捌拾 死神の罠
1
深夜の地震。
震源地は京都の活断層で、この地域は震度五弱だった。
病院は耐震補強がしっかりしていて、看護師の対応も落ち着いていた。
地震の時、山上が隣りのベッドに呼びかけたが、蘇芳はトイレに行っているのか、返事がなかった。
山上は眠れなくて、何度も寝返りを打った。
静かだけれど、時々看護師の足音が廊下から聞こえる。
「蘇芳くん、遅いな…。まだ戻って来てないな…」
かれこれ、一時間は経つ。
もしかしたら、蘇芳は自宅に電話しに出たのかも知れない。
夜中、山上は我慢出来なくなって、上体を起こし、
「蘇芳くん、蘇芳くん…」
思い切って、ベッドとベッドの間のカーテンを捲った。
蘇芳の布団が畳まれていた。
そして、彼の手荷物がなくなっていた。
「ああー!? 蘇芳くんはまだ帰れる状態ちゃうやろー!?」
山上は驚いて、その場で固まった。
2
スミレはコマチや紅葉、咲良と電話が繋がらないので、とても焦っていた。
彼女の家族は無事で、和室の居間に集まった。
停電が続いていた。
スミレは家族みんなで、ずっとラジオを聞いていた。
防災リュックからライトとラジオを出して、初めて実際に使った。
彼女の家族は黙っていた。
スミレは友達と連絡を取り合ったり、スマホのニュースを確認したりして時間を過ごした。
夜が更けていく。
家族はラジオを聞きながら、毛布に包まって寝た。
スミレのスマホのバッテリーが残り僅かになった。
「明日の朝一番に、コマチに電話してみよう…」
欠伸が漏れた。
玄関のドアホンが鳴った。
「こんな時間に、誰が…?」
夜中の三時。
スミレはドアチェーンを掛けてから、少しずつ、戸を開けた。
「スミレちゃん…、こんばんは…」
若い男の声がした。
停電の為、暗くて相手の顔がわからない。
「誰…?」
スミレは蚊が鳴くような、小さな声を出した。
「蘇芳です。紅葉の兄です。会ったことあるよね…」
蘇芳がぐっと玄関戸を引き、ドアチェーンが伸びきって、ガチャンと鳴った。
スミレはその音にびっくりした。
「あ、こんばんは。紅葉ちゃんのお兄さん…。剣道部の主将やってた…。どうしはったんですか? 紅葉ちゃんは一緒?」
「紅葉は死んだ」
蘇芳が口を斜めに歪めた。
「えっ!?」
「コマチちゃんも煌星ちゃんも、咲良ちゃんも死んだよ…。スミレちゃん、助けて…。俺も、鬼に追われてる。入れてくれ…」
蘇芳が玄関戸を叩いた。
スミレは急いでドアチェーンを外し、蘇芳を玄関に入れた。
「も、紅葉ちゃんと…、コマチ達が…?」
スミレは蒼白になり、声も掠れた。
「うん、死んだ。突然胸が痛いと言って、倒れて…。死因はわからへん。死ぬ前に、みんなで御所の鬼を捜しに行ったとか言うてたな…」
蘇芳はさっさと、靴を脱いで揃えた。
「嘘…」
スミレはぶるぶる震え出した。
「あの鬼は、君らが呼んだ鬼か? 外におるで。牛みたいな角生やした鬼が」
蘇芳は玄関の外を示した。
スミレはしゃがみ込んだ。
「どうしよう。行かなかったらよかった。ただの好奇心で…。御所の鬼は本当にいた…」
彼女の眸に、口惜し涙が溢れてきた。
「スミレちゃん、鬼は君を殺しに来たみたいや。絶対に開けたらあかん」
蘇芳はスミレに鍵を閉めるよう、言った。
スミレは言われた通りに従った。何も疑わなかった。
ドアホンを誰かが押した。
「誰や? まさか、呼ばれもせんのに来るとは…」
蘇芳が舌打ちした。
スミレはドアホンの受話器を取った。
途端に、紅葉の声がした。
「スミレ、早くここ開けて! 御所の鬼が来るー!」
「紅葉!? 生きてたの!?」
スミレは慌てて玄関の鍵を開けようとした。
