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陸肆 禍蛩夜と小童女


 旭は携帯ショップに行って、壊れたスマホを新機種に買い替えた。

 電源を入れたら、コマチから数十件もメッセージが届いていた。

「怖っ」

 コマチのメッセージは大体同じ内容で、

「あの時、どうして来てくれなかったの? なんで約束を破ったの? 恨みます」

 など、かなり意味不明だった。


「何かあったんだなー、コマチちゃん…」

 触らぬ神に祟りなしなので、旭は放置することにした。



 翌朝。

 旭が会社の営業車を役所の駐車場に入れたところで、真新しいスマホの着信音が鳴った。

 彼はホクホクした笑みを作った。

「はいはい。雨音か」

 彼はメッセージを読んで、雨音に電話した。


「どうした、雨音ー?」

「旭さーん。コマチちゃんが旭さんを殺すとか言ってるらしいですよ。何したんですか?」

 雨音が早足で歩いているのが、音声から伝わる。

「怖ぇー! 全然身に覚えないってー!」

 旭は自分の肩を抱いて、身震いした。


「たぶん鬼が関係してるんだと思います。咲良ちゃんが慌ててたから…」

「うん、それ…」

 雨音と雲林院が囁き合った。

「あの子達の中学? 今、仕事で近くに来てるんだ。十分ほど待って。そっち寄るから」

 旭が電話を切った。





 咲良はコマチの貧血状態を見て、彼女が鬼に血を吸われていると感じた。

 コマチの背中には、特大のダニに血を吸われたような、異常なコブが出来ていた。

 血を吸うのは、蝙蝠やノミ、ダニ、蚊、ヒルなどの虫や小動物だ。

 咲良は殺虫剤を持って、コマチの自宅に向かった。


 鬼はきっと、コマチの部屋の鏡に映っていた、気味悪い女だ。

 咲良はコマチのベッドの下や、周辺に殺虫剤を噴霧した。

 そしたら、いつの間にか、黒い着物の女がベッドの上に立っていた。

 禍蛩夜(かぐや)という女だった。

 ノミのように背中が曲がり、手が長く、お尻が大きく張っていた。


「シャーッ!」

 女が咲良に襲いかかり、咲良は殺虫剤をスプレーした。

 女は脚のバネで天井に飛び付き、殺虫剤から素早く逃れた。


「我を虫扱いして…、殺そうと言うのか…」

 女は殺虫剤の刺激臭を嗅ぎ、鼻を摘んだ。

 節が目立つ、骨と皮のような痩せた手だった。


「殺す気なんかない。コマチちゃんの部屋から追い出したいだけ!」

 咲良は連続で噴霧した。

 女は気味悪い薄笑いを浮かべた。

「あの娘は毎晩、楽しい夢を見ておる…。恋しい男を待つ夢じゃ。我に血を吸われていることも知らぬ…。幸せなことよ。幸せなまま逝く。長く生きても…、所詮この世は辛いことばかり…」

