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捌肆 解き放たれた鬼


 コマチが猛獣のように襲いかかってきた。

 旭はコマチの手を取って、合気道の袖取り肩落としを決めた。

「どうしたの? コマチちゃん、また憑りつかれたの?」

 旭はコマチを押さえ込んだ。


 通りすがりの近所のおばさんが、

「どうしたんですか!?」

 と、喋りかけてきた。

「ふざけてるんですよ。いつもこんな感じですから」

 旭はコマチを、門扉の奥へ押し込んだ。


 コマチは隙を見て、思いきり旭の腕に噛み付いた。

「痛っ!!」

 旭が悲鳴を上げた。

 彼は冬物のコートを着ていたから、コマチの牙は直接食い込むところまでいかなかった。


「コマチちゃん、師走だよ。寒いから、家の中で話そう…」

 旭がコマチの髪を掴み、玄関へのアプローチを引っ張っていく。

「ほんまに、いつもそんな感じですか?」

 近所のおばさんはゴミ出しも忘れて、心配そうに見ている。



 そこに、コマチと同じクラスの煌星(あかり)と新見が来た。

「旭さん、コマチー。おはようー。今日は地震の予告の日やから、一日ずっと一緒にいようと思って。スミレは咲良ちゃんを迎えに、病院に行ったよー」

 煌星が門扉を開けようとした。


「待って、煌星!」

 新見が慌てて閉めた。

 コマチが旭の腕の中でもがき、激しく吠え立てた。

「ぐぅわぁるるぅ…、ぐわぁがぁぁ…!」


 煌星はびっくりして、新見にしがみ付いた。

「ど、ど、どしたん、コマチ!?」

「ご覧の通り、ご機嫌斜めなんだよ…」

 旭はコマチを後ろから抱き締め、抑えた。

「コマチ、顔が死んだ人みたいに青いよ!」

 煌星はあたふたした。

 コマチの口からヨダレが糸引き、旭のグレーのコートに流れていた。


「君ら、静先生に連絡してもらえるかなぁ? お祓いしてもらわなきゃ…」

 旭は暴れるコマチを持て余した。

 コマチは謎の怪力で旭を振り解き、彼の右手に噛み付いた。

 今度は彼女の牙が、旭の指の骨に当たるまで食い込んだ。

「てぇっ!」

 旭が手を払った。


 コマチは門扉を獣の跳躍で越え、煌星に躍りかかった。

 新見が煌星を庇い、手の甲をコマチに引っ掻かれた。

 コマチの鋭い爪で、新見の手の甲が四筋、深く裂かれた。


 目には見えない、小さな青黒い鬼が、旭と新見の傷口に侵入する。


 コマチはバラの蔦が絡まる門柱に飛び乗った。

「もう終わりだァ…。亡骸(むくろ)が山と築かれる。虐げられた鬼が人間に復讐する。人間どもは地獄を見ろッ!」

 コマチは映画の悪魔みたいな声で叫んだ。

「何なの、これ。動画サイトにでも投稿しはるんですか? もっとリアルに作らんとね」

 近所のおばさんが呆れ、ゴミ出し場に向かった。


 新見と煌星は口に手を合てて眺めていた。

 旭の手から血が滴った。

 犬に噛まれたみたいに、バックリ裂けて骨が覗いていた。


「コマチ、俺の言ってることわかる? 君は気が強くてワガママだけど、普通の可愛い女の子だよ!」

 旭がコマチに呼びかけた。

「ふひひひ、ひひ。私が誰かって。そんなこと、覚えてもいない。頭が無くなって、何も考えられないのさ。残ったのは、この血だけ。血が血を求め、人を喰らうことを欲してる…」