「スミレちゃん、あかん! 今のは鬼や! 鬼は他人の声の真似が目滅茶苦茶うまい。話も上手いから、すぐ騙されてしまうで!」
蘇芳が止めた。
「スミレ! そこに、うちのおにぃいるの!? あかん、おにぃの言うこと聞いたらあかんー!」
紅葉の声がドアホンに向かって叫んだ。
蘇芳は負けじと声を張って、
「スミレちゃん、あれは鬼や! 紅葉は確かに、今夜死んだ!」
と、スミレの手から受話器を奪い取り、フックに掛けた。
彼はずかずかと、スミレの家に上がり込んだ。
スミレはつられて、蘇芳を追った。
3
和室の居間で、彼女の家族が身を寄せ合って、毛布に包まっていた。
この騒ぎにも気付かず、すやすやと寝息を立てていた。
小さな音量で、ラジオが流れ続けていた。
玄関で、誰かが戸を叩いている。
あれは死んだ紅葉なのか、鬼なのか。
スミレは頭が真っ白で、何も考えられない。
蘇芳は不機嫌な顔つきで、スミレの家族に分け入り、ちゃぶ台の前に座り込んだ。
「鬼は紅葉の声で、君を騙そうとしてるんやな。予測を裏切る因子があったと言うわけや。この世は、縁起ってもんで動いてる。一人一人に縁と行いがあって、重なり合ってくるから、読みようもないこともある…」
蘇芳がスミレに語った。
「なんで、京都御所に行った人達は死んだんですか? なんで死なないといけないんですか?」
スミレは蘇芳と向き合って座った。
「何か、鬼に知られたくないことがあったんやろ。死んだ人達は、鬼にとって、邪魔やった。無差別に選ばれたんと違う。一人一人に実は意味があって、鬼は止むを得ず、その人達を殺さなあかんかったのかもな。きっと、都合が悪かったんやな…」
蘇芳は深刻な表情で答えた。
「市長さんと知事さんはそうかも知れへんけど…、歌手のララさんはなんで? 大使館の人も、ドラマの撮影してた俳優さんも、私達も…どうして?」
スミレは悲しくて、納得出来ない。
ティッシュを引き出し、涙を拭く。
「スミレちゃん。君には死ぬ理由がない。君は鬼をやっつけたいとも思ってへんし、君の心は汚れなく純粋で、鬼が付け入る隙もない。君はひたすら、友達を心配してるだけ…。強くて、優しい子や。…ああ、邪魔したな。俺は一人で、鬼と戦って来る。あの鬼を殺して、紅葉の仇を討つ…」
蘇芳が立ち上がった。
「待って! 今行ったら危ないですよ! 玄関の外に鬼がいるやん!」
スミレが蘇芳の腕を取った。
「…スミレちゃんて、可愛いね。紅葉の友達の中で、一番可愛いんちゃう? 俺はコマチちゃんみたいな、派手顏の美人は好きとちゃうねん。どっちかって言うと、ちょっとぽちゃっとして、女の子らしい、二の腕もふんわり柔らかい子が好き…」
蘇芳がスミレの二の腕を摘んだ。
「コマチちゃんは細過ぎやな。このぐらいがええと思う。美味そうやし…」
蘇芳がヨダレを飲み込んだ。
「蘇芳さん…。私はどうですか? マズそうだった?」
階段の踏み板が鳴って、咲良が古い京町屋の、中庭に面した階段を降りて来た。
「はぁ!? 咲良!? なんで、君、生きてるの!?」
蘇芳が咲良を睨み付けた。
「なんでかな。死神さん。言いたいことはわかってるよ。どうやって、俺の結界に入って来たの? …ってことだよね?」
咲良はまず、玄関の鍵を開けに行った。
咲良が戸を開け、紅葉をスミレの家に入れる。
紅葉が毅然とした表情で、玄関で靴を脱いで入って来た。
肩に担ぐは、呪いの刀・雷帝。
既に抜刀している。
蘇芳は雷帝を見て、ぎょっとした。
スミレはパニックになった。
「蘇芳さん、咲良ちゃんは死んだんでしょ? あれも鬼!? 紅葉にそっくりな、これも鬼!?」
「チッ…」
蘇芳はまた、舌打ちした。
