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陸伍 鬼のハロウィン


 ハロウィンのコスプレみたいに、返り血が付いたワンピースを着た少女。

 少女は観光地から一歩奥まった暗い路地で、若い女を襲った。

「おまえの肝を喰わせろ…!」

 少女の紫がかった爪が、女の肩に食い込んだ。


 女は肩にかけていたカーディガンごと払い、少女の爪から逃れた。

 キリッと凛々しい眸が少女を睨み付けた。

 女はブラウスの裾を持ち上げ、ゴシゴシと口紅を拭った。

 女装していた雨音だった。


「…おまえ、玉藻を殺した…源次だな!?」

 少女が飛びずさった。

「おまえは鬼一法眼を喰った八尾の狐だろ!?」

 雨音が言った。


「源次、退け!!」

 武蔵が大薙刀を打ち下ろした。

 雨の飛沫が舞い散る。

 少女が後方に飛び、立っていた場所に大きな穴が開いた。


「おまえら、気配を消して待ち伏せたな…」

 少女は周囲を見回した。

 塀の上に、双子の天狗。

 武蔵の背後から、静先生が歩いてきた。

 正面の道からは、髪を束ねて髭面の、しゅとーん部の山上が近付いて来る。

 少女は後ろ向きに屋根に飛び上がった。


「八尾の狐に、瘴気を吐く時間を与えるな…」

 武蔵と双子の天狗は、不動明王真言を繰り返した。

「八尾の狐さん。敵はこっちにもいますよ」

 旭と雲林院が別の道から現れた。

 少女は屋根の上で逃げ惑い、表通りで飛び降りた。


「待て…」

 雨音が駆け出そうとして、パンプスが片方脱げた。

「シンデレラかよ」

 武蔵が詰った。

「静先生から服借りたんです。スカートは袴と同じ感じで、履き心地は悪くないです…」

 雨音はゴムを手首から外し、髪を結わえた。

「似合ってますよ、渡邊くん。すごく可愛い。でも、とっとと八尾の狐を追いかけなさい!」

 静先生が急かした。



 八尾の狐は渡月橋を渡った。

 雨音は雲林院から鬼切を受け取り、スニーカーに履き換えて、後を追った。

 武蔵が先に追いつき、欄干から八尾の狐に斬りかかる。


 八尾の狐は大薙刀の厚い刃をかわし、武蔵に何か投げ付けた。

 武蔵は驚いて、大袈裟に避けた。

 地面に転がったのは、カボチャのランタンのお土産だった。


 八尾の狐は街灯の上に飛び乗った。

「邪魔をしてくれたな…。いっそ、源次の肝でもよかった。腹の足しになったものを…」

 可愛らしい少女の声で、似合わないことを言う。


 武蔵は大薙刀を街灯の支柱に打ち込み、支柱をぐにゃりと曲げた。

 魔物でも憑いているのか、彼の大薙刀の刃は欠けなかった。


 八尾の狐は別の街灯に飛び移った。

「待て、狐…。玉藻じゃないんだな。今度は何て呼べばいい?」

「私は小童女(おとめ)。おまえは武蔵坊、玉藻の古い知り合いだな…」

 八尾の狐が武蔵に返事した。


小童女(おとめ)!? 学瀛(がくえい)の母親の名か…」

 山上が橋を渡ってきた。

 八尾の狐は山上を見つけ、街灯の上で眸を細めた。

「…親孝行な息子が私を復活させた。夫と息子達を殺した平安京の、子孫全てをこれから呪い殺す…」


 突然、八尾の狐の両眸から血の涙が溢れた。

 毒々しい真紅の色が上瞼と下瞼を染め、頬を流れ落ちた。

「うわっ…」

 武蔵がたじろいだ。


 山上がこう訂正した。

「おい、嘘を言うな。学瀛を腹に宿していた娘に憑りついた悪霊・九尾の狐が、お産の後、その娘を喰い殺した。おまえは学瀛の母親を喰った悪霊の方で…」

「うるさい!」

 八尾の狐が吠えた。

 呼び名通りの長い尻尾が八本、白いワンピースの下から垂れた。


 すぐに、山上が早九字を切った。

「くっ…」

 八尾の狐は身を屈め、垂直に空へ飛び上がった。


 雨音が駆けて来て、鬼切を下段から斜めに振り上げ、

「逃さない、八尾の狐!」

 欄干からロングスカートをひらり靡かせて、空へ跳んだ。

「腹ペコの八尾の狐を本気で苛つかせるとは…、いい度胸だ。源次…」

