漆拾 土蜘蛛
1
新見は蜘蛛の抜殻を見て、次に狙われているのが自分だと思った。
紅葉が新見を席に着かせた。
「新見くんは蜘蛛を殺してへん。心配しんとき」
「でも…」
「後で体育館行ってみようよ。大きい蜘蛛がいるかも知れないでしょ」
咲良が提案した。
休憩時間、みんなで体育館へ行った。
あの倉庫は特に変わった様子もなかった。
咲良はきょろきょろして、体育館の天井を見上げた。
まだ新しく明るく、きれいな体育館だ。
咲良は開いていた非常口から出て、倉庫の裏を覗いた。
倉庫の窓の軒先に、白いふわふわしたものがあった。
「あれ、何だろう? 強い妖気が出てる…」
咲良は首を傾げた。
彼女の足元に、人間の骨が落ちていた。
腐った肉の名残りか、黄ばんだ汚れが付いていた。
でも、落ち葉に埋もれて目立たなかった。
咲良はたくさんの蜘蛛の巣に気を取られ、上ばかり見ていた。
彼女は散らばった骨に気付かず、通り過ぎた。
くちゃっと丸まった、八本脚の抜殻もあった。
「何もいないみたい…」
「ほんま?」
新見はホッとした。
「ほな、ええわ。紅葉、俺に何かあったら、雨音さんに連絡してな。次、俺が学校休んだら。絶対やで」
新見が大袈裟に頼み、
「わかった。任して」
紅葉は了承した。
2
新見はゲームも手につかなくなり、自分の部屋の中を歩き回った。
小さな蜘蛛を見かけただけで、ビクビクしてしまう。
よく見たら、ただの家蜘蛛だった。
兄貴が来て、
「トモー。黒田くんとこのお母さん、火葬場から帰って来てないらしいぞ…。今、みんな必死で捜してはるけど。息子さん死んでショックで…ってことはないよな!?」
と、言った。
兄貴の心配と、新見が瞬間的に思いついたことは別だった。
告別式が終わったばかりの黒田家は、黒い靄がかかっているようだ。
黒田の祖母が泣きながら出て来て、
「新見くん、来てくれてありがとう。上がって…」
と、彼を仏間に連れて行った。
黒田の祖父が涙を流し、手を合わせたまま彫刻のように固まっている。
新見はとても胸が痛くなった。
黒田の笑顔の遺影を見た時、目を背けずにいられなかった。
「おばちゃんは?」
新見に聞かれ、黒田の祖母はおろおろした。
「それが…着物の喪服を着てたんやけどな…、喪服だけ、火葬場の裏山で見つかった。喪服、きれいにたたんであったらしい…。今、親戚みんなで捜してるけど」
「へぇ…」
新見は黒田の祖父の隣に正座して、お焼香した。
黒田の弟・竜が来た。
「トモ兄ちゃん。ママ、黒い着物の男の人について行ってん。みんな、そんな人いなかったって言うけど。誰も信じてくれへんけど、お葬式の時からずっと、一番隅に立ってた人。見たことない男の人」
竜は頭を垂れ、しょんぼりしていた。
新見は竜の頭を撫でた。
「そっか。どんな人やった?」
「女の人みたいに髪の毛が長くて、おでこの真ん中で分けてて、顔がめっちゃ白い男の人…」
「わかった。俺、そいつを捜して来るわ」
新見は座布団から立ち上がった。
「髪の長い、黒い着物の男…」
新見の膝がガクガク震えた。
いつもの彼だったら、こんな時、一番に逃げ出している。
「捜さなあかん。竜ちゃんの為にも、黒田の為にも。俺に出来る唯一のこと…」
新見は黒田の部屋に入った。
彼はきれいに掃除された黒田の部屋を、丁寧に調べた。
時々、天井から何かがこっちを見ている気がした。
天井の節穴は、きっと異界へ繋がっている。
新見は窓が僅かに開いていることに気付いた。
そこから一本の細い銀色の糸が出ていた。
「蜘蛛の糸…」
彼は思い切って窓を開け、糸の先に目を凝らした。
庭にあった柿の木に向かって、弛んだ糸が垂れていた。
糸は柿の木の枝から生垣に向かって降り、生垣から電柱へ流れ、絡まっていた。
普通の蜘蛛の糸よりくっきり光って、夕焼けを反射していた。
新見は糸を辿っていった。
糸は電線から垂れ、向かいの家の木の枝にくっついていた。
そのまま辿り続けると、糸は遂に、新見の家の門に繋がっていた。
新見は無言で糸を見詰めた。
