伍陸 鬼一法眼
1
鬼化していく紅葉の腕を引っ張り、咲良が喚いた。
「紅葉ちゃん!! 誰に似てるか、思い出したよ!!」
でも、今はそんな話をしている場合じゃないと気付いた。
武蔵の目の特異点を通って、玉藻の手が紅葉を捕えようとしていた。
咲良は紅葉に言った。
「紅葉ちゃん、これは夢なんだよ。じゃ、3、2、1で目を覚ますよ!」
「咲良ちゃん…、私、鬼になってしまう…!!」
紅葉の角は10センチぐらいまで伸び、髪が急激に伸びて、鬼女と呼ぶに相応しく変貌していった。
「3、2、1!! それっ!!」
咲良が紅葉の肩を叩き、目を固く閉じて、見開いた。
2
二人同時に目を覚ました。
彼女達は不動堂にいた。
紅葉は元の姿に戻っていた。
「怖かった…。夢やったんか…」
彼女は恐ろしい夢のせいで、汗をかいていた。
静かな不動堂に、格子から朝日が差し込んでいた。
天狗党に拉致された後、既に一夜が経ったらしい。
咲良が格子戸を開けた。
雨上がりの、しっとりと濃い緑の森に囲まれている。
民家も集落も、電柱も電線も外灯も無い。
咲良は外に出て、不動堂を振り返ってびっくりした。
お堂は子供二人が入りきれないほど小さい。
内側から見た時はもっと広いと思ったのに、どんな時空のトリックなんだろう。
咲良はぬかるみに立って、不動堂を見詰めていた。
「咲良ちゃん…、ここ、どこ…?」
紅葉も出て来た。
「たぶん、鞍馬…」
「奥鞍馬…、天狗党の居住地ってことか…」
紅葉は山々を見渡した。
「その通りですよ…」
小さな滝の方から、天狗党のルイが現れた。
夢の中の小天狗・累加は十歳ぐらいだった。数百年を経て、彼は大人になっている。
黒いスーツに黒いシャツのルイは、
「武蔵は今、私達の首領と話をしています。武蔵が天狗党に戻ることを、私とレイは望んでいます…」
腕組みして、考え込んだ。
「ずっと武蔵さんと旅をしてたんですね。あの鬼女はどうなったんですか? 私達、途中で目を覚ましたんですけど」
「ああ。私とレイは命からがら逃げました。そして、京都で武蔵の帰りを待ちました…。武蔵は三年も経ってから、やっと戻って来ました。彼には…その三年間の記憶がありません……」
ルイは過去を振り返った。
「へっ!? 武蔵さんを残して逃げたんですか? ひどい!」
紅葉は腹を立てた。
ルイは肩を竦めた。
「ひどいですかね。殺生石から生まれた妖狐と戦うのは、武蔵の役目だったし。私達はただのお目付け役でしたから…」
「それで、武蔵さんは鬼女に勝ったんですか!?」
「わからないんです。武蔵は一体、どこでどう過ごしていたのやら。私達は武蔵と再び、殺生石の欠片を集め始めました。細かいものを含めると、全部で九百ほどの欠片を砕き、あの不動堂に封印しました…。九尾の狐は、力の殆どを失ったはずです」
ルイが不動堂の前で手を合わせた。
紅葉は質問を続けた。
「静先生と武蔵さんは、本当の姉弟なんですか?」
ルイは大笑いした。
「あっはっは…、姉弟のわけがないじゃないですか。武蔵は鬼です。静はただの人間です。…数年前、彼女が武蔵を天狗党から連れ去りました…。ま、いろいろありましたよ」
紅葉と咲良は顔を見合わせ、心の中でいろいろ想像した。
レイが突然、湧き出すように現れた。
「ルイ。武蔵の話が終わったよ。お嬢さん方も、うちの首領と話をしてみますか? せっかくだし。…それとも、怖いですか? 千年を生き、京都の裏世界を実質支配してきた方ですからね」
彼は自慢げに言った。
「そっか。天狗党の首領は…、牛若丸に剣術を授けたと言う、鬼一法眼なんですね?」
紅葉が察した。
「正解です」
ルイとレイが認めた。
「それって、鞍馬寺にあったお社の、剣術の神様じゃないの!? 雨音くん達とお参りしたとこだよね?」
咲良がびっくりして聞き返した。
3
紅葉と咲良は不動の滝を潜り、異界にある首領の館へ向かった。
滝の向こうの異界は、山水画に描かれるような景色だった。
霧が流れてくる中、そそり立つ岩や、枝が捻じれた木々の影が浮かんでいた。
野鳥が人語で鳴き、人面のカラスが飛んでいた。
霧の中から建物の影が現れた。
