陸玖 呪い
1
金曜日。
紅葉と咲良は学校の大掃除で、普段使われていない体育館倉庫を片付けていた。
マスクしていたけれど、綿みたいな埃がすごい。
窓を開けたら、積もっていた埃が風で舞い上がった。
暗い倉庫に、久しぶりに日が射し込んだ。
「汚いなぁー」
コマチと煌星が箒で掃き、スミレと咲良が邪魔な体育道具を移動させた。
紅葉はバケツで水を運んできて、棚の上を拭き掃除した。
新見と黒田はちっとも手伝わないで、冷やかしに来ただけ。
「おー、捗ってるやんー。ここは俺達、必要なさそうやなー」
男子二人、外に座ってゲームを始めた。
スミレが古い跳び箱を動かした時、小さな蜘蛛が出て来た。
「うわ、蜘蛛や」
スミレのびっくりした声に、紅葉が敏感に反応した。
「く、蜘蛛ー!?」
紅葉は重ねられたマットの上に飛び乗って、蜘蛛から逃げた。
「紅葉、こんなちっちゃい蜘蛛が怖いんか?」
新見はへらへら笑うだけで、何もしない。
「助けたろ」
黒田が上履きで、蜘蛛を踏み付けた。
蜘蛛はぺっちゃんこに潰れた。
「あーあ。蜘蛛は虫食べるでしょ。大きくなったら、ゴキブリ食べてくれるかも知れないのに」
咲良が蜘蛛に同情した。
「咲良ちゃん、なんで平気なのー? この前、めっちゃ気持ち悪い目に遭ったでしょー!?」
紅葉は平安時代にトリップした時の、人面蜘蛛の群れを思い出す。
「咲良、せっかく助けてやったのに」
黒田はムスッとした。
「これは赤ちゃん蜘蛛かな? 親蜘蛛、その辺にいるんちゃう?」
新見が煌星の側を指差し、からかった。
「やめてよ。…そう言えば、昨日、体育館の前で大きな蜘蛛の抜殻見た。脱皮したやつ、親かも…」
煌星は気持ち悪くなって、倉庫から出た。
「煌星。蜘蛛の一匹や二匹、どうってことないでしょー。卵が孵ったのかもね。蜘蛛って、一度にたくさん生まれるよねー」
コマチも掃除を終えて、倉庫を出た。
「子供殺されて、怒ってるで。化けて出よる。な、紅葉」
新見が紅葉に言った。
「雨音くんがいっぱい蜘蛛を斬ってたわ。化けて出るなら、あっち行く」
紅葉は倉庫の鍵を閉めた。
「紅葉、こんな日常の普通のことから始まるねん。誰でも虫殺すことぐらいあるやろ。でも、親蜘蛛が復讐に来る。ここの鍵を閉めても、天井裏が繋がってて…」
新見がふざけて言うのを、交際中の煌星が引っ張って、
「もうー。新見くんもこっちの掃除手伝ってよー」
と、連れて行った。
「蜘蛛は当分いらん…。ね、咲良ちゃん」
紅葉が咲良を振り返った。
咲良はのんびりと体育館の天井を見上げた。
「大きな抜け殻かぁ。どっかに大きい蜘蛛がいるのかなぁ…」
紅葉と咲良達が出て行った後で、倉庫で物音がした。
真暗な中、ガタガタ鳴って、積まれていた体育用具が崩れた。
「よくも殺したな…。虫けらと思って…。許せない…」
誰かのしわがれた声がした。
2
土曜の午後。
しゅとーん部の道場。
紅葉と咲良は山上に無断で神泉を持ち出したので、注意を受けた。
「助けに来てくれたことは嬉しい。でも、ほんまに命が危ないから…。俺と旭が死んだって、変なオッサンが二人この世から消えるだけ。そやけど、君らに何かあったら、ご家族に申し訳ない」
「なんでダメなんですか? うちらも覚悟出来てます。雨音くんは? オッサンじゃないですよ?」
紅葉は不満を抑えきれなかった。
「雨音は元々、当事者やし。マナブの後輩やった」
山上と紅葉が話す間、咲良は俯いて、床板の節穴をほじくっていた。
床下には別の世界があって、覗き込めそうな気がする。
話の途中、雨音が来て、刀ケースから雷帝を取り出した。
「紅葉ちゃんちの呪いの刀、預かって修理に出してたんだ。拵え、本格的に換えたよ。ちょっと手に取ってみて…」
紅葉は暗い臙脂色の柄巻に、そっと触れた。
