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捌陸 鬼の本陣


 道路もない、ひっそりとした奥山。

 原生林の枝が、光を遮る森。

 ジメジメして、いろんなキノコが生えている。

 地面の裂け目が洞窟の入り口。

 水音が響いている。


 天然の岩屋はところどころ、石が崩れている。

 迷路の先の一つは、切り立った崖に繋がる。

主典(しゅてん)ー」

 奇岩の絶景を見晴らすテラスに、白い狩衣を着たマナブが出て来た。


「主典ー。神王がびびってるからさぁ、絶対に地震起こさないと、そんなの裏切りだよって言ってやったんだー。やるって言ってたよー。明日、俺達は地震で混乱した京に攻め入るんだ。…主典?」

 マナブは主典を探し、うろうろした。


 武官装束を着けたナマズの鬼が出て来て、

「学瀛様。主典様はお腹が空いたとおっしゃって、市街の方へ飛んでお行きになりました」

 と、告げた。

「食事? 主典の好物って…、人間のアレだろ。きっと大騒ぎになるね…」

 マナブは残酷な想像をして、悦に入った。





 カズチは元々、お洒落にとても気を遣う男だった。

 それが今、泥だらけの服で構わず電車に乗る。

 彼のボサボサに伸びた髪も、無精髭も、いつもと違い過ぎる。


 彼はブツブツ独り言を漏らしている。

「マンションの鍵が無い…。財布はあったのに…。何があったのか、全然覚えてない…」

 彼は車窓のガラスに映る自分を見て、しばらく動きを停めた。

「別人じゃないか、俺…」


 彼は乗り換え駅の表示を見て、苛々した。

「俺はなんで、こんなとこにいるんだ…? 体が重い…。だるくて、死にそうだ…」

 彼の頭の中は(もや)がかかったようにボンヤリしている。

 彼は記憶の断片を繋いだ。

「…鶴とか言う名の、鬼の使いが来た。…俺はマナブみたいに、鬼になりたいと頼んだ。マナブを拾った経緯も話した。ペットを飼うように、マナブに愛情を注いだことも…。…俺は鬼になれたのか?」


 彼はエスカレーターで気分が悪くなり、吐き気を感じた。

「大丈夫ですか?」

 親切な人が話しかけた。

「…ちょっと疲れてるだけです。ありがと」

 カズチは作り笑いをした。

 でも、本当にしんどかった。頭痛と眩暈(めまい)がした。


「俺は鬼と契約して、サインした…。その後、タクシーでどこかの山へ行った。…途中、交際してたカナを乗せた。…なんでカナが来たのか…、ちっとも思い出せない。…ともかく、俺達は…気が付いたら、山の中にいた。マナブ…もいたな…」

 また頭の中に靄がかかってきた。

 思い出すのも億劫になってきた。


「カナはどうなったんだろ。あんな女、どうでもいいけど。…研究室で一番可愛かったから…、キーホルダーのアクセサリーみたいなもんさ…」

 カズチは電車を乗り継ぎ、大学院の研究室へ向かった。



 時計は午後十時を指していた。

 研究室には下っ端だけが残っていた。

「え! カズチさん、辞めたんじゃなかったんですか!?」

 後輩が驚いた。

「おまえらに追い出されただけだろ。…他の奴等は帰った?」

 カズチはいつもより粗暴な口調で喋った。


 後輩は周囲を確認し、小声で返事した。

「何人も行方不明でしょ…。カズチさん、指名手配されてますよ…」

「はぁ、何のことだかわからないね。指名手配?」

 カズチはとぼけた。


「教授が二人行方不明になって。あなたを告発した山田さんも、行方不明になって…、山田さんのアパートから遺体の一部と血痕が見つかって。…それで、今朝、あなたは指名手配されたんですよ。今も、警察が捜してますよ!」

