急転
TKOは指定された銀座のホテルにやって来ると、誰かと待ち合わせしているらしい客たちがソファのところにいるロビー・フロアを通り抜けた。そして、その足でエレベーターに乗った。
七階の廊下を歩き抜け、704号のそのドアをノックする。すると部屋の中から鍵が開けられ、篠田の手によって少しだけドアが開けられた。室内に入ると、篠田はシャワーを浴びた後なのか?純白のバスローブの姿だった。
それに目をやって、彼女の前を通り抜けたTKOが、からかうように不躾に言った。
「前もってシャワーを浴びていたのか?準備が良いな」
篠田は腹が立って、TKOの背中を小突いた。それから空蹴りして、逢ったことを後悔するかのように吐き捨てた。
「あんな電話。するんじゃなかった」
するとTKOが振り向いて、滅多に見せない真剣な顔付きになって訴えた。
「お前から電話が来て、嬉しかったよ。俺は喜んで逢いにきた。お前のことを抱きたいと思ってさ。お前とのセックスに夢中になって、ちょっとの間で良いから、ひとつになっていられたらってさ。・・・俺だって心の中がズタズタなんだ。ここのところの一連の事件でさ。お前だけじゃない。俺だってまいっているんだ。・・・」
「何よ?突然、どうしたの?・・・あなたを怒らせるようなことは言ってないわよ」
篠田はTKOの急変を見て、驚き慌ててうろたえて立ち尽くした。それでもTKOの心の吐露は治まらなかった。
「犯人グループはどこにいるんだよ?どうやって女たちをさらって行くんだ?どこへ?何のためにだよ?・・・被害者たちの一人ひとりには家族がいるんだ。娘を失って悲しむ家族がさ。俺はどうやってそんな家族に報いれば良いんだ?それには女たちを見つけ出し、犯人たちを取っ捕まえることしかない。・・・そうだろ?」
よほど精神的に追いつめられているのか?篠田はTKOのそんな縋るような顔付きを見て、辛いのは自分だけでなく、TKOも同じように救われたいと望んでいることが分かった。それが分かって、彼の体を自身の胸に抱き寄せて、同情を示した。
「分かっている。分かっているわ。・・・あなたたちなら、きっと犯人たちの居所を見付け出せるから。そうなったら犯人たちは一網打尽だわ」
篠田はそう言ってTKOをなぐさめて、励ました。そして震える彼の体を強く、しっかりと抱き締めた。TKOは篠田の頭に頬を擦り寄せ、目頭が熱くなった。震えをこらえて、自身に言い聞かせるように訴えた。
「俺には恐いものなんてない。俺が信じる正義がある。・・・相手が鬼だろうと、何処にいるのかさえ分かれば、半殺しにして、必ず取っ捕まえてやる。・・・それじゃあ犯人たちは何処にいるんだよ?海の何処かか?それとも海の向こうかよ?」
篠田は彼が落ち着いてくれるよう彼の頭を優しく撫で、愛おしく、自身の額をその頬に擦り寄せた。それから彼の頬に両手を添えて、互いが報われ、それぞれの願いが叶えられるよう祈りを込めて額と額とを重ねた。
シャワーを浴び終え、TKOがバスタオルだけを腰に巻き着けてバスルームから出てきた。そんな彼の裸体を見つめて、篠田は急に恥ずかしくなった。TKOの引き締まった上体には、噂に聞いていた通りに真っ赤な肌をした金太郎と鯉の滝登りの和彫りの刺青が施されている。ちょっと奇妙な威圧感を称えてはいるが、色味が渋くて芸術的で、それは本当に美しい絵柄だ。
「話には聞いていたわ。・・・あなたのその刺青。想像していたより、ずっと綺麗なのね。凄い迫力がある。・・・」
「・・・滝川に聞いていたのか?」
「ええ。あなたのことに興味があったから」
それに、わずかに茶色っぽい瞳を持った鷹のような顔立ちが、案外と二枚目だと思えた。篠田がそんな風に思って、薄っすらとその顔をほころばせた。TKOはそんな彼女を見て、口元に笑みを浮かべ、改めて彼女の気持ちを確かめた。
「・・・覚悟は出来ているよな?」
「ええ、大丈夫。・・・大丈夫よ」