建物の規模ははっきりとしない。
誰もいないのに玄関の大扉が開き、紅葉達は中へ導かれた。
奥へ、奥へ。
静か過ぎて、彼女達の歩く微かな音が響いた。
ギシギシ…。ミシミシ…。暗い廊下の床板が鳴る。
襖に描かれた鳥や猿が、絵の中で動き回り、
「ひひひ、人間が来たぞ…。まだ子供じゃ…」
「人間臭いのぅ…」
と、人語で囁いた。
紅葉達は時代劇のセットのような、太い梁と欅の丸太柱の板間に出た。
「来たか…」
武蔵が黒猫を抱き、中央で胡坐をかいていた。
「武蔵さん!」
紅葉と咲良は武蔵の顔を見て、少しほっとした。
上座は無人だった。
数秒後、紅葉達が何気なく前を向くと、いつの間にか、上座に男が座っていた。
「ようこそ。君達のことはルイとレイから聞いた」
男がよく透る声で言った。
その声は昨夜の夢で、不動堂の屋根から武蔵に話しかけていた大天狗だ。
紅葉達の周りには大勢の天狗が詰めかけ、黒いシャツとネクタイと黒スーツで場を埋めた。
「鬼一法眼…」
紅葉の抱くイメージは、筋肉が隆々と盛り上がった男で、いかつい顔にはいくつも刀傷がある。
ところが、目の前の男は、そんな無骨な感じでもない。
鬼一は黒い僧衣に金糸刺繍が美しい紅の袈裟で、ゆったりと佇む。
丸腰で、数珠と扇子だけを手に持っていた。
額には、雨音と同じような第三の眸があった。
「あの、て、天狗党は…、今はどんな活動をしてるんですか?」
紅葉は緊張し過ぎて、言葉を噛んだ。
「今も昔もひっそりと、表に出ることなく、この世の理を見守り続けている。現状の世の理を維持すること、それが私達の方針である」
鬼一法眼が答えた。
「校長先生に寄生虫の黒猫を与えたのは、鬼一法眼さんですか?」
紅葉は勇気を出して聞いてみた。
咲良は男性恐怖症と人見知りがあるので、こういう時は大体黙っている。
「君は気に入らなかったかも知れないが、一つの試みとして、私には重要な意味があった。亡くなられた方には気の毒だが…」
鬼一は千年生きている凄みがあった。
抜き身の日本刀のような、危険な空気が漂っていた。
鬼一は閉じた扇子で膝を叩いた。
「そう。今、武蔵と話していたことは九尾の狐。かの狐の気配が近頃、急激に大きくなりつつある。そこで、武蔵に頼んでいた。今度こそ、あの狐を滅ぼして来てほしいと。…君ら、武蔵の新しい仲間かね?」
「私達はしゅとーん部です。…そうよね?」
紅葉は咲良に同意を求めた。
「しゅとーん…!? 山上主税か?」
鬼一の表情が変わった。
手から扇子が滑り落ちた。
「山上さんを知ってるんですか?」
紅葉達はきょとんとした。
「しゅとーん…」
大勢の天狗達がざわめいた。
「知ってるも何も…、祝東雲流。神主家の山上こそ、まさに…諸悪の根源…」
鬼一は嫌悪感を込めて、忌々しげに語った。
紅葉はヒヤッとした。
「私達、安倍晴明に千年封印された十二の鬼の、復活を阻止する為に頑張ってるんです。鬼一さんは私達の味方ですか?」
武蔵が笑い出した。
「まさかここで、山上の名を聞くとは思わなかったな。まぁ、それも有り得る話だった。渡辺源次と一緒にいたガキどもだもんな。…なぁ、おまえら。マズい場所に来てるぞ。天狗党はな、祝東雲の昔っからの宿敵だぞ…」
武蔵は口を斜めに歪めた。
鬼一は扇子で口元を隠し、ルイを呼び寄せ、何かを告げた。
武蔵が一歩離れ、大薙刀を手に取った。彼女達を拒絶する態度だった。
紅葉と咲良はビクビクして、青褪めた。
鬼一が立ち上がり、次の瞬間には上座から消えていた。
「やれやれ、首領がお怒りになりました。こんなことは珍しい」
ルイが囁き、天狗も全て消えてしまった。
「武蔵さん、天狗党に戻るんですか!?」
咲良が聞いた。
「戻りゃしない。でも、首領には義理がある。おまえらはしばらく、ここにいろ! 外に出たら、どうなっても知らんぞ!」
武蔵が出て行った。
紅葉と咲良は広い板間に取り残された。
4
彼女達は天狗の館を歩き回った。
ふわふわして、奇妙な世界だった。
上も下もよくわからない、不思議な感覚だ。
階段を昇れば、景色は下がって行く。
まっすぐ進んだはずなのに、元の場所に何回も出て来る。堂々めぐりだ。