 後輩は緊張し、デスクに置かれたスマホに目を走らせた。

 通報したい、そう考えているのがありありわかる。


「ふーん…」

 カズチはデスクの上を払った。

 資料やスタバのエスプレッソや、スマホが床に落ちた。

「カ…カズチさんの…、マ、マンションは…、警察が見張ってると思いますよ。こ、ここも危ないかも…」

 後輩の眼鏡がずり落ちた。


 カズチはいきなり、後輩の胸ぐらを掴んだ。

「じゃ、おまえの家に泊めてくれよ」

「ええっ。勘弁して下さいよ。僕、新婚なんですよ?」

 後輩は涙で目を潤ませ、鼻水を垂れた。

「いいか、何でも教えてやる。教授のこともだ。でも、ここじゃ話せないな…。知りたきゃ、連れてけよ」

 カズチが凄んだ。


「すごく喉が乾いてる…。さっき、あんなに水をがぶ飲みしたのに」

 カズチは苛々して、何も落ち着いて考えられなかった。


 後輩は慌てて帰り支度をした。

 カズチは後輩と一緒に、研究室を出た。




 後輩は大事な奥さんが待つ家に帰りたくなかった。

 奥さんは妊娠九カ月目だった。


 奥さんの両親はもう風呂を済ませ、奥の和室で寝ていた。

 その隣りのリビングで、カズチと後輩は無言でビールを飲んだ。

 対面式のカウンターキッチンから、奥さんが愛想を振りまいた。


 後輩は奥さんから見える位置に、こっそり新聞を置いた。

 K大研究室事件で逮捕状・指名手配という見出しが付いている。記事には、カズチの名前と顔写真が出ていた。


 奥さんは天真爛漫な可愛らしい女性で、新聞の意味に気付かなかった。

「お話は伺ってますよー。カズチさんは天才タイプの方だってー」

 奥さんはおつまみのチーズとサラミを皿に盛り、テーブルに出した。

「そんなことないんです。ただ真面目で、研究以外に何も興味ないんです。他に何か出来るわけじゃないし、流行のことも殆ど知らない。俺はクソつまんないヤツです」

 カズチが言った。

 後輩は俯き、唇が白くなるほど噛んでいた。


「そんな方がなんで研究室を辞めたんですか?」

 奥さんは夫の隣に座った。

「…自分でも、よくわからないんです。鬼を拾った時から…段々、人間としての感覚が麻痺していった。鬼に感染するみたいに…、自分も鬼になっていったんだと思います」

 カズチは本気で返答した。


「あら、鬼って…」

 奥さんはコロコロ笑った。

 鈴を転がすような声の持ち主だ。

 後輩は顔に汗を噴き出し、膝の上で拳を握り締めた。


「鬼を拾ったって、どういう比喩なんですかー?」

 奥さんの横で、突然、後輩が立ち上がった。

 後輩は奥さんをソファーから引っ張り出した。

「逃げろ! これは本当のことだ! あの人は殺人鬼だ!」

 後輩は奥さんをリビングから押し出した。



 カズチはすまして、ソファーで脚を組んでいた。

「カズチさん、頼みます、出て行って下さい。警察を呼んだりしません。だから、僕の家族には何もしないでくれ!」

 後輩が膝を着き、両手を合わせて頼んだ。


 カズチは馬鹿にしたように見ていた。

 彼の頭痛が収まり、脳内ですっきりと靄が晴れていった。


「思い出したよ。…俺、愛宕の奥の、遠い山の中へ連れてかれたんだ。そこに鬼の墓があった。俺はカナを殺して、生贄に捧げた…。俺は本物の鬼と一体になる為に、いくらか血を払わなきゃならなかった…。俺は墓穴に引き擦り込まれて…、千年前の鬼に喰われたんだ…」