「下がって、スミレちゃん。俺が命にかえても、君を守る。鬼が二匹、君の家に侵入してきた! 強い鬼で、君の親友そっくりに化けてる。紅葉と咲良ちゃんの遺体は病院にあるはず。…あれは偽物。鬼や!」
蘇芳はスミレの前に立った。
「はい、わかりました!」
スミレは蘇芳を信じた。
「スミレちゃん。その人は蘇芳さんじゃないよ。人間の心の一番弱いとこに付け込んで、魂をあの世に送る死神なんだ」
咲良がスミレに向かって言った。
が、スミレには通じなかった。
「黙れ、ブス! 咲良ちゃんはもっと可愛いわ。鬼の癖に、化けるの下手やな!」
スミレが怒鳴った。
蘇芳は短刀を取り出した。
「スミレちゃん。これ、護身用に。山上さんからさっき預かった。これであの鬼を刺して。紅葉でも、咲良でも、嫌いな鬼の方を…」
スミレは震える手で、短刀を受け取った。
スミレは咲良と間近で見詰め合った。
咲良も、護り刀の神泉を持っていた。
「スミレちゃん、やめて。これは鬼の結界を切り開く為に持って来ただけだよ」
咲良は神泉を鞘にしまった。
スミレは切先を咲良に向けた。
「咲良ちゃんとこの前、喧嘩したけど、仲直り出来てよかった。私は咲良ちゃんが大好き。そやから余計に、咲良ちゃんの顔と声を真似する鬼が許せへんわ…」
スミレが切先を引いて脇を締め、両手で柄を握った。
突きの、飛び込む前の姿勢に入った。
「や、やめて。私はスミレちゃんを助けに来たんだよ。私は鬼じゃない。本物の咲良だよ!」
咲良は両手を振った。
スミレは追い詰められた仔犬のような、怯えた眸をしていた。
「紅葉、どうする? 俺が斬れるか? あんたの兄貴や。あんたの為に、貴船の奥山から生きて帰ってきた。例え、この身が鬼になっても…、あんたを誰より大事に思ってる……」
蘇芳が妹に迫った。
紅葉は雷帝を身構え、迷った。
「雷帝の刀匠さん…、あれはうちの兄ですか?」
雷帝から青白い光が走り、薄暗い部屋を一瞬灼いた。
雷帝に宿る刀匠の魂は、
「おぬしがそう思うなら斬るな。鬼と思わば、斬れ!」
と、答えた。
紅葉は兄と鬼を計りかね、身動き出来なかった。
蘇芳が詰め寄り、切先を素手で掴んだ。
「そら、紅葉。斬れるなら、斬ってみろよ。この顔を…」
蘇芳の手から鮮血が滴った。夢に見そうな、真紅の血だ。
蘇芳が切先を眉間に運んだ。
紅葉は奥歯を噛み締めた。
「そうだ。鬼が知らないことを言って、私達が本物だと確認すればいいんだよ」
咲良が閃いた。
「鬼は何でも知ってる。スミレちゃん、惑わされるな。鬼は人間の心が読める」
蘇芳がスミレに言った。
「みんなで、一斉に合言葉を言おう。決めてあったやん。鬼だけ知らん」
紅葉が言った。
「あ、あんなの…、鬼なら知ってるに決まってる」
スミレは自信無さそうに呟く。
いろんな思いが頭の中をめぐってる。
「もちろん、俺も知ってるわ。スミレちゃん、鬼の提案に乗るなんて、わざわざ火に入る夏の虫みたいな愚行やで!」
蘇芳が言い張った。
紅葉が掛け声を掛けた。
「ほな、せーの、で言うで。せーの…」
スミレは合言葉を言おうとしたが、何も思い出せくて、口をパクパク動かしただけ。
蘇芳も、
「やめろー!」
と、叫んだだけで、合言葉は言えなかった。
紅葉と咲良は声を揃えて、
「そんなの無いってー!」
と、叫んだ。
次の瞬間、紅葉が蘇芳に握られた切先を正面に突き込んだ。
蘇芳はさっと身を屈めて、ぎりぎりで避けた。
彼は後方に間合いを切った。
紅葉は跳んで蘇芳を攻め、
「スミレ、わかったやろ!? 鬼を騙したうちらの勝ち。合言葉なんか、最初から無い!」
と、三段突きに突っ込んだ。
兄の得意な突きを、剣道の試合で見て覚えた。
蘇芳は人間離れした速さと低空でバク転し、廊下から中庭に出て、灯篭の上に飛び乗った。
