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捌捌 穢れの鬼


 目食いの鬼は死んだ。

 紅葉達は鬼御殿に繋がる、洞窟の入り口を見つけた。


 切り立った崖に吊り橋が架かっている。

 鬼御殿の門番の鬼がいる。

 冬枯れの木の根元から、雪を割って、鬼の腕がボコボコと生えて来た。

 木々に妖怪じみた人面が現れて、

「ひょおおお…」

 と、声を出して、枝を揺すった。


 鬼が(へそ)まで這い出て、紅葉の足を掴んだ。

「あっ…」

 紅葉は咄嗟に、刀の鞘で鬼の眉間を突いた。

 鬼は水風船みたいに弾け、悪臭を撒き散らして消えた。


 鬼がボコボコと地面から這い出て、風船割りみたいに弾けていく。

 悪臭が広がった。


 再び、鬼が紅葉に掴みかかり、ドロドロ溶けて崩れていった。

 この脆く腐乱した鬼は、紅葉に何か訴えようとしていた。

 鬼の顔の肉がズルズル剥がれ、目玉が傾いた。

「聞いて…」

 女の霊魂が言った。


「カラトン、カラトン……」

 女は紡錘車を回す仕草をした。

「カラトン、カラトン…、この里は養蚕が盛んだった…」

 女の濁った目玉が、遠い昔を懐かしんでいた。


「昔々、この里に神依る娘がいた…。娘は里の者の病を治した…。カラトン、カラトン…。この地を支配せし者が、娘を遠い処へ連れて行った…」

 女は指を動かして、機織りの仕草をした。


「カラトン、カラトン…。神依る娘は里に帰りたがった。カラトン、カラトン…。娘は乱暴され、捨てられた。哀れな娘は、川に身を投げて死んだ…。祟りを怖れて、里に娘の墓を造った…」

 女が視線で、鬼御殿の山の頂きを指した。

「姫塚と言う。カラトン、カラトン…。祟りが怖けりゃ、山へ入るな。姫塚の娘の涙が…、若い娘の死を呼ぶぞ…」

 女が泡となって消えた。



 武蔵と旭が走って吊り橋を渡り、天狗のルイとレイが跳ねて渡った。

 紅葉が吊り橋に辿り着いた時、吊り橋は大きく揺れていた。


 手摺の高さにロープがあったが、横もスカスカ、踏み板も隙間だらけで、谷底がよく見えた。

 魑魅魍魎が、谷底に蠢いていた。

「こんなの、渡れへん…」

 スミレの足が(すく)んだ。


 鬼御殿の門番の鬼が大刀を振り上げ、吊り橋のロープを切ろうとした。

「急いで!」

 雲林院が吊り橋の真ん中から呼んだ。

「行くよ、スミレちゃん…」

 紅葉はスミレの手を取って、前に進んだ。

 踏み板が凍って、ツルツルしていた。


「わっ…」

 スミレが片足を踏み外し、太腿まで落ちた。

 紅葉は引っ張られて、(はかま)の膝を着いた。

 谷底が二人の目に入った。


「重いで、あんたら…」

 蘇芳がデリカシーのない言葉を吐き、スミレと紅葉を支えた。

 吊り橋はブランコのように揺れた。

「落ちろ。ぺっちゃんこになる。鬼がおまえらを喰う…」

 門番の鬼が紅葉達を嘲笑った。


「紅葉ちゃん、先に行ってて」

 スミレが頼んだ。

「絶対、一緒に帰るからね。スミレちゃんが諦めたら、私も死ぬ。忘れんといて!」

 紅葉がスミレを引っ張り、立たせた。


 武蔵が門番の鬼を、拳一発で吹っ飛ばした。

 紅葉達は何とか吊り橋を渡りきった。



 武蔵が旭に、

「鬼御殿のてっぺんに、姫塚って小山と祠がある。おまえは先にそこへ行って、安倍晴明の陰陽道具を並べろ。おまえしか、山上の説明を聞いてねーしな」

 と、囁いた。

「姫塚ですか。了解」

 旭が頷いた。





 洞窟の内部は鬼火が灯って、思ったよりも薄明るかった。

「意外にあっさり入れたけど、気のせいですかね?」

 雲林院が旭に聞いた。

 旭は顔色が悪く、しんどそうだった。


「旭さん、大丈夫?」

 紅葉が心配した。

 旭はここに来る前に、コマチが感染した鬼の血を浴びた。

「少し頭が痛いんですよね…」

 旭は頭を振った。


 静先生が何度も後方を振り返った。

「紅葉。私の一番苦手な鬼が、後ろから来ます…。集団でざわざわしています。足音が聞こえます。(けが)れの匂い、死の匂い…。ただの穢れじゃありません。地獄の蓋が開いた匂い…」