 カズチが告白した。


 喰われた時の恐怖と痛みを思い出した。

 ビールが半分入ったタンブラーが転がった。

「俺は研究室の奴等に…復讐してやろうと思って……よみがえった…」

 カズチの眸が虚ろになった。


 カズチが頭を掻くと、ボサボサの髪が抜けた。

 頬が腐り落ちる。

 全身が腐り、土に塗れていく。

 腐臭漂い、紫色の爪が伸び、目玉がどろっと流れ出る。


「うわーっ!!」

 後輩が叫んで、ひっくり返った。

 カズチの流れ出た目玉の下に、金色の鬼の目玉があった。

 顔に浮かび上がる、血のように真紅(あか)い鬼化粧。


「うわっ、うわわわ…!」

 後輩は腰を抜かして、動けなくなった。

 全身腐りかけた鬼が後輩を捕まえた。

 鬼が軽く握っただけで、

「ギャー」

 後輩の右手首が砕けた。


「おまえは後で殺す。先に…好物を食す…」

 そいつはカズチとは似ても似つかぬ、低い声で唸った。

「退け…。血と肉が欲しい。喉が渇き、腹が減っている…」

 鬼がカズチの後輩を投げ飛ばした。

 後輩はキッチンまで飛んだ。


「やめてくれー!!」

 後輩は包丁を出し、片足を引き摺って、鬼に迫った。

 骨折した右腕は力が入らない。

 彼は左手で包丁を握り締め、必死に鬼の背後から脇腹を刺した。

 鬼は知らん顔をして、リビングのドアを建具枠ごと引き抜いた。


 鬼は廊下で立ち聞きしていた、後輩の奥さんを見下ろした。

 鬼の身長が脹れ上がっていく。

 鬼は天井に頭を擦り、膝と腰を屈めている。


「ああ、あ…。お、鬼…? ほん…もの…?」

 奥さんが可愛らしい声で尋ねた。


「いかにも、鬼じゃ。主典と申す男のなれの果て。我が好物は、人間の胎児。千年昔、夜毎、村々に呼びかけて回った。(わっぱ)はおらぬか、身重の娘はおらぬか、隠したとても匂いで知るぞ。家を木槌(きづち)で叩き壊し、女子供を引き摺り出して喰った。嫁入り前の娘を見つけては、孕ませて、腹の()を喰った…」

 鬼がぐわーんと響く声で答えた。


「やめてくれー! やめてくれー!」

 後輩が鬼の背中で泣きながら、何度も包丁を突き刺した。

 包丁はカズチの服を破り、鬼の肋骨にゴツンゴツンと当たっている。

 彼の手が滑り、包丁の刃で自傷して血だらけになる。


「何やー!? どうしたー!?」

 奥さんの両親が、隣りの和室から出て来た。


 鬼が奥さんに手をかけた。





 紅葉は静先生と電話で話した。

「コマチが鬼の血を輸血されて、鬼化したんです」

「そう。後は本人の精神力の問題ね。どこまで持つか…」

 静先生は残念そうに溜息をついた。

「そんな…」

 紅葉は言葉が詰まった。


 よく晴れていたが、風は冷たい朝だった。

「紅葉。咲良はもう病院を出ましたよ。後で合流することになってます。あなたは私達と一緒に行きましょう。スミレもこっちに来てますよ。今、私達は嵐山にいます。渡邊くんは咲良と一緒。御所へ行ったはずです」

