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第3話 贈った物と貸した物は、同じではありません

「クロエ! 今すぐその手品を止めろ!」


私は《返却対象リスト》を閉じず、彼が言い終えるのを待った。


「婚約中に用意した物は共同財産だ。少なくともアーデン家への贈与だろう」


共同財産、贈与、黙示の合意。彼らしくないほど正確な言葉だった。


答えは、少し後ろに立つ男の胸元にあった。銀縁の眼鏡、細い革鞄、王都弁務士章。アーデン家の顧問弁務士として以前から財産管理を任されていた、テオドール・クレインだ。


クレインは私と目が合うと、礼だけをした。


「レーヴェン嬢。依頼人の不用意な発言は止めました。帰属が明白な賃借物と、贈与の可能性が争われる物を分けていただきたい」


こちらの言葉を理解したうえで、穴を探す相手だった。


私はリストに線を引いた。


「承知しました。会場との賃貸契約が私名義で、返却期限が本日中の物だけを戻します。婚約を前提に購入した装飾品は保留します」


「ほら見ろ。やはり君も間違いを――」


「違います。争いのある物を、力で決めないだけです」


私はゼノスへ、貸し馬車、銀食器、追加椅子、装飾燭台の番号を読み上げた。返却先は私の家ではない。それぞれの貸主の倉庫だ。


「自分の物にしないのか」


「借りた物ですから」


ゼノスは不満そうだったが、指定どおりに運んだ。


料理は残った。アーデン家が自費で用意した机も、会場そのものも消えない。借り物だけが戻るたび、披露会は本来の予算に見合う姿へ変わっていった。


ヴィクトルの親族が、私のリストを奪おうと手を伸ばした。


ゼノスが一歩出る。首筋に黒い鱗が浮き、巨大な翼の影が壁を覆った。男たちは尻餅をつき、会場の端で悲鳴が上がる。


「ゼノス、止めて」


影はすぐに消えた。誰も傷ついてはいない。


けれど、恐怖まで消えたわけではなかった。


クレインはずり落ちた眼鏡を押し上げ、震える指で紙を出した。


「今の現象と、会場内の財産移動について目撃記録を作成します」


彼は怯えながらも、書くことをやめなかった。


「記録してください。私が魔法を止めた時刻も」


クレインのペンが一瞬止まり、それから紙へ走った。


完全な勝利ではない。返せた物は返した。争いのある物は残した。そして私は、自分の選んだ手段が生んだ怖れを、いずれ説明しなければならない。


その時、薄紅色のドレスを着たセリアが進み出た。


「でも、このドレスとお母様の宝飾品は、私がもらったものよ。これだけは返さないから!」


首元には母の真珠の首飾り、胸元にはサファイアのブローチ。ドレスはレーヴェン家の費用で仕立て直され、金糸刺繍と宝飾の調整費用は私の口座から出ている。


「セリア。私はそれらを贈与していません」


「いつも私に譲ってくれたじゃない! 今日だけ貸してよ!」


自分の望みと、他人の所有を分ける発想が、彼女には欠けていた。


私は壁際の仕立屋へ向き直った。


「エルザ様。発注記録の確認をお願いできますか」


エルザは帳面を開いた。


「ドレス本体はレーヴェン家の支払いです。金糸刺繍と宝飾調整はクロエ様の個人口座から。ただし、刺繍はドレスへ縫い付け済みです」


私は母の遺品目録を重ね、新しい用紙を二つに分けた。


《返却対象》――私が単独相続した、着脱可能な首飾りとブローチ。


《除外対象》――費用負担が混在するドレス本体、縫い付け刺繍、父が家産と主張する衣装。


「エルザ様、確認の署名を」


彼女の署名を得てから、ゼノスへ一覧を渡した。


「首飾りとブローチだけを。肌にも布にも傷をつけないでください」


「ドレスごと移せば一瞬だぞ」


「除外欄を読んでください」


ゼノスは長い溜息をついた。


「人間は、返せる物を返さぬためにも書類を作るのか」


「返せるかではなく、返してよいかを決める書類です」


金具が小さく鳴り、首飾りとブローチだけが宙へ浮いた。セリアの肌にもドレスにも触れず、宝飾はゼノスの掌へ収まる。


鋼を潰せる指が、サファイアへ傷をつけないよう、ひどく慎重に小箱へ置いた。


その手元を見た途端、詰めていた息が静かに抜けた。彼は力の大きさではなく、私が指定した範囲の小ささを守ってくれた。


「どうして全部取らないのよ! みっともないじゃない!」


「ドレスは審理を待ちます。力任せには奪いません」


「貸してって言ってるの!」


「貸すかどうかを決めるのは、持ち主です」


私は小箱を閉じた。


「私はもう、あなたには何一つ貸しません」


父が怒鳴った。


「亡き妻の遺産はレーヴェン家のものだ! 当主として正式に抗議する!」


「どうぞ、法的な手続で」


私はクレインを見た。彼は恐怖を押し殺しながら、除外一覧と父の抗議を一字ずつ記録していた。


今日の記録が、いつか私へ向けられることもあるだろう。


それでも私は、動かさなかった物まで含めて、自分の判断として残すことにした。


「帰りますよ、ゼノス」


「在庫確認は終わったのだな」


「最初の分だけです」


私たちは、借り物だけが抜けた披露会場を後にした。

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