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玖拾 生贄


 男達はみんなボロボロで、静先生と紅葉も重傷。

 スミレのお蔭で呪術の鬼が死に、紅葉に寄生していた蟲が死んだ。


 紅葉は雨音の背中で、意識を取り戻した。

「雨音くん、降ろして。自分で歩く」

 彼女は彼の背中から降りようとした。

「紅葉ちゃん、気が付いた? よかった。紅葉ちゃんが死ななくて…」

 雨音は喜んで、紅葉に抱き着いた。

「雨音くん…」

 紅葉は雨音が泣くのを見た。雨音の涙が彼女の頬に落ちた。


 紅葉は複雑な気持ちになった。

 彼女は雨音を押し退けた。

「雨音くん。私、雨音くんと別れたい」

「え!?」

 雨音は目を点にして、紅葉を見詰めた。

「私、優順不断な人は嫌い。雨音くんは誰か、他の女の子を探して。好きな人とつきあっていい」

 紅葉はさっさと歩き出した。

 雨音はぽかんとして、見送った。


「雨音が…フラれた…!」

 雲林院が呟いた。


「紅葉、もういいの?」

 蘇芳が聞いた。

「うん。スッキリした」

 紅葉は振り返らない。


「雨音は命懸けで助けに来たのに。紅葉ちゃん、どうしたんでしょう?」

 雲林院が蘇芳に聞いた。

 蘇芳は雨音に、

「ワガママな妹で悪かったな。遠慮せんと、他の女の子のとこ行けよ。咲良ちゃんとか」

 と、言った。

「咲良ちゃんには今日、大っ嫌いって言われました。僕、なんで紅葉ちゃんにフラれるのか、よくわかんないです」

 雨音は脱力感に襲われた。


「咲良ちゃんはどうしたん?」

「京都御所に置いてきました。連れて来てません」

「ええ判断やと思うわ。咲良ちゃんは俺達がマナブを殺すとこ、見たないやろ」

 蘇芳が頷いた。





 旭は左足を引き摺りながら、先に姫塚へ向かった。

 意識が飛びそうになるのを、歯を食い縛って耐えた。


 旭は草が生い茂る裏山の、狭い小道を昇ってゆく。

 月明かりが仄かに照らしている。

 彼は物音を聞き、先客を見た。



 狩衣を着た一匹の鬼が、せっせと穴に土を戻していた。

 鬼は銀髪。角を一本生やしていた。


 旭は一瞬、ぎょっとした。

 鬼は誰かを生き埋めにしている。

 一回にすくう土の量がシャベルに大盛りで、すぐに穴が埋まっていく。

 絶望的な、甲高い悲鳴が聞こえていたが、じきに声がしなくなった。


 鬼は旭をちらっと見た。

 鬼の眼は闇の入り口のように黒かった。

 鬼は旭に興味無さそうに再び土をすくって、穴に投げ込んでいった。



 旭は急いで、鬼の真後ろを通り抜け、小山の頂へ着いた。

 小山の頂は陥没して、石室の天井板が棺へ落ち込んでいる。


 旭は山上から聞いた通りに、安倍晴明の道具を並べた。

 小山の頂を祭壇に見立て、貴船の龍神穴で山上が並べたのと同じように。

 星の配置を示すもの。ガラクタにしか見えないもの。

 旭はどれに何の意味があるのかも知らない。

 ただ、残り僅かな命を賭けて並べることが、彼の使命だった。


「これで最後…」

 旭は震える手で、四神の置物を並べた。

 彼はガクッと、地面に倒れた。


 ちぎれかけていた左腕の付け根から肘にかけ、ピキピキと割れ始めた。

 どろどろと黒っぽい血が流れた。

 極太のミミズみたいなものが数本はみ出し、ぶるんぶるん震えながら広がった。

 粘液が流れ、左腕の骨が露出した。

 ミミズみたいなものが個別に激しく動き、裂けて、畳まれた羽根が出て来た。

「うう…」

 旭は転がり、左腕を押さえた。


 旭の左腕のミミズから、悪魔じみた黒い羽根が開く。

 彼の額とこめかみの血管が浮き上がり、ピキピキ鳴って、また裂け始めた。