篠田はそう言って、勇気を出してTKOの正面に立つと、金魚のように唇で啄むソフト・キスを彼の唇に重ねた。TKOも唇を寄せ、互いの唇を撫でるように滑らせて同じようにソフト・キスを彼女へと返した。
・・・これは元来、性交渉に比較的淡白な日本人にとってはたいして不都合ではなかったが、2017年に世界的に蔓延した新型インフルエンザが発祥となって口内ヘルペスが唾液感染することが分かり、厚生省からの厳重注意もあって、日本人は感染の危険性からほとんどディープ・キスをしなくなった。それによってセックスの概念は子孫の繁栄のためとも愛欲を満たす行為ともいえず、男女の間に、人によっては同性の間に不具合な距離感を生じさせていた。
それでもシャンプーの匂いが香しい清潔にして滑らかな篠田の体を間近にして、TKOの男根は自ずと固く勃起していた。篠田が頬や首筋や肩に舌と唇を這わせて、啄むように口付けをくり返した。それから、TKOの上を向いて突き立った男根を手に掴み、ゆっくりと揉みしだいて、張り詰めた男の熱源の感触を手の中に楽しんだ。
自ずと二人の欲情は高まった。TKOは両手で篠田のローブをはだけると、贅肉の薄いくびれた腰までを剥き出しに、露わになった両の乳房を舌と唇で酔うように味わった。
篠田は肉体の内側を突き抜けて走る痺れるような快感に、吐息を弾ませ、全身を熱っぽく火照らせた。茂みを短く整えた花弁からは愛液が溢れ、太腿の内側に雫が滴るのを感じていた。するとTKOは、尻から太腿をおもむろに持ち上げて、彼女の体をしっかりと抱き上げてその部屋をベッドへと移動した。そして篠田の裸体をベッドに放り投げ、仰向けに横たえた。
TKOは彼女の近くに両手を着くと、瞳が潤んだ彼女の不安げな表情を見下ろした。
「・・・どうした?緊張しているのか?」
「ええ。あなたみたいに野性的な男の人って初めてだから」
「俺が野性的か?」
「そうよ、・・・野性的」
「俺はそんなに野性的じゃないよ。普通に日本の男らしく生きているだけだ」
篠田がそれを聞いて、冗談っぽく唇に笑みを浮かべた。
「サムライってわけね?」
TKOは小さく頷いて、篠田の膣口に男根の先端をわざとらしく宛てがった。彼女の膣口は蜜のような愛液でたっぷりと濡れて潤っていた。
「まあ、そんなところだな」
そう言うと、TKOはゆっくりと腰を押し入れた。ヌルっと滑って、彼の男根が彼女の締まった膣内に収まった。篠田はその時、小さく仰け反って「アァッ」という声色の高い喘ぎ声を上げた。
TKOは彼女の反応を確かめて、膣の深くまでゆっくりと、何度となく腰の抜き差しをくり返した。ためらいの中に忍ばせていた愛欲が、歓びとなって膨らんだ。快楽は膨らむと勢いを増して、目一杯に張り詰めて、やがては弾けてとめどもなく溢れ出した。
篠田はそうして歓びに喘ぎ、悶えながら官能の海原へと泳ぎ出した。それからと言うものはTKOの突き刺すリズムに上体を揺さぶられ、体内を貫く振動に酔い痴れて、彼女は求めに応じて体位を変えて、官能と快楽の深みへと溶け入った。
全裸になったTKOは鋭利な刃物のように鍛え上げられていてタフで、女との経験も世界を股にかけて豊富だった。リードも自然で、それでいて露骨だ。そんなTKOが相手では、肉体を露わに、否が応でも欲情をさらけ出し、篠田の心に膜のように張っていた恥じらいなどは何の役にも立たなくなった。そして篠田は溢れ出した情欲の嵐に巻き込まれ、彼が攻めるに任せて陶酔の大洋へと導かれていった。
それが愛ではなく、慰めの行為だとは分かっていた。現代の『シティ』で本当の愛を見付け出すのは、とても容易なことではない。それでも限られた時間とはいえ、篠田は逞しいTKOに抱かれて、滅多に得ることのない豊穣な幸福感を味わっていた。
TKOと篠田は全裸のままで、心と体を存分に解放できたという満足感に浸って、安心し切ってしばらくの間をうたた寝に落ちていた。すると唐突に、TKOのハンディコムに着信音が鳴った。