 両眸から血を噴き出す、八尾の狐。


 八尾の狐が空中で鬼切の(しのぎ)を摘み、払った。

 同時に、雨音の鳩尾(みぞおち)を蹴った。

 雨音は八尾の狐と違う方向からも、攻撃を受けた。

 雨音は腹を押さえ、バク転して、渡月橋の真ん中に着地した。

 いつの間にか、彼の首筋に狐の歯型が付き、血が流れた。


「ハロウィン? カボチャの鬼のお祭りか? 私からの贈り物だ。楽しんで来い…」

 八尾の狐は蛇のように身をくねらせ、空へ昇って行った。


 黒雲が低く下がり、天井のように空を覆った。

 雨が大降りになり、雷が鉤状に光った。


 雷雨は一分ほどで収まった。

 雨音、武蔵や山上は真っ暗闇に包まれた。

 観光地の嵐山とも思えない、一個の明かりすらない闇が来た。





 河原でススキが揺れている。

 空は暗黒。

 河原を渡る風が肌に冷たく、ひゅうひゅう音を響かせた。

 雨音は完全に敵を見失い、空を仰いでいた。


「雨音…、いるかぁー?」

 雲林院の声がした。

「雲林院、どこー?」

 雨音が草むらに向けて呼んだ。

 暗くて見えないけれど、全員いる。

「異次元に飛ばされた感じだな」

 武蔵が不吉なことを言った。


「雨音、服着替えてくれへん? 何つーか、好きになってしまうと困るし」

 雲林院が女装の雨音に言った。

「着替え、ないんだけど」

 びしょ濡れのブラウスの雨音は寒くなってきて、くしゃみをした。


「ははっ。ほんまや。ここはどこや? 嵐山が圏外なわけないな?」

 山上はスマホのアンテナを見て、肩を落とした。

「私のスマホも繋がりません」

 旭も悔しそうに言った。

「何か来ますよ?」

 静先生が前方を指差した。


 ススキを掻き分け、ガサガサと動物の気配。

 やがて、オレンジ色の光が浮かび、不自然に揺れた。

「…カボチャ?」

 雨音達は呆然とした。

 目鼻と口のあるカボチャがいくつも現れて、カタカタ歯を鳴らして嗤った。

 ハロウィンのカボチャみたいに可愛らしくない。


 カボチャの鬼の目玉がぎょろっと動き、唄を唄った。

「南蛮の悪しき夢より参る。南蛮人が持ち込みし南国の瓜、(だいだい)色した瓜、大粒の種あり…。我等、生首だけの唄い手なり…」


「何だ、こいつら…」

 武蔵が大薙刀を振り回した。

 カボチャの鬼は風に乗って、ゆらり、と刃を避けた。

 そうかと思うと、突然消えた。


 遠くでまた、カボチャ達の唄が聞こえた。

 人魂のように流れて来て、しゅとーん部を取り囲み、唄って踊った。

「いつまで人に喰われてやろう…。時には人を喰ってやろう…」

 どのカボチャも人間臭い顔をして、眼をぎらつかせ、彼等を侮蔑するような表情をした。


 カボチャが頭で、ススキが手のように見えた。

 風でくるくる回った。

 馬の影も見えないのに、馬の(いななき)き、鼻息を吹く音がした。

 馬の蹄の駆ける音が、彼等の周りを走り回った。


 山上や旭、雨音、雲林院は集まって、背中を寄せ合った。

 彼等は刀の柄に手を掛け、様子を窺った。





 土曜。

 紅葉の家に咲良とコマチ、煌星、スミレが集まった。

 明日のハロウィンのチャリティーマーケットの準備だ。


 紅葉は黒いカチューシャにコウモリ風の羽根を付けた。

 コマチは魔法使いのとんがり帽子と黒いドレス、黒の長手袋を試着。

 咲良はカボチャの飾りを頭からすっぽり被って、

「鬼だぞー。食べちゃうぞー」

 と、紅葉達とふざけ合った。


 コマチはみんなと撮った写真を旭に送信した後、

「また旭さんから返信無いんやけど。昨日電話したけど、電源切れてた」

 と、文句を言い出した。


 リビングに、紅葉の兄の蘇芳が入って来た。

「紅葉。雨音と連絡付かへん。あいつ、電話に出ぇへんねん。あのくそ真面目な静先生も欠勤らしいから…、たぶん…」

 蘇芳が小声で囁いた。

 咲良はカボチャを脱ぎ、紅葉を振り返った。


「おにぃ。それ、何かあったんかな?」

 紅葉はヒヤリとした。