 そこからもミミズが何本か出て、彼の視線の先で蠢いた。

 どろどろ粘液を垂れながら、新しく生まれた角がミミズの腹を破って伸びて来る。



 先刻の、穴を埋めていた鬼が現れた。

「ははぁ。おぬし、鬼になりかけておるぞ。さては、穢れの鬼の血でも浴びたか…?」

 シャベルの柄に顎を置き、ニヤニヤして旭を眺めた。


「嫌だ…。鬼になってたまるか…」

 旭が唸った。

 彼の口から極太のミミズが一本、びゅっと勢いよく飛び出した。

 黒い粘液を巻き散らし、中から蛇の二股の舌が出て来た。


「シュウ…、シュウ…」

 旭の蛇舌から、穢れた空気が漏れた。

 旭は苦しくて、目頭と目尻から涙を滲ませた。


「鬼になりたくないと思うほど、鬼になってしまう。この世を逆恨みする故に。何故、自分がこんな目に…、と己を憐れむほど、心が捻じくれて卑しくなる」

 鬼が旭に助言した。

 旭が鬼に変貌することに、優しげに同情を込めて話す。


 旭は鬼になった酒井を思い出した。

 旭の頭の中は、いろんな思いでいっぱいになった。

 彼の意思とは関係なしに、傷口からミミズがはみ出て、黒い粘液を撒き散らした。

 粘液を浴びた草が変色し、枯れていく。

 彼の腹から内臓が飛び出し、彼の片目の眼孔から膨らんだ目玉がはみ出た。


「うう…」

 旭は頭痛で狂い死にしそうだった。

「殺してくれ、雨音…。俺はもう…鬼になってしまう…」

 旭は雨音の名を呼んだ。



 鬼は旭の側に落ちいてる、血染めの剣・東雲をしげしげと見た。

 東雲は先端が両刃で、途中から片刃になる。

「この太刀は…、山上神社の(はふり)の太刀じゃな」

 鬼が東雲を手に取った。


 旭は鬼の足元で、ビクビクと痙攣していた。

「ああ、そうだ…。山上さんは…剣の師匠で…、大切な仲間だった…」

 旭はこの鬼に殺される覚悟をして、その瞬間を待った。

 苦し過ぎて、殺される方がましだと思った。


「おぬしを手にかけることはせぬ。私が学瀛に命じられたのは、咲良という采女を埋めることだけ。その用事も、既に済んだ」

 鬼は東雲を小道の脇に突き立て、淡々と話した。

「咲良ちゃんを埋めた!?」

 旭は東雲の太刀にすがり、杖にして半身起こした。

 旭の頭から顔へ、黒い血が噴水みたいに流れ出す。


 鬼が靴の片方を寄越した。

 黒い革のローファーで、スミレが履いてきた靴だった。


「人違いだ! その子はスミレちゃんだ。咲良ちゃんは来てない。すぐに助けてやってくれ、頼む!」

 旭はゴボゴボ血を吐き、血にむせた。

 鬼は舌打ちした。

「やはり、人違いか。まぁ、構わぬ。姫塚の霊は生贄が乙女なら、どこの誰だろうと気にするまい」

 カイチは旭の頼みを断った。


「今埋めたばっかりなんだろ!? すぐ掘り出せば、助かるかも。スミレちゃんは関係ない。紅葉ちゃんの同級生ってコトだけだ。巻き込まれるなんて、可哀相だ!」

 旭は手を合わせて頼んだ。

 カイチは鼻を鳴らした。

「ふん。姫塚の霊が(たた)るぞ。大水害が起こって、大勢死ぬぞ。おぬしはそんなことを望むか?」

「グガッ…」

 旭は大量に、黒い血を吐いた。


 人としての旭が終わる時が来た。

 旭は痙攣を起こして、のけ反って、爪先から頭の先まで逆に反り返った。

「ぐはぁ…っ…」

 旭の息が詰まった。白目を剥く。


「穢れの鬼か。我等鬼ですら、忌み嫌って避ける…」

 カイチは旭を気の毒そうに見下ろし、数歩下がった。


「ウゲェーッ…」

 旭が喉に詰まったものを吐いた。

 緑色で、酸っぱい匂いと苦い味がした。

 内臓が腐っていく。

 全身が緑色のカビに侵されていく。

 旭の皮膚が弾け、腐乱した汁が飛び散った。