TKOは目を覚まし、手の平で顔を擦って、モニターに発信元を確かめた。発信元はなぜか聖マリア病院の外科病棟だった。それを見てTKOは投射モニターを起こし、通話パネルをタッチした。するとモニターには当直らしい白衣のナースのその顔が映り、小さく一礼した。
「鬼方さんのお電話ですか?」
TKOの名前は鬼方多生男。多生男とはいくつもの生命を持つ者を意味していて、健康を願って名付けられたものだ。TKOがそれに頷いた。
「ああ。そうだ。どうした?」
「私は聖マリア病院、外科病棟の当直ナースの間宮といいます。鬼方さんにとても良い報告があります。集中治療室にいる滝川さんが先ほど昏睡から目覚めました」
「何だって?それは本当か?」
傍らで目を覚ましていた篠田も、それを聞いて表情を明るくした。ナースの間宮が、明瞭な顔付きで頷いて続けた。
「はい。彼はしっかりと目覚めています。それでですね。じつは滝川さんがとにかくあなたに面会したいとおっしゃっているので、夜分にこうして連絡を入れました」
「滝川が俺に会いたいっていうのか?奴は喋れるのか?」
「はい。少しまだ辿々しいところがありますが。・・・明日になったら、改めて精密検査を行います。それでも滝川さんの意識は非常にハッキリとしています」
「そうなのか。分かった。それじゃあ、今すぐそっちに出向くよ。俺は今、銀座にいるから、滝川にそう伝えておいてくれ」
「承知しました。それでは救急口を通って病棟にいらしてください。警備の者には、そのように伝えておきます」
「わかった。救急口だな」
「それでは、お待ちしています」
ロベルトからの呼び出しなら、すぐにでも出掛けるべきだ。TKOはナースの一礼を見届けて、ハンディコムの通話を切ると、上体を起こした篠田と顔を見合わせて安堵を称えて頷き合った。それから乳房を無防備に晒している篠田の姿に気が付いて、名残惜しそうにそれに目をやって、今一度、彼女を抱けなかったことを残念に思った。
すると篠田がそんな視線に気が付いて、頬を赤らめ、片方の腕で両の乳房を恥ずかしそうに隠した。
「どこ見ているのよ。エッチ。男の人って、・・・」
篠田にそんな風に指摘され、TKOはさっきまで二人で真っ裸になってセックスをしていたじゃないかと、呆れ顔になって首を傾げてみせた。すると篠田が白々しい顔付きをした。そんな態度に、TKOはやり切れなさそうに溜め息をついた。
「そうかよ。分かったよ。俺たちには何も無かって言うことだな」
TKOはそう言うと、ベッドの上掛けを力一杯に引っ張って、フロアに立ち上がって、一物をわざとらしく篠田に見せつけた。すると篠田は上掛けを失って、枕を抱いて裸体を隠し、慌てて近くにあったバスローブに手を伸ばして膨れっ面になった。TKOは鼻で笑って全裸のままで、一人でシャワーを浴びようと悠々とバスルームに歩き出していった。
可愛い篠田が相手であっても、愛の無いセックスである以上、それはどこまで行ってもストレス解消するためのエクササイズのようなものだ。特別な思い入れが無いため、一旦、気持ちが冷めてしまえば、あまりに軽く、ちょっと虚しい刹那さが否めない。
TKOは取り急ぎシャワーを浴び終え、一足先にホテルから出てきた。カフェイン・シガレットを口にくわえて、簡単に周辺を見て回った。それからエアロ・バイクに跨がりながら警視庁からの最新情報をハンディコムのネット上に確認した。有明で失踪した秋川芽以は依然として行方不明の状態だ。公園内で見付かった彼女のハンディコム以外、他には何も遺留品が見付かっていない。目撃者がまったくおらず、厳密にいえば、いつ、どのように姿を消したのかも分からない、さながら神隠しの様相だ。犯人グループを捕らえるためには、とにかく奴らの素性を明らかにして、多国籍の人々が住み着いて複雑化した『シティ』の街中に、なんとか奴らの居所を突き止めるしかない。
