第21話 記録だけが、残ります
王宮大広間の中央に、三名の審理官が並んだ。商務監査官、王家法制官、国王任命の特別審理官。ローデリック様はその横に立ち、手続の進行と調書の管理を担う。傍聴席の最前列には、封印した王印箱を預かる国王の勅使が座っている。
申立人席には父、ヴィクトル、セリア。そしてテオドール・クレイン。
「まず、古竜を背景とする強迫について」
クレインは披露会の記録を読み上げた。
家具と調度が消え、着用中の宝飾が外れ、翼の影で招待客が動けなくなった。否定できない事実ばかりだ。
「この光景を見た取引先が、以後レーヴェン嬢の要求を自由に拒めたと、どうして言えるでしょう」
私は三つの記録を出した。
一つ目は《返却対象/除外一覧》。ドレス本体、縫い付け刺繍、父が家産と主張した衣装。ゼノスなら動かせたのに、帰属が争われたため残した物。
二つ目は王宮調書。謁見時の調書で、緊急防御と王宮監督下の公的執行を除き、私的な財産移動、商談、証拠収集に古竜魔法を使わないと宣言し、その日から今日まで一度も使っていない。
三つ目はグラーツ運送組合の営業記録。私の条件を拒否したあとも、報復を受けず通常営業を続けている。
「返せたのに返さなかった物があり、断って無傷だった相手がいます」
クレインは受付簿を示した。
「しかし古竜は商談室の外にいた。一階の待合であれ、存在自体が圧力です」
「王都にいることまで消すことはできません。だから私は、同席しない運用を記録し、魔法を止めました。恐怖が一度もなかったとは申しません。私が問われるべきなのは、その恐怖を使って選択を奪い続けたかです」
審理官たちは協議した。
審理長を務める王家法制官が告げる。
「披露会での威圧は不適切であり、魔法による初期移動には手続上の瑕疵がある。この点はレーヴェン嬢にも責任を認める」
胸が痛んだ。完全な無罪ではない。
「ただし、対象の意図的限定、王宮での停止宣言、拒否者の営業継続により、継続的強迫は認定しない。帰属確定物は、本裁定後の公的執行によって改めて移送する」
続けて、銀貨二十枚の科料と、開業後一年間、古竜が関与する業務について四半期ごとの報告義務が命じられた。初日の手続を誤った事実は、公的執行で直して終わりにはならない。
私は裁定要旨の余白へ、最初の報告期限を書き込んだ。
次に、ユリウス様の辞退届が開かれた。
辞退の経緯は、取引先離脱そのものではなく、古竜への恐怖が継続的強迫を生んだかという争点二の立証に直結するため、公開で扱われた。
審理官席の商務監査官が、商務監査局の調査担当二名による報告書を読み上げる。端緒は、私とオスカーが提出した商業信用保全台帳。西門信用院への限定照会で、クレインが証言要請当日に《係争協力時の担保再審査》を依頼していたことが確定した。
「古竜への恐怖が辞退理由だという申立人の主張は採用しない。辞退を促した圧力の出所は、申立人側弁務士である」
傍聴席がざわめく。
クレインは表情を変えなかった。
「違法な指示ではありません。係争へ関与する商会の信用を再検討しただけです」
「違法性を裁いているのではない」
私は彼を見た。
「ユリウス様が私を恐れて逃げた、というあなたの物語が事実かを確かめています」
クレインは初めて黙った。
最後の争点は、ユリウス商会案件の実績帰属。
クレインは《業務代理確認書》とヴィクトルの陳述を出した。
「青葉月九日に主要条件を指示した。確認書は十五日。契約は十七日。レーヴェン嬢は一貫してヴィクトル卿の代理です」
原本を開く前に、ローデリック様がヴィクトルへ確認した。
「九日、どこで、何を指示した」
「レーヴェン家の応接室で、三分割納品と東倉庫受入れを含む最終条件を指示しました」
「本陳述を調書へ固定する。原本開示後の変更は認めない」
ヴィクトルが署名した。
審理官席の商務監査官が、未開封の袋を切った。
受付簿。第一案。王軍補給局の使用解除通知。第二案。返信控え。内部会議記録。契約原本。
私は説明を飲み込み、先に彼へ問うた。
「ヴィクトル様。青葉月九日の時点で、東倉庫はまだ王軍補給局の使用中でした。早期返還が決まったのは十日です。九日に存在せず、使うこともできなかった条件を、どうやって私へ指示したのですか?」
「……何を」
審理官席の商務監査官が、十日夕刻の使用解除通知と第二案の発送印を掲げた。
解除通知を受けた翌十一日の内部会議で、三分割納品と東倉庫受入れが初めて起案され、その日のうちに第二案として発送されていた。
「王軍の早期返還を、九日の時点で誰から聞いたのですか」
ヴィクトルの唇が動く。声は出ない。
「ヴィクトル卿の日付の記憶違いにすぎません」
クレインは初めて声を強めた。
「口頭指示が確認書より前にあったという本旨は変わらない。九日という一点の誤りだけで、代理関係の全体を否定すべきではありません」
ローデリック様は、開示前に提出された陳述書と、先ほど固定した調書を並べた。
「九日は、原本の到達も内容も知らされる前に、申立人本人が選んだ日付です。さらに本日、具体的条件とともに確認し、訂正の機会を与えた。原本を見た後の変更は認めません」
クレインは調書へ一度だけ目を落とし、手元の書類を閉じた。
確認書の広い解釈を主張しても、原本の順序は変わらない。青葉月二日から十二日までの条件形成は、私と商会の往復だけで進んでいる。ヴィクトルを経由した記録は一つもない。
一方、十五日の確認書は無効ではない。十七日の契約締結、支払、履行事務はアーデン家の代理業務だ。
書面審理では、王宮の保全命令により男爵家帳簿の原本が開示され、オスカーの口座記録との照合で立替金額も確定した。
私の仕事だけを取り戻し、彼が実際に担った範囲までは奪わない。
三名の審理官が裁定書へ署名した。
国王の勅使が封印箱を開き、裁定書へアルベルト三世の王印を押した。
「主要条件形成をクロエ・レーヴェンの独立実績と認定する。初期移動の瑕疵は、公的執行により是正する。立替金、亡母資産、帰属確定物の返還を命ずる」
セリアは裁定書の実績帰属欄を追い、膝の上で両手を握って顔を伏せた。ヴィクトルの名から、私の仕事だけが外れていくのを見ていた。
「……私、何をもらったつもりだったの」
唇から落ちた声に、答える者はいなかった。
ヴィクトルは裁定書へ手を伸ばしかけ、「私が指示した仕事だ」と繰り返した。だが、いつ指示したのかを問われると、もう答えられず椅子へ沈んだ。
木槌が鳴った。
私は隣を見た。
ゼノスは一度も鱗を見せず、一言も挟まず、椅子すら軋ませていなかった。
「ありがとう」
「我は何もしておらぬ」
「それをしてくれたのです」