 静先生は匂いを嗅ぎ、小刻みに震えた。

 静先生が怯えるのを、紅葉は初めて見た。


 紅葉達と距離を置き、特別な集団が迫っていた。

 ゆっくりと重い液体が流れるように、小枝がパキパキ折れる音や、石が砕ける音を鳴らす。

 紅葉も不快な気配を感じ取った。



 先頭をゆく天狗のレイが、

「この先で、鬼が八つ裂きにされて、放置されてます。半殺しの状態でピクピクしています」

 と、武蔵に報告した。


 切り刻まれた鬼に、毒蟲がたかっていた。

 鬼は鎖で繋がれ、細かな毒蟲の(えさ)にされていた。

 瀕死の鬼の口から、(はね)のある成虫が飛び立った。


「寄生されたら、私達もあの鬼と同じ。幼虫の餌になります」

 静先生が早九字を切った。

「静先生! 冗談でしょ!?」

 紅葉とスミレが抱き合った。


「生きているのも哀れだな。死んで安らかになれ!」

 武蔵が口から火焔を吐いた。


「待って…くれ…。殺さないで…くれ…」

 囚われの鬼が口から、()に似た成虫を吐き、掠れた声で叫んだ。

 鬼の顔は闇に沈んでいた。

 水分の少ない、粘つく涙だけがガラスみたいに光っていた。


 武蔵は囚われの鬼に喋りかけた。

「死んだ方がマシだろ。もう動けねーじゃねーか。生きてる限り、痛みに(さいな)まれる。地獄の責め苦みてーなもんだ」

「蟲は…おまえら…に…寄生する…。俺は…自由になる…」

 鬼が言った。


「おいおい。死ぬのが何分か先になるだけだ。俺達が食われたって、おまえが助かるわけじゃないぞ」

「おまえらもどうせ…、じきに(なかま)に殺される…。俺は自由だ…、自分で死ぬ時を選ぶ。…放っといてくれ…」

 鬼は干からびた唇を動かした。


「わかった。好きにするがいい。プライドの高い鬼だな。鬼の首領に逆らったか? 最後に聞かせてくれ。おまえをこんな目に遭わせた奴は誰だ?」

 武蔵が尋ねた。

 鬼は答えなかった。既に文字通り、虫の息だった。


 武蔵は蟲の飛び交う中へ歩み寄り、薙刀で()びた鎖を断ち切った。

「自由と言うなら、最後まで足掻(あが)け!」


 鬼はふらり、立ち上がった。

 そんな体力もないはずなのに、黒い血を垂れ流しながら、何とか立った。

 鬼の体が錆びた鉄のように、縮んでいく。


 鬼は立ったまま、間もなく死んだ。

 鬼の遺体から、ぞろぞろと蟲が出て来た。

「クソッ」

 武蔵が火葬の炎を吐いた。

 天狗のルイとレイは松明を振り回した。


「嫌ー!」

 紅葉とスミレは洞窟を引き返した。

 彼女達は岩にぶつかった。いつの間にか、大きな岩が退路を塞いでいた。



 蟲は人間の汗の匂いを嗅ぎ、紅葉達を狙った。

 紅葉達は手足をバタバタさせた。

「服の中に入ったけど! この蟲、毒あるの!?」

 雲林院が上着を脱ぎ捨てた。

「大丈夫!?」

 スミレが素手で、雲林院の背中の蟲を払った。


「毒は大したことない。ちょっと腫れて、三日間熱が出る程度だ。それより、雌に挿されるな。卵を産み付けられるぞ! 走れ!」

 武蔵が叫んだ。

 紅葉達は岩がゴロゴロしている前方へ、全力で走った。



 洞窟が広くなっている場所まで来た。

