漆玖 京都御所の鬼
1
午後。
山上と蘇芳の病室。
武蔵が雲林院に刀を渡した。
「俺は昔、霊剣を集めてて、結構強引に橋の上で他人の刀を奪ったりしてたのよ。で、これをおまえにくれてやる」
「やったぁ…。俺の刀…」
雲林院はヨダレを垂らしそうな勢いで、刀を抜いた。
「銘は入ってるの?」
紅葉が聞いた。
何しろ、太刀拵えはボロボロだったが、反り具合も色形も、かなり古そうに見えた。
刀身の樋という溝に、三鈷の彫刻と梵字があった。
「ああ。銘は竹俣兼光だよ」
武蔵が答え、紅葉はひっくり返った。
「竹俣兼光ー!? 長船兼光の作で、上杉謙信と景勝、豊臣秀吉が所有した後、大阪の陣で不明になって、家康が捜させたっていう、あの名刀!?」
「有名な刀なの?」
咲良はキョトンとした。
「竹俣兼光は雷神を斬った太刀と言われててな、雷切の異名があるんやで」
ベッドから山上が答えた。
「スゲー」
雲林院の手に震えが来た。
「おまえには勿体ないんちゃうか、雲林院…」
蘇芳が冷やかした。
「急に化けるかも知れん。そう言ってやるなよ」
武蔵が庇った。
面会時間の終了間際。
雨音が病室に入って来た。
蘇芳はカーテンを閉め切っている。
雨音は山上のベッド側の椅子に、腰を下ろした。
「雨音。俺はすぐには動けへん。おまえが学瀛を斬れ。あいつはまだ、マナブと完全には融合しきれてへん。あいつが人間の生活をしてるうちに、早く斬ってしまえ」
山上が命令し、雨音は無言で頷いた。
雨音が帰った後、寝ているふりをしていた蘇芳は、
「雨音は結構、勝手な命令されてるんやな…」
と、思った。
2
翌週。
お昼休み、紅葉達は教室で喋っていた。
コマチが見ていたタブレットに、ニュース速報が出た。
「あ、誰か死んだ。…俳優の竹内颯太さんが死んだって。心不全で」
コマチが訃報を読んだ。
「えー、またぁー!? 例の連続怪死事件の続きー!?」
「怖ーっ!」
煌星とスミレがタブレットを覗き込む。
「何、それ?」
咲良が紅葉に聞いた。
「この間、女優の沢井恭子さんが突然死したばっかりやん。京都でドラマ撮影してる最中に。先週は、京都市長の藤原さんが死んだ。京都府知事の矢野さんは一ヶ月前。その前は、歌手のララさんと、元Jリーガーで衆議院議員になった永山さん。なんでこんなに続くんかな? 他に、京都に来たアメリカ大使館の人も死んだ」
「彼等の共通点は、死ぬ前にある場所を訪れてること…。それは、京都御所」
コマチが得意げに続きを言った。
「咲良ちゃん、知らんの? ネットで大騒ぎになってるらしいよ。こう書いてあった。永山氏は…まるで鬼でも見たような顔をして、死んでいたと言う…」
煌星が怖い物語のナレーションのように語った。
「煌星、そんなん噂やん。ふざけ過ぎ」
スミレが注意した。
「でも、御所には鬼を見たい人が殺到。毎日、ダダ混みになってる。有名な人だけじゃなくて、一般の人でも突然死が出てるらしいよ」
「御所に鬼か。ほんまに出そうで怖いな。…どうする? 行ってみる?」
紅葉が女の子達を見回した。
「行かな。うちら、しゅとーん部やもん」
コマチが即答した。
紅葉達は今出川から清所門を通り、最近は通年公開されている京都御所に入った。
噂のせいか、普通の観光客に野次馬がたくさん混じっている感じがした。
「鬼、出るかなぁ?」
咲良がワクワクしている。
「御所の庭にはセンサーがあって、何かあったらすぐ警備員が駆け付けるの。間違って入り込んだら、テロ容疑者として逮捕されるかも」
「じゃ、鬼もセンサーに引っかかっちゃうね!」
咲良達は御所を一周したが、鬼の気配はなかった。
「ね、紅葉。御所のどっかに、九尾の狐の殺生石みたいなのがあって、時々毒出してるんちゃう? それで人が心不全で死ぬとか」
コマチが考える。
「殺生石か…。何でも見方によっては、鬼の祟りに見えるよね。後ろめたいことのある人には…」
紅葉は何か引っかかって、首を傾げた。
夜中。
紅葉は変な物音で、目が覚めた。
寝室のドアが軋みながら開く。