襖に描かれた猿が、頭だけ絵から突き出して、
「やーい。そんなに簡単に出られるもんか。ここは首領の結界の中だぞ…」
と、はやし立てた。
建物の中に霧が立ち込めてゆく。
「何日経ってるんやろ? また、おにぃに叱られる…」
紅葉は蘇芳の怒った顔を思い浮かべた。
咲良は学校の鞄からカッターを取り出し、柱を少し切ってみた。
「何してんの? 咲良ちゃん」
紅葉が聞く。
柱の傷に、うっすら血のようなものが滲んできた。
「…ここは鬼一さんの体内だよ」
咲良は不思議なことを呟いた。
紅葉は咲良のすることをじっと見詰めた。
咲良はカッターで、周りで一番太い柱をツンツン刺した。
すると、景色がぐにゃぐにゃ曲がってゆき、建物の形が湾曲した。
唐突に大きな衝撃と共に、紅葉と咲良は建物の外へ吐き出された。
目の前に、不動堂の細い滝があった。
彼女達は滝の水越しに、元の世界を眺めた。
彼女達は流れ落ちる水に手を突っ込み、異界の出口を割ろうとした。
しかし、氷のように冷たい水が撥ね返り、彼女達の顔を濡らしただけだ。
「山上さんに早く連絡しなきゃ。あの鬼女がよみがえる…」
咲良は焦っていた。
「大丈夫ちゃう? 殺生石は殆ど封印されて、鬼女は力を失くしたんやろ?」
紅葉は水を掻き分け、異界の出口を探している。
「たぶん、マナブが九尾の狐を目覚めさせようとしてる。あの鬼女は学瀛に似てる…」
咲良は水を叩いた。
水飛沫で彼女の制服はずぶ濡れだった。
「はぁ!? 似てる…かな? マナブがなんで…」
紅葉は話す途中で、水の向こうに人影を見た。
雨音と雲林院、静先生、山上が坂を昇ってきた。
彼等は不動の滝を見て、その水の裏側の紅葉達には気付かなかった。
5
「そういうわけだったんですか…」
山上は静先生の話を聞き終え、深く頷いた。
「実は俺達しゅとーん部も、天狗党とはいろいろありまして…」
山上が頭をポリポリ掻いた。
彼は美しい静先生に見惚れている。
静先生は束ねていた髪を解き、シャツを第二ボタンまで開いている。
授業の時と違って、とても色っぽい。
「…少しは知っています。しゅとーん部は鬼化したシャーマン達を暗殺してきました。一方、鬼化した者を受け入れてきた天狗党は、しゅとーん部を毛嫌いしています…」
雨音と雲林院は、
「咲良ちゃんと紅葉ちゃん、無事かなぁー!?」
と、滝の前で話した。
紅葉と咲良は滝の裏側で、
「雨音くーん!! 山上さーん!! 雲林院くーん!!」
と叫び、水をバチャバチャ叩いた。
静先生は滝を見詰め、
「この向こうに、首領の館があるんです。私は入口を開く方法を知ってます。昔、首領に教わった…」
と、指差した。
「首領は鬼一法眼ですよね。ルイとレイのあの剣術は…」
雨音が言った。
静先生は辺りを見回し、
「そうです。渡邊くん、名前を出さないように。首領は恐ろしい大天狗です…。穏やかに見えますが、とても厳しい方…。裏切り者を決して許さない…。私が見つかったら、とんでもないことになります…。異界に入る鍵には、首領の意に介さぬ場合、必ず一人死ぬと言う呪いがあるんです…」
心底恐ろしそうに囁いた。
「呪いは俺達で何とかします」
山上が請け合い、静先生は早九字を切った。
異界の門が開く…。
滝の水がパシャッと左右に分かれた。
咲良と紅葉は前のめりに倒れ込んだ。
「いた!! 二人とも!!」
雨音が喜んで出迎えた。
その時、空からハスキーな声が降ってきた。
「静。宿敵のしゅとーん部を連れて来るたぁ、どーゆーことなんだよ…!?」
武蔵の声だった。
滝を見下ろす大木の幹に、武蔵が大薙刀を担いでしゃがんでいた。
静先生は武蔵を見上げ、毅然と言い返した。
「私は子供を巻き込むことに反対です。武蔵、その女の子達だけ、先に保護させて!」
「このクソガキどもも、しゅとーん部なんだぞ!」
武蔵が滝壺に玉石を一つ投げ込んだ。
俄かに、滝下の小さな池は深さと広さを増した。
紅葉と咲良は荒れ狂う波に襲われた。
彼女達はとても泳げず、同時に溺れた。
「鍵の呪いは聞いたはずだな? どっちか一人しか助からねぇー。さぁ、源次、選べ!」