 コマチの中の鬼が返事した。


 コマチは右手の爪を顎の下にかけ、

「ご覧。この血がおまえを鬼にするよ…!」

 と言って、自ら掻いた。

 耳から耳まで顎の下が搔き切られ、血飛沫が飛んだ。

 血飛沫が旭の顔にかかった。


 旭は呆然と、自分の顔を撫でた。

 腐臭漂う青黒い血が、手にべっとり付いた。


 細胞レベルの小ささで、小鬼が蠢いていた。

 死んだ鬼の血が旭の奥深くに入り込む。


「おまえらも…私と同じ運命を…辿る」

 コマチは自分の首筋を掻き毟った。

「やめーな、コマチ! 正気に戻ってー!」

 新見は煌星に被さって、血飛沫を一人で受けた。

 新見の紺のコートに点々と、青黒い血が付着した。


「一緒に死んでやる、コマチ。だから、そっちの子に血をかけるな!」

 旭がコマチを掴み、抱き締めた。

「シャーッ!」

 コマチが暴れ、唸った。



「コマチー!」

 道の方から、紅葉の声がした。

 二人分の足音がして、蘇芳と紅葉の兄妹が走ってきた。

「旭さん、コマチは鬼になった…。死んだ鬼の血を注射された。刀を抜いて下さい…」

 息を切らして、蘇芳が言った。

「鬼になった…?」

 旭は愕然とした。彼が肩に担ぐケースには、山上の遺品・東雲の太刀。


 コマチが旭を突き飛ばした。

「ふひひ。無駄だ、旭。おまえはもう終わり。私と一緒に滅びる。おまえもこの血を浴びたんだから…。ふひひひ…」

 コマチは青黒い血染めのパジャマ姿で、胸を反らせた。


 旭は体内に違和感を覚え始めた。

 シャツの中に虫が入り込んだ感じ。いや、体の中に…虫が入り込んだ感じ。

 貧血に似た眩暈(めまい)を感じた。



「コマチ、ごめん…。私を助けに来て…鬼の血を打たれた…」

 紅葉が悲しそうに呟いた。

「紅葉……」

 コマチが正気に返り、ロウソクよりも青白い顔で、紅葉を見詰めた。

「紅葉…、これが運命なのかな? 人としての私はもう死んだのかもね? この世では愛する人と結ばれない、何回生まれ変わっても…そういう運命かな? こんな姿を旭さんに見られて、私、もう死んでしまいたい…」

 コマチは背中に旭の視線を感じた。


 コマチは絶望していた。

「紅葉…、助けて…。自分の内側が…異質なものに変わってく…」

 彼女は紅葉に頼みながら、紅葉の味を想像して、ヨダレを垂らした。

「食べたい…。紅葉を食べたい…。友達なのに。ああ…」

 コマチは酔っぱらったようにふらふらした。


「おまえはもう、コマチと違う。可哀相だけど、死んでくれ」

 蘇芳が蜘蛛切を抜刀した。

 紅葉と旭が同時に叫んだ。

「やめて、おにぃ!」

「やめてくれ、蘇芳くん!」

 そして、煌星が泣き出し、

「蘇芳さん。お願い、斬らないで。もし、コマチと違うとしても…斬らないでほしい…」

 と、蘇芳の腕を掴んだ。


 その場の空気に、蘇芳は苛々した。

「コマチが人間に戻れるなら、俺も斬らへん。このまま人間を襲って喰うなら、斬る!」

 蘇芳が言い切った。

 旭は刀ケースを開こうとして、手を停めた。

「蘇芳くん…、俺には…出来ない。コマチちゃんを斬れ…と言われても、やっぱり斬れない…。俺って、意外と甘いんだな…。こんなことで、誰を守れるって言うんだ? 覚悟が中途半端だよな…」