 カイチは袖で鼻と口を押さえ、小道を降った。

 途中、カイチは紅葉と出くわした。


 紅葉、武蔵と静先生、蘇芳、雨音、雲林院らが、一本の狭い道に並ぶ。

「スミレちゃんを…どこに埋めたって?」

 紅葉の声が怒りで震えていた。

「本人の同意を得た! あの娘が咲良だと名乗った! 蠱毒の鬼を殺す代わりに、姫塚の生贄になることを、本人が了承した!」

 カイチが怒鳴り返した。


 紅葉の眸に、涙が膨らんだ。

「私の為? 咲良ちゃんの為? どこに埋めたの? 私はスミレちゃんと約束した。死ぬ時は一緒って」

 紅葉が刀を抜き、無茶苦茶に突っ込んだ。

 カイチは難なく、舞うように刃をかわした。


 カイチはシャベルを、崖の下へ投げ捨てた。

「知っていたら、違う娘を埋めたりせぬ。私は鬼神に誓って、嘘は付かぬ」

 カイチが胸を張るのを、紅葉が突き飛ばした。


 紅葉は鬼が降りてきた小道を駆け上がった。

 彼女は小山の頂で、グロテスク極まりない、変わり果てた旭を発見した。


 旭は東雲の太刀を逆手に握り、自分の胸に突き立てていた。

 彼は自ら命を絶つことを選んだ。

 鬼になることに甘んじなかった。

 (はらわた)が飛び出し、腕と足から黒い羽根が生えていた。

「モ…ミジ…チャ…。来ルナ…」

 旭の声が掠れた。

 彼の口の中、粘つく糸が見えた。



 雨音はスミレが埋められた場所へ飛んだ。

 掘り返された土の匂いがしていた。

 雨音は夢中で、土を素手ですくって掘り返した。爪の間に土が食い込んだ。

「退け、源次」

 武蔵が薙刀を回転させ、天狗のレイが息を吹きかけた。

 穴の土が半分吹き飛ばされた。


 カイチは小道で嘲笑った。

「おぬしが源次か。遅かろう、源次。諦めよ…」

 雨音は無視して土を掻き分け、スミレの腕を引っ張り出した。

 スミレは土塗れで、無惨に絶命していた。


 項垂れる雨音を見て、雲林院はカイチを睨んだ。

「なんで? スミレちゃんが死ななあかんの?」

「姫塚の祟りがあるぞ。誰のせいか? おぬしらじゃ! ここから下流は、洪水で沈む。おぬしもな!」

 カイチは口を歪めて答えた。



 武蔵は旭が呪術具を並べ終わっていること、彼が穢れの鬼に変わり果てたことを一瞬で見た。

「旭、よくやった!」

 武蔵は東雲の太刀で貫かれた旭に近寄り、醜い彼を褒め称えた。

「…ムサ…シ…サン……」

 旭は太刀の上に自重で伸し掛かり、ズブズブと刺さっていった。


 紅葉は両手で口を押さえ、声を押し殺した。

 蘇芳が紅葉の前に立ち、可哀相な旭を隠した。


 武蔵は天狗のルイとレイに命じた。

「急げ。間に合うかも知れん。すぐ用意しろ!」

 武蔵の視線が、雨音を探した。

「源次! 学瀛(マナブ)を連れて来い!」

 武蔵が叫んだ。


「雨音、行ってくれ! おまえはマナブを連れて来るんや!」

 雲林院がスミレの遺体を受け取った。

「わかった」

 雨音は崖を滑り下り、鬼御殿へ入った。



 カイチが斜面を昇ってきた。

「おぬしらの儀式、やめさせる…」

 カイチが狩衣の大きな袖を開いた。

 袖括りの紐の露先が揺れた。


 カイチは紅葉の真ん前で立ち止まった。

 彼は袖を指先で摘んで、ぴんと張った。

「火の里へようこそ…」

 カイチの全身が藍色の燐光に包まれ、パチパチと電気が光った。





 学瀛は主典(しゅてん)を連れ戻った。

 主典は気が触れて大暴れし、学瀛の方が手傷を負った。

 主典を鬼御殿の寝所に担ぎ込み、休ませた学瀛は、引っ掻き傷と血だらけになって出て来た。


 ナマズ侍が待っていて、

学瀛(がくえい)様。カイチ様から連絡ありました。咲良を姫塚にて、生き埋めにしたとのことです」

