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第八話 獣王連邦の影

風牙の集落で一夜を過ごした翌朝。

悠真は珍しく早く目を覚ました。

慣れない環境だからではない。

昨夜、村長ガドから聞かされた話が頭から離れなかったからだ。


人口六十人

かつては百人以上いた村

毎年のように減る人口

消えていく集落

攫われる子供達

そして誰も助けてくれない現実。


箱庭に来るまでは、日本で普通に暮らしていた。戦争も飢餓も画面の向こうの出来事だった。

しかし今は違う。

窓の外を見れば、その現実が広がっている。


「眠れませんでしたか」


振り返るとフェンリスが立っていた。

いつ現れたのかまったく気付かなかった。


「少しな」


「考え事ですか」


「ああ」


悠真は苦笑する。


「この村のことをな」


フェンリスは静かに頷いた。

否定はしない。

この村が厳しい状況に置かれていることは明らかだった。


「フェンリス」


「はい」


「ガドさんが言ってた獣王連邦って、実際どんな国なんだ?」


昨日から気になっていた。


獣王連邦


名前だけ聞けば大国だ。

少なくとも風牙の集落のような小村を守っていてもおかしくない。

ところが現実は違う。

ガドは助けなど期待していなかった。


「申し訳ありません」


フェンリスは首を振る。


「私も詳しくは知りません」


「そうか」


「名前だけは聞いています」


少し考え込んだ後、フェンリスは続ける。


「古い伝承にも登場するそうです」


「伝承?」


「様々な獣人が集う大きな国だと」


それ以上は分からなかった。

やはり箱庭の住民達も外の世界については無知なのだ。

その時、外から賑やかな声が聞こえた。

出てみるとフィアが子供達に囲まれていた。


犬族の子供

兎族の子供

猫族の子供


皆、朝から元気に走り回っている。


「フィアお姉ちゃん!」


「ん?」


「都会って本当にあるの?」


「あるよ!」


「大きい?」


「大きい!」


「どれくらい?」


フィアは腕を組んで考え込む。

そして自信満々に答えた。


「すっごく大きい!」


説明になっていなかった。

子供達は笑う。フィアも笑う。


その光景を見ていると、昨日までの重い空気が少しだけ和らぐ気がした。

その時だった。


「お前さん達」


ガドが歩いてきた。

手には古びた地図がある。


「少し時間を貰えるか」


集会所へ移動すると、ガドは地図を机に広げた。

古い。かなり古い。

何度も補修された跡がある。


「これは?」


「昔の地図じゃ」


ガドが指差す。

風牙の集落。黄昏の箱庭。

そしてさらに南。


「ここが獣王連邦じゃ」


悠真は目を凝らした。

かなり離れている。想像以上だった。


「遠いな」


「遠い」


ガドはあっさりと認めた。


「馬でも十日以上かかる」


悠真は驚いた。

南部はもっと狭いと思っていた。

実際には広大なのだ。そして問題は距離だけではない。

地図を見る限り。風牙の集落と獣王連邦の間には無数の小規模集落が存在していた。


「この印は?」


「昔あった村じゃ」


ガドが答える。


「昔?」


「今はない」


静かな声だった。


兎族の集落

狐族の集落

鹿族の集落


名前だけが残っている。


「滅んだのか」


「消えた」


ガドは訂正した。


「どこも生き残るのに必死でな」


そして苦笑する。


「助ける余裕など無い」


それは獣王連邦も同じだった。

国家はある。王もいる。しかし余裕がない。

だから遠方の集落まで面倒を見られない。


「つまり」


悠真は地図を見ながら整理する。


「みんな放置されてるのか」


「厳しい言い方をすればな」


ガドも否定しなかった。

しばらく沈黙が続く。

するとレイナが口を開いた。


「つまり風牙の集落だけではありません」


「そうですね」


ガドが頷く。


「この辺一帯全部です」


その時だった。

外から誰かが駆け込んでくる。

若い鹿族の青年だった。

息を切らしている。


「村長!」


「どうした」


「北の見張り所から連絡です!」


嫌な予感がした。

青年は叫ぶように言った。


「人間です!」


その瞬間。

集会所の空気が変わった。

村人達の表情が消える。フィアの笑顔も消えた。


「人数は」


ガドが聞く。


「まだ分かりません!」


「軍隊か?」


「不明です!」


だが村人達の反応を見る限り、良い知らせではない。

子供達まで怯えている。

悠真は立ち上がった。


「案内してくれ」


数分後。

村の北側にある見張り台へ到着した。

そこにいた狐族の見張りが遠くを指差す。


「あそこです」


全員が目を細めた。

遥か遠方。

砂煙が見える。人影も。

まだ距離はあるが、確かに集団だ。

レイナが冷静に分析する。


「数十人規模」


「軍か?」


「断定はできません」


フェンリスは黙って遠方を見ている。

神狼族の目にはもっと見えているのかもしれない。

だが次の言葉で全員が凍り付いた。


「主」


「なんだ」


「嫌な臭いがします」


フェンリスは静かに言った。


「血の臭いです」


悠真の背筋に冷たいものが走った。

まだ距離はある。


だが。

何かが起きている。そんな予感だけは確かにあった。

遠くで舞い上がる砂煙を見つめながら、悠真は知らず拳を握り締める。


そして同じ頃。

グラディス辺境侯ゼルバルト・グラディスが編成した討伐軍は、南部へ向けて進軍を開始していた。


その行く先にあるのが黄昏の箱庭なのか。

それとも別の獣人集落なのか。まだ誰も知らない。

だが確実に言えることがあった。


南部の平穏は終わろうとしていた。

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