 彼はだらんと手を降ろした。


 脱力しきった旭を見て、コマチはせせら嗤った。

「そんなに私を好き? 優しく食べてあげる…」

 コマチが両手を広げ、旭に近寄った。



 蘇芳が動きかけ、紅葉が止めた。

「おにぃ、これ、持ってて!」

 紅葉が蘇芳に雷帝を渡した。

 蘇芳は目を丸くした。

 紅葉は丸腰で、コマチに近付いた。


「コマチ…」

 紅葉の眸にコマチの全身が映る。

「紅葉…」

 コマチが目を細め、紅葉を睨む。


 紅葉は赤い紐を取り出した。

「コマチ、噛むなら噛んでいいよ。私に鬼の血を感染(うつ)したらいい。それでも、私はコマチを殺さへん。もし、私を信じてくれるなら、…じっとしてて…」

「ぐぅおおお…」

 コマチが唸り、逆毛立った。


「紅葉!」

 煌星は思わず目を閉じた。

「紅葉、危ないで!」

 新見が叫んだ。

「紅葉、退け!」

 蘇芳が蜘蛛切を上段に振り被り、飛び込んでゆく。


 紅葉はコマチの眸を見詰め続け、黙々と、コマチの両手首を紐で縛った。

 犬の散歩用の赤いリードで、コマチの手が縛られた。

「紅葉、ありがとう…」

 コマチの中の獣が、静かになった。


「コマチ、ちょっとだけ待ってて。咲良ちゃんと静先生を連れて来る。きっと何とかする。まだ希望は捨てんといて。私、地震を待ったりしない。こっちから打って出る。今から鬼を倒して来るわ…」

