第19話 台帳に、名前が残っていました
翌朝、私は食べられなかったパンを包み直し、銀行役人オスカーのもとへ向かった。
ユリウス様に「証言してください」と頼むためではない。
辞退届の《取引上の支障》という言葉が、商人本人の言い回しではなく、金融実務で使う定型句に見えたからだ。
「個別の融資条件は話せません」
オスカーは最初にそう断った。
「承知しています。知りたいのは金額ではありません。証言要請のあと、ハルト商会の信用情報に新しい照会が入ったか。その事実を王宮へ示せる公開台帳はありますか」
彼はしばらく黙り、商業信用保全台帳を開いた。
大口商会の決済停止や担保再審査を複数行へ通知する時、日時、発信元、理由の分類だけは共通台帳へ記録される。秘密なのは具体的条件で、照会の存在までではない。
証言要請が届いた日の午後。
ハルト商会に《係争関与を理由とする担保再審査》が入っていた。発信元は西門信用院。アーデン家へ短期融資を行っている金融機関で、申請代理人欄にはテオドール・クレインの名があった。
「これが、端緒です」
私は台帳の公証写しを求めた。
「王宮へは提出できます。ただし、ユリウス殿の融資内容を貴女へ開示することはできません」
「必要ありません。彼を守ったまま、圧力が存在したことだけ示せればいい」
その足で王宮へ行き、前日より狭い照会を申し立てた。
ローデリック様は公証写しを読み、今度は却下しなかった。
「対象を、西門信用院が出した再審査通知、その依頼者、日時、証言要請との関連に限定します。調査は王宮商務監査局が行い、私は内容へ関与しません」
「もう一件、《東倉庫分割納品案件》の商会原本について、提出命令をお願いします」
証人の記憶ではなく、通常業務で作られた受付簿、第一案と第二案の発送控え、私の返信受付、内部会議記録、契約締結記録。
王宮の命令なら、ユリウス様は融資元へ「自発的にクロエへ協力したのではない」と説明できる。
「認めます。ただし、倉庫に分散した原本が期限までに揃う保証はない。また双方が原本へ主張を合わせられないよう、到着の有無も内容も、開廷まで同時非開示とします」
私は頷いた。
タウンハウスへ戻り、婚約解消前の《東倉庫分割納品案件》の控えを時系列に並べた。
青葉月二日。主輸送業者が撤退し、再交渉が始まる。
三日から八日。ヴィクトルは王都外。
七日。私が第一修正案を送る。
九日。彼が帰京し、私と面会した唯一の日。この時点で、東倉庫は王軍補給局への貸与期間中だった。
十日夕刻。王軍補給局が東倉庫の早期返還を決定し、使用解除通知がユリウス商会へ届く。
十一日。ユリウス商会が解除通知を受けて内部会議を開き、三分割納品と東倉庫受入れを含む第二案を発送。
十二日。私が回答。
十五日。《業務代理確認書》へ署名。
十七日。アーデン家名義で契約締結。
二十三日。婚約解消。
ヴィクトルが九日に何かを言った可能性までは否定できない。
だが彼の陳述には、三分割納品と東倉庫受入れを九日に指示したとある。
その条件を、私は十一日付の第二案で初めて見た。九日には東倉庫を使えず、早期返還の決定自体がまだ存在していない。
自分の記憶だけでは足りない。王軍補給局の解除通知と商会原本が届かなければ証明できない。
勝ち筋ではない。勝ち筋になり得る場所を見つけただけだ。
ゼノスは机の向こうで、私が置いた紙へ一枚も触れずに待っていた。
「今度は、何をすればよい」
「王宮の証拠庫を感知しないでください。原本が届いたか知っても、私に教えないで」
「知らぬまま待て、と」
「はい」
彼は目を閉じ、己の魔力を内側へ沈めた。
「承知した。汝の知らぬことを、我も知らぬままでいる」
公開審理の前日、王宮鐘が五つ鳴った。
提出期限は過ぎた。
何が届いたのか、私には分からない。




