↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/12

一撃の極意

表現って難しいですね。。。

消毒液の匂いが強い。


仮設の救護テントは、新宿地下坑道の封鎖線の外側に張られていた。陸の背中には張り薬が何枚も貼られ、右腕は簡易の固定帯だ。応急処置をした救護班には、歩けるなら歩いてもいいが、走らないように、と言われた。


『この程度の傷で走るな、だと? 笑わせる』


肩の師匠が、医療用のライトを無視して欠伸をする。姿も声も、陸以外には届かない。


「……病院へ行けって、班長が言ってました」


陸が、師匠へ——誰にも聞こえない声で——返す。


『封鎖が先だろうが。B級が穴の中で暴れてるのに、ベッドで寝ててどうする』


テントの外で、拡声器が鳴る。管理局経由でギルドの初動班は到着したが、B級を討てる等級の覚醒者が揃うまで正規突入はしない方針らしい。


「銀翼、先に逃げやがったらしいぞ」


誰かが吐き捨てるように言う。名前が、怒声に混じって聞こえた。


川瀬が、湯の入った紙コップを差し出す。手が、少し震えている。


「陸さん。本当に、ありがとうございました。……妹に、今日は遅くなるって連絡しました」


「無事でよかったよ。怪我はない?」


「はい。擦り傷くらいで大丈夫です。これ、お湯貰ってきました」


陸は湯を受け取る。熱が掌に残る。さっき、鉄棒に通した糸の感触に近い。


『いい顔だ。だが、まだ鱗に刃を通しただけだ。次は、急所まで届かせろよ』


——急所、か。


『鱗の継ぎ目は入口だ。本体は奥——眼の下、顎の内側。血管が寄っていて、魔力保護も薄い』


師匠は陸の指を掴み、自分の小さな胸へ押しつける。


『腹から、ここまで届かせろ。途中で散らすなよ。気は一点に集めろ。広げたら、ただの息だ』


テントの隅で、陸は座ったまま拳を握る。背中の傷が引きつるたび、腹から指へ通そうとする気の糸が細く揺れる。それでも、さっきよりは早い。


——届くだろうか。


と、そのとき、地面が揺れた。


封鎖線の向こうで、怒声と測定器の警告音が重なる。


「魔力反応が出口側へ移動! スタンピード手前の挙動だ!」


D級の穴から、B級が地上の側へ向かっている。新宿の地下は人の通り道だ。放置すれば、街側へ溢れてしまう。


拡声器が飛ぶ。


「一般作業員は退避! 初動班は待機!」


「B級対応が揃うまで突入するな! 戦力不足のまま動くな!」


銀翼はもういない。


陸は固定帯を外した。痛みで視界が白む。それでも立ち上がる。


「陸さん!?」


「下がってください。封鎖の外です」


川瀬が目を見張る。陸は自分でも、声が低いのに気づく。


『行くのか』


——はい、師匠。行きます。何もできないまま見てることなんて、できません。


師匠が笑う。今度は、余裕のある笑いだ。


『上等だ。死ぬか半死か——どっちに転んでも、退屈はしねえ』


陸は封鎖線の隙間を、作業員用の点検口から滑り込んでいく。警備の誰かが制止するが、もう遅い。坑道の湿気が戻ってくる。魔気が鼻の奥を刺す。


鋼鉄大蛇は、崩落した入口付近まで来ていた。


さっき、陸が刺した継ぎ目の鱗が、黒くひび割れている。怒りではなく、出口を探している動きだ。狭い通路が、巨体を苛立たせる。


『気づかれてない今がチャンスだ。眼の下——左』


手近にあるのは、崩落に巻き込まれたガードレールの破片だ。重い。清掃用の鉄棒より長い。


陸は、走らないようにという指示を破る。三歩。五歩。傷が開く。


腹の奥から指へ、糸を一本だけ通す。散らさない。測れないものを、測れないまま尖らせる。


大蛇が陸を見た。霊力0の人間など、餌にも満たないはずだ。なのに鱗の傷が、記憶を呼び戻すらしい。牙が開く。


陸は死角へ回り込む。牙の内側へ、ではなく、振り上げられた頭の下へ。


ガードレールの尖端を、眼の下の柔らかい窪みへ押し込む。


**ズブッ——。**


弾かれない。さっきは、弾かれる抵抗の向こうに、僅かな隙間を感じただけだった。今は、その隙間を割って、刃が内側まで入る。


気が一気に抜け、腕の骨が悲鳴を上げる。陸は離さない。体重を乗せ、ねじる。


大蛇が短く鳴く。尾が暴れる。天井が落ちる。


陸の喉から、短い声が漏れる。叫ぶというより、食いしばった息だ。


それでも尖端は奥まで入り、魔力保護の向こうで、何かが切れる感触がある。


巨体が、前のめりに崩れる。砂埃が立つ。


直後、測定器を持った誰かが、遠くで叫ぶ。


「反応……落ちた!? B級、活動停止!」


陸は膝をつく。ガードレールから手が滑る。血の味が口の中にある。


『……まあ、一撃としてはギリギリだが合格だ』


師匠の声が、少し掠れる。陸の気を導いたぶん、師匠の側も力が削れているらしい。


『届いただけだ。次は、もっと速く、もっと綺麗にやれ。自分を削って勝つな』


「……次も、あるのですか」


『弟子にした以上、最強くらいにはなってもらわなければ困るな。まだ入り口だ』


点検口の向こうから、ライトが差し込む。管理局とギルドの初動班だ。川瀬の声も混じる。


「陸さん! 陸さん!」


陸は片手を上げる。それが精一杯の合図だ。


「生存者確認! 救護に回せ!」


先に来るのは、救助の声だ。倒れた巨体と、膝をつく作業服——普通なら、被害者としか見えない構図である。


だが、測定器を抱えた男だけが、落ちた針から目を離さない。


「……おかしい。反応が落ちたのと、この男が点検口へ入ったの、ほぼ同時だ」


誰かが、短く息を詰める。


「中に正規の戦力は、まだ入っていない。……清掃員が、何かをしたのか?」


霊力を測れば、また0だろう。世間の目には、欠陥のままだ。


——倒せた。


陸は答えず、天井のひびを見る。壁の修復が、すでに黒い鱗のそばで始まりかけている。ダンジョンは、いつもの顔に戻ろうとする。


肩の師匠だけが、満足げに尻尾を振っていた。

続きが読みたいなと思ったら評価をお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。