 静先生が言った。


「雨音くん、咲良ちゃんと一緒なんですか?」

 紅葉は兄の蘇芳を振り返った。

「おにぃ。地震が起きて、京都最後の日になるかも知れへんのに、雨音くんは咲良ちゃんと行っちゃった…」

 紅葉は寂しく思った。


「ええやん、別に。紅葉も早く支度して」

 蘇芳は紺一色の剣道着に着替え、黒いパーカーを羽織っていた。

 長い日本刀が目立たないように、竹刀袋に入れている。

 雲林院が走ってきた。

「蘇芳さーん、おはよーございまぁーす!」

 雲林院も剣道着を着て、竹刀袋に刀を入れている。


「私もこれを着るかな」

 紅葉も剣道着を着た。

 コートとスーツでノーネクタイの旭は、運転席で、

「俺、剣道部の引率の先生みたいだな」

 と、感想を言った。



 旭の車が走り出した。

 紅葉は車窓から、いつもと変わらない通学時間の街の様子を眺めた。

「みんな、大きな地震が来るなんて思ってへん…」

 紅葉は何度も深呼吸した。


 知らない誰かが、友達と一緒にバスに乗って行く。

 誰かのお父さんが朝から疲れ顔で、駅の階段を行く。

 遅刻ぎりぎりで走って行くあの子。

 保育園の送迎バスに手を振るお母さん達。


 商店街で重いシャッターが開き、店の前に停まったトラックから、慌ただしく荷物が下ろされる。

 パン屋の前から、香ばしい匂いが流れて来る。


 紅葉は胸をぎゅっと押さえた。

「明日、これが全部、ナイかも知れない」

 切なくなった。

「雨音くんも咲良ちゃんもいない。私がやる」

 紅葉は決心した。



 旭は武蔵と電話で話しながら、嵐山方面に車を走らせた。

「愛宕の鬼を襲撃する。おまえらが鬼の世界に入るのは、それほど難しくないと思う。鞍馬の天狗のルイとレイが、愛宕の大天狗の太郎坊に話を通した。旭、山上から預かった荷物、全部持って来たな?」