「騙すっていう行為そのものが、鬼の証明なんちゃうの!?」
スミレが咲良に体当たりした。
咲良の腹に、短刀が突き刺さった。
「あっ…」
咲良はよろけて下がり、片膝を着いた。
腹から血が滴った。
「友達と戦いたくないよ…」
咲良は顔を崩し、腹を押さえ込んだ。
斬られた傷は痛いと言うより、熱かった。
蘇芳はほくそ笑んだ。
「咲良。心臓が痛いやろ? 思い出せ、さっきの心臓の痛みを。友達に信じてもらえなくて、気の毒やな。君は前の中学でも友達出来んかったり、義理の父親に暴力振るわれたり、嫌われてばっかりやなぁ。死んでしまおうか、今、ここで!?」
蘇芳が囁いたら、急に咲良の胸が痛くなった。
腹の傷より、胸の痛みの方が強く感じられた。
咲良は床に片手を着き、激しく喘いだ。
「死ねない。ここで死んだら、スミレちゃんが一生悔やむ…」
咲良は歯を食い縛った。
「死ぬのは、そっちや。死神!」
紅葉が蘇芳を追いかけた。
スミレは短刀から手を放し、呆然と咲良を眺めていた。
咲良の頭から鬼の角は生えなかった。ただ弱々しく、廊下に倒れ込む。
「もしかして、本物の咲良ちゃんなの…!? …いやあぁー!」
スミレが頭を抱え、金切り声を上げた。
「スミレちゃん。なかなかの悪夢やろ? さぁ、そろそろ、君の心臓も痛いはずやな? 確かに、俺は死神。三人まとめて、あの世に送る。鬼とは、人間と表裏一体。同じけもの…」
蘇芳が灯篭の上から、悪魔的に囁いた。
スミレの胸を激痛が襲った。
「咲良ちゃん、ゴメン…。私は…友達を心配してたのに…、鬼と間違って切ってしまった…」
スミレは泣いて後悔した。
彼女は廊下に倒れた。
この痛みなら死ぬとわかった。
咲良もスミレの目の前で、今、死の間際を迎えたようにピクピク痙攣している。
「違う。そんなわけない。鬼は鬼と名付けられた時から、鬼。人間とは違う」
紅葉は一言一句確認するように、ゆっくり明確に喋った。
蘇芳は口笛を一つ吹き、
「そうか? 助けに来た友達に信用してもらえず、実の兄に斬りかかる、愚かな妹」
と、紅葉を罵った。
「あんたが誰かはわかってる。死神。ここであんたの名を呼ばれて、私に結界を潰されたい?」
紅葉が強い口調で言い返した。
咲良の護り刀から、神泉の魂がゆらり立ち上がった。
「紅葉、名を呼んでやりなさい。その瞬間、その鬼の頭を雷帝で斬ってやりなさい。雷帝は鬼にかぶりつき、鬼はまことの名を呼ばれて、かわすことが出来ぬでしょう」
「はい」
神妙に答え、紅葉は本能的に跳んだ。
全身から流れる動きで、蘇芳を正面斬り下ろした。
「…っ」
紅葉は叫ぶ前に、蘇芳が庭の暗がりに溶けるのを見た。
鬼が身の危険を感じ、一瞬早く逃げた。
紅葉の剣は空を切り裂き、結界を消滅させた。
4
鬼が去った後、コマチは死を覚悟した。
意識が遠退いた。
誰かがコマチの背中を撫でた。
「コマチ、待ってて。すぐ、この悪夢を終わらせて来る」
「紅葉…?」
コマチは紅葉の声を聞いた気がした。
煌星は暗闇に落ちていく感覚を味わった。
涙で、新見の姿が見えなくなった。
「新見くん、バイバイ…」
煌星は次々、家族や友達の顔を思い浮かべた。
死ぬことは痛く、苦しく、寂しかった。
「煌星ちゃん。大丈夫。すぐ片付けて来る。気を強く持って、私と紅葉ちゃんを信じて…」
咲良の声がした。
「煌星、絶望すると死んでしまう。希望を何回も思い返して」
紅葉の声も聞こえた。
「うん。死にたくない…」
煌星の閉じた睫毛の間から、涙が一筋零れた。
彼女は希望を持とうと思った。
スミレが目を覚ました。
長くてリアルな夢だった。まだ胸が痛かった。