すると身なりを一通り整えて、ロビーに降りてきた篠田が、カード・キーをフロントに預け、エントランスを小走りに通り抜けてきた。そして通りの脇に駐車しておいたエアロ・バイクの後部座席に跨がった。
TKOは腰を掴んだ篠田に頷いて、アクセルを軽く絞って、エアロ・バイクを低空に浮上させると、そのまま聖マリア病院がある汐留を目指して軽やかに走り出していった。銀座8丁目から汐留は、ちょっと飛ばせば10分ほどで到着をする距離だ。
TKOと篠田はエレベーターに乗り込んで病院内を上昇すると、入院患者たちが寝静まった真夜中の外科病棟のフロアに到着した。それからナース・ステーションで出迎えたナースの間宮に声を低く挨拶すると、正面側にある扉のない、暗いICU(集中治療室)の室内へと足音を静かに入っていった。
滝川はベッドに横たわったままうたた寝をしていたのか?静かに瞼を閉ざしていた。それでも室内にやって来た人の気配を感じると、薄っすらとその目を開けて、心配そうな顔付きになった篠田とTKOのその姿を見定めて言った。
「やあ。・・・やって来てくれたか。・・・」
「ああ、ロベルト。気分はどうだ?大丈夫なのか?」
TKOがそう言って小声で尋ねると、小さく頭だけで頷いて答えた。
「まあ、何とかな。・・・どうやら死んではいなかったようだな」
それからTKOの傍らにいる篠田を見て、怪訝そうに尋ねた。
「どうして、篠田がここにいるんだよ?・・・お前はまた勝手に、」
TKOはその質問に、少しばかり答えあぐねた。
「いいや。あんたが意識を取り戻したって言うからさ。だから一緒に来ただけだ。俺たちはほら、あんたが傷付いた事件の当事者だろ?」
話は道理を得ていない。すると篠田が助け舟を出すように、わざとらしく相槌を打った。
「そうですよ。あの時、私たちは一緒にいたわけだから」
「こんな真夜中にか?」
それでも疑う滝川に、篠田はなんとか説得を試みた。言葉の半分は出任せだが。
「二人で滝川さんの容態を心配していたんです。だから時々会って、話をしていて。早く意識を取り戻してくれないかって、・・・いつも、そんな風に」
「そうだったのか。まったく俺としたことが。・・・心配をかけさせて済まないな」
TKOは意識がはっきりとした滝川の状態を見定めて、安心して、篠田と微笑んで頷き合うと、そんな滝川に改めて尋ねた。
「ロベルト」
「何だ?」
「俺に会いたいって用件は何だ?どうして俺に一番に会いたいって思ったんだ?」
「ああ。そのことか。・・・俺が最後に一緒にいたのはお前だった。てことは、俺がまだ生きているのは、お前の助けがあってのことだろ?・・・とにかく一番に、お前の顔が浮かんだんだ。・・・だから、お前といくつか話をしておきたいと思ってさ」
「何だ、そう言うことか。・・・分かったよ。話し相手ならいくらでもなってやる」
TKOがそう言って、気安く微笑んだ。滝川が尋ねた。
「なあ、TKOよ」
「何だ?」
「どうしてお前は、あんな風に臨機応変に振る舞えるんだ?・・・あの時だって、奴らに先手を打たれていたはずだ」
「それは俺が戦場にいたからだよ。俺が兵士だったからだ。・・・戦場ではいつだって、どこからだって死はやって来る。だから、いつもどこかで神経を尖らせているんだ」
「どうしてお前は兵士になったんだ?どうして過酷な戦場に出向いたんだよ?」
「高揚感とか興奮とか。敵兵と向き合って自分の手で勝利するスリル。ほとんどの兵士たちならこんな風に答えるかも知れない。・・・俺の場合はちょっと違った。俺は子供の頃から他の連中とはちょっと違ってさ。なんて言うのかな。奇妙に敏感で。物事の本質ってやつが直感的に分かってしまっていた。精神科学の分野では『インディゴ・チャイルド』って呼ばれる類いらしいけどさ。・・・群がって生きている日本人の嘘っぽさが嫌でさ。俺の目には大義が無く、ずいぶんと曖昧に群がっているように見えてさ。まるでヌーかアザラシのように見えていた。日本の社会ってやつは、子供の頃からそんな群れで作られている。俺は、意味もなく群れている連中がとにかく嫌いだった。・・・俺があんたと気が合うようになったのも、あんたのバックボーンがそこらの日本人とは違っていたからだ。混血だもんな」