「風…?」
彼女は廊下の窓が開いているのに気付いた。
「どうして、窓が…」
寒い風が吹き込むので、彼女は寝ぼけ眼を擦って、ベッドから出た。
ドアが風に揺れ、子猫が鳴くような、怪しい軋み音を立てる。
揺れているドアノブを握った時、ドアがふぁーっと開いた。
向こう側に、蘇芳が立っていた。
「あれっ!? おにぃ、どうやって帰って来たの?」
紅葉は焦った。
八尾の狐が手を彼の腹に挿し込んだ為に、蘇芳は内臓を損傷して、命が危なかった。
回復は早い方だと、医者が言っていた。
手術後三日でやっと、蘇芳は病室とトイレを自力で往復出来るほど、動けるようになった。
「タクシーに乗って、帰ってきた。紅葉、俺の蜘蛛切はどこ…?」
蘇芳が病んだ眸を向け、妹に尋ねた。
「どうかしたの? 蜘蛛切は雨音くんに貸しちゃった。雷帝なら、私が持ってるけど」
紅葉はおろおろした。
「雷帝か。あれはあかん…。あの刀は…気に入った相手にしか、自分を使わせへん…」
蘇芳は舌打ちした。
「紅葉。雨音が鬼に捕まった。助けに行こう…」
「ほんま!? 待って。すぐ着替えるわ」
紅葉は雨音の名前が出ると、兄の話を全部信じた。
蘇芳は玄関を開け、夜風に誘われるように外に出た。
「おにぃ…、もしかして、二階の窓から入ったの? 鍵は?」
「鍵は貴船で失くした。まぁ、何でもええやん。はよ来よし」
蘇芳が外から手招きした。
紅葉は雷帝の入ったケースを肩に掛け、外へ飛び出した。
蘇芳は雷帝の匂いを嗅ぎ、嫌そうに顔を背けた。
「紅葉、雨音のことは諦め。あいつは東京に帰りよる。知ってるか? 雨音はほんまは、咲良ちゃんが好きなんや…」
蘇芳が歩きながら話し始めた。
紅葉は困惑した。
「最初はね。今は、雨音くんの彼女は私。咲良ちゃんにヤキモチ焼きたくない」
「ごめんな。俺が紅葉の為にしたことが、結局、紅葉を傷付けることになってしもたわ…」
蘇芳が含み笑いした。
「おにぃ、何言ってるの? 笑ってるの?」
紅葉は何か恐ろしく感じ、立ち止まった。
「紅葉、なんで御所に行ったんや。あそこは今、鬼が出るんやで。…紅葉、見てみ。自分の顔を…」
蘇芳がカーブミラーを指差した。
湾曲した鏡に、紅葉の顔が映っていた。
歪んだ部分が、牙と角みたいに映っていた。
「鬼はいなかったよ…」
紅葉は言い張った。
「鬼はあんたの背中に忍び寄って、くっついて帰ってきた。あんた、心臓苦しくないか…?」
蘇芳が尋ねた。
紅葉は急に胸が痛くなって、蹲った。
「ふふふふ…。鬼とは、人間の心のうら。ふふふふ…」
蘇芳が変な笑い方をした。
紅葉は胸の痛さから、全身が痺れ、地面に倒れ込んだ。
3
コマチは深夜まで勉強していた。
少し眠気があったが、彼女は勉強に集中していた。
窓に小石が当たった。
「何? 悪戯? 誰がこんなこと…」
コマチは訝しみ、カーテンを開いた。
暗い路地。
街灯の光に照らされる、青白い蘇芳の顔。
「蘇芳さん…」
コマチは窓を開け、呼びかけた。
「こんな時間に何してはるんですか!? 病院、抜け出して来はったの? 大丈夫なんですか?」
蘇芳はコマチを見上げ、薄笑いを浮かべた。
「コマチちゃん、お見舞いに来てくれてありがとうな。もうこれで、会うのも最後かも知れへんから…、挨拶に来たんや」
蘇芳が話すと、コマチの頭に水が流れ込むような、ヒンヤリした感覚が起きた。
「どういうことですか?」
コマチは庭の高い木の枝で蘇芳が見え難くて、少し苛々した。
「紅葉が死んだ。俺は紅葉の仇を討つ。これから、旭さんと雨音と、鬼退治に行く…」
「えっ!! 紅葉が!?」
コマチは信じられなかった。
「ほな、元気でな。コマチちゃん。鬼に気を付けて…」
蘇芳が去ってゆく。
「どーゆーこと!?」
コマチはパジャマのままで、玄関から飛び出した。
蘇芳が角を曲がる。
コマチは裸足で追いかけた。
雲の上を走るみたいに、地面がふわふわと柔らかく感じた。
角を曲がると、電柱の影に蘇芳が立ち止まっていた。
「蘇芳さん!」
蘇芳が振り向いた。