「紅葉、山上さんに連絡してみて」

「うん。…そうや。巨門(こもん)…」

 紅葉が識神・巨門を呼んだ。

「うむ。山上に口止めされておってな…。言えぬのじゃ…」

 巨門は自分の口を押さえた。


「おにぃ。ちょっと呪いの刀貸してくれへん? 雷帝を…」

 紅葉は深刻な顔で頼んだ。

「貸すわけないやろ。て言うか、雷帝は雨音がどっか持って行ったわ。武道具屋の紹介で、急(ごしら)えで詰め物してたから、もうガタガタやった。雨音、東京の刀屋に出すって言ってたな。…ちょうど、もう一本出す刀があるからって…」

 紅葉と蘇芳が話し込んだ。


「雷帝とおにぃ、何か相性悪いよね…。前から思ってたけど…」

「…眠くなるもんな。悪いんやろな」

 蘇芳はふてくされた。

「たぶん、雷帝は咲良ちゃんと相性がいい。前に、咲良ちゃんは目を瞑ったまま抜いたもん…」

 紅葉はそっと咲良を見た。


「しゅとーん部の道場に神泉がある。あれを借りる」

 紅葉はあれこれ考えた。





 日曜の午後。

 校庭にいくつかテントが並ぶ。

 マーケットに手作りの雑貨やお菓子が並び、とても賑わっている。


 紅葉達は魔女に扮し、来場の小さな子供達にクッキーやチョコを配った。

 蘇芳が彼女達のボディーガードのように張り付いている。

 彼は白い骸骨が付いた黒スーツを無理やり着せられているけれど、不思議と似合っている。


「ある意味、これが現代の百鬼夜行かな…」

 紅葉が会場を見渡し、呟く。

 紅葉はカチューシャに、咲良は背中に、コウモリの羽根を付けている。

 怖い魔女じゃなくて、レースやフリルやリボンの可愛い魔女だ。


 煌星とスミレは黒猫のコスプレ。

 新見と黒田はお化けになりきって、ダンスを披露。マーケットのお客さんから拍手をもらった。



 咲良はほのぼのとしたマーケットの中に、一つ邪悪な影を見つけた。

 マナブが立っていた。

「マナブ…、雨音くん達はどこ?」

「自分の心配をしなよ。今、源次も山上もいないんだろ? 大丈夫?」

 彼は心配するかのように、優しく言った。


 紅葉と蘇芳がマナブに気付いた。

 マナブは邪眼を前髪の間から覗かせ、蘇芳に言った。

「この人混み全部が人質だよ。動くなよ、頼光…」

 マナブはその場で一番人間らしい格好だったが、紛れもない鬼だった。


「源次のいるところに連れてってあげてもいいけど、帰れなくなるよ…」

 マナブが咲良に囁いた。

 彼は欺瞞だらけで、悪魔的な誘惑が大好きだ。

 彼のせいで、何人も破滅していった。


 晴れていた空が曇ってくる。

 風が出てきて、マナブの前髪を吹き上げる。

 ちらっと見えた片側の眼窩に、暗黒が潜んでいる。


「雨音くん達はどうしてるの? 無事なの?」

 咲良がマナブに詰め寄り、

「咲良ちゃん!」

 紅葉が咲良の服を引っ張った。

「君はどこへ行っても、死なせないさ。他の人は保障しないけど。源次は間もなく死ぬ…」

 マナブがパチンと指を鳴らした。


 俄かに雨が降り始めた。

 雷が鳴った。


 紅葉は唾を飲み込み、神泉とクッキーを入れた籠を握り締めた。

 蘇芳は黙って、紅葉の肩を抱いた。


 マナブは咲良のコスプレを眩しそうに眺めた。

「いいね、その格好。どう見ても鬼だ」


 雨が激しくなり、稲妻が連続して閃いた。

 一分ほどの雨が止んだ時、辺りは真っ暗だった。




 暗闇で、咲良と紅葉が手を繋いだ。

 紅葉は手探りで、兄を捜した。

「痛てて。何かに躓いた」

 蘇芳が立ち上がった。

「コマチは?」

 紅葉が呼んだ。コマチの返事はなかった。


 川のせせらぎが聞こえる。

 足元は石だらけ。どこかの河原のようだ。

 風が流れ、ススキの白い穂が見えた。


 鬼がおかしな唄を唄っている。

「暗き岩窟(あな)の天井にぶら下がりたるもの…。翼はあれど、鳥にあらず、脚はあれど、獣にあらず、蟻に似ずして、黒き群れなり…。我等は一本の帯と化し、宵の空へ流れ出で、小さき虫を嘴なき口で捕えるものなり…」