 と、報告した。

 学瀛は胸に片手を当て、眸を閉じた。

「少し胸が痛む…」

「ご執心でしたな」

 ナマズ侍が大型直刀を捧げ持ち、学瀛が受け取った。


「ああ。それも忘れよう。あの娘が私を忘れてしまったように、私もあの娘を忘れよう」

「千年、泣いていらっしゃったのでは? 一条の戻り橋で待ち続け、来なかった姫のことを…」

「言うな」

 学瀛はナマズ侍を黙らせた。



「誰だ!?」

 学瀛が影に気付き、さっと御簾を開いた。

 崖側から月明かりが射し込んだ。

 咲良が立っていた。


「何故、ここに!? カイチに生き埋めにされたはず!」

「生き埋め? 私は愛宕の大天狗の太郎坊に、ここまで連れて来てもらったの」

 咲良は正直に答えた。


「カイチはどうした? 源次はどこだ?」

 学瀛が周辺を見回した。

「会いたかった。マナブと話がしたかった。雨音くんのことは知らないよ」

 咲良は鬼の整った横顔を見詰めた。恐ろしいとも感じなかった。

「油断させておいて、私を刺す。おことはそのような娘」

 学瀛の方が警戒していた。

 咲良は神泉を鞘のまま、床に置いた。

「これで信じてくれる?」


 床に置かれた刀から、神泉の声がした。

「なりません、咲良。私で、その鬼を刺すのです。鬼を殺しなさい、咲良…」


 咲良は深刻な面持ちで、

「私、彼と二人きりで話したいんですけど」

 と、ナマズ侍に言った。

 ナマズ侍は学瀛と目を交わし、席を外した。



 咲良は辺りを眺め回した。

 殺風景な、鬼の岩屋。

 地下牢みたい。調度品も少ない。

 目の前にいるのは、狩衣を着た赤毛の鬼。


 咲良の胸に複雑な思いが込み上げた。

 半年前、葵祭でマナブと出会った日のことや、首塚神社で噛まれたことを思い出した。

 彼女を訪ねてきたマナブ。

 彼から聞かされた、千年前の物語。

 大江山の鬼の墓で、彼女を落石から守った彼のことを、思い出した。


「マナブは…、学瀛の中から去ってほしい。私は学瀛と話したい」

 咲良が頼んだ。

 一瞬、学瀛は不思議そうだった。

「おことが私をどう呼ぼうと、私は同じ。マナブは私の一部。この身は彼の肉だが、魂はもう混じり合っておる」

 学瀛は説明した上で、

「されど、構わぬ。一時的に分離してみせよう」

 マナブの気配が表面から消え、学瀛の気配だけが残った。


「咲良。おことを見るだけで悲しくなり、心が掻き乱される」

 学瀛が咲良の胸ぐらを掴み、高く吊り上げた。

「学瀛。あの夜、私は一晩中迷ってた。戻り橋に行かなかった。あなたは共に行こうと言ったよね。私は姉を喰ったあなたと、鬼の里へ行くことは出来なかった…。私もあなたを見るだけで、悲しく辛くなった」 

 咲良が小さな声で話した。


「思い出を美しく偽らないでくれ」

 学瀛は咲良の襟を手放し、床に落とした。

「おことは私の心を利用し、源次らに私を捕えさせた。私と主典は首を刎ねられ、その首は千年封印された」

 学瀛は咲良を踏み付けた。


「そのマナブの体がなくなったら、学瀛はまた、どこかで眠ることになるの?」

「適当な器を探す。私に血を捧げたいと願う、鬼の志願者はいくらでもいる」

 学瀛が答えた。

「じゃ、その体はマナブに返してあげてよ。マナブに返したからと言って、あなたが永遠に人を喰えなくなるわけじゃないんでしょ?」

 咲良が頼んだ。


「代わりに何を(きょう)す? 咲良」

 学瀛が聞き返した。

「私をあげる。殺していいよ。その代わり、もうたくさんの人を殺すことはやめてほしいの。私は生贄になる。その為に来たの。私の命で最後にしてほしいの。そうしたら、私もあなたを封印しない。あなたは千年の報復に、私を殺していいよ。学瀛」