 紅葉がコマチの手を握った。

「うん…、わかった。待ってる。心の中の鬼に敗けないで、…人間の心を…持ち続ける…」

 コマチが答えた。


「ふぅー」

 旭が地面に座り込んだ。

 膝が笑っていた。

 彼は手の傷を押さえ、しばらく立てなかった。


「旭さん、コマチちゃんを家に入れて。この子らに見といてもらいましょう。俺達は雨音達と合流しましょう」

 蘇芳が提案した。

「俺と煌星に任せて下さい。ちゃんと友達(コマチ)を見てますから」

 新見が赤い紐の端を受け取り、親指を立てて見せた。



 新見と煌星は二階の窓から、紅葉と旭達を見送った。

「さてと」

 新見が振り返ったら、コマチはおとなしく、ベッドに凭れて居眠りしていた。

 煌星が新見の手の甲に、絆創膏を貼った。


 絆創膏で外側を塞がれても、青黒い小鬼は新見の深部へ向かっていた。

 彼の血管を流されながら、分裂増殖して、正常で健康な彼の血を蝕んでいった。





 同じ日の、朝八時過ぎ。

 スミレが咲良の病室に来た。

「おはよう、咲良ちゃん。迎えに来たよ」

 ベッドを囲むカーテンを開けた。


 咲良がいるはずのベッド、枕元にはピンクのタオルが掛けてあった。

 サイドテーブルに歯ブラシとコップ、洗面道具が置き放し。

 ペンギン柄のスリッパがきちんと揃えてあった。

「あれー、咲良ちゃん!? どこ行ったの!?」

 スミレは急いで、廊下を追いかけた。


 スミレは蘇芳の病室を覗いた。

 蘇芳の病室は、完全にもぬけの殻だった。彼の荷物すら残ってない。

 スミレは静先生の病室に走った。

 静先生もいない。

「あわわ…、置いてかれたっ…!」

 彼女は猛ダッシュして、病院を出た。



 スミレは駅前の大通りを走った。

 定食屋の前を通り過ぎてから、

「今のは…」

 彼女は道をバックして、店のガラス窓を覗いた。

 武蔵と静先生と双子の天狗が、窓際の席で定食を食べていた。

 坊主頭の大男と類い稀なる美人、喪服のような黒スーツを着た双子と、顔ぶれがちぐはぐ過ぎて目立つ。


 スミレが窓を叩いた。

 武蔵が気付いた。

 スミレが入って行くと、彼は五百円硬貨を渡し、

「おまえも食ってけよ。今日は暴れるぜ」

 と、食券の券売機を指差した。

「はい」

 スミレは食券をカウンターに出し、静先生の横に座った。


 静先生は一番先に食べ終わっていた。

「スミレさん。今回のテストはどうでしたか?」

 静先生は全く関係ないことを聞いた。

「最近、勉強が手につかなくて。ちょっと成績落ちました…」

「明日が知れなくても、勉強しなくてはなりません。スミレさんには明日があります」

 ぶ厚い眼鏡を外した静先生は、眩しいぐらい美しかった。


「静先生。今、咲良ちゃんを探してたんです。私、咲良ちゃんを怪我させちゃったし、次は役に立ちたいんです」 

 スミレが言った。

「私達だって、何の役に立ったのかわかりませんよ。八百年以上、都を脅かす鬼と戦って来ましたけど」

 天狗のルイが言った。

「今日こそ、決着を着けるんです。山上が死んだ分まで、私達が頑張るしかない。素人のあなたでも、多少は役目があるはずです」

 天狗のレイは双子のルイより、冷ややかな口調だった。


「最後のコーヒーになるかも知れんぞ。静、飲んでくか?」

 武蔵が向かいのカフェを指した。

「いらない。明日、飲みます」

 静先生が答えた。


「咲良なら、後で落ち合うことになってるわ。私達と一緒に来なさい」

 静先生が誘った。

 スミレはついて行くことにした。





 午前九時。

 咲良は今出川(いまでがわ)通りから烏丸(からすま)通りに入ってすぐ、乾御門(いぬいごもん)の前で、外国人観光客が並ぶ列の最後尾にいた。

 京都御苑に入る為である。


 咲良は黒い居合道着を着込み、上からコートを着ている。

 袴はロングのプリーツスカートみたいに見える。


 乾御門から木立の小道を通り、京都御所の公開入り口・清所門まで歩く。

 この前、紅葉達と来たから、様子はわかっている。

 築地塀と呼ばれる長い土塀と、幅がとても広い砂利道が続く。この道の長さが、御所の奥行。

 こんな景色は、京都でもさすがにここだけだと思う。


 清所門を入ったところで、所持品検査がある。

 咲良はちょっと緊張しながら、リュックの口を開いて見せた。

 彼女の前を歩いていた、いかつい顔の男性は、ボディチェックも受けていた。

 咲良は冷や汗をかいた。

 彼女は腰に、短刀・神泉を忍ばせている。


 スーツ姿の男性係員は、咲良の格好を見て、

「コスプレ趣味の女の子かな?」

 と、思った。

「一人なの? 修学旅行?」

 咲良は声も出さずに首を振った。


 すんなり通ることが出来て、咲良は先を急いだ。

「ちょっと、君…。待ちなさい」

 係員の呼び止める声。


 咲良はびくびくしながら、振り向いた。

 清所門で、雨音が呼び止められていた。

 彼は所持品検査を通過したが、その先でまた別のスタッフに呼び止められ、ガードマンに囲まれてしまった。

「雨音くん…」

 咲良は仕方なく、声をかけた。


「あ、咲良ちゃん。遅くなってゴメン」