「なるほど。そう言うわけか」
滝川がそう呟いて、納得したように微笑んだ。TKOはわざとらしく笑って、頷いて続けた。
「それに、母親が無学でヒステリックだったんだ。・・そうさな。俺が兵士になって求めていたものは『静寂』だった。戦闘の前の戦場は静かだった。それがなんたって落ち着いていられた。兵士たちが緊張感を保って厄介な事態に備えている場所だ。・・・戦場にいる時に、銃を持った敵兵や格闘術の強敵と向き合うと、外界にあったすべての物音や沸き立っていた不安感が消え去ってしまう。静寂だけに包まれて、時間が淡々と過ぎ去ってゆくんだ。そんな間は心が平穏そのものでいられた。・・・」
滝川はTKOのそんな告白を聞いて驚きを感じた。そして改めて自身の考えを伝えた。
「俺は警察に入って何百人もの刑事や警察官たちを見てきた。連中はいつも同じだった。連中が求めるのは、犯人を逮捕して終わりだ。・・・だけど、お前は違ったな。犯人を見て奮い立った。悪を憎しみ、犯罪そのものに怒りを覚えていた。・・・それから、もうひとつ。リスクを恐れないのは誰なのかってことだ。・・・そいつはお前だった。公務員ではないってことが、一番の理由かも知れないけどさ。だけどお前は自分の手で凶悪犯罪に立ち向かうべく民間のオフィスを作った。普通なら余計なトラブルには触れない方が安全だって逃げ出すはずだ。それが日本人の本質だろ」
篠田がそれを聞いていて、頼れる眼差しでTKOの横顔を見つめた。すると滝川が、警察が極秘にしている、とある事件の内容について告白を始めた。
「じつはな。今回の事件が表沙汰になる少し以前の話だが。俺にはひとつ気になっている事件があるんだよ。いまだに解決されていない事件なんだが。・・・去年の五月に天王洲で若い女が殺害をされた。死因は出血多量によるショック死だった」
「そんな事件があったのか?・・・おかしいな。俺の記憶には残っていないが」
「そうだろうさ。世間に与える影響が大き過ぎるってことでな。事件の詳細が伏せられていた」
「なんだよ、それは?今の時代にそんなことが出来るのか?」
「今の時代だから出来るんだ。大手のメディアはコネで出来ているようなものだ」
どこまでこの国の構造は腐っているのか?TKOはそれを聞いて、心の底から呆れ果てた。それから不愉快さを噛み殺し、滝川に尋ねた。
「それで?それはどんな事件だったんだ?」
「被害者は二十三才になったばかりの女だった。・・・表にされなかった事件の詳細についてだが、遺体からは臓器の一部が、いわゆる子宮の全体が取り除かれていた。遺体を解剖した検死官の見立てでは、被害者は生きている間に子宮を摘出されたってことだった。犯人は生きている女の下腹をかっ捌いて、子宮を取り出したんだ」
事件の犯人は、被害者が生きている間に女性の証ともいえる子宮を取り除いたというのか?しかし、いったい何のためにだ?・・・事件のあまりの残虐さを聞いて、TKOは同じ子宮を持った女性である篠田と顔を見合わせて、その顔をしかめた。すると滝川がそんな二人を見て、理解に苦しむように話した。
「なっ。何のためにだよ?・・・どうしたって奇妙だろ。犯人の目星は、医療関係者の可能性が強いってことだけで皆目見当が付いていない。それに失われた子宮は、今も発見されていない」
TKOがそんな話を聞いて、滝川に尋ねた。
「そいつが今回の事件と関係があるって思うのか?一連の事件の前触れだって考えているのか?」
滝川がTKOの疑心案着の顔付きを見て、それはもっともだと頷いた。
「分かっているよ。・・・事件は殺人事件と拉致事件で、まったく内容が違う」
それでも胸の内側に強く引っ掛かっているわだかまりを、TKOに伝える。