彼女は一度も雷帝を抜いたことがない。
「雨音くん。おにぃに大覚寺の薄緑の太刀を渡してたでしょ…?」
紅葉が雨音を睨んだ。
「ゴホッ、ゴホッ」
いきなり山上が咳き込んだ。
「紅葉ちゃん。雷帝には、刀匠さんの魂が宿ってるんだよ。黒い冠被ったお爺さんだよ」
咲良が説明した。
紅葉は唾を飲み込んだ。
「…昔、この呪いの刀を抜いた人は大暴れして、たくさん人を殺したよ…」
「私、抜いたけど誰も殺してないし。蘇芳さんも玉藻を斬っただけ…」
咲良が手を添えた。
紅葉はゆるゆると、雷帝を抜いていく。
小乱れの刃文で、天の川のようにきらきら光る細かな星が見える。
全てが完璧過ぎて、魂が引き込まれそうだ。
「刀匠さんの最大の傑作…。だから、刀匠さんの魂はこの刀から離れられない…」
咲良は眸を閉じ、刀匠の魂を感じた。
「どうだ。これこそ、至高の刀…」
光の中、ギョロ目の刀匠が笑っている。
紅葉は目を細め、鍔元から切先まで少しずつ見上げていった。
「…綺麗よね。ほんまに、こんな綺麗な刀は博物館でも滅多に見たことない…」
紅葉は肩凝りしそうなぐらい、緊張で力が入った。
「今の一言で、この刀は紅葉ちゃんを受け入れる決心をしたみたい」
雨音が紅葉に素振りをさせた。
「え、その刀、紅葉ちゃんに使わせるの? 雲林院に貸すのかと思った」
山上が動揺した。
「紅葉ちゃんの剣道、さすが蘇芳さんの妹って言うか。紅葉ちゃん、模擬刀はバランスがよくないから、素振りが下手くそになるけど、真剣は切先が前に飛んでくれるから、すごく振りやすいよ」
雨音の言う通り、切先がボールを投げるように前へ飛ぶ。
「雨音ー、俺のはー?」
雲林院が横から言った。
「武蔵さん秘蔵の刀で、面白いのがあったんだ。交渉するから、少し待ってて」
雨音は雲林院の為の一本も、準備中らしい。
山上は溜息をついた。
「ほな、これは咲良ちゃんが持っとき。ほんまの護身用やで」
彼は咲良に神泉を渡した。
3
黒田と新見はサッカー部で親しくなったが、小学校から互いに顏は知っていた。
家も近い。
新見には十八歳の兄貴と、小学六年の妹がいる。
黒田の弟と、新見の妹が同じクラス。
「あ、双葉のお兄ちゃんが来たでー」
窓から、黒田の弟が顔を出した。新見の妹・双葉もいる。
「寄ってく?」
「うん」
新見が黒田の家を見上げた。
黒田の家はシングルマザーで、母親が実家に戻っている、咲良と同じパターン。
祖父母がいて、古めかしい木造家屋と生垣、裏庭に井戸がある。
周りが新しい住宅ばかりなので、ちょっと浮いている。
家の壁の半分を、茂った蔦が覆っている。
「黒ちゃんの家、何か化けて出て来そうやな」
「俺もそう思う」
二人が家に入り、薄暗い廊下を進むと、床がミシミシ鳴った。
突然、戸が開き、
「お帰り、暁…」
黒田の祖父が顔を半分覗かせた。
「こんにちは。…黒ちゃんのお祖父ちゃん、相変わらず妖怪っぽい…」
新見はのけ反り、挨拶した。
「妖怪か。百年は生きてるで。ほっほっほ…」
祖父が戸を閉めた。
「いらっしゃい、新見くん。双葉ちゃんも来てるでー」
黒田の祖母が出て来た。
「お祖母ちゃん、こんにちは。お邪魔してますー」
新見と黒田は二階の黒田の部屋に入った。
「なんで双葉は黒ちゃんの弟と遊んでるねん? 黒ちゃんの弟、少女漫画読むらしいぞー」
「一緒にゲームしてるだけや。俺らと一緒や」
平凡を絵に描いたような、男の子の部屋。サッカー雑誌やゲーム、脱いだ服が散らかっている。
「黒ちゃん、掃除せぇよー」
「うるさいわー。おまえの部屋も汚いやん」
黒田は鞄を投げ出し、スマホのゲームを始めた。
一時間ぐらいして、
「トモ兄ー、帰ろー」
新見の妹が部屋に来た。
新見はうとうと寝ていた。
新見が薄く目を開けたら、何かがおかしい。