 毒蟲の羽音が後方へ遠ざかった。

 紅葉達の荒い息が、音楽ホールみたいに響いていた。


 カラカラ、小石が崩れる音が混じった。

 巨大な岩に押し潰されそうになっている鬼がいた。

「何をしてるんですか?」

 天狗のルイが聞いた。


 鬼は広場の天井を支える柱とも言える岩を、懸命に支え続けていた。

 そして、巨岩の下敷きになって、もう両足が潰れていた。

 このままでは、潰れて死ぬ。

 鬼は逃げ出そうとせず、誇らしげに答えた。

「私がここの天井を支えている。早く通れ」

「見たら、わかる。何故、そんなことをしてる?」

 天狗のレイが聞いた。


「自ら望んで、この重い岩を支えている。もう千年続けている。足は失われた。腰も砕けている。それでも、この指の最後の一本が砕けるまで、私はここを支え続けるつもりだ」

「何の為に?」

 レイは苛ついた。

「誰の為でもないさ。私自身の為でもない。修行だ。つまらんことだがね」

 鬼が微笑み、全部の歯にヒビが入っているのが見えた。

 隆々盛り上がった腕の筋肉が、時々ぶるぶる震えた。


「最初の数カ月はきつかった。一年過ぎたら、どうということはなくなった。しかし、徐々に衰えが来た。千年、何も食ってない。もう間もなく、私の命は尽きるだろう。ここの天井も崩落する…」

 鬼は満足そうに天井を仰いだ。


「なぁ、そこのお嬢さん。あなた方が人生かけてやっていることも、つまらんことさ。一生懸命なんて、他人から見れば、結構無意味なもんだろ?」

 鬼が紅葉に話しかけた。


「鬼の話を聞いたらダメだ。早く行こう」

 旭が紅葉を引っ張った。

「私達が戻って来るまで、ここを支えてもらえませんか?」

 紅葉が鬼に頼んだ。

 鬼は初めて、天井を支える意味を得た。


 しかし、鬼は断った。

「やだね。私は何の意味も無しに、ここを支えている。誰とも約束はしない…」


天邪鬼(あまのじゃく)や、紅葉。放っとき」

 蘇芳が囁き、紅葉を引っ張った。

「天邪鬼…」

 紅葉は仏教の、四天王に踏まれる小鬼を思い出した。

 悪さが過ぎた小鬼が、()らしめの為に踏まれている。


「修行ちゃう。あいつは岩で封じられてんのや」

 蘇芳が紅葉の同情をやめさせようとして、言った。





 紅葉達は延々と洞窟を歩き続けた。

 洞窟の上部が崩落し、外向きに縦穴が開いた場所に出た。


 時間の経過がよくわからないが、藍色の空に冴え冴えとした月が出ていた。

 縦穴の上部は森に囲まれ、月明かりに照らされていた。

 何層も重なる空洞が、ローマのコロッセウムみたいだった。


 スミレは背中を掻いた。

「紅葉ちゃん、(かゆ)いよー。何かモゾモゾする…。私、さっきの蟲に刺されたみたい…」

 スミレが制服を捲った。


 寄生虫が皮膚の下を這う、複数のミミズ()れが出来ていた。

 紅葉も太腿に(かゆ)みを感じ、袴の(すそ)を捲ってみた。

「まさか…、これ…」

 紅葉にもミミズ腫れが一つ出来ていた。


「さっきの毒蟲だな。最初は毒で痒くなる。一時間ほどで、幼虫が肉を食い荒らし始める。激痛が来るぞ。口とか鼻から蛾みてーな成虫が出て来て、雌はまた卵を産み付ける。短時間で、繰り返す」