「だけど、未解決だってところを考えてみてくれ。・・・何かの都合で犯人たちの行動が変わっちまっただけなのかも知れない。・・・事件は時間の経過をさかのぼって、去年の7月じゃなくて、5月に始まっていたのかも知れない」
それから1時間近くをTKOと滝川は、かいがいしく世話をしてくれる篠田を交えて様々な話をした。
すると滝川は、意識を取り戻してまだ間も無いせいか、次第に疲れて、ぼんやりと目を瞑って、ウトウトし始めるようになった。
TKOがそんな滝川を見て、傍らの篠田に小さく耳打ちをした。
「そろそろ、ここを離れた方が良さそうだ」
「そうですね。それじゃあ、あなたは先に帰ってください。私はもう少しここにいて、彼の身の回りを整理してから帰ります」
「そうか。それじゃあ俺は帰るよ。目を覚ますようなら、そう言って伝えてくれ」
「分かりました」
篠田がそう言って、TKOと相槌を打ち合った。するとTKOが小さく唇を歪めて、ほくそ笑んでみせた。そんな風にしてちょっと意味深に促した。
「なあ」
「何です?」
「良い体だったよ。今夜は気持ち良かったぜ」
「何を言って・・・」
篠田は突然何を言うのかと、あまりの恥ずかしさに言葉を失って膨れっ面になった。TKOは冗談っぽく腕を回して、そんな篠田の肩を抱き、そのまま軽く手を振って、人気の無い廊下へとひとり歩き出していった。そうして振り返ることもなく、マット・ブラックの膝上丈のダウン・ジャケットを身に着けた。
TKOは個性が強くて厄介な男だが、なにより天賦に恵まれて、人より何倍も魅力的だった。篠田もそんなTKOに全裸を晒して、愛欲を分かち合ったことをまったく後悔していなかった。そう思って呆れたように首を振って、歩き去ってゆくTKOの後ろ姿を見送った。そして気分を入れ換えて室内に戻ると、朝になったら病室に移れるよう滝川の着替えをバッグに詰めて、身の回りにある品物を簡単に整理した。
しばらくすると、眠る滝川の瞼の下の眼球が動き出し、静かだった呼吸が乱れて脈拍が小刻みになった。そんな変化が心電計に表され、篠田はそれを見て珍しく思った。
「あら。この人、夢でも見ているのかしら?・・・なんだか羨ましい」
篠田はそんな滝川の寝顔を見つめて、自分もたまには夢を見てみたいと感心した。そう思って羨むように微笑んだ。現代の日本人には、目の前にある現実があまりに複雑になり過ぎたせいか?寝ても上手く夢を見ることが出来なくなっていたからだ。
水滴がしたたる洞穴のその奥の暗闇には、唸りが混じった獣のものらしき掠れた呼吸音が低く漂っていた。ところが、その姿は闇中に一向に見当たらない。すると天井岩にぶら下がっていた大きな影が、中空にゆるやかに半転しながら地面へと降り立った。その影は猫背だが異様に長身で、2メートルを優に越える身の丈だ。眼光が金色に輝いて、その影は翼を揺すぶると、膝を曲げながらノシノシと歩き出した。そして洞穴の入り口にやって来ると、背伸びをするように翼を目一杯に後方に開いた。
下方には鬱蒼とした森林が茂り、谷間にある山里を遠方に眺めて、月の光に濡れるように見渡す限りに艶めいて広がっていた。
奇怪な影は腰を低く身構えて踏ん張って、両の翼をバサバサと羽ばたいた。そして地面を踏み切ると、そのまま低空に満月が浮かんでみえる漆黒の夜空へと一気に飛び立っていった。その姿は全身が短い剛毛に覆われて黒光りしていて、大きくて尖った翼を持って、顎の骨格が前に突き出した、見るも醜悪な『人コウモリ』そのものだ。
TKOは唐突に、大気にそんな不可解な違和感を感じ取った。その時、TKOは恵比寿を目指して溜池の交差点を左折して、エアロ・バイクを六本木通りから飯倉片町方面へと走らせていた。すると突然、左手首のハンディコムにスカイプの着信音が鳴った。それにシンクロして、バイクのフロントの投射モニターが立ち上がった。発信元はアメリカのロサンゼルスにいるリアナ・ショウからだ。TKOはそれをモニターに確認して、バイクを滑らかに路側帯に停めることにした。