スミレは家族の寝顔を見て、安心した。
「よかった。…私、咲良ちゃんを殺してない…」
朝の眩しい光がカーテンの隙間から射し込み、居間を明るく照らしている。
スミレは一番に、コマチに電話した。
「スミレ? 地震、寝てたから気付かなかったわ。揺れ、大きかったらしいね。私は鬼の夢見て、うなされてて。そしたら、夢に紅葉が出て来たの。で、危ないとこで助けてくれた。…でも、心配やから、今、紅葉の家に向かってる。煌星も、紅葉と咲良に助けられたってさ。…もしかして、スミレも?」
コマチは早歩きしながら、荒い息で話した。
「紅葉と咲良ちゃんが…夢に…?」
スミレは冷や水を浴びせられた気持ちになった。
スミレの母親が起きた。
「ちょっと、スミレ。廊下で、鼻血でも出したの!? 何なの、この血は!?」
母親が悲鳴を上げた。
鼻血にしては大量過ぎる、赤黒くなった血溜まり。
「さ、咲良ちゃん…」
スミレは膝から力が抜け、廊下にへたり込んだ。
5
蘇芳はタクシーがなかなか捉まえられなくて、苦労した。
地震のせいだ。
それに、数歩歩くごとに腹の痛みにクラクラした。
朝五時頃、自宅に着いた。
「蘇芳ー。心配して帰ってきたの!? うちはみんな無事よー」
両親は無事だった。
猫も無事。
蘇芳は二階に急いだ。
「紅葉、無事か!? 地震で怪我してへんか? 心配で、病院にいてられへんかったわ」
蘇芳が紅葉の部屋を開けた。
紅葉は雷帝に付いた血を拭き取り、刀の手入れをしていた。
「紅葉、それ、誰の血?」
蘇芳がぽかんとして言った。
「誰の血って…、鬼の手から出た血。肝腎の鬼は倒し損ねたけど。…おにぃ。ほんまに、本物のおにぃ?」
紅葉は雷帝を持ち直した。
「本物の俺以外に、誰がいるのよ?」
蘇芳の不思議そうな顔を見て、紅葉は長い吐息をついた。
「おにぃ、話がややこしくなるから、病院でじっとしてて。おにぃの偽物が、あちこち他人の夢に出没して、人を心臓発作に見せかけて殺してる。咲良ちゃん、自宅から救急車で運ばれた。命は取り留めたけど」
「へ!? 俺の偽物が!? それで咲良ちゃん、どこの病院に運ばれたん?」
蘇芳の顔色が変わった。
「おにぃの入院してた病院」
「マジか。病院に戻るわ」
蘇芳の背中に、紅葉が尋ねた。
「おにぃ…、やっぱり咲良ちゃんを好きなの? 鬼から聞いたんやけど、おにぃは咲良ちゃんを好きで、咲良ちゃんは雨音くんを好き…、雨音くんは咲良ちゃんを…。あれは本当のこと…?」
紅葉の中にくすぶっていた疑問。
蘇芳は背中を向けたまま、
「…そうやな。…俺、あんたに悪いことしたな。次は絶対、もっといい男見つけたるわ」
と呟いて、先に階段を降りて行った。
「うん…」
紅葉は項垂れた。
咲良は親友で、絶対に紅葉を裏切ったりしないだろう。
「醜い取り合いの方がよかった。その優しさが辛いわ。咲良ちゃん…」
紅葉は心がどろどろと、黒く染まる気がした。
6
蘇芳が自宅に着く、二時間ほど前。
女の子達が夢から覚めた。理由は、紅葉が鬼の結界を壊したから。
「お腹が熱い…」
咲良は布団を捲り、自分の血の染みを見つけた。
枕元には、霊感の強い祖母がいた。
「くわばら、くわばら。夢に鬼が出たんやな。咲良、救急車呼んでくるわ」
祖母が走って行った。
咲良は熱い腹を抱え、布団に残る、ひらがなの多い血文字を見た。
「なのかご ゆうべより つよい地震 京の都はかいめつする これはたたり」
咲良は時間をかけて、最後まで鬼のメッセージを読んだ。
「昨夜、地震が…あったんだ…。まだ起きるの…?」
咲良は出血のショックで、意識を失った。
血文字のメッセージが消えた。
咲良が意識を回復するまで、病院で二日経った。