 武蔵が苦々しく言った。


 静先生が魔除けの青い数珠を取り出した。

「大丈夫ですよ。蠱毒(こどく)の呪術師を倒せば、この蟲も死にます。これは私の最強の御守りです」

 静先生は長い数珠を二つに分け、紅葉とスミレの首に夫々巻いた。


 静先生は武蔵に言った。

「武蔵、さっきの毒蟲に食われてた鬼が気になるんだけど。あの喋り方とか…」

「おまえの前の旦那じゃねーよ、静」

 武蔵があかんべーした。

「そうね。でも、一応行って、確認して来ようかしら」

「死体は焼いちまったろーが。跡形もねぇや。第一、今戻ったら、あの毒蟲に刺されまくるぞ」

 武蔵と静先生が押し合った。



 蘇芳は月明かりで、紅葉の足のミミズ腫れを見た。

 彼は絶句した。

「おにぃ、どうしたらいい?」

 紅葉は頭が真っ白になった。

 スミレは蟲がぞわぞわ動く感触に、鳥肌立った。


「紅葉。ほら、鬼がお出ましですよ。今、充分な手当は出来ません。君も戦力。命ある限り戦うんです!」

 静先生がルイの背中から降り、松葉杖をついた。

 紅葉は天然のコロッセウムを見上げた。



 無数の敵が現れた。

 大きさも強さもバラバラな、鬼の大軍。

「待ち伏せされたか。京に攻め込む鬼の群れに出くわしたか?」

 武蔵が武者震いした。


「武蔵。生きていたら、姫塚で会いましょう」

 静先生が天狗のルイから、自分の薙刀を受け取った。

「おまえは後ろの鬼を。俺は前の鬼を。じゃな、静」

 武蔵の眉間と鼻に皺が刻まれ、鬼の姿に帰っていく。

 彼の腕と肩が異様に盛り上がっていく。



 戦いが始まる間際、旭はこの寒空の下、汗びっしょりだった。

 彼の心臓がバクバク言って、彼の中の鬼の腐った血が騒いでいた。


 戦いの火蓋が落ちた。


 僅かな風が、紅葉の髪を一筋揺らした。

 途端に、旭が吹っ飛んだ。

「旭さん、どうしたの!?」

 紅葉は仰天した。

 紅葉には、旭を吹っ飛ばした相手が見えなかった。


 紅葉の側を、また風が流れた。

 次の瞬間、雲林院が吹っ飛ばされ、岩に激突した。

 雲林院は気を失った。


「何が起きたの!?」

 紅葉は眸を見開き、耳を澄ました。

 ただ普通に、彼女の頬を風が吹き抜けた。

 武蔵の薙刀が金属音を発した。

「紅葉、視力に頼るな!」

 叫んだ直後、あの武蔵が血を噴いて沈んだ。


「フーッ…、フーッ…」

 荒い鼻息が、紅葉の間近で響いた。

「紅葉!」

 蘇芳が助けようとして、横から飛ばされた。



 スミレは洞窟の隅まで後退した。

 彼女の手が、何か柔らかいものに触れた。

「紅葉ちゃん…。お、鬼が…ここにもいるよ…」

 スミレが人差し指で、何かを(つつ)いた。

 プ二プ二した弾力のある感触、生温かい体温が指先から伝わった。

 鬼の湿った鼻先だ。


「スァー…」

 鬼が息を吸い込む。

 音から推測すると、人間の頭を丸飲みに出来る大きさの口を持っている。


 ガチン。

 鬼のごつい歯が鳴った。


 紅葉が飛び付き、スミレを押し倒した。

 鬼は直前で、スミレを食い損ねた。

 紅葉の肩に、鬼のヨダレが数滴落ちた。



 天狗のルイが鬼に吹っ飛ばされ、動けなくなった。

 足を骨折している静先生に、透明の鬼の鼻息が迫っていく。

「ぐひゃもー」

 鬼の間抜けな咆哮(ほうこう)が響いた。


「危ない、静!」

 天狗のレイが旋風となり、見えない鬼に突進した。

 敵を切り刻むはずの百の刃が砕かれ、微塵と散った。

 レイが血だらけになり、地面に落ちた。


 透明の鬼の鼻息が、紅葉とスミレの方へ向き直った。

 紅葉の刀を持つ手が震えた。

「ぐひゃもー」

 鬼の息が吹き付けた。


 蘇芳は立ち上がろうとして、血を吐く。

 彼は病院を抜け出して来ている。内臓を痛めている。


 旭は頭痛でよろめいた。