 バサバサと羽音がした。

 鬼が紅葉達の頭上を掠めて飛び、銀色の鬼火を鱗粉のように降らせた。

 咲良は籠からクッキーを撒いた。

「これあげるから、帰って」

 コウモリの鬼がクッキーを包みごとくわえ、飛んでいった。


 今度は別の鬼が、唄を唄いながら現れた。

「風に舞い、風に散る…。花にも似た儚きもの。草場に棲み、蝶と夢を語る…。朝露に濡れる、輝く巣を持つもの。したたかな糸を紡ぎ、蝶に着物を着せて喰らう…」

 紅葉が恐る恐るクッキーを撒いた。

「これあげるから、帰って…」

 蜘蛛の鬼がカサカサと音を立て、クッキーに近寄った。

 しかし、蜘蛛の鬼はクッキーをその場で貪った。


「そろそろ、行こうか」

 マナブが闇の中で言った。

 藍色の鬼火が灯り、彼の輪郭をぼんやり照らし出した。

 白い狩衣を着たマナブ…、いや、学瀛か。

 咲良は違和感を感じた。

 学瀛の邪眼が左右逆だ。白い狩衣と言い、まるで写真のネガポジ。


「ついておいで。見せたいものがある」

 学瀛が蜘蛛の鬼を連れ、咲良と紅葉と蘇芳を案内した。





 川上から舟が下ってきた。

 櫂を操るのは、大柄な鬼。

 舟から大小の鬼どもが降りてきた。


「ここは鬼ヶ島か?」

 武蔵が小声で呟いた。


 鬼どもは騒がしく、物を打ち鳴らしながら近付いてきた。

 よく見ると、鬼どもはこぎれいな着物を着て、粗末ではない帯を結び、きちんと草履を履いていた。


 鬼どもが雨音達を取り囲んだ。

 子供の鬼も混じっていた。

 鬼どもの髪はバサバサだったが、頭には角も無く、口に剥き出しの牙も無かった。

 手に手に、金棒や太刀を持っていた。

「おぬしら、何者じゃ?」

 鬼は古い時代の言葉で話したが、大体の意味はそんな感じ。


 山上達は顔を見合わせ、代表して武蔵が答えた。

「鬼じゃ。こいつと捕まえた人間どもを、鬼の首領の元へ連れて行くところじゃ」

 武蔵が相棒として、雨音を示した。


 話しかけてきた鬼は、静先生を見て、ヨダレを落とした。

「うまそうな女が混じっておるの…。譲ってくれぬか?」

「ならぬ。それは…俺の嫁じゃ」

 武蔵が静先生を庇って言った。言った後で、武蔵は赤面した。


「おぬしら、いずこの鬼じゃ? 首領は何者じゃ?」

 別の鬼が、臭い息を雨音に吹きかけた。

「都の鬼だ。首領は獅子鬼・学瀛だ」

 雨音が嘘をついた。


「ほーう…。それは、それは…」

 鬼どもが一斉に嗤った。

 雨音は背中に冷や汗を感じた。

「ちょうど、我等も学瀛様のところに行く。舟に乗せてやろうか?」

 鬼が誘った。



 舟の上、鬼が事情を話し始めた。

「留守中、源頼光と渡辺綱が我等の妻子を連れて行った。…ああ、なんて卑怯な奴等か!」

 気まずい空気が流れた。

 空気を読めない雲林院が、

「あんたらが人間を襲って、喰ったからでしょ?」

 と、言い返した。


「鬼として当然じゃ。我等は山奥に隠れ住み、よそ者を驚かせ、遠ざける。我等は米を作り、畑を耕す。山菜を採り、魚を釣り、猪を食うこともあるが…、稀に人間も喰らう」

 鬼が言った。

「鬼だからでしょ? だから成敗されかかってんでしょ? 違うの?」

 雲林院が尋ねた。


「何故悪いのか? 里に来た盗人を見せしめに殺害することはあろう。我等は朝廷の遣わす国司に従わぬ。あれらは我等を支配し、土地を奪おうとしている盗人じゃ。あれら、都の者達が我等を鬼と名付けた。我等がそう名乗っておるわけではない。我等はこれから学瀛様に嘆願して、お力をお借りする。学瀛様も同じ、頼光と綱に奥方を殺されたのじゃ」