 武蔵がハスキーな声で囁き、電話を切った。



 清滝トンネルの手前で、武蔵達が待っていた。

 紅葉は車を降り、トンネルを見て焦った。

「ここって、前にコマチと煌星が幽霊見た場所ー?」

 昼間でも、とても不気味だ。


 スミレが走ってきた。

「紅葉ちゃーん、待ってたよー! 咲良ちゃんは遅れて来るってー。コマチと煌星はまだー?」

 紅葉は明るいスミレの表情を見て、少し悩んだ。

「スミレちゃんは武器持ってないから、煌星達と待ってた方がよかったかな?」

「大丈夫ー。ちゃんと武蔵さんの後ろで見てるからー」

 スミレが武蔵達を振り返った。


 静先生が助手席のウィンドーを下げた。

 静先生は死装束を思わせる、白無地の着物を着ていた。

 喪服である。

「紅葉、大丈夫ですよ。トンネルはお祓いしました。ここからが(マナブ)の結界。結界の入り口を監視する鬼がいます。…あ」

 静先生が固まった。


 武蔵がトンネルで監視の鬼を捻り潰し、拳で壁に撃ち込んだ。

 鬼はぺっちゃんこ。

 監視の役目の蜘蛛の鬼は、金色の炎に包まれ、灰になった。


「紅葉。(マナブ)に、私達の襲撃を気付かれました。正面から結界に突入します」

 静先生がにっこり微笑んだ。

 双子の天狗のルイとレイが、今日は黒いスーツと黒ネクタイじゃない。

 山伏姿で車に乗っている。

 墨染めの僧衣に着替えた武蔵が、

「行くぞ。ついて来い」

 と、クラクションを鳴らした。

 紅葉達は旭の車へ戻った。



 清滝トンネルの空気が異質なものへ変化する。

 ネバネバと空気が膚に絡む。

 トンネルを走る間、オレンジ色の光が窓の外を流れる。

 始め、トンネルのライトかと思う。

 けれど、違う。鬼の手形が窓にベタベタと付く。


「うわぁー」

 雲林院が悲鳴を上げた。

 ドアの隙間から鬼の手が入り込んできて、雲林院の兼光を引っ張った。

 雲林院は鬼の紫色の手を蹴った。


「飛ぶぞ」

 武蔵の声が、紅葉達の頭の中に直接響いた。

 無数の鬼が二台の車にしがみ着いた。車の屋根がギシギシ軋み、屋根が凹んだ。

 武蔵は車を急加速させた。旭もぴったり、後を追う。


 対向車も来ない。他に車がない。

 前方、トンネルの出口が青白い炎に包まれている。

「鬼火!?」

 反射的に、旭はブレーキを踏もうとした。

「旭、アクセルを踏め!」

 武蔵が言った。


 二台の車は猛スピードで、青白い炎に飛び込んでいった。

 車は異界へ突入した。





 しばらくの間、白く灼けた眩い世界で、紅葉達は目が回るのを感じた。

 車ごと浮遊するような感覚。

 少しずつ、車が沈んでいく。


「大丈夫か!?」

 旭が車内を見回し、確認した。

「一応、大丈夫っす…」

 雲林院が打った頭を擦り、答えた。

 シートベルトをしていなかった蘇芳は、天井に浮かんで、ルームライトにしがみ着いていた。


 空気は水のようにねっとりと重くなった。

 紅葉は泳ぐように空気を掻いて、酸素を探して息を吸った。



 ズズン、と地響きがした。

 車が大地に降り立った。

 紅葉はどきどきして、窓の外を見た。

 昼間の光が射し、よく晴れていた。


「鬼がいっぱい集まって来る前に、早くマナブを見つけて殺さないとな」

 旭がトランクを開けた。

 彼は山上の遺品が入ったリュックを背負い、白い絹で包まれた東雲を手に持った。

「どうやって帰るんですか? はぐれてしもたら、終わりですやん」

「絶対はぐれるなよ」

 蘇芳が顔をしかめ、雲林院を小突いた。


 紅葉は緊張しながら、雷帝を抱えて降りた。

 彼女は仙人が住みそうな奇岩の絶景を見渡した。

「ここから先は鬼の巣窟で、太郎坊様も命の保証はしない、とおっしゃっています」

 天狗のレイが言った。


 ルイとレイは天狗の力を増し、眼が炯々と光っていた。

 彼等の背中には黒い翼が生えていた。

 武蔵と彼等は、この世界にどことなく馴染んで見えた。



 静先生はルイに背負われて、先に進むことになった。

 ルイは重さも感じないように、軽々と跳ね、道なき道をゆく。

 武蔵は無言で(なた)を振り、沢沿いを進む。

 深い森に飲み込まれていく。

 静けさの中、時折、野鳥の囀りが響く。


「どうなるんだろうね…」

 スミレが紅葉の横を歩く。

 紅葉と蘇芳と雲林院は剣道の袴を履いているが、スミレだけ中学の制服を着て、襟元にリボンを結んでいる。

「スミレちゃん、気を付けてね」

 行く手は急斜面で、どんどん険しくなる。

「待って、紅葉ちゃん…」

 スミレは息を切らし、早足で紅葉を追いかけた。


 心地よいせせらぎの音が響き、マイナスイオンがいっぱいで、鬼の気配もない。

 木々は高くそびえ、その樹皮にキノコが生え、長い螺旋階段のように連なっている。


 突然、武蔵が立ち止まった。

「そら、第一号の鬼が出た…」