「旭。どこで鬼の血を浴びて来た? おまえ、それ、致命的なんじゃねーか?」

 武蔵が怒鳴った。

「どうってことないですよ」

 旭は強がりを言った。

「狂った鬼になりかけてるじゃねーか。それ、後ろから来てる奴等と同じ、穢れた血だな…。鬼の中でも、一番最悪だぜ!?」

 武蔵は顔をしかめた。


「ぐぉっしゃああー!」

 武蔵が雄叫(おたけ)びを上げ、薙刀を旋回させた。

 何トンもありそうな透明の鬼が地面に倒れ、コロッセウムに地響きがした。


 透明の鬼が死んだ。

 その瞬間、武蔵は逆方向から誰かに斬られた。

「グボッ」

 武蔵自身が血飛沫を噴き上げ、倒れた。



 紅葉の刀に宿る、刀匠の魂が現れた。

「紅葉、闇雲に斬っても、あの鬼には当たらぬぞ。あの鬼の正体を考えるがよいぞ」

 しかし、考える暇もなく、紅葉はすぐ敵と交差した。

 風が紅葉の頬に触れた。

 紅葉の雷帝の切先は、空を切った。


 旭の左腕が半分ちぎれ、鮮血が迸った。

「うわああ!!」

 旭は落ちそうな左腕を抱え、蹲った。


 紅葉は風が吹く方向へ突き込んだ。

 けれど、何度斬り込んでも空振りだった。


 伸びていた雲林院が起き上がり、

「くそー。やってやらぁー」

 と、滅茶苦茶に刀を振り回した。

「バカ。おまえが斬り付けたのは、この俺だ!」

 武蔵が叫んだ。



「紅葉、どこや!?」

 蘇芳が叫んだ。

「ここよ」

 紅葉は何も言ってないのに、誰かが紅葉の声音で答えた。


「おにぃ…、今のは私とちゃう…」

 紅葉が叫ぶより先に、

「紅葉。今、助けたるから…」

 蘇芳は妹を助けようとして、敵に背中から斬り付けられた。

 彼はまた深手を負った。



 月明かりに照らされた、ごつごつした岩場。

 コロッセウムを駆け回る、異形の鬼ども。


 獣の体に人面の鬼。

 獣のような毛むくじゃらで、異様に長過ぎる手足の鬼。

 手足が何本もある鬼。

 首がヘビのように長い鬼。

 鎧より硬い甲殻を持つ鬼。

 狂気走った眼差しの鬼。

 骨が無い、ヌメヌメした軟体鬼。

 四つん這いで駆ける鬼。

 ブーメラン代わりに生首を飛ばす鬼。

 毒キノコ三兄弟。

 地面を這い回る、赤黒い乳児の鬼。

 人の姿も獣の姿も持たない、輪郭すら曖昧な鬼。

 吸盤がある鬼。

 そして、大きな顔だけのお化けが、ふわふわと飛んでいる。



「紅葉、冷静に考えろ」

 彼女は自分に言い聞かせた。

 風がまた、左頬の前を流れた。

 紅葉は反射的に、袈裟斬りに斬り込んだ。

 また空を切った。


「…小さい。よくわからへんけど、私の戦ってる相手、めっちゃ小さい…。当たらへん」

 紅葉はやっと気付いた。



「息の続く限り、斬りまくる」

 武蔵が手当り次第、鬼を斬って片付けた。

 旭も左腕を体に縛り付け、右手一本で戦った。

「旭さん、先に行って下さい。姫塚へ…」

 蘇芳は妹を守れない自分を、歯痒く思った。


 武蔵はその場で、数百の鬼を斬った。

 血煙が上がった。

 旭は左手が使えない割に善戦し、先を目指した。

 蘇芳は数十匹を斬り殺したが、力尽きた。

 雲林院は斬りまくって、返り血で真っ赤に染まった。



 紅葉が戦う極小の鬼は、彼女を嬲るように、徐々に切り刻んでいった。

 彼女は全身の傷から血を流し、血塗れになった。

「紅葉、考えよ。おぬしは針の先ほどの小さき鬼を斬る為に、二尺三寸もある刀を振り回しておるのじゃぞ。馬鹿馬鹿しいとは思わぬか!?」

 刀匠の魂が言う。


「紅葉よ。鼻息の荒い鬼は透明じゃが、図体がでかいだけで、体当たり以外は何も出来ぬ。あやつが人間を食う為には、相棒の小さき鬼の攻撃が必要じゃった。この小さき鬼の方も、鼻息の荒い鬼をうまく使って、敵の目を(あざむ)いておった。二匹で一匹のフリをしておったのじゃ。それがどういうことか、考えよ!」