武蔵が雨音に言った。
雨音は迷わず、池に飛び込んだ。
雲林院も飛び込み、山上は鍵の呪いを解く為の呪を唱えた。
飛び込んでみると、どんな時空のトリックなのか、池は海のように広かった。
雨音は紅葉と咲良を懸命に探した。
風が彼等を弄ぶように、水面を荒々しく波立たせた。
咲良はゴボゴボと水を飲んだ。
これは幻覚だと思ったのに、本気で苦しかった。
紅葉は溺れかけ、何度も水を飲んだが、かろうじて立ち泳ぎ出来た。
彼女は雨音が咲良を助けに行くと思った。
切なくて、心に黒い嫉妬が湧き起こった。
嵐のように荒れ、黒い雲が渦巻き、竜巻が空と海を繋いだ。
「どうなってんの?」
雨音は呟き、いくら泳いでも近付かない距離に苛立った。
「雲林院、咲良ちゃんを頼むよ!」
雨音はとうとう紅葉の襟を掴み、自分の肩まで引き寄せた。
「咲良ちゃんは…」
紅葉は雨音に掴まりながら、水にむせた。
彼女は涙を零していた。
「何びっくりしてんの? 自分の彼女から先に助けるに決まってるでしょ…」
雨音は紅葉を抱き抱え、咲良の方に目を向けた。
その頃、雲林院は咲良を助けようとしていたが、彼も溺れかけた。
「咲良ちゃーん!」
咲良は既に水面に浮いていなかった。
山上は必死に呪を唱え続けた。
「裏切ったのは私なんだから、私が死ねばいいんです。首領、そうでしょう?」
静先生が池に入って行った。
「静、やめろ!!」
武蔵が木の上から叫んだ。
竜巻の中から黒龍が現れ、岸に降り立った。
荒れ狂う海が消え、黒龍は鬼一法眼となった。
小さな池で紅葉と雨音が抱き合い、雲林院が膝を着いて呆然としていた。
鬼一は咲良の襟を掴んでいた。
「そうだとも。静。今更、よくここに顔が出せたものだ。それも、山上をのこのこ連れて来るとは…」
鬼一が罵り、咲良を静先生に投げて寄越した。
「ありがとうございます、首領」
静先生は咲良を受け止め、山上に渡した。
「静!!」
木の上で武蔵が叫んだ。
「武蔵。今日まで私を守ってくれてありがとう。あなたはあなたの生きたいように生きて。私の為に、自分を犠牲にしないで…」
静先生は武蔵に微笑みかけ、頬を伝う涙を拭った。
静先生は自分から鬼一法眼の前に進み出た。
鬼一は静先生の顎に指をかけ、首を捩じ切ろうとする途中、武蔵の表情を確認した。
「武蔵…。この女は他に惚れた男がいるんだぞ。そんな女々しい顔をするな…」
鬼一が武蔵に苛々と言う。
武蔵は涙を堪えて、
「そんな女、何とも思ってません。首領、どうぞ、そいつの首を折ってやって下さい」
と、言った。
ルイとレイが鬼一の前に飛び出し、
「鬼の目に涙とはこのこと。武蔵のこれまでの忠義に免じて、どうか静を赦してやって下さい。首領、命だけは…」
と、地面に額を擦り着けて平伏した。
山上と紅葉と雨音、雲林院らは黙って、天狗達を見ていた。
「静先生を殺さないで…」
咲良がゴホゴホ咳き込みながら、鬼一に言った。
「静先生は危険を冒して、私と紅葉ちゃんを助けに来てくれた。今度は私達が武蔵さんを手伝って、九尾の狐を何とかするから。約束するから…」
鬼一は冷酷な眸を咲良に向け、
「いいだろう。この恩知らずな女の命と引き換えに、おまえが九尾の狐の首を斬り落とし、狐の肝を抜いて来い…」
と、低い声で話した。
彼の姿は一瞬で消えた。
武蔵が咲良の側に飛び降り、彼女の頭を撫でた。
「ありがとな。…おまえはいいクソガキだ」
ルイとレイも深呼吸し、
「あーあ。これで本当に九尾の狐を殺さなければ、我々全員の命がありませんね…」
と、心細く言った。
「簡単なことではありませんし…」
静先生は、鬼一の指跡が赤く残った喉を撫でた。
「何とかしますよ。するしかないですよね」
山上が静先生の震える肩を叩いた。
5
数日後の夕刻。
東雲神社。
祠の前に、阿吽の狛犬と獅子。
神官の正装をした山上と、普段着の旭、雨音と雲林院。
狭い参道には、紅葉と咲良とコマチが並び、静先生と武蔵と二人の天狗、ルイとレイが続く。
山上はトレードマークの髭を剃って、身を清め、髪をぴっちり結い上げて、いつもより凛々しくかっこよく見える。
彼の正装に、平