部屋が歪んでいるように見える。寝転んで、見上げているからか。
黒田の上に何かが乗っている。
黒いもの。
「あ、そうか。弟の竜ちゃんかな」
新見は納得した。
黒いものが黒田の上で動いた気がした。
こっちを見た。
金色に片目が光った。夕日を反射したんだろうか。
「トモ兄ー、起きてー」
妹が新見を揺さぶった。
新見が起きると、黒田は床に倒れて、死んだように眠っていた。
「双葉。竜ちゃんはどうした?」
新見が見回した。
「竜ちゃんは下で、もうご飯食べてるー」
双葉は入り口辺りに寝転ぶ黒田を跨ぎ、部屋から出た。
「お、そうか。ご飯時か。ほな、帰るわ。黒ちゃん」
新見が手を振った。
黒田は爆睡して、全然起きない。
新見は帰ってから、黒田のことが心配になった。
「竜ちゃんが先にご飯食べてたんやったら、あの黒い影は何? 目が光ってた…」
新見は黒田にメッセージを送信してみた。
黒田はあのまま寝てしまったのか、返信がなかった。
土日を挟んで、次の週の月曜日。
黒田は学校を休んだ。
4
放課後、新見が紅葉に相談してきた。
「紅葉、黒田が心配なんやけど」
「心配し過ぎやわ。虫を踏んだぐらいで、呪われるわけないよ」
紅葉は新見の心配を笑った。
コマチと煌星、スミレは自由研究の猫と犬のテーマで、これから動物の取材に行く。
新見は黒田の様子を見に行くことにした。
「ほな、気を付けて」
紅葉と咲良はまっすぐ帰る為、彼等と手を振って別れた。
コマチ達は電車の一両目に乗り、窓辺に立って、前方を覗いていた。
二つ先の駅のホームで、犬の飼い主と待ち合わせしている。
「この先で、よく人身事故があるらしいね。駅員さんから死角になりやすくて、電車の運転手さんからも見えにくいって」
何となく、そんな話になった。
ふと見た線路。
前方の線路に誰かいる。
「ぶつかる!」
一瞬のことで、コマチ達が叫ぶ暇もなかった。
私立の中学の制服が見え、コマチ達と少年の目が合う。
「黒田くん!!」
急ブレーキの音が響く。
「嫌や!! 停まってぇー!! お願い!!」
コマチが叫んだ。
黒田を好きなスミレは、恐怖で声も出なかった。
電車が停まり、車内が騒然とした。
「何や!? また人身事故か!?」
コマチ達はしゃがみ、ガタガタ震えていた。
「嫌や。嘘や。こんなん、絶対嘘や…」
コマチはブツブツ言った。
「人違いやと思う…。黒田くんに似てた気がしたけど…。きっと違う…」
煌星は窓の外を見られなかった。
窓際に人が殺到して、外を覗いていた。
「よく見えないな。轢いたの? 撥ねたの?」
若い男がスマホのカメラを起動した。
「ちょっと!! そんなの撮るなんて、どうかしてる!! 頭おかしい!!」
スミレが男に食ってかかった。
スミレの頭の中は真っ白になった。
「絶対、黒田くんと違う…」
その頃、新見は黒田の家に着いた。
「暁は学校行きましたで。まだ帰ってません。ほっほっほっ…」
黒田の祖父が出て来た。
「新見くん、どうしたん? 暁帰って来るまで、上がってって。よかったら、一緒にご飯食べてって」
黒田の祖母が誘った。
「あれー。いないんですか? 黒ちゃん、学校来てないんですけど。おかしいなぁー。部屋で待っててもいいですかー?」
新見が黒田の家に上がり込んだ。
黒田の部屋のドアを開けた。
一瞬、黒い影が視界を過った。
新見はズカズカと、部屋に入った。
部屋の中は見違えるように、きれいに片付いていた。
新見は黒田のデスクの椅子に座った。
ベッドのシーツもぴんと伸びていた。
デスクの上もピカピカで、何もない。
ただ、天井からはっきりと視線を感じる。
古い棹縁天井の板に節穴があって、その向こうに異界がある気がした。
黒々と闇に続いていた。
新見は部屋に黒い靄がかかっているように思えてならなかった。
気味悪くて、落ち着かなかった。