 約束もしてないのに、雨音が笑顔で駆け寄ってきた。

 彼は普段と同じ。チョンマゲ風に髪を後ろで結んで、居合道着にフード付パーカーを着て、スニーカーを履いている。

 そして、鬼切が入った、大きめの刀ケースを肩に掛けていた。


「よくそれで入れたね、雨音くん」

 咲良はびっくりして、鬼切のケースを見た。

「ちゃんと中身見せたよ。同時にこれも見せたけど」

 雨音は前髪を掻き分け、額の第三の眸を見せた。

 咲良に対しては、その眸は閉じていた。


「僕達、考えることが同じなんだね。咲良ちゃん」

 雨音は遠足に行くみたいに、にこにこしていた。

 咲良の緊張が少し緩んだ。

「いつ地震が来るか、わかんないよ。雨音くん、準備してきた?」

「地震を阻止する為に来たんだよね? 実際、凄く濃い妖気が漂ってるからね。ここだと思うよ。紅葉ちゃんには蘇芳さんがついてる。今日は僕が咲良ちゃんを守るから」

 雨音が言った。


 咲良も、紅葉と来た時には感じなかった妖気を、見学コースの先から感じていた。

「御所の鬼ってこと?」

「その黒幕の方だね。今日はいるよ」

 雨音は確信していた。


 二人の向かう先に、紫宸殿(ししんでん)の南庭を囲む、朱塗りの回廊が見えてきた。

 月華門が開いていて、額縁に入った絵を見るように、紫宸殿と白砂の南庭と青い空が嵌っていた。

 朱塗りの平安的な回廊が、咲良を緊張に引き戻す。

「なんで御所なんだろう?」

 咲良が首を傾げた。

「ここが現代で一番、京の都を象徴する場所だからと思う。この紫宸殿で、明治・大正・昭和の天皇の即位礼も行われたんだよ」

 雨音は月華門の前で、ロープ越しに紫宸殿を覗いた。

 紫宸殿に、天皇の玉座である高御座(たかみくら)がある。


 二人は回廊の外側を回り、紫宸殿の正面になる、承明門(じょうめいもん)まで歩いた。

 ここが南庭への唯一の入り口で、ガードマンが門の外に立っている。

 千年前は大極殿(だいこくでん)で即位礼が行われていたが、焼失して今は無い。

 今の紫宸殿は江戸時代に、平安時代の古き寝殿造りを再現したもの。


 大きな反りがある桧皮葺(ひはだぶき)屋根、柱と柱の間に格子状の蔀戸(しとみど)が整然として、南に高欄付きの簀子縁(すのこえん)、そこから地上まで階段が十八段もある。高床式だ。

 左右には、左近の桜と右近の橘。

 白砂は掃き清められ、筋が引かれている。


 雨音が承明門の敷居を跨ごうとした時、咲良が引き留めた。

「少し待って」

 南庭にいた観光客が写真を撮り終わって、出て来るのを待った。

 観光客は南庭の途中までしか、入れない。Uターンして来る。


 観光客が途切れる瞬間を待って、咲良が承明門に立つ。

 門の上には青い空、白い雲が一つたなびいている。

 京都御所の周辺建物の高さ規制は厳しく、写真に現代的なビルが映り込むことはない。

 咲良は深呼吸をして、紫宸殿を拝む。


「手伝って、雨音くん。門を開けるから」

 咲良が言った。

 ガードマンが苦笑した。

 門は開いている。

 両開きの門が三つ合わさった形で、軒高も高く、巨人の為の門のようである。


「わかった」

 雨音が咲良と手を繋いだ。

 咲良は雨音と扉を押し開く真似をした。

 思いを込め、異界へ繋がる扉を開く。

 開けなくてはならない。


 風向きが変わる。

 紫宸殿の方向から風が流れて来る。

 咲良の髪が揺れる。

 雨音の髪が揺れる。


 風が軋むように唸る。

 ひゅう、ひゅううう…る…るる…。


 世界が暗転する。

 突風が二人に吹く。

 暴風雨の南庭が目の前に見える。

 雷が鳴っている。


「少し開けて、飛び込んで、すぐ閉める。他の人が入って来ないように」

 咲良が雨音に告げた。

「了解」

 二人はぱっと飛び込んで、扉を閉める仕草をした。


 朱塗りの扉が閉まり、雨風が打ち付けていた。

 振り返ると、そこに千年前の内裏があった。

 左近の桜が咲き、花吹雪が舞っていた。





 夜みたいに南庭は暗く、松明の炎が躍っていた。

 大屋根に擦れそうなほど黒雲が垂れ込めるのを、時折、稲光が鉤状に割いていた。


 咲良と雨音は承明門に伏せて、紫宸殿の南階を昇った先の暗闇を見上げた。

「いる…。鬼だ…」

 咲良は言葉を飲み込んだ。

 強い妖気が肌を圧迫してきて、咲良は恐ろしくて、ぶるぶる震えた。


「鬼が…玉座に座ってる…!?」

 雨音は不思議そうに目を凝らした。

 異界の紫宸殿の前に、膝を着く平安装束の鬼ども。鬼の従者。

 最も強い気配は、正面から流れて来る。


 咲良と雨音は無彩色の世界にいた。

 二人の衣服の色合いも濃淡も失われた。

「行こう、咲良ちゃん」

 咲良と雨音は手を繋ぎ、風に押されながら南庭を前進した。


 大きな気配の主が立ち上がり、縁まで出て来た。

 その顔は、オレンジと黄と真紅の絵具を塗っているように見えた。

 火焔がまとわりついていた。

 

神王(しんのう)…」

 咲良が大鬼の名を呼んだ。





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