いつもと違う、冷酷な、悪魔じみた表情だ。
コマチは周囲を見回した。
ねっとり暗くて、住宅街に黒い靄がかかったみたいになっている。
「蘇芳さん、何があったんですか…? 変ですよ?」
「君ら、御所に行ったな。鬼に会いたかったんやろ? 来てやったで…」
蘇芳がコマチの肩に掴みかかった。
コマチは後ろに下がろうとした。
辺りは濃い闇に包まれ、道がわからなくなっていた。
「俺の名は、死神…」
「蘇芳さん、冗談はやめて下さい。明日、紅葉に言いますよ!?」
コマチの背中が電柱にぶつかった。
蘇芳は電柱に片手を掛け、コマチの顎を掴んだ。
「冗談なんか、言うてへんわ。君、心臓痛くない? 死ぬ時は、旭と一緒がええか? 旭は君みたいな子供、面倒臭いって言ってたけど」
蘇芳の口の中に、長い牙が見えた。
突然、コマチの胸が痛くなった。
キリキリと絞られるような痛み。
息も出来ない。汗が噴き出て、頭が真っ白になる。
「ふふふふ…。鬼とは、人間のもう一つの顔…。ふふふふ…」
蘇芳の笑い声が路地に響いた。
コマチはその場に倒れた。
4
咲良はお寺の庫裏の二階で寝ていた。
墓地の方で、物音がした。
「ん…。また下駄の鬼が、私の靴を盗みに来たのかな…」
咲良が起き上がった。
墓地で、墓石が倒れる音がした。
風が竹林を揺らし、葉擦れの音を奏でていた。
咲良は神泉が入ったカバンを掴み、墓地が見える側の窓を開けた。
「鬼さん、静かにしてよ。眠れないでしょ…。これ、あげるから…」
咲良は窓から、土産物屋で売っていた草鞋を投げた。
「咲良ちゃん…」
墓石の影から、蘇芳が現れた。
青白い顔をして、R高のブレザーの制服を着て、ネクタイを締めていた。
「蘇芳さん…、どうしたの? 何してるの?」
咲良は瞼を擦った。
「…紅葉とコマチを殺して来た…」
蘇芳が言った。
咲良は階段を降りた。
祖母のトキが通りかかり、
「咲良。気を付けや。あいつ、強いで」
と言って、一階のトイレに入った。
「うん。わかってる」
咲良はふわふわした足取りで廊下を歩き、勝手口でサンダルを履いた。
彼女は墓地で待つ、蘇芳の元へ向かった。
塀の向こうの街灯が、墓地を仄かに照らす。
蘇芳は灯りを背に、石畳に佇んでいた。
「蘇芳さん、私を殺しに来たの?」
咲良が聞いた。
「咲良。これは祟りなんや。わかるやろ? 俺の名は、死神」
「誰を怖がらせる為の祟り? 死んだ人達に、直接、恨みはないよね?」
「恨んでるとも。心の底から、人間全てを…」
蘇芳が咲良の肩を掴んだ。
咲良はカバンから七味の小瓶を取り出し、蘇芳に投げた。
赤い唐辛子の粉が散った。
蘇芳がむせた。
「君、そろそろ心臓痛くないか…?」
蘇芳のその言葉を合図に、咲良の胸が激しく痛んだ。
「俺はこうやって、何人も殺したんや…」
蘇芳が白状した。
咲良は蹲り、胸を押さえた。
咲良はカバンから、節分に使う豆を出し、蘇芳に投げ付けた。
「こんなもので、俺を祓えると思うなよ。咲良」
蘇芳は墓石の裏に隠れた。
「俺は君の弱味を知ってる。こんなことも」
蘇芳は方向の違う墓石の裏から現れ、咲良を羽交い絞めした。
「咲良。君は雨音を好きなんや。もうずっと前から、紅葉に遠慮して、心を隠してるけどな。それで、紅葉が鬼に殺されて死ねばいいのにって、ずっと思ってる…」
「そんなこと、思ってないっ! 私は何も…」
咲良の顔色が変わった。
心臓がキリキリ痛んだ。
「思ってるわ。それで、俺は悲しくなった。君は幸せな紅葉が羨ましくて、妬ましくて、ずっと親友の死を待ち望んで来た…。ほんまに醜い女の子やな。美容整形したその顔も、その心も。ふふふふ…」
蘇芳が嫌味たっぷりに言った。
「違う…、全然違う…」
咲良は驚いた。
咲良は蘇芳の腕の中で、ぐったりして来た。
そして、彼女は誰かの墓の砂利の上に倒れた。
「ふふふふ…。鬼とは、人間の本性そのもの……」
蘇芳は倒れた咲良の頭を蹴った。
5
煌星は新見と電話で喋っていた。
「煌星。なんで鬼探しなんか行ったん? 危ないやん。俺は清滝トンネル行ったこと、反省してるで」