「決めつけないでよ! 毎日、楽しいJCライフを送ってるんだよ!」

 咲良が怒った。


 女は虫の動きで天井を這い回り、咲良と距離を保った。

「よくも、玉藻前(たまものまえ)を殺したな。仇は討たせてもらう。友を失う痛みを知るがいい…」

 禍蛩夜(かぐや)は恨みを込めて言った。


「あなたは玉藻の友達だったの? コマチちゃんはすっごく友達思いで、優しいとこもあるんだよ。殺さないでほしい。文曲(もんごく)!」

 咲良は殺虫剤を床に捨て、識神を呼んだ。

 彼女の鞄の中で光が弾け、渋々、文曲が現れた。

 琵琶を手にした、たおやかな美女の文曲を見て、禍蛩夜は嘲笑った。

「へぇ、弱そうな識神じゃな。安倍晴明の操りし鬼神とは大違い。この勝負、もらったわ…」


 部屋に影が射し、全体が薄暗くなった。 

 咲良が殺虫剤から手を放したので、禍蛩夜が床に降りてきた。

 闇が禍蛩夜を包んだ時、その体からぼんやりと光が滲み出た。


 ランタンのように、禍蛩夜の体が光っていた。

 乱れた髪の間から血走った眸を覗かせ、禍蛩夜がニタァ…と嗤った。

 黒い舌が口から長く垂れ、舌先に吸血の為の針があった。


 咲良は怖くなり、一歩下がった。

 文曲は琵琶を弾き始めた。

 彼女の奏でる音は人間には聴こえず、鬼の耳には届いた。

 美しい音色で、どんなに心の(すさ)んだ鬼でも、一瞬心を奪われそうになる。


「いかん。我は玉藻前の仇を討つ為に、小童女(おとめ)様に自ら願い出たのじゃ」

 禍蛩夜は耳を塞ぎ、琵琶の音を無視した。

「玉藻が死んで、九尾の狐は八尾になったよね。今度は小童女(おとめ)様と呼ばれてるの?」

 咲良が聞いた。

「誰でもよかろう?」

 禍蛩夜の長過ぎる手が咲良を捕まえ、舌で白い頬をべろりと舐めた。

 ざらついた舌の感触。

 咲良は身を硬くした。


 血を吸われる。

 咲良は眸を閉じた。


 禍蛩夜は自分の右手に巻き付いてきたものを払った。

 キラキラした銀色の糸が、何度払っても絡み付いて来る。

「何じゃ、これは…?」

 禍蛩夜は巻き付いてきた糸を引いてみた。


「わたくしの弦です…」

 文曲が正直に答えた。


 部屋中から糸が生え、植物の蔓のように伸びた。

 それが一斉に、禍蛩夜に絡み付いていく。

 禍蛩夜は蜘蛛に捕らわれた蝶のように動けなくなった。

「琵琶の弦で我を縛り付けて、その琵琶で我の頭を殴るのか? 片腹痛いわ…」

 禍蛩夜は糸に絡まれ、宙吊りになった。


 咲良は鏡を指差した。

「あなたはあの中から来たんでしょ。帰って…」

 鏡は咲良を映さず、今、黒い渦を映している。

 渦巻く妖気、鏡は異界に繋がっている。



 予想外のことが起きた。

 夜が明けていくように、この結界に眩い光が射し込んだ。

 部屋は克明に形と色を取り戻す。

 一本の太刀が、結界を切り裂いた。


 禍蛩夜は恐怖に引きつった顏で、白昼の光を振り返った。

破軍(はぐん)…!」

 鬼女は破軍の顔をよく覚えていた。

 先日、破軍は玉藻と眷属(けんぞく)を次々斬り殺した。

 彼は青い平安の袍を着て、巻纓の冠と(おいかけ)を付けている。


「文曲。おぬしの調べが聴こえた」

 破軍が呟き、禍蛩夜を斬った。

 禍蛩夜は宙吊り状態から、斬られて床に落ちた。


 禍蛩夜の膨らんでいた腰から、血の噴水が噴き上がった。

「ああっ。せっかく吸った血が…もったいない…」

 禍蛩夜は這いつくばり、零れた自分の血を、床に口着けて啜った。

 それでも、見る見るうちに血溜まりが出来ていく。


「義はどちらにあるのか?」

 破軍が咲良と禍蛩夜を見比べた。

「咲良は友人を救おうとしています」

 文曲が代わって答えた。


「そうか」

 破軍が禍蛩夜の頭を床に串刺し、剣先を引き抜いた。

「ウギャアアア…」

 禍蛩夜が断末魔の絶叫を響かせた。


 鏡から異界の風が吹き、黒い塵になった禍蛩夜を吹き飛ばした。