それから唇に笑みを浮かべて、通話パネルにタッチした。すると投射モニターが鮮明になって通話モードに切り替わり、リアナが笑顔で話しかけてきた。
「ハロー、TKO。元気にしている?会いたいわ」
「おお、リアナ。嬉しいね。そっちはどんな様子だ」
TKOはリアナの表情をモニターに見て、心が躍るのを感じた。リアナはグレイの瞳とシルクのような黒髪が印象的な、オーストラリア系の白人の血が四分の一だけ混じっている中国系アメリカ人の美しい顔立ちだ。その顔にはアジアの女性らしい艶っぽさと、アメリカ的な意志の強さがバランス良く混在している。TKOはそんなリアナの顔を見て、その声を耳にして、ほんの少しだけ荒んでいた気分が楽になった。
リアナが納得したような表情になって報告した。
「転居の手続きをすべて済ませたわ。部屋には大まな家具以外、荷物がほとんど残っていない。明日からは実家に戻って、両親と数日を過ごそうと思っているの」
「そうか。こっちはもう、お前のライセンスを採ってある。いつでもお前の才能を活かすことが出来るよ」
「そうなの。ありがとう。すぐに仕事を手伝えそうね」
「そっちはしばらく国から離れることになる。今後の事もあるからさ。取りあえずは両親とゆっくり過ごしておくと良い」
「優しいことを言ってくれるのね。パパもママも喜ぶわ。もう少しだけ待っていて。週末には必ずそっちに行けるから」
「分かっている。だけど、本音は早く会いたいよ。お前の呼吸を近くで感じていられたらってさ。お前のことが恋しくてたまらない」
そうしてTKOは、深夜の通りの傍らでリアナと十数分を話した。その夜はとても冷え込んでいて、車の往来も激しかったが、そんな外野の事柄など何も気に掛からなかった。
リアナとは今年の正月明けの早々に、騒動が起きた表参道で初めて出会っていた。それからそこで意気投合すると、互いを求めて愛し合うようになった。二人の出会いは二つの電極がまるでスパークしたかのようで、それから一ヶ月近くをTKOと暮らして、一旦、アメリカに帰国すると、休みを採れた方が一方に逢いに出掛けていた。二人は自然に自身をさらけ出し、互いの意志で同じ方向を見ることが出来た。そして足りないものを埋め合わせて磁石のように求め合えた。何よりも男が男であり、女が女のままでいられた。
リアナは引っ越しを前に、荷物をすっかり運び出した昼過ぎのアパートの窓辺に、一息ついて腰掛けていた。そして、それから十五分ほどを話すと、やがてはリアナが投げキスして、スカイプの通話を切った。
それから最後の荷物を愛車のフォード・ブロンコの後部座席に持ち込むと、そのまま運転席に乗り込んで、ハンディコムに直属の上司だったSWAT隊のアンソニー・シモンズ隊長からのメールの内容を確認して、その足でLAPD(ロスアンジェルス市警察)の警察本部へと出向いた。
リアナはLAPDにやって来ると、ロビーの受付で警察署長のオフィスに行くようにとの案内を受けた。リアナは気楽なスウェットの姿のままだし、どうして署長室に行くのかその理由が分からなかった。それで受付の警官に尋ねてみた。
「私はSWATを退職したばかりなの。どうして署長のオフィスに行くのかしら?」
「さてね。ショウが来たら伝えてくれって、シモンズ隊長からの指示なんで」
「良いわ。分かった。こんな格好のままだから、ちょっと気恥ずかしいけど」
リアナは疑心案着になりながらも、エレベーターを降りて、ドアをノックし、署長のオフィスに歩み入った。すると白髪でダンディな、マーク・エドモントン署長がわざわざ席を立って、彼女を迎え入れた。
「リアナ・ショウ。良く来てくれた」
「はい。お久し振りです、エドモントン署長」
「近い内に君は、東京に引っ越すらしいな。シティで私立探偵の職に就くとか」
「はい、その通りです。だけど、どうしてそんなことを署長が知っているんですか?」