 咲良が囁いた。


「咲良。おことがそうして(みやこ)の人々を救っても、私は鬼として、人を喰い続ける」

「静かに眠ってほしい…。あなたを神として祀る。神事はお祖母ちゃんに頼んだよ。家を出る時、お祖母ちゃんに手紙を書いてきた…」

 咲良はスマホで撮った、手紙の写真を見せた。

 学瀛は戸惑った。



 学瀛の背後、鬼の寝所で、誰かが起き上がる気配がした。

「…マナブ。眠れない…。全然眠れない…」

 主典が憑りついた男、カズチの不機嫌そうな声がした。



 学瀛は主典に返事しなかった。

 彼は咲良に、

「咲良。もし、私がマナブを捨て、おことに()り移ったら…。(みやこ)の人々に復讐するのも、馬鹿らしくなってきたところ。私がマナブを捨てれば、おことは私と共に生きるか?」

 と、尋ねた。

「それでもいいよ。私は人を食べないよ。いつか朽ち果てる。一緒に行く?」

 咲良が学瀛の暗い眸を覗き込んだ。

 学瀛の片目。

 彼のもう片目には矢傷がある。


「よかろう。決して裏切るなよ。今度こそ。おことの血を寄越せ!」

 学瀛が咲良に、自分の短剣を差し出した。

 咲良は唾を飲み込み、自分の左手首に短剣の刃を当てた。

 血が滲んだ。


「えいっ」

 咲良は思い切って、左手首を切った。

 傷は浅かったが、血が一気に溢れた。


 学瀛が咲良の血を舐めた。

 学瀛の魂がマナブの肉体を離れ、マナブの肉体が床に転がった。


 そこへ、

「咲良ちゃん、ダメだよ! 血を渡さないで!」

 雨音が鬼御殿へ飛び込んできた。

「雨音くん!」

 咲良が驚き、声を上げた。


「また騙したな、咲良!」

 学瀛の禍々しい声が響いた。

「騙してないよ! 雨音くん、学瀛を殺さないで! お願い!」

 咲良が叫んだ。


「君は僕らより、その鬼を信じるの!? 仲間より、その鬼を助けることを選ぶの!?」

 雨音は咲良に失望した。

 彼は気絶しているマナブの肉体に駆け寄った。

「マナブさん! マナブさん!」

 マナブは固く目を閉じている。

 でも、マナブの中の鬼の気配は、完全に消失していた。

「よかった。これで、マナブさんを殺さずに済む…」

 雨音がほっとしたのも束の間。



 鬼の岩屋に広がっていた黒い妖気が、咲良に流れ込んだ。

「源次ぃ…」

 男の低音が、咲良の唇から洩れた。

 雨音はぎょっとして、咲良を振り向いた。


 咲良は目尻を吊り上げ、掠れた声で喋った。

「源次、私の首を刎ねてみろ。鬼切で、この娘の脳髄を貫いてみろ。…出来るものならば! 私と咲良は一つになった…。私の長い孤独は終わった…」

 学瀛は歓喜していた。


 咲良が学瀛の、ぶ厚く重たい大型直刀を拾った。

 古代刀。鬼の金棒。

 咲良は持ち上げられず、切先を引き摺った。



 再び、鬼の寝所で主典の動く気配がした。

 主典が荒い息で、はぁはぁ言ってるのが聞こえた。

「マナブー。しんどいよー。俺、どうしたのかなぁー? 気持ち悪いんだ。側にいてくれよぉ…」

 主典の寝所の鉄格子が、ガタガタ鳴った。

 大きな錠前がぶら下がっていた。

 主典が揺さぶると、鉄格子ごと外れそうだ。主典は学瀛より、何回りも大柄と見える。



 ルイに背負われた静先生が入って来て、

「渡邊くん。学瀛を姫塚へ連れて行きます。咲良もわかってる。咲良ごと、封印します!」

 と、雨音の腕を引っ張った。

「何言ってるんですか、静先生! そんなこと、出来ません!」

 雨音が静先生の手を払った。

 静先生は憑りつかれた咲良に手招きした。

「咲良、いい子ね。こっちにおいで…」



 主典の檻で、鉄格子の蝶(つがい)が外れた。

 鉄格子の引っくり返った音が、鬼御殿中に響き渡った。

 主典の強烈な妖気が流れ出した。



 咲良は古代刀の先を引き摺りながら、静先生に向かって、じりじり歩き始めた。

 咲良の眸に、暗い闇が宿っていた。





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