 武蔵が無銘・吉光の薙刀を抜いた。

 旭は先が両刃で途中から片刃になる神刀、東雲を抜いた。

 蘇芳は蜘蛛切の太刀を抜いた。

 雲林院は竹俣兼光を抜いた。

 紅葉が最後に、打刀の雷帝を抜いた。


 辺りの眩い光が萎んでいき、闇が湧いてきた。

 闇の濃いところに、青白い鬼火が浮かび上がった。


「初めに参り来たる鬼、学瀛様の秘蔵の剣、凍てつく大地に晒す骨、無情の空より降りる霜の声と申します…」

 鬼火が名乗り、一陣の旋風(つむじかぜ)から姿を現した。


 長い髪、青白い顔の少年で、白い狩衣を着ていた。

 無表情で、心の芯まで冷たい感じがした。

 彼が現れると、その場が急に冷えた。

 日が陰り、今にも雪が降り出しそうなほど寒くなってきた。


「雑魚の相手はしてらんねぇ。おまえは弱そうだ。ましてや、今は昼間だからな。鬼の時間じゃねーんだよ! さっさと、大将のとこまで案内しな!」

 武蔵が怒鳴った。

 相手は無言だった。

「霜の声って、静寂って意味ですからね」

 旭が呟いた。


「クァー…」

 梢で一羽のカラスが鳴いた。

 凍てつく大地に晒す骨、無情の空より降りる霜の声が、細身の剣を抜いた。

「来るか」

 武蔵が薙刀の先を上げた。

 しかし、霜の声は後ろに下がり、幽霊みたいにスーッと消えていった。



「さぶ…」

 無意識に紅葉は肩を縮込ませ、腕を組み合わせた。

 気温がずんずん下がり、彼女の吐く息が白かった。

「何、これ…。凍ってきた…」

 スミレは自分の服や、木々の枝先に付いた白い結晶を見た。

 仲間の髪の先にも、白い結晶の粒かキラキラ光った。

「霜や」

 蘇芳がぶすっとして答えた。


 地面が冷えて固くなった。冷えて、足の指先が痛くなった。 

 手がかじかんできて、紅葉は思わず、自分の息を指に吹きかけた。

「はよ鬼出て来てくれ。冷えるー」

 雲林院が見回した。

 鬼は出て来ない。


「俺はどうってことねぇがな。あの鬼の出番は終わりか。一匹ずつ来るつもりか?」

 武蔵はマナブの匂いを求め、鼻をふがふが動かした。

「異界は時間の経過が違います。急がないと、私達が元の世に帰るまでに百年経ってしまいます。浦島太郎みたいに」

 レイがみんなを急かした。



 少し先で、次の鬼がしんどそうに沢の石に座っていた。

 疲れ切った様子の少女は、最初の鬼と風貌が似ていた。

「今度の鬼は誰だ?」

 武蔵が問いかけた。


「凍てつく大地に晒す骨、ひとひらの雪と申します…」

 鬼が答え、上目使いに武蔵を見た。

「戦う気はありません…。どうぞ…、お好きにお斬り下さいまし…。私は一抹の物語をお話しさせていただきとうございます…。ほんのしばらく…、お足をお停め下さいますなら、光栄でございます…」

 しんどそうにゆっくり喋るので、みんな、可哀相に思った。

 男達は無抵抗の少女の鬼を斬る気になれなかったので、足踏みして寒さを堪えつつ、話を聞いた。


 少女は息を継ぎながら、更にゆっくりと話した。

「これは…鬼の里の昔語りでございます…。むかし、むかし…。ある鬼の里に、人間がやって来ました…。人間は乱暴の限りを尽くし、鬼を殺しました…。女子供を攫い…、人間の世界に連れ帰って監禁しました…。娘達は無理やり子供を産まさせられ…、子供は酷き使われ…、病で早死に致しました…」


「昔話の、人間と鬼が入れ替わってる…」

 紅葉は思った。


「むかし、むかし…。山を越えて、鬼の里に人間がやって来ました…。人間は里の長を殺し…、長の娘を連れ帰りました…。人間は鬼を捕まえて、首を刎ね…、遺体を埋葬することもなく…、鬼の首を国境に並べて晒したのでございます…。抗う者は身内をみな殺され…、長く土牢に閉じ込められ…、やがて餓死してしまいました…。ああ、残酷なお話…」

 少女が咳き込んだ。

 少女は石の表面に、ポタポタと赤い血を吐いた。


 とうとう雪が降り出し、ひとひら、ふたひら、舞い降りてきた。


「むかし、むかし…。鬼の里に人間が来て、支配地にしました…。鬼は酷く働かされ…、鬼が敬う呪術師は、人間に惨たらしく殺されてしまいました…。人間は鬼のように恐ろしい顔をしておりました…。鬼は人間よりも、美しい姿をしておりました…。鬼と人間は入り交じり…、やがて人間は鬼に、鬼は人間となって…、今の世を迎えます…」

 少女の鬼の話が終わり、スーッと姿が消えた。



「しもた。体が完全に冷えたわ。長い話、聞かんかったらよかった」

 蘇芳がガチガチ震えた。

「おにぃ、刀が抜けへん…」

 紅葉は固くなった鯉口にびっくりした。

「もう動きが鈍ってきたな。低体温症になるぞ…。急げ!」

 武蔵が紅葉を背負い、レイがスミレを背負った。

 彼等は森を走り出した。


 雪がしんしん降る。

 鬼の世界に雪が降る。





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