 刀匠が紅葉の耳元で言った。


 紅葉の息が切れる。

 暗闇に、鬼の断末魔が響く。

 武蔵が鬼の肉と骨をぶち斬る音、誰かの剣と剣がぶつかり合う音。

 腹を空かせた鬼が、仲間の鬼を食い始める。

 骨を噛み砕く音。


「わからへん。このまま、みんな死んでしまう…」

 紅葉は手の汗を袴で拭き、いったん納刀した。



 武蔵は片膝を砕かれ、腹に折れた刀が刺さり、背に(おの)が二本刺さっていた。

 鬼の歯形が全身に付き、あちこちの肉が食いちぎられていた。

 武蔵は静先生を庇い、立ち続けた。

「俺も立ったまま死んでやる。鬼の武蔵だからな」

 武蔵は歯を食い縛った。



 スミレは毒蟲が背中を這い回る痛みに襲われた。

「痛いー。痛いよー。誰か助けてぇ…」

 スミレは地面に倒れ、ゴロゴロ転がった。


「紅葉ちゃん、私を殺してぇ。あの成虫が…口から出て来る前に…」

 スミレは猛烈な痛みに泣いた。

 成虫がまた卵を産み付けたら、地獄の痛みが繰り返され、数時間かけて惨たらしく死ぬのだ。

 とても怖かった。



 紅葉も激しい痛みに襲われていた。

 鬼と戦っている最中なのに、片足が痛くて動けなくなった。

 ナイフでザクザク切り刻まれるような痛みが来た。


 紅葉の額の前を、しゅっと風が吹き抜けた。

 彼女は何も考えられず、反射的に動いた。





 スミレは誰かの視線を感じ、泣き止んだ。

 花のお香が漂って来た。

「おや、蟲に寄生されたのか。あれは蠱毒(こどく)の鬼が仕掛けたもの…。京に攻め入ることに反対した者は、あの蟲に殺された。おぬしに関わりないな。助けてやろうか?」

 優しそうな声が言った。


「薬、持ってるの!?」

 スミレは鬼に問うた。

「あれは蠱毒じゃもの。薬なぞ無い。蠱毒の鬼を殺せば、呪いが解ける。あやつは気に入らぬから、私が殺して来てやろうか?」

 藍色の鬼火が、この鬼の輪郭を浮かび上がらせた。

 若い男の鬼で、美しい顔立ちをしていた。


 鬼は短い銀髪で、頭頂部に一本、短い角があった。

「私はカイチ。おぬし、咲良を知らぬか? 私は咲良と申す乙女を殺すよう、獅子鬼・学瀛に命じられた。…もしや、おぬしが咲良か?」

 カイチは長い睫毛(まつげ)を瞬かせ、スミレの首の青い数珠を見た。

 静先生が掛けてくれた御守り。

 霊力の高い護符が、カイチの判断の基準になった。


「咲良を…殺す」

 スミレはぼんやり聞いていた。

 それから、彼女は笑顔になり、鬼にこう言った。

「うん。私が咲良! 咲良よ! 私は死んでもいいから、その蠱毒の鬼、殺してくれる? 友達の紅葉ちゃんも、あの蟲にやられたの!」


「そうか。おいで、咲良」

 カイチがスミレを抱き上げた。





 静先生は背後から迫り来る鬼に備え、薙刀を構えた。

「穢れの鬼。死者を墓から掘り出し、虫が湧いた屍肉を喰らう。穢れに触れ、取り込むことは、これ以上ない最大の穢れとされた。生者はこの鬼に、意識がある状態で骨まで喰われると言う…。この世に死の穢れを蔓延させる鬼、こいつらを、何としてもここで足止めしなくてはなりません」

 静先生は早九字を切った。


 静先生は洞窟に入る前に、雨音のスマホにメッセージを送っていた。

 しかし、雨音から返事は来なかった。

「何をやってるの? 渡邊くん、京都御所の鬼に、そんなに手間取ってるの!?」

 洞窟に入った今は、電波さえ繋がらなかった。


 ひたひたと鬼の集団の足音が迫る。

 洞窟の足元を、ドロドロと何かが流れて来る。

 落葉も枯れ枝も潰され、石が砕けていく。


「私は殺されるでしょう。どうやっても勝ち目はありません。あの穢れの鬼に、打つ手などありません。この身を餌に与えて、ほんのしばらく足止めするしかありません…」

 静先生は覚悟を決め、前を毅然と睨んだ。


 静先生はコロッセウムで、武蔵達の命の光が弱くなっていくのを感じた。

「まずいことになってますね…」

 静先生は紅葉に希望の視線を向けた。

「まぁ、紅葉。運が悪い。その鬼は手強いですよ。頑張ってね」

 静先生は他人事みたく呟いた。



 その時、ふいに頭上の岩が穴開いた。

 黒い影が一つ落ちて来て、逆さにぶら下がり、静先生の髪を長い舌で舐めようとした。

 静先生は松葉杖で飛び退いて、薙刀を振り上げた。


 鬼はのけ反り、薙刀を避けた。

「ふふふ。喪服を着て、いい度胸の女だな。…と思ったら、おぬしか。静…」

 旧知の鬼が囁いた。

 逆光で、黒い人影に見える。


「おぬしのような美女を苦しみ抜かせて喰えるとは、愉しくて仕方無いな…。早速、我が一番に穢してやろう…」

 鬼の口から、穢れたヨダレが数滴落ちた。

 大地が穢れた。


 静先生は息を詰め、喪服の(たもと)で口と鼻を押さえた。

 鬼の全身から死臭が漂った。

「死んでる鬼は…殺しようがない」

 静先生は口惜しそうに言った。





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