第十話 守るための代償
風牙の集落から黄昏の箱庭へ戻った翌日。
中央塔の会議室には重苦しい空気が漂っていた。
長机の上には地図が広げられている。
風牙の集落
白耳の集落跡地
周辺の獣人集落
そして黄昏の箱庭
悠真は腕を組んだまま地図を見つめていた。
集まっているのはフェンリス、リリアーナ、ラグナ、ミレイア、レイナ、フィア。
黄昏の箱庭の中枢を担う者達だ。
「改めて報告します」
レイナが立ち上がる。
「白耳の集落の生存者は十九名」
少ない。あまりにも少なかった。
元々の人口は七十人近かったという。
つまり半数以上が失われたことになる。
「確認できた遺体は三十二」
会議室の空気がさらに重くなる。
悠真は何も言わない。言葉が出なかった。
たった数日前まで生きていた人達だ。
名前もあった。
家族もいた。
日常もあった。
それが消えた。
「襲撃したのはグラディス辺境侯国軍」
レイナが続ける。
「人数は百から百五十程度」
「目的は」
悠真が聞く。
レイナは一瞬だけ表情を曇らせた。
「獣人集落の掃討」
それだけだった。
鉱山でもない。戦略拠点でもない。軍事拠点でもない。
ただ獣人が住んでいたから滅ぼされた。
それだけだ。
フィアが机を叩く。
「おかしいよ!」
全員の視線が集まる。
「何もしてないんだよ!?」
フィアの声は震えていた。
怒りだった。
「子供もいた!」
「お年寄りもいた!」
「なんでこんなことするの!」
誰も答えられない。
答えは分かっている。
しかし理解できないのだ。
悠真も同じだった。
日本で生きてきた感覚では受け入れられない。
戦争ですらない。
虐殺だ。
その時だった。
リリアーナが静かに口を開く。
「閣下」
悠真が顔を上げる。
「現実を受け入れるべきです」
赤い瞳はどこまでも冷静だった。
「彼らにとって亜人とは人ではありません」
「……」
「だから躊躇もしない」
会議室が静まり返る。
リリアーナはさらに続けた。
「今後も同じことが起こります」
誰も反論できなかった。なぜなら事実だからだ。
白耳の集落は滅んだ。
次の村も襲われるかもしれない。
その次も。またその次も。
何もしなければ。
悠真は長く息を吐いた。
「受け入れる場所を作る」
全員が顔を上げる。
「風牙の集落も含めてか?」
ラグナが聞いた。
悠真は頷く。
「希望する人は全員だ」
フィアの顔が明るくなる。
だがミレイアは難しい顔をした。
「問題があります」
来ると思った。
「食料か」
「それだけではありません」
ミレイアは資料を取り出した。
「住居、医療、水、衛生、農地」
次々と並べられる問題。どれも一つでは済まない。
やがてミレイアは結論を口にした。
「黄昏の箱庭は都市です」
「そうだな」
「だからこそ限界もあります」
悠真は眉をひそめた。
ミレイアがここまで真剣なのは珍しい。
「主様」
「なんだ」
「私達は現在三万五千人以上を抱えています」
彼女の指が資料を叩く。
「さらに白耳の集落の生存者」
「風牙の集落六十名」
「周辺集落を含めれば数百人規模になります」
「……」
「受け入れ続けた場合、いつか限界が来ます」
それは正論だった。会議室の誰も反論しない。
フィアですら黙っている。
助けたい。
だが助けるには現実的な問題がある。
悠真は考え込んだ。そして聞く。
「本当に無理か?」
ミレイアは少しだけ考えた。
「短期なら可能」
「長期は?」
「難しいです」
即答だった。
「何が足りない」
「全てです」
また即答。
「ただし」
そこで初めてミレイアが微笑んだ。
「方法が無いわけではありません」
会議室の空気が変わる。
「聞かせてくれ」
「農地拡張、都市開発、灌漑設備、新しい居住区」
そして。
「世界核の出力増強」
悠真が目を細めた。
世界核。
地下深くに存在する謎の施設。
黄昏の箱庭を支えている心臓部。
ゲームでは「国家維持中枢施設」という説明しかなく、ゲームを円滑に進めるための補助程度にしか考えていなかった。
「あれで何とかなるのか?」
「可能性があります」
可能性。確実ではない。
だが希望はあった。
「やろう」
悠真は即決した。
「主様?」
フィアが驚く。
「助けるんだろ?」
「うん」
「なら必要だ」
それだけだった。難しい理由はない。
助けたいから助ける。
単純な話だ。
会議はその後数時間続いた。
農地開発計画
住居拡張計画
周辺集落調査
難民受け入れ案
決めることは山ほどある。
そして日が傾き始めた頃。突然会議室の扉が開いた。
飛び込んできたのは神狼族の伝令だった。
「報告です!」
只事ではない。
全員が立ち上がる。
「何があった」
フェンリスが聞く。
伝令は息を整える間もなく叫んだ。
「風牙の集落より緊急連絡!」
嫌な予感がした。全員同じだった。
伝令は続ける。
「北方で大規模軍勢を確認!」
会議室が静まる。
「数は!」
レイナが問いただす。
「推定二千以上!」
その数字に空気が凍りついた。
白耳の集落を襲った部隊とは桁が違う。
明らかに本隊。戦争のための軍だ。
「所属は」
悠真の声が低くなる。
伝令は答えた。
「グラディス辺境侯国軍です!」
沈黙。
そして。
誰も口にしなかったが。全員が同じことを考えていた。
――来た。
ついに。
黄昏の箱庭を知らぬまま。南部の集落だけを襲い続けていた刃が。
今度はこの地へ向かっている。
フェンリスが静かに立ち上がる。
赤い瞳の奥に獰猛な光が宿った。
ラグナは鎧へ手を添える。
リリアーナは不敵に微笑む。
ミレイアは既に何枚もの資料を広げ始めていた。
そして悠真は地図を見る。
風牙の集落。黄昏の箱庭。進軍してくる軍勢。
交わる場所は一つしかない。
ここで初めて理解した。選ぶ時が来たのだ。
守るのか。
捨てるのか。
王としての決断を。
転移後初めての最大転機が、すぐそこまで迫っていた。