彼は糸を切らないように、そっと門扉を開けた。
糸は玄関ドアの下を潜っていた。
「ただいま…」
ドアを開いたら吹き込む風で、糸がそよいだ。
糸は廊下の手摺に絡まり、二階へ昇っている。
新見は心臓がバクバク鳴っているのを感じた。
糸は彼の部屋のドアノブの鍵穴から、部屋の中へ入っている。
よりにもよって。
「くそっ…!」
新見が荒っぽくドアを開けた。
糸がぷつっと切れた。
黒い風が彼に吹き付けた。埃臭い匂いがした。
瞬間、視界は真っ黒になった。
耳鳴りがするほど、静かだった。
暗がりで眼が光った。
金色の眼が振り向き、新見を見た。
そいつは金曜日の午後、寝ている黒田の上に乗っかっていたものと同じ眼だ。
思わず、新見はドアをいったん閉めた。
「…何!? 今の!?」
彼はドアに背を付け、数秒考え込んだ。
3
新見が再びドアを開けたら、部屋には誰もいなかった。
窓から差し込む夕焼けが、壁を赤く染めていた。
新見はベッドの布団を捲ったり、クッションを持ち上げたりして、光る眼を捜した。
窓が僅かに開いていて、銀色の糸が一本、外に流れていた。
「逃げた?」
彼は急いで、階段を降りた。
陽が沈めば、一気に暗くなる。
糸が光を反射しなくなり、見えなくなっていくだろう。
彼の部屋の天井の片隅に、白くてふわふわしたものがあった。
そのふわふわの近くから、一匹のとても小さな蜘蛛がつーっと糸を出して、床まで降りてきた。
人面の蜘蛛。
カサカサ、と蜘蛛が歩いた。
「あ、蜘蛛!」
妹の双葉が廊下で蜘蛛を見つけて、迷わず、スリッパで叩いた。
蜘蛛はペチャッと潰れて、死んだ。
人面は原型も留めない。体液が床に滲んだ。
「気持ち悪いなー、もう」
双葉はティッシュで蜘蛛の死骸を摘み、ゴミ箱に捨てた。
新見の部屋の中で、何かがガタガタッと揺れる物音がした。
新見は糸を追いかけて走った。
空は紫がかった雲に覆われ、暗くなってきた。
彼は近くの児童公園で、蜘蛛の糸を見失った。
大きなイチョウの木が一面に葉を降らせ、黄色い絨毯みたいになっていた。
彼は汗だくで、側のベンチに座り込んだ。
近くの茂みに、蜘蛛の巣が張っていた。
外灯の明かりに照らされる、緑と黄色のボーダーの蜘蛛。
「これとちゃうな。種類が…」
彼は黒田が倉庫で殺した蜘蛛を思い出そうとした。
確か、黒い毛が生えた、灰色の蜘蛛だった。
新見の背後で、カサカサというがした。
彼は辺りを見回したが、音の正体は見えなかった。
数匹の灰色の蜘蛛が、ベンチに昇ってきた。
蜘蛛は新見の膝に上がり、腕をつたって肩まで昇った。
新見は疲れて、眠り込んでしまった。
新見は夢を見ていた。
黒田が公園の入り口から、じっと新見を眺めている。
「黒ちゃん…」
新見は黒田に手を振ろうとする。
手が重くて、上がらない。
「兵隊蜘蛛だ」
誰かが言った。
「人間を喰らう。土蜘蛛が生み付けた卵が孵ったんだ」
ひそひそと数人の話し声が聞こえた。
「兵隊…蜘蛛…!?」
新見は腕を動かそうとしたが、動かない。何かが乗っかっている。
黒い影が広がっていき、視界の半分がぼやける。
黒田が心配そうに、新見を見ている。
「飼っていた蜘蛛を…おまえらが殺した。私の可愛い蜘蛛を……」
誰かがブツブツ言っている。
新見は霞む視野で、金色に光る眼を見た。
三白眼で黒目が小さく、虹彩が金色。
異様な目つき。
「この蜘蛛は、孵化して最初に見た人間を喰う…。匂いを覚えて…その人間をどこまでも追う…」
「黒ちゃんは…女の子達が怖がったから、蜘蛛を殺したんや。悪気はなかった」
新見が言い訳した。
「許さぬ。おまえも喰われろ…」
影が袂を広げた。
ぱらぱら、何かが落ちた。
兵隊蜘蛛が湧き出し、新見の周りに広がった。
「新見…」
黒田が口をパクパクさせた。
声はないが、口の動きでそう叫んだのがわかった。
「新見…、新見…。起きろ…」
「黒ちゃん…、待って」
新見は影を押し退けようとした。
影が新見にしなだれかかった。冷たい皮膚がくっついた。