「一応、咲良ちゃんの方へは破軍を向かわせました」

 雨音が旭に言った。

 旭はちょうど十分で役所の用事を済ませ、会社の車を飛ばしてきた。

「で、コマチちゃんは?」

 旭と雨音と雲林院が校門前で背伸びして、私立の中学校を覗いた。




 コマチはふらふらしながら、学校の玄関を出て行く。

「コマチ、病院行こう。点滴でもしてもらった方がええよ」

 紅葉や煌星が両側からコマチを支えている。


「旭さん…。縁日の日に…来てくれると…あの約束は…どうなったの…」

 コマチはブツブツ言った。

 夢と現実の区別がつかなくなっていた。

「なんでこんなことに?」

 煌星が紅葉に聞いた。

 紅葉にもわからなかった。


 一時限目の最中。

 学校内はとても静かだ。


 コマチは自分の鞄から、大きな裁ちバサミを取り出した。

 校門前に旭と、雨音と雲林院が並んでいる。

「旭さん…。私と死んでくれますか…?」

 コマチが狂った視線を向け、微かな声で囁いた。


「コマチ!」

 紅葉がコマチの腕を引く。

「うるさい!」

 コマチが紅葉の手を払う。

 紅葉は静電気が弾けるような衝撃を、指先に感じた。

 紅葉達は瞬間、固まった。

 金縛りだ。


 コマチの背後に灰色の霧のようなものが湧き出した。

 邪悪な意思が感じられた。


「これ…、何…?」

 雨音と雲林院も金縛りになり、心で呟いた。



 旭は金縛りにかからなかった。

 彼はスーツの前ボタンを外している。

 ネクタイが風に揺れた。

 彼はポケットに片手を突っ込み、片手でスマホを操作した。

 今更だが、コマチに返信を打つ。

「私は君を裏切ったりしてません。誤解です。私の心は、完全に君のものでした…」


 コマチは裁ちバサミを脇に構え、旭に少しずつ近付いていく。

 彼女のスマホの着信音が鳴ったが、見ようともしない。


「大変なことになっちゃった。このまま、コマチが旭さんを刺してしまう…!」

 紅葉は焦った。

 旭もコマチ相手じゃ、手加減せざるを得ないだろう。

 紅葉の全身の筋肉が強張っている。

 目の前のことを見ていることしか出来ない。


 紅葉のポケットから光が飛び出し、識神の巨門(こもん)が現れた。

「これは鬼の仕業じゃのぅ。コマチは前世の夢を見た。…されど、前世に(とら)われてはならぬ。今を思うがままに生きよ。紅葉、おぬしも」

「今、私の問題ちゃうし」

 紅葉は巨門を睨んだ。

「おぬしも相当、前世の縁に振り回されておるがのぅ…」

 巨門が指摘した。



 旭は風に負けないよう声を張った。

「スマホを見て下さい、コマチちゃん。遅くなったけど、返信しましたよ」


 コマチはハサミを構えて近付いていく。

「…遅いわ。何年待ったと思いますか? 三百年…、私は旭さんを…待ち続けました。疲れました。私を解放して下さい…、あなたの命で…」

 コマチがハサミの先端を、旭の心臓に向けた。


「コマチぃ…」

 紅葉と煌星、スミレは歯を食い縛り、喉の奥からコマチを呼んだ。



 旭は一歩も引かず、溜息だけついた。

「仕方ないですね。みんなにこんな話聞かれるのは、私も恥ずかしいんですけど。話しましょう。…三百年前、私はそれほど裕福でもない、今のサラリーマン生活と大差ない、ごく普通の中流武士でした。私はスパイと言うか、間者的な仕事をしてまして、ある接待の席で、君と初めて会いました…」


 旭は頭に湧き上がるイメージを、思いつくまま適当に喋った。

 コマチを納得させる為だった。

 コマチは殺気走った眸で、旭を睨んでいた。


「コマチちゃん。私は江戸から上方(かみがた)に来る度、君のところに通い、収入の大半を使いました。…それでも、君は私に冷たかった。ある時は贈り物が気に入らないと言って、目の前で外に投げ捨てたり。そんなワガママで裏表のない君が、可愛らしくも思えたんですが…。結婚の対象ではありませんでした。私は田舎に許嫁(いいなずけ)もいました」