「だって。新見くんは御所に行った人が何人も同じ死に方したのは、偶然と思う?」
煌星は口を尖らせた。
その時、地震が来た。
ドーンと地響きがあり、結構揺れた。
「わわ、揺れたな。揺り返し来るで。部屋、大丈夫か? 頭の上の物に気を付けや」
新見が注意した。
さっきよりも強い横揺れが来た。
「わーっ。新見くん、大丈夫ー?」
煌星は慌てた。
観葉植物の植木鉢が、テーブルから落ちた。
「京都も活断層多いからな。これ、南海トラフがどーたらこーたらと違うやろな…」
新見がテレビを点けた。
停電した。
部屋の照明も消えた。
「ヤバいな」
煌星は地震で気分が悪くなった。
彼女はどうでもいいスタンドが倒れないように、一生懸命押さえ続けていた。
「落ち着けよ、煌星。明日は学校、休みかも知れへんで。家が無事ってことは、震度5弱ぐらいかな。コンビニで棚が倒れた程度やろ。昔ならともかく、このぐらいで人は死なへん。震源地はどこかな…」
新見は煌星を落ち着かせようと、喋り続けた。
「トモっ、無事?」
新見の母親が、彼の部屋のドアを開けた。
「無事や。心配せんとき。大した揺れちゃうわ」
「トモ、逃げよ。壁がギシギシ言ったわ」
新見の母親は妹の双葉を連れ、外へ飛んで出た。
外は灯りが消えて、真っ暗だった。
近所の人達が外へ飛び出していて、互いに無事を確認し合った。
「母さん、ガス止めた?」
新見がいったん電話を切り、外に出て来た。
「こんな時間やから、火は使てへん。ストーブもまだ出してへんし。今日は店休みで、家にいて、ほんまによかったわ」
新見の母親は深呼吸し、胸を撫で下ろした。
煌星は家族とリビングにいた。
煌星のSNSに、スミレからメッセージが来た。
「地震、大丈夫やった?」
「大丈夫。ありがとう」
煌星はメッセージを返した。
しばらくして、スミレから、
「コマチから返信ない。まさか、寝てるのかな?」
と、メッセージが送られてきた。
「あの揺れで寝てるわけないよ」
煌星はコマチに電話した。
呼び出し音が鳴り続ける。
コマチは出ない。
「紅葉ちゃんと咲良ちゃんは大丈夫かな」
煌星は御所に行ったメンバーが心配になり、電話をかけた。
コマチと同じように、紅葉も咲良も応答しなかった。
「どうしよう。鬼が出たのかも…」
煌星は焦って、新見に電話した。
「新見くん、今からコマチの家に行ってみる」
「ほな、俺もそっちに向かうわ」
新見はすぐ駆け出した。
煌星はバス停まで来た。
地震のせいで、バスは来ないかも知れない。
冷たい夜風が吹いて、煌星はベンチで背を丸めた。
バスが来た。
妙に、ヘッドライトが目に沁みた。
バスが停車し、乗車口から蘇芳が降りてきた。
煌星はバスに乗り込むのも忘れて、蘇芳に見入った。
「あれ、蘇芳さん…。鬼に喰われて、入院したって聞きましたけど…」
蘇芳は馬鹿にしたような笑いを響かせ、
「ふふん。どうってことあらへん。そんなことより、コマチは死んだ」
と、彼女を驚かせた。
「はぁ!? どういうことですか?」
「紅葉も咲良も死んだ。どうする? 君だけ生き残っても寂しいやろ? スミレと一緒に、あの世に逝くか?」
蘇芳が早口に尋ねた。
煌星はバスが発車するのを見送った。
その道の先から、新見が走って来るのが見えた。
「新見くん!! 来たらダメ!!」
煌星は自分のことも忘れて、新見の心配をした。
蘇芳は軽く口笛を吹いた。
「そっか。男と死にたいか。それでもいい。一緒に送ったげるで。俺の名は、死神」
新見が笑顔で近付いて来る。
「煌星ー」
「新見くん、あっち行ってー!」
煌星が叫んだ。
「煌星。そろそろ心臓痛くないか?」
蘇芳がニヤニヤして言った。
途端に、煌星は胸の激痛で倒れた。
「そっか…。御所に行ったから…、皆死ぬのか…」
煌星は何故か納得した。
「新見くん…、バイバイ…」
煌星は涙で霞む新見を見詰めた。
「ふふふふ…。鬼とは…、もうどうでもええな。次はスミレを殺すだけ」
蘇芳が煌星を跨ぎ、立ち去った。