何者かの長い髪が新見の頬にかかり、冷た過ぎる息が届いた。
「喰われてしまえ…」
新見は目を覚ました。
ベンチで腕を枕にしていた為に、痺れが起こっていた。
「黒ちゃん?」
彼は公園の入り口を目で追った。
死んだ黒田がいるはずもなかった。
新見の肩と膝からポトポト、灰色の蜘蛛が落ちた。
彼は気付かなかった。
新見は足早に公園を出た。
ポケットに手を突っ込み、寒さに背を丸めて歩いた。
「おばちゃんはきっと、葬儀屋さんにトイレの場所を聞いただけや。たたんであった喪服は、着替えて捨てたんや。おばちゃんはもう、戻って来うへん…。どこをどう捜したらいいのか…」
新見はトボトボ歩いた。
自宅に着いて、顔を見た兄貴が、
「トモー。双葉を見ぃひんかった? あいつも、おらん」
と、言った。
「双葉? あいつはどうせ、晩ごはんまでに帰って来るわ」
新見は自分の部屋に入った。
「うわっ。めっちゃ蜘蛛おる」
廊下で兄貴がドスドス床を踏み鳴らして、蜘蛛を踏み殺した。
「トモー。二十匹ぐらい蜘蛛殺したでー。夜蜘蛛は縁起悪いからな。気ぃ付けやー」
「うるさい」
新見は布団に深く潜った。
4
夜中、新見はチクチクする痛みで飛び起きた。
彼は慌てて照明を点けた。
皮膚から血が出ていた。
「何かに噛まれた!」
彼は布団を投げ出した。
布団の裏表、シーツに十匹以上の蜘蛛がいた。
「うわっ!!」
新見はひっくり返って、お尻で数メートル後退した。
「蜘蛛に…噛まれた!!」
彼はあちこちに出来た傷を見た。手や頬、耳から血が出ていた。
「痛っ!!」
彼は服を脱いで、服の内側に入り込んだ蜘蛛を払い落した。
天井の蜘蛛の卵から湧き出すように、蜘蛛が降りて来るのが目に入った。
「ひゃっ…」
彼は転びそうになりながら、部屋から飛び出した。
「殺虫剤…」
彼は階段の下の納戸を開けた。
兄貴が玄関から入って来た。
「トモ。まだ双葉が帰らへん。近所の橋に、双葉のスマホが落ちてた」
「嘘や!!」
新見は殺虫剤と、懐中電灯を手に取った。
「俺と母さんで橋の方捜すから。おまえ、反対側見て来て」
兄貴がボリボリ背中を掻いた。
「痛っ…。トモ、俺、何か虫に噛まれたわ…」
「え…」
新見は青くなった。
廊下の暗がりの床が、モゾモゾと揺れている。
細かいものが蠢いている。
そして、兄弟の方へ迫って来る。
玄関のミラーに暗闇だけが映っている。
新見と兄貴は映っていない。
ミラーの暗闇も、モゾモゾと蠢いている。
「おにぃ、はよ行こう」
新見は兄貴を引っ張った。
彼は一人で通りを走って、双葉を捜した。
「蜘蛛が…どこまでも追いかけて来る…。殺してもキリがない…」
彼は息を切らした。
「そうや。さっきの…糸を見失った公園…」
彼は公園に戻った。
彼は公園の入り口から、大声で双葉を呼んだ。
「ふたーばぁー!!」
彼はイチョウの木の裏にある小山を見た。
元はもっと大きな山。それを崩して整備して、現在では普通の住宅街になっている。
土を掘り返した時、人骨やら墓石やらが出たと聞く。
「ふたーばぁー!!」
「トモ兄…」
微かに返事が聞こえた。
「双葉!?」
夜の闇に飲み込まれるように、新見は小山の茂みの中に分け入った。
懐中電灯で照らす。
雑草が茂っているが、半分は枯れている。
獣道もない。かと言って、迷うほどの藪でもない。
「トモ兄…」
双葉の声が今度ははっきり、聞こえた。
新見は怖くて震えながら、勇気を振り絞って、泣きたいのを堪えて、草を掻き分けた。
突然、茂みが途切れた。
目前に二股の大きな木が一本、無数の枝を広げ、そびえている。
葉は一枚もないけれど、人魂がゆらゆら、クリスマスツリーのイルミネーションのように点滅している。
巨木と重なるように、一つ人影が新見を見下ろしている。
普通の人間の二倍ぐらいの背がある。
そいつが小さな双葉を抱えている。
影はぼやけているが、金色の眼だけ、くっきりわかる。
あれは、鬼の眼だ。
「双葉…。今、その化け物から…助けたる…」
新見は唾を飲み、殺虫剤のノズルに震える指をかけた。