 旭は自分で喋っていておかしくなり、不思議な告白に笑ってしまった。


 花街の景色、(くるわ)の格子が自然と思い浮かんだ。

 白粉の匂い、客引きの声、酒の味、折られた(かんざし)、いろんなイメージが湧いた。


「やっぱり、私のこと、遊びだったんですね…。本気で好きっていう態度を取っておいて…、私を騙した」

 コマチは泣き出した。


「好きだったんですよ。でもね、他にもあちこち、好きな女の人がいたんです。何故かと言うと、結核を(わずら)っていて、もう長くないと思ってたからなんです。誰を幸せにする自信も無かった。私は女の人を愛してはいけないと思ってた。だから、わざとあちこちに女の人を作って、その場限り、心の寂しさを埋めてたんですね。…で、君に会ってからは…、激しい君に振り回されて、どんどん気になって仕方なくて…」


 旭は自分でも、適当な作り話のはずが事実のように思えてきた。

 切なさも感じた。

 彼はただ、話し続けた。


「私は病気が進行して、当時は助からない病なので、君にも病をうつさないように距離を置くようになりました。床を共にすることも避けました。会う回数も減らしました。…だけど、最後の約束は本当に守ろうと思ってました。…君と縁日に行く約束だけは…」

 旭がそこまで話す頃、コマチはハサミを構えたまま、すぐ側まで迫っていた。

 二人は近い距離で見詰め合った。


「…だけど、私は力尽きてしまいました。君の顔を見た後、江戸に帰りつくまでに、私は倒れてしまいました。仲間が私を引き取りに来て、自宅まで運んでくれましたが…、そこからは寝たきりの生活になりました…」

 旭は淡々と話し、段々言葉を速めた。


「何度も君に会いに行こうとしました。でも、もう立ち上がることも出来ませんでした。スパイをしていたから、殺される覚悟はしてました。病気で死ぬのは無念でした。武士としての死に場所を求めてたんです。…残念ながら、私は血を吐いて死にました。…今も居合をやってるのは、その時の未練なんでしょう」


「…死んだ? 病気で? どんなに捜しても見つからなかったのは…死んでたから?」

 コマチは口をパクパク動かした。


「すみません。待たせるつもりなんか無かった。でも、どっちみち、私は君と結婚出来なかったでしょ。遠くで君の幸せを祈って、早く私みたいな男のことを忘れてくれることを願って、死にましたね…」

 旭が満足して、何度も自分の話に頷いた。


 コマチは腹立たしく、怒りをぶちまけた。

「自分だけ都合のいいことを言ってます。待ってた私はどうなるんですか? 幸せにする自信ないとか、愛してはいけないとか、そんなの酷くないですか? 私は…あなたといる時、同じ孤独を…底無しの寂しさを…、分かち合うような幸せを感じてたのに…」


「そうですね。だから、会いに来ましたよ。三百年の時を越えて…。ああ、久しぶりですねー」

 旭がさっと近寄って、コマチの手からハサミを奪い取った。


「くぅんっ」

 コマチがキツネのように鳴き、旭のネクタイを手に巻き付けて、彼を絞めようとした。

 旭はコマチの手を(ひね)って、ストンと落とした。

 彼は意外に手加減なく、コマチの手を捻った。

 コマチは膝から崩れ、地面に転倒した。


「コマチちゃん、そんなに待ってくれた? あのですね、昔は年の差なんて問題無かったんですよ。今は大アリで。私が二十六で、君が十五なんですよ。これってヤバいじゃないですか?」