一時間ぐらい待ったけれど、黒田は帰って来ない。
黒田の母親は店を経営していて、夜遅く帰宅する。
「トモ兄ちゃーん」
黒田の弟が来た。
「竜ちゃん。この部屋、なんでこんなにきれいになってんの?」
「蜘蛛がいっぱい出たんやってー。いつも汚くしてるから、土曜日、蜘蛛がいっぱい出て、お母さんが掃除したー」
弟が答えた。
「蜘蛛が…」
新見は言葉が喉に引っかかった。
「竜ちゃん。この部屋に入ったらあかん」
新見が黒田の弟の肩に手を置き、言い聞かせた。
「大丈夫。お母さんがその蜘蛛を全部殺した。殺虫剤で…」
黒田の弟は笑顔で言った。
「そうか…。竜ちゃんにこれ、あげるわ。蜘蛛にもめっちゃきくで」
新見が弟に、晴明神社の魔除けのお守りを持たせた。
新見が黒田の家を出る時、スマホに着信があった。
黒田からで、一度呼び出し音が鳴っただけで、すぐに切れた。
新見が通話に出ようとしても、間に合わなかった。
「何やろ。嫌な予感がする。あいつ、どこにおるの?」
新見は心当たりの場所を捜して回った。
中学に戻って、サッカー部の部室を見た。
近所のコンビニに行ったり、スーパーや飲食店や繁華街をうろついた。
「黒ー! 黒ちゃーん!」
新見は四条大橋から鴨川の河原を見下ろし、黒田を捜した。
黒田はどこにもいなかった。
新見は何時間も捜し回って、へとへとになって帰ってきた。
自宅に戻る途中、黒田の家の前を通った。
コマチと煌星とスミレが陰鬱な表情で、黒田の家の前に立っていた。
「うう、ううう……」
玄関の戸の内側から、黒田の母親の泣き声が聞こえた。
「何も言わんといてくれ…」
新見は後ずさった。
5
火曜日。
新見は学校をサボった。
「竜ちゃんのお兄ちゃん、事故で死んだって。事故って、ほんま?」
妹の双葉が新見のベッドの横で、寂しそうに蹲った。
「…そうなんやろ。警察がそう言うんなら」
新見は布団に深く潜り、丸くなった。
彼のスマホは鳴りっぱなしで、サッカー部の仲間からひっきりなしに着信があった。
彼は着信を見ようとしなかった。
「竜ちゃん、めっちゃ泣いてた。おばちゃんも。お祖母ちゃんも、お祖父ちゃんも……」
双葉は長い睫毛から、涙の粒を零した。
「双葉。しばらく、あの家に近寄るなよ…」
「なんで? 不幸がうつるから? トモ兄…、死んだら嫌やで…」
双葉が兄の布団を引っ張った。
新見は耳を塞いだ。
カサカサと奇妙な音が聞こえてくる。
最初は耳鳴りかと思った。
でも、布団を被っても、耳を塞いでも聞こえてくる。
虫が壁を這うような音。
「俺、ショックで感覚おかしくなってるのか?」
新見は自分でもよくわからなくなった。
新見はがばっと起き上がった。
「そうや。紅葉の彼氏の雨音さんに…聞いてもらおう…」
新見はパジャマを脱ぎながら歩き出し、シャワーを浴びて、急いで支度した。
黒田の家の前を通ったら、白と黒の幕が張られて、お通夜の準備が進んでいた。
新見は目を閉じて、その前を走り抜けた。
新見は息を切らして、教室に飛び込んだ。
「紅葉、雨音さんと会わせてくれ。ちょっと、急ぐ」
授業中、しんと静まり返った。
「何か思い当たることがあるの?」
紅葉は新見の気持ちを察した。
「黒ちゃんが…死ぬなんておかしい。金曜まで、普通にゲームしてたのに。あいつの家族も心配やし…」
新見は黒田の席を見た。
隣りのコマチの席と、煌星、スミレの席も空いている。
彼女達も休んでいた。
「何なの、あなた達は? ここはテストに出ますよ!」
女の先生がヒステリックに黒板を叩く。
けれど、生徒はみんな、新見と紅葉に注目している。
「新見くん、服に何か付いてるよ」
咲良が新見の背中のゴミを取った。
小さな蜘蛛の抜殻だった。
「次は俺か…」
新見は自嘲気味に呟いた。