5
翌日。
始業チャイムが鳴った。
紅葉と咲良は新見の席を見詰めた。
「新見くんが来てへん…。何かあったのかなぁー?」
二人は約束を思い出す。
「もし俺が休んだら…、雨音くんに連絡してって言うてはったね…」
紅葉はとても心配した。
その日の夕方。
紅葉は学級名簿を見て、新見の家に電話をした。
誰も電話に出ない。
「新見くん、兄弟いたよね? なんで誰も電話に出ないの!?」
紅葉の不安が募った。
識神の巨門が出て来た。
「こういう時は儂を呼べ。呼んでくれんから、自分で出て来たわ…」
巨門は咳払いをした。
「紅葉。今すぐ、雨音に連絡するのじゃ。鬼が絡んでおる。鬼の匂いがプンプンするわい…」
紅葉は巨門を横目で睨んだ。
「そうやね。今、巨門に相談しようと思ってたよ。たった一匹蜘蛛を殺したら、祟られることってある?」
「忘れとったじゃろ? まあ、よい。紅葉、蜘蛛の種類が問題じゃ。土蜘蛛の長が飼う鬼蜘蛛、おぬしも見たな? 時代が変わって妖気が足りぬのか、鬼と呼ぶほど成長が速くないが、同じ人食い蜘蛛じゃ!」
巨門が答えた。
紅葉は決断し、雨音に電話した。
雨音はすぐ電話に出た。
「紅葉ちゃん? 今、旭さんと雲林院と山上さんと蘇芳さんと五人で、車で丹波に向かってる…」
「丹波…!?」
こんな時に、と紅葉は思った。
「頼光と綱が退治した土蜘蛛の故郷だよ。古事記では、全国あちこちに土蜘蛛がいたことになってるけど。紅葉ちゃんと蘇芳さんのお父さんが書いた本によると、出雲と関係がありそうだよね。出ずる雲…、大和朝廷と敵対した出雲の名前には、クモの音が隠されてる。山上さんは土蜘蛛が、朝廷になかなか従わずにいた出雲系の人々じゃないか、って推測してるよ」
雨音が言った。
彼の声の向こうで、車が高速を走っている音がした。
「酒呑童子と土蜘蛛の伝説の…福知山!? 前に行った…学瀛のお墓があったとこ!?」
紅葉は焦った。
これじゃ、新見を助けに来てもらうのが遅くなる。
「その近くだね。もうすぐ着くよ。さぁ、鬼が出て来るか…。土蜘蛛と会えるかな…」
雨音が笑う息が電話で伝わった。
紅葉は笑うどころじゃなかった。
「あ、そ。雨音くん、気を付けてね。明日、学校あるんちゃうの? 留年しないようにね!」
紅葉は電話をプチンと切った。
巨門が横から言った。
「何、慌てるな。咲良とコマチを呼べ。コマチの識神、貪狼は強いぞ」
「そうやね。そうするわ」
紅葉はスマホの呼び出し音を聞きながら、クローゼットからコートを取り出した。
そして、もう一つ。
クローゼットの奥から、ケースに入った呪いの刀・雷帝を取り出す。
彼女は北風が吹き始めた外へ、襟を立てて出掛けた。
7
コマチは、雷帝のケースを肩にかけた紅葉と神泉を携えた咲良の姿に、
「鬼切抜刀隊・少女組やん」
と、笑った。
「黒田くんがあんなことなって、私も新見くんが気になって。今日電話したけど、彼のスマホ、電源入ってないわ。バッテリー切れてるのか、電波の届かないとこにいるのか…」
コマチはそこで、小さな咳を一つ、二つした。
体調が悪い。
コマチは目を閉じると、線路に立つ黒田と目が合った瞬間を思い出してしまう。
あれからろくすっぽ、眠れていない。
「旭さんは丹波に行ったよ。雨音くんと」
紅葉がコマチに言った。
「どうでもいいわ。また、うちらを置いてった。勝手に怪我でも何でもしてくれば?」
コマチは早速、識神・貪狼を呼び出した。
ポンッと白い光が弾け、セクシーな美女の識神が現れた。
古代風の衣装にスリットが入っていて、太腿がちらちら見える。
「行くよ、貪狼!」
コマチが声をかけた。
貪狼は舌舐めずりして、眸を光らせ、獲物を捜した。
「貪狼の鼻が頼りじゃ」
巨門がサッカー部のロッカーに入れっぱなしだった新見の練習着を取り出し、貪狼に嗅がせた。
「ウウ…」
貪狼は犬のように鼻に皺を寄せ、唸った。
貪狼がいきなり、暗い道を飛んでいく。
「こっちじゃ。着いて行くぞ!!」
巨門が叫び、紅葉達も走って追いかけた。