 コマチの手を後ろ手に捻って、旭が笑いながら押さえ込む。


「くぅっ、んっ」

 コマチはキツネのように、その場で跳ねた。

「後二、三年待って下さい。それでも私のことを好きなら、現世でやり直してみましょうよ。最初からね」

 旭が提案し、後ろからコマチを抱いた。

 コマチは何度か跳ねた後、おとなしくなった。



 雨音と雲林院の呪縛が解けた。

 紅葉達は一気に力が脱けて、座り込んだ。


 雨音と雲林院は、逃げた妖気を探った。

 鬼の気配は、風に乗って西の空へ逃げた。

「愛宕か…」

 追いつくことが出来なくて、雨音は空の彼方(かなた)を睨んだ。


「やってられへん。行こ、行こ」

 紅葉は煌星とスミレの背を押した。

 彼女達は笑いながら教室に引き返した。



「旭さん…」

 コマチは旭にしがみ付いて、頬を押し付けていた。

「コマチちゃん。私、会社に戻ります。サラリーマンって、昔の武士がたくさん生まれ変わってるんですよ。日夜、戦ってるんです」

 旭は適当なところで、コマチを剥がした。


「待って。旭さん…」

 コマチは旭を追いかける途中、空を仰いだ。

「…とても悲しくて、とても幸せな夢を見たよ…」

 コマチは白い雲を見詰めた。





 嵐山の土産物屋の店員が、暖簾(のれん)を下ろそうとした時に、少女が一人立ち寄った。

 年は中学生ぐらい。

 小柄で、白い清楚なワンピースを着ている。

 でも、そのワンピースはどす黒い血のようなシミで汚れている。


 少女は季節限定のハロウィン風土産を手に取った。

「ハロウィンの仮装ですか?」

 店員はワンピースのシミを勘違いした。

 まさか、本物の血だとは思わなかった。


「これは…鬼…?」

 少女が掠れる、可愛らしい声で尋ねた。

 顔には返り血を赤い絵の具で描き、口元もケチャップか何かで汚している。


「西洋のカボチャのお化けですよ。鬼と似たようなもんですかね」

 男の店員は、見たこともないほど美しい少女が念入りに返り血メイクしていると思い、デレデレして顏の筋肉を弛ませた。


「鬼…」

 少女はランタンに笑いかけた。

「気に入ったんでしたら、持って行っていいですよ。もうレジ閉めちゃったんで…。今日は閉店なんです。内緒ですよ」

 店員は内緒でランタンを少女に持たせた。


「うん、おまえは…これをくれたから…、喰わずにおいてやる。礼を言う」

 少女は奇妙なことを言った。

「なりきってますねー。ハロウィンの…鬼? 魔女かな?」

 店員は命拾いしたことも気付かずに、微笑んで暖簾を畳んだ。


 少女は渡月橋の方へ向かう。

「お嬢さん、小雨が降って来ましたよ。これ、持ってって」

 店員がビニル傘を持たせようとした。

「いらない」

 少女は長い髪を弾ませ、石畳を駆け出した。



 薄暗くなり、街灯が点る。

 小雨にけぶる渡月橋。

 いつもより水かさを増した大堰川、下手に見えるのは中の島公園。


 昼はめいいっぱい観光客で賑わっていたのが、天気のせいか、夜になって人が減った。

 渡月橋の上手の亀山公園で、誰かが松の木陰で横笛の練習をしている。

 物悲しい旋律だ。


 少女は一人で橋を渡って行く。

「この近くに泊まってるのー?」

 擦れ違う人が声をかけた。

 少女は聞こえないみたいに反応しない。俯いて、欄干の側をトボトボ歩いて行く。



 少女は前方を独り歩く、背の高い女を追っている。

 若い女。割と人目を引くタイプ。


 その女も傘を差していない。濡れた前髪が、頬に張り付く。

 鼻筋が高く整って、とても美しい感じがする。

 肩にかけた薄手のカーディガン、ロングスカートから覗く細い足首と、ローヒールのパンプス。

 線の細い体型であることがわかる。

 一人旅だろうか。

 誰かと食事の待ち合わせか。


 少女は口周りに付いていたケチャップみたいな汚れを、何度か舐めた。

 血の味が少女を高揚させる。


 若い女の方は、狙われていることに気付かない。

 傘を差した何人かの観光客と擦れ違う。

 女は景色も見ずに、肩にかかる髪のウェーブを指に絡め、遊んでいる。

 推定、二十歳は過ぎていない。


 彼女達は渡月橋を渡り切った。

 女は裏道まで来て、街灯と街灯の間で立ち止まった。

 薄暗い場所だ。

 女はクラッチバッグからスマホを取り出し、時間を確認する為、歩を停めた。

 偶然、その路地で女と少女が二人きりになった。


 時間を見て、溜息をつく女。

「今日は二人目…」

 少女が呟き、右手を女の肩に伸ばした。

 その爪が紫色で、やたら長く尖っていた。魔女のように。


「おまえの肝を喰わせろ…」

 少女が女の肩を掴み、強く引っ張った。





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