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パペトリ王国と魔法のクレヨン  作者: 田山照巳


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一生のお願い!

 崖の上に残されたアイカは自分が置かれた状況に立ちすくむ。


(……ちょ、な、何よこれ? カルネは崖に落とされちゃったし、残ったのは私とヒマリだけっ!? 一体どうしたらいいのっ!?)


 平静を保てないアイカなど気にも留めず、アンクルは雄叫びをあげながら周囲をフラフラと歩き回っている。アイカがヒマリの元に駆け寄り、抱き上げて逃げようとしたその時だった。アイカとアンクルの目が合ってしまった。


「グオォォーッ」


(……えっ!? こっちに気付かれた!? ダメッ! さっきの猿達とは違う! あんな熊と戦える訳ないわ! 逃げないとっ!)


 アンクルは背を向けて逃げてゆくアイカの姿を次の標的に定め、徐々に速度を上げながら近づいてゆく。


……ザザッ! ザザッ!


(ああっ! このままじゃ追いつかれちゃう!?)


 背後から迫る本能むき出しのヒグマの恐怖にアイカは気が気ではなかった。必死に全力で走るのだが、足元に生える木の根につまずいて転んでしまう。


「きゃぁっ!」


 アイカはヒマリを抱きかかえたまま倒れて両腕にすり傷を負う。しかしその痛みを気にしている状況ではない。アイカは倒れたまま、先ほどよりもアンクルとの距離が近くなっていることを確認する。


(こうなったら……せめてヒマリだけでもっ!)


 差し迫る命の危機にアイカはヒマリを下ろし、アンクルに立ちはだかるようにその前に立つ。


「ヒマリ! ママの言うことをよく聞きなさい。いい? あそこに赤いお花が咲いてる大きな木があるでしょう? あの木の陰に隠れてなさい! ママが『いいわよ』って言うまで絶対に出てきたらダメよ。分かった!?」


「えっ? ママ?」


 ヒマリはアイカが指示した木の方を一瞥した後、すぐには動けずにアイカの脚を掴んで困惑の顔を見せる。


「ヒマリ! お願いだからママの言うことを聞きなさい!」

「で、でも……」


「何でもいいから行きなさい! つべこべ言わずに言うこと聞くの!」

「う、うん……ママ」


 アイカの気迫に満ちた大声に、ヒマリは反論せずしぶしぶ従う。アイカはヒマリが指示した木陰に向かったことを確認した後、大きく深呼吸をする。


(もう、こんなことになるなんて!! 森の中で熊さんに出会う状況なんて童謡の中だけで十分だわっ! でも、今はできるだけのことをするしかない! ……何とかあの熊を振り切るのよっ!)


 アイカは中華鍋を構え、鉄のお玉をアンクルにまっすぐ向け、うめき声を上げながら迫るアンクルに叫ぶ。


「ちょっとアンタね! ウチの子に手出ししたら許さないんだから! 覚悟しなさい!」

「グオォォーッ!!」


……バーンッ!!


「きゃぁっ!!」


 突然大声を出して挑発したアイカに対し、アンクルは右腕を振り回してアイカが突き出した鉄のお玉を払い飛ばした。


「あっ……あっ……」


 虚勢を張っていたアイカだったが、本気で襲ってくるアンクルの一撃の前では意気消沈し、その恐怖で全身の力が抜けて膝から崩れ落ちてしまう。


「あ……ああっ……ダ、ダメッ。私、もう……無理!」


 アイカから声にならない声がこぼれ出る。しかし恐怖で怯えるアイカに対し、アンクルは容赦なく腕を振り回す。


……バーンッ!


「きゃぁぁぁっ!」


……ビューン! バーンッ!!


 アイカは防御の動作……というより、身を守ろうとする本能に突き動かされ、中華鍋でアンクルの腕を受け止めようとした。しかし、その強烈な打撃で、アイカはヒマリが隠れている木まで吹き飛ばされてしまう。


「はがっ! はっ……ああっ!!」


 受け身など取れないアイカは背中を木で強打し、地面に落ちてうつ伏せに倒れる。


「ママーッ! ママーッ!」


 目の前で倒れるアイカの姿に、ヒマリは堪らず駆け寄り泣きながら叫ぶ。


「ママッ! ねぇ、ママ! 大丈夫っ!?」

「がはっ……はっ……ヒマリ……?」


 アイカは顔を横に向け、ヒマリが隣で泣き叫んでいることを理解する。


(そっか……私、熊にぶっ飛ばされたのね。で、今ここで動けなくなって倒れて、そしたらヒマリが出てきちゃった……のね)


「ママーッ! ママーッ!」


(ああっ! ……ヒマリが泣いてる。私の大切なヒマリが!)