そう言って尋ねると、その部屋で椅子に腰掛け待機していた、見るからに政府の関係者らしいピン・ストライプのスーツ姿の人物を紹介された。
「まずは君に紹介しておく。こちらはクラウディオ・コスタ。彼はCIAのリクルーターをしている」
深夜の聖マリア病院のICUでは、篠田が優しく滝川の手を握って、滝川が早く良くなって元気に仕事に復帰できるよう心を込めて祈っていた。それから午前0時20分になろうとしている現在時刻を左手首のハンディコムに確かめて「仕事があるので、今夜のところはこれで帰ります」と、眠っている滝川に囁くように告げた。それから手にしたキルティング・コートをその体に羽織った。それからナース・ステーションのナースたちに挨拶して、ひとり静かにICUを後にした。
それを見送り、ナースたちが手分けをしながら病棟内の定期巡回へと向かっていった。階下にあるロッカールームからは、白衣を身に着けた一人の男がネームプレートを胸に付け、足音を低く廊下へと歩き出してきた。
髪を短く刈り上げた男の顔立ちは頬骨が高く、同じ極東系のアジア人でありながら、どこか日本人と異なってみえる。とはいえシティの大病院には、中国系から韓国系、南方系やインド系の研修医やナースなど多数の外国人が勤めているものだ。
するとエレベーターが外科病棟のフロアに到着して、白衣の男が周辺に注意を配りながら人気の無いフロアに歩き出してきた。男は一見、当直の研修医かと思われた。ところが気配を忍ばすように足音を殺し、周辺を広く視野に入れている目配りが奇妙に鋭かった。
同じ頃、篠田は階下に到着して、深夜の静けさと暗がりに包まれたロビーフロアを救急口へと歩き抜けていた。遠くからは救急隊員らしい男たちの話し声が聞こえた。
篠田は意識を取り戻した滝川の様子を見て安心して、改めて数時間前にTKOと二人切りで過ごしていた幸福なひと時を思い返した。そして自身の乳房に手の平で触れて、今もまだ生々しく感じられているセックスのその名残を感じた。それは久し振りだったこともあってか、とても刺激的で、甘酸っぱい味わいを伴っていた。
男はナース・ステーションに人影が無いことを確認すると、そのまま気配を消して、滝川が眠るICUへと入っていった。そしてその目でベッドに眠る滝川を確認し、白衣の内側からサイレンサー付きのセミオート拳銃、ベレッタM1934を左手に抜いた。すると滝川が室内に何者かの気配を感じ取って、ぼんやりと薄目を開けた。男はそれを見て間髪入れずに、滝川を狙って引き金を引いた。
三発、続け様に銃撃した。同時にこもった銃声が小さく響いて、掛け布団に銃創が刻まれた。滝川は顔面と胸の中央に三発、被弾して即死した。心電計がフラットを示して緊急用のアラームを鳴らした。そして仕事を終えると、医師を装ったその男は速やかに部屋から出て、廊下の先にある非常階段に消え去った。
一方、ストールで首元を温めた篠田は、病院の裏側にある救急用の搬送口から出てきて、タクシーを拾おうと近くの通りへと向かった。救急口が病院の建物の裏側にあるためか、周辺には街灯が少なくて暗闇が深く感じられていた。深夜ということもあって、表通りにいたるまで路地には人影が見えなかった。唯一、反対側の路地の遠くに、煙草を吸っているらしい一人の男がいることが分かった。男が吸うのは中国製の紅塔山というタバコだ。
すると突然、建物の陰から三名の黒ずくめの男たちが現れ出してきて、篠田の体を羽交い締めにして、クロロホルムを染ませたハンカチで彼女の鼻腔とその口を覆った。
驚き慌てて咄嗟に上体を捻ったが、あまりに突然の出来事で、篠田は助けを呼ぶことさえ忘れていた。篠田は簡単に気絶して崩れ落ち、近くに駐車していたメタリックグレイのセダンの後部座席に連れ込まれ、そのまま車は発車して、深夜の閑散とした街中へとアッと言う間に連れ去られていった。路地には、篠田の首元から解け落ちたプリント柄のストールだけが、持ち主もなく、北風に晒されて残されていた。




