間だった。

背後で風が動く。男は振り返ろうとした。


しかし。

その前に意識が落ちる。


音は無かった。悲鳴もない。

ただ静かに崩れ落ちる。


そして。暗闇から一人の女性が現れた。

黒髪。紅い瞳。漆黒の衣装。

ノワールだった。


「一人」


小さく呟く。

手帳へ印を付ける。

見張り兵排除。異常なし。

それだけ書き込む。


淡々としていた。

そこに感情はない。

任務だから。邪魔だから。排除した。

それだけだ。



市場から少し離れた倉庫街。

そこでは別の戦いが行われていた。


「乾杯」


優雅な声。

ヴィオラだった。

相変わらず美しい笑顔を浮かべている。


目の前には数人の商人達。

皆酒で上機嫌だった。


「いやぁ本当に助かりましたな」


「こちらこそ」


ヴィオラは微笑む。

話題は交易。利益。商売。平和な内容だ。


しかし。実際には違う。

この場に集まる商人達は全員ノワールが調べ上げた人物だった。


奴隷市場へ物資を納入する者

警備兵へ金を流す

奴隷商人と繋がる者。


つまり。市場を支えている者達だ。

ヴィオラは笑顔で会話を続ける。

そして自然な流れで聞く。


「ところで市場の警備は大変そうですね」


商人が苦笑する。


「まったくです」


「最近は南部も不穏ですし」


「神狼王の噂もありますからな」


ヴィオラの瞳が僅かに細まる。

情報。欲しいものが出てきた。


「大変ですわね」


「ええ」


商人は酒を飲む。

そして。

警備当番。巡回時間。交代位置。重要人物。

全部喋った。

本人は気付いていない。

ヴィオラに誘導されていることに。



その頃。

黄昏の箱庭。

中央塔。作戦室。

悠真達は緊張した様子で待機していた。


机の上には通信水晶。

ミレイア軍団が開発した試作品だった。

まだ完全ではない。ただ短距離なら使える。


「大丈夫かな」


悠真が呟く。

フィアが机へ突っ伏した。


「心配」


珍しく元気が無い。

ノワール達が敵地へ潜入している。

当然だろう。


「大丈夫です」


セレスが答えた。自信満々だった。


「ノワールの失敗確率は一割未満」


「高いのか低いのか分からん」


「極めて優秀です」


つまり低いらしい。

フェンリスも頷く。


「彼女は優秀だ」


神狼王が認めるほどに。

悠真は改めて思う。

黄昏の箱庭には化物しかいない。


本当に。



地下牢。

エルフの少女は眠れずにいた。

最近奇妙な噂を聞いたからだ。

神狼王。亜人の国。黄昏の箱庭。

到底信じられる話ではない。


しかし。心のどこかで期待してしまう。

愚かなことだと分かっていても。


その時だった。


カチッ。


小さな音。

少女が顔を上げる。牢の鍵だった。


「……え」


誰も動けない。

何が起きたのか分からない。

牢の扉がゆっくり開く。


そして。通路に一人の女性が立っていた。

黒髪。紅い瞳。無表情。


見覚えはない。

だが。兵士ではない。

奴隷商人でもない。


「静かに」


初めて聞く声だった。

低い。落ち着いた声。


「助けに来た」


地下牢が静まり返る。

誰も信じられない。あまりにも突然だった。

犬族の老人が震える声で言う。


「本当に……?」


ノワールは短く答えた。


「黄昏の箱庭」


たったそれだけだった。

しかし。牢の空気が変わる。

噂。夢物語。存在しないと思っていた国。その名前を知っていた。

皆。


噂で聞いていたからだ。


「嘘じゃ……」


「嘘ではない」


ノワールは剣を抜く。

檻を切る。

鉄格子が音を立てて崩れた。

全員の目が見開かれる。現実だった。

本当に助けが来た。



同時刻。

奴隷市場上層部。

異変が起きていた。警備兵達が走り回っている。


「侵入者だ!」


「地下で異常発生!」


「急げ!」


警鐘が鳴り響く。しかし遅かった。

既にノワールは脱出を開始している。


獣人達を連れて。エルフ達を連れて。子供達を連れて。


その時。通路を塞ぐように十数人の警備兵が現れた。


剣を抜く。

殺気。戦闘態勢。

獣人達が震える。


だが。ノワールは止まらない。

一歩前へ出る。


そして。

次の瞬間だった。

黒い影が走る。速い。

誰も見えない。警備兵の一人が倒れる。

二人目。三人目。


気付けば全員倒れていた。

圧倒的だった。

エルフの少女が呆然と呟く。


「強い……」


ノワールは振り返らない。

ただ一言。


「急ぐ」


それだけ。



市場の外。

荷馬車が並んでいた。

そこに立つ女性がいる。ヴィオラだった。

笑顔を浮かべながら手を振る。


「こちらですわ」


まるで夜会の迎えでもするような態度だった。

周囲の獣人達が困惑する。今まさに救出作戦の最中なのに。

緊張感が無い。


「お疲れ様でしたわ」


「問題なし」


ノワールが答える。


「死傷者ゼロ」


ヴィオラが満足そうに頷く。

その時だった。遠くで鐘が鳴る。

市場全体が騒然となる。異変が発覚したのだ。


もう時間が無い。

ヴィオラは楽しそうに笑った。


「では帰りましょう」


「帰る?」


エルフの少女が聞く。

ヴィオラは微笑んだ。


優しく。暖かく。


「ええ」


そして。この言葉を告げた。


「貴方達の新しい家へ」


獣人達が息を呑む。

誰も知らない。その先に何が待つのか。


だが。一つだけ確かなことがあった。

長かった檻の生活は終わった。


そして。黄昏の箱庭とグラディス辺境侯国の対立は、また一段階深まろうとしていた。

遠く離れた奴隷市場の執務室では、一人の奴隷商人が青ざめた顔で報告書を握り締めていた。


百名以上の奴隷消失。警備壊滅。正体不明の襲撃者。

そして。

現場に残されていた、一枚の黒い羽根。


「夜鴉……」


震える声が漏れる。

ノワールの異名だった。

そしてその報告は間違いなく、ゼルバルト・グラディスの元へ届けられる。

戦争はまだ始まったばかりだった。

ちなみに談。

リリアーナ軍の各異名は以下になります。

ノワール:夜鴉(よがらす)

セレス:千里眼

ヴィオラ:紅薔薇(べにばら)

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