 アイカは口や腕など、動かせる部分を必死に動かす。まずは泣きじゃくるヒマリの頭を撫で、かすかな声を振り絞る。


「ヒマリ……泣かないで。ママは大丈夫よ」

「ああっ! ママーッ!」


「ヒマリ、いい? ママの言うことをよく聞いて」

「えっ? 何、ママ?」


「ヒマリ……今から一生懸命の隠れんぼをするのよ。今までで一番頑張って隠れなさい。ママは五十数えたらヒマリを探し始めるから、できるだけ遠くに……できるだけ見つからない場所に……」


「ママッ!? そんなの……ヒマリ、怖いよ!」

「ダメよヒマリ。怖がっちゃダメ。ほら、顔を上げて周りを見て」


 ヒマリはアイカの言葉に誘われるように顔を上げる。


「ほら、こんなに木もお花もいっぱい……綺麗でしょ? こんなに自然がいっぱいの森の中で一生懸命の隠れんぼをするなんて、もう二度とできないかもしれないわよ? ほら、想像したら楽しいでしょ?」


……ドスン、ドスン。


 アイカがヒマリを必死に説得する最中も、重い足音は着実にアイカとヒマリに近づいてくる。


「ママッ……でも、ママは動けないでしょ? どうやってヒマリを探すの?」


 不安な表情を見せるヒマリに、アイカは横に転がる中華鍋に手を掛けて全力で笑顔を絞り出す。


「ふふ、ママは大丈夫よ。ほら、ヒマリが描いてくれたこの中華鍋。ママはこれがあればパワーアップできるんだから!」

「ママ……本当?」


「ええ、本当よ。ヒマリが描いてくれたこの中華鍋があるからママは大丈夫! だからっ、お願い! 隠れて!! じゃぁ、数えるわよ! ……いち、にー、さーん!」


「ママ、約束だよ! ヒマリ、一生懸命隠れるから……ちゃんと見つけてねっ!!」


……タッタッタッ!


 ヒマリはアイカのカウント開始とともに駆け出してその場を離れる。


「がはっ……はぁっ、ああぁっ!!」


 ヒマリが離れていくとアイカは、ヒマリの前では我慢していた強烈な痛みに耐えかねてうめき声を漏らす。


(ゴメン、ヒマリ……ママ、嘘をついちゃった。でも、ヒマリ……うまく隠れてね。きっとカルネが見つけてくれるから。でも……ママも諦めないわ。ちょっとでも、一歩でも……熊から遠くに逃げないと)


 アイカは立ち上がることができないが、動く手と足先を使ってぼやける視界の中で匍匐(ほふく)前進を始めた。すると……その時だった。


(えっ!? 何で!?)


 アイカの上半身が少し浮き上がった。そして、自分の上半身と地面の間に入る小さな身体の存在に感情が崩壊する。


「ヒマリッ!? ……どうして!?」


「ママッ! ヒマリ、分かるよ! ママは嘘ついてるもん! このままヒマリが隠れたら……ママはヒマリのこと、きっと探しに来てくれないもん!!」


(ああっ! ……ヒマリッ!!)


「んしょっ! ……んしょっ!」


……ズズズッ、ズズズッ。


 ヒマリの小さな身体がアイカの身体を少しずつ……少しずつ動かしてゆく。しかし、このままでは二人とも助からないと分かっているアイカはヒマリに声を上げる。


「ヒマリ! 何やってるの!? ママのことはいいからっ……一人で行きなさい!」

「やだっ! ヒマリ、ママと一緒じゃなきゃ嫌っ!!」


「ダメよ、ヒマリ! お願いっ! ママの一生のお願いよっ! 早く隠れて!!」


「やだっ! ママが一生のお願いって言うなら、ヒマリも一生のお願い! ママと一緒にいたい!!」


「そんなっ……ヒマリ! お願いだから行って!」


「やだっ! それに……ヒマリ、昨日ママと約束したもん! 『ママが怖いなら、私が守ってあげる!』……って!」


(……あぁっ! ヒマリッ!!)


 ヒマリは泣きながらアイカに叫ぶように答え、小さな身体で必死にアイカを運ぼうとする。ヒマリの言葉と行動にアイカの頬から大粒の涙がこぼれ落ちる。


……ドスン、ドスン。


 しかし無情にも重い足音は着実に近づいてくる。


(……ああっ、もうっ! 何でこんな時に私は動けないのよっ! カルネ! 神様! ……誰でもいいから! お願い! 誰か助けてっ!!)


 どうにもできない悔しさとヒマリの命の危機に……アイカの頬からは大粒の涙がいくつもこぼれ落ちていた。

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