第四話 紅薔薇の舞踏会
10/26:人口に対して敵軍の人数がおかしかったので書き直しました。
グラディス辺境侯国。
辺境都市ヴァルドから北へ三日。
馬なら一日半掛かる距離に、一つの貴族領が存在していた。
ローウェン伯爵領。
グラディス辺境侯国でも有数の穀倉地帯であり、多くの商人が行き交う豊かな領地だった。
その夜。
伯爵邸では盛大な夜会が開かれていた。
煌びやかなシャンデリア
高価な絨毯
楽団の演奏
豪華な料理
貴族達は笑顔で杯を交わしている。
だが、その笑顔の下では別の思惑が渦巻いていた。
グラディス辺境侯ゼルバルト・グラディスによる軍拡。
相次ぐ徴税。増え続ける戦費。そして南部への大規模侵攻。
喜ぶ者もいれば、不満を抱く者もいる。
今夜集まっている貴族達も例外ではなかった。
「最近は物騒ですな」
「まったくだ」
「また兵の徴発ですよ」
「農作業に支障が出る」
貴族達は不満を漏らす。
しかし表立ってゼルバルトを批判する者はいない。
辺境侯の権力は強大だった。
だから皆、腹の中で文句を言うだけ。
そんな中。
会場入口にざわめきが起こった。
視線が集まる。現れた女性を見て。
誰もが息を呑んだ。
銀髪。紅い瞳。真紅のドレス。気品。
知性。圧倒的な存在感。
まるで一輪の薔薇だった。
女性は優雅に一礼する。
「初めまして」
柔らかな笑顔。
「ヴィオラと申します」
第二軍団。吸血鬼軍団。外交官。
紅薔薇のヴィオラ。
黄昏の箱庭最強の交渉人だった。
数時間後。
貴族達は完全にヴィオラへ惹き込まれていた。
会話が上手い。知識が豊富。話題も豊か。
そして。相手が何を求めているか見抜くのが異常に早い。
「ローウェン伯爵領の小麦は素晴らしいですね」
ヴィオラが微笑む。
伯爵は気分を良くする。
「分かりますかな?」
「ええ」
「特に南側の畑」
「水はけも良いですし」
伯爵の目が見開かれる。
驚くのも無理はない。実際に見なければ分からない話だからだ。
しかしヴィオラは知っている。事前調査済みだから。
ノワールが。セレスが。
全て調べていた。
同じ頃。
屋敷の屋根裏に一人の影がいた。
ノワール。
諜報隊長である。
黒装束。気配遮断。
闇そのもののような存在だった。
「確認」
小さく呟く。
手元にある羊皮紙へ何かを書き込む。
各貴族の立場。
派閥。資産。軍事力。
そして。ゼルバルトへの忠誠度。
今回の作戦は単純だ。
戦う前に敵を弱らせる。
そのために必要なのは剣ではない。
情報だった。
ノワールは屋根から音もなく飛び降りる。
誰にも気付かれない。
まるで夜の一部だった。
その頃。
黄昏の箱庭。
中央塔。会議室。
セレスは大量の資料と格闘していた。
机の上に積み上がった書類の山。
数字。地図。報告書。
その全てを整理している。
「セレス」
悠真が声を掛けた。
「休んだらどうだ」
「無理です」
即答だった。
「敵は休みませんので」
返す言葉がない。
セレスは地図へ印を付けながら続ける。
「現在確認できるグラディス軍は一万」
「予備兵を含めると一万千前後」
「さらに周辺貴族からの支援が加われば一万五千規模」
悠真が顔をしかめた。
多い。圧倒的に。
前回の先鋒隊とは話が違う。
国家戦争だ。
「ただし」
セレスが眼鏡を押し上げる。
「予定通りなら減ります」
「減る?」
「ヴィオラが動いています」
自信満々だった。
仲間への信頼が見える。
そして翌朝。
グラディス辺境侯国。
辺境侯の執務室。
ゼルバルト・グラディスは報告書を睨み付けていた。
「何だこれは」
低い声。
重臣達が息を呑む。
「ローウェン伯爵家が援軍を拒否しました」
「ランドール子爵家もです」
「二家合わせて二千の兵力が」
報告は続く。
だが。ゼルバルトの顔は険しい。
「理由は」
誰も答えられない。
正確には分からない。
だが。理由は一つだった。
ヴィオラである。
彼女は剣を抜いていない。誰も傷付けていない。ただ会話しただけ。
それだけで二千の兵士を戦場から消した。
数日後。
黄昏の箱庭。
大広間。報告会が行われていた。
ヴィオラが帰還したのだ。
「おかえり」
悠真が言う。
「ただいま戻りました」
優雅に一礼する。
そして笑顔で報告した。
「敵戦力を削減しました」
「何人だ」
セレスが答える。
「約二千です」
会議室が静まり返る。
フェンリスが腕を組む。
「戦わずにか」
「ええ」
ヴィオラが微笑む。
「話し合いで」
絶対に普通の話し合いではない。
全員がそう思った。
だが成果は事実だった。
黄昏の箱庭の戦力は減っていない。
しかし敵は減った。
それも七百。一つの軍団規模だ。
「恐ろしいな」
ラグナが呟く。
ヴィオラは嬉しそうに笑った。
「褒め言葉として受け取っておきますわ」
その時だった。
会議室の扉が開く。
飛び込んできたのはノワール。
普段と変わらぬ無表情。
だが。少しだけ空気が違う。
「報告」
短い言葉。
全員の視線が集まる。
「奴隷市場」
その一言で空気が変わった。
「見つけた」
悠真の目が鋭くなる。
「何を」
ノワールは静かに言った。
「攫われた獣人達」
会議室が静まり返る。
軍だけではない。
貴族。奴隷商人。亜人売買。
黄昏の箱庭が相手にする敵は、想像以上に巨大だった。




