第14話 妹は、古竜まで譲ってもらえると思ったようです
私が「ゼノスを紹介してほしい」という呆れた手紙を机の引き出しにしまってから、わずか翌日のことだった。
「お待ちください、セリア様! クロエ様は現在、お仕事の整理中で――」
「いいのよマーサ、お姉ちゃんなら私を歓迎してくれるわ!」
エントランスでの老侍女の制止も聞かず、タウンハウスの応接室にずかずかと上がり込んできたのは、妹のセリアだった。
彼女は新しいドレスに身を包み、自信に満ちた華やかな笑みを浮かべていた。私の顔を見るなり、何の悪びれる様子もなく言い放つ。
「お姉ちゃん、手紙読んでくれた? あの古竜様、今日はどちらにいらっしゃるの?」
「……セリア。突然押しかけてきて、どういうつもりですか。私は手紙に返事を出していませんよ」
私がペンを置いてため息をつくと、セリアは不思議そうに首を傾げた。
「だって、お姉ちゃんはいつも仕事で忙しいじゃない? だから、私が代わりにおもてなしをしてあげようと思って来たのよ。ヴィクトル様の時もそうだったでしょ。お姉ちゃんは裏方の方が向いてるし、私の方が社交で役に立つんだから」
めまいがしそうだった。
彼女の頭の中では、ヴィクトルとの婚約を奪った時と全く同じ論理が働いているのだ。姉は実務が好きだから、目立つもの、華やかなもの、愛される役目は自分が引き受けてあげるのが「家族としての適材適所」なのだと。
「古竜様とお近づきになれれば、アーデン家とレーヴェン家にもすごく利益になるってお父様も言ってたわ。だから、お姉ちゃんから彼に口利きをして、私に譲ってちょうだい」
これまで、亡母のドレスや宝飾品を「譲って当然」と持ち出された時、私はその無神経さに苛立ちながらも、怒りを事務的な処理へと変換してきた。
だが、今のセリアの言葉には、視界がチカチカするほどの強い怒りが湧き上がった。
「セリア」
私の声は、ひどく低く、冷たかった。
「彼は、便利な所有物でも、私を飾るための装飾品でもありません。意志を持った私の契約相手です」
「え……?」
「あなたのように、人を『家の利益のための道具』や『譲ってもらえる物』としてしか見られない人間に、彼を紹介することなど絶対にありません。彼は、誰に譲るような物ではないのです」
私は明確に、そして完全に彼女を拒絶した。
セリアは一瞬怯んだものの、すぐに不満げに唇を尖らせた。
「どうしてそんなに意地悪するの? お姉ちゃんなら、家族のために協力してくれてもいいじゃない!」
「騒々しいな」
応接室の奥の扉が開き、長身の影が滑り込んできた。隣室で気配を消していたゼノスだった。
黒曜石の髪と金の瞳。その人間離れした圧倒的な美貌を目の当たりにし、セリアはパァッと顔を輝かせた。
「あ、あなたがゼノス様ですね! 初めまして、クロエの妹のセリアです。お姉ちゃんは不愛想で退屈でしょう? 私なら、古竜様に何でもして差し上げられますわ!」
セリアは持ち前の愛嬌を振り撒きながら、ゼノスへと一歩近づいた。彼女は、相手が誰であれ、自分が微笑めば言うことを聞いてくれると信じているのだ。
「何を贈れば、私を好きになってくださいますか? 美しい宝石ですか? それとも、美味しいお食事? お望みなら、豊かな領地だってご用意してみせます!」
私は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。国家災害級の古竜を相手に、領地だの宝石だので買収しようとするなど、命知らずにもほどがある。
ゼノスはセリアの言葉を最後まで聞き、そして、路傍の石ころでも見るような目で彼女を見下ろした。
「……人間の集める光る石や、狭苦しい土地など、我が宝物庫の隅に転がる屑石にも劣る」
「えっ……」
「それに、汝は大きな勘違いをしているな。我は『譲られる』ような物ではないし、誰でもよいわけではない」
ゼノスはセリアへの興味を完全に断ち切るように視線を外し、私の隣へと歩み寄った。
そして、私の目だけを真っ直ぐに見つめ、あの地鳴りのような深く重い声で言った。
「我は、クロエが自分で選んだ隣にいる。我が己の意思で選んだ『唯一の宝』は、クロエだけだ。他の何者にも譲る気はないし、他の何者も、我の宝物庫には入れん」
胸の奥の何かが、逃げ場を失って大きく揺れた。
以前、王宮の回廊でヴィクトルに向けて放った言葉とは違う。これは他者を威圧するための宣言ではなく、私という個人に向けられた、明確で決定的な『選択』の言明だった。
セリアは信じられないものを見たように、顔を真っ赤にして叫んだ。
「どうして!? お姉ちゃんなんて、古竜様のために何もしていないじゃない!」
「何もしていない、だと?」
ゼノスは静かに振り返り、セリアを射抜いた。
「クロエは、国を滅ぼせる我を前にしても盲従せず、恐れずに条件を課した。そして我が課された条件を守る限り、我を理不尽な兵器としてではなく、対等な盟約者として扱い、普通の茶を出し、ただ隣で話を聞いた」
ゼノスの言葉が、応接室の空気を震わせる。
「力を恐れる者は数多いた。力を利用しようとする者も数多いた。だが、我を一つの存在として尊重し、その気高さをもって接した人間はクロエだけだ。その振る舞いそのものが、我にとって世界にただ一つの価値なのだ」
私は返す言葉を失った。
私が当たり前だと思ってやっていたこと。
業務の条件を定義し、禁止事項を設け、冷静に対処すること。
私が家族から「可愛げがない」「理屈っぽい」と疎まれ、自分でも価値があると思っていなかった私の人格そのものが。
彼にとっては、私を選ぶ決定的な理由だったのだ。
「そんな……そんなの、おかしいわ……」
セリアの目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
彼女の「姉のものは譲られる」「愛嬌があれば手に入る」という幼稚な価値観は、古竜の絶対的な価値基準の前に完全なる敗北を喫した。彼女の人格を物扱いする論理は、ゼノスにも、そして私にも、二度と通用しない。
セリアは両手で顔を覆い、しゃくりあげながら応接室を飛び出していった。
私はそれを止めることなく、ただ静かに見送った。
「……ゼノス。あんなにはっきりと言ってしまって、よかったのですか」
嵐が去った後の静かな部屋で、私は彼の目をまともに見返せないまま尋ねた。すると、ゼノスは当然のように頷いた。
「事実を述べたまでだ。我は嘘をつかない」
そのまっすぐな視線を受けると、胸の奥に静かな確信が満ちた。彼が私を選んだという事実を、私はもう疑わなかった。
その夜、マーサが仕入れ先から奇妙な噂を耳にして帰ってきた。
アーデン家で、ヴィクトルとセリアが激しい口論を起こし、屋敷中に怒声が響き渡っていたというのだ。
『なぜクロエからの支援がないのだ! 君が何とかしてくれると思ったから婚約したのに!』
『私だって、あなたが有能だからお姉ちゃんがいなくても大丈夫だと思ってたのに!』
私が実務から手を引いたことで、彼らが互いに相手の能力だと勘違いしていた「私の無償支援」の不在が、いよいよ隠しきれない破綻として表面化し始めたのだった。