 鬼が答え、雲林院はびっくりした。


「おまえ、酷くない?」

 雲林院が雨音を睨んだ。

「いや、そう言われても…。俺は渡辺綱じゃないから…」

 雨音はしどろもどろになった。


「君達が都の姫を攫ったことになっている…」

 山上が横から言った。

「とんでもない。我等は都のお姫様なんて、見たこともない」

 鬼は両手を振って、否定した。



 夜が明ける頃、彼等は舟を降り、山を登った。

 そして、荒れ放題の廃寺に辿り着いた。

 濃い霧が立ち込めていた。

「こちらに学瀛様がお住まいじゃ…。おぬしらも知っておるよな…」

 鬼が山門の扉を開く。

 扉が大きな軋み音を立てる。


「あっ」

 山上と旭は思わず叫んだ。

 白い狩衣を着た学瀛が、門の真ん前に立っていた。

 しかし、学瀛の邪眼が左右逆だった。

 雨音だけが違和感を感じた。


「武蔵、源次、ご苦労だった。人間どもは人質じゃ。蔵に閉じ込めておけ」

 学瀛が武蔵と雨音に命じた。

 学瀛は鬼どもの話を聞く為に、その場に残った。

「どういうことや?」

 山上達は仕方なく、廃寺の奥へ入って行った。



 穴が開いた瓦屋根の本堂。仏像は無い。

 床は朽ちて、埃で真っ白。

 蜘蛛の巣が至るところにある。

「ぺっ」

 2メートル越えの大男の武蔵が、早速、蜘蛛の巣に引っかかった。


「何者じゃ!!」

 女の子が暗がりで立ち上がった。

 濃い臙脂の袴に小袿の、平安貴族の娘の装束を着ている。

「咲良ちゃん!?」

 雨音が駆け寄った。


「あ、源次様ー!?」

 女の子が返事して、雨音に抱き着いた。

 雨音は瞬きして、

「あれっ、咲良ちゃんじゃない…。もしかして、稚桜(わかさくら)姫?」

 と、小柄な女の子の顔を凝視した。


 稚桜は雨音を凝視して、

「こなた、源次様ではありませぬの?」

 と、小首を傾げた。

「驚いたな…。そっくりやんか」

 山上達もびっくりして、稚桜を囲んだ。


 雨音は心臓の鼓動が速くなるのを感じた。

「稚桜姫、咲良ちゃんにそっくりだ。やめてよ、なんでそんなに可愛いの?」

 彼は平安装束と長い髪の稚桜に、しばらく見惚れた。


「で、君はなんでここにいるの?」

 山上が稚桜に尋ねた。





 紅葉と蘇芳、咲良と学瀛を乗せた二台の牛車。

 菊綴の水干を着た(わらわ)が付いて、彼等は荒れた道を揺られていった。

 そのうち、道は何故か滑らかになって、牛車は空を飛ぶように走った。

 もしかしたら、本当に飛んでいたのかも知れない。


 そんなに時間が経つこともなく、都に辿り着いた。

 朱塗りの楼門を通り、彼等は夜の都大路に入った。

「ご主人様。着きましてございます」

 そんな感じのことを、童が言った。


 贅沢な、凝った内装。

 学瀛が物見を開き、咲良と紅葉に言った。

「ほら、ご覧。紅葉も、早く物見を開いて見よ…」

 紅葉が好奇心に駆られ、物見の小窓をそっと開いた。


 真っ暗な都大路。

 先頭の従者が松明を掲げる。この従者は、青い魚類の鬼である。

「あ、もしかして、一条戻り橋?」

 咲良は絵で知る、朱塗りの小さな橋を見た。


 源頼光の父・満仲(みつなか)の一条屋敷から、数人の男達が出て来た。

 一人はいかにも華やかな平安貴族、奥二重の凛々しい眸の男。

 一人は端麗な顔に、無骨な武士の雰囲気を合わせ持つ男。

 他は、彼等の従者達。


「あっ。雨音くんだ!」

 咲良が叫んだ。

「あれっ。おにぃ!?」

 紅葉は貴族の息子と、自分の向かいに座る兄の顔を見比べた。

「確かに、俺と雨音に似てるな…」

 蘇芳は冷静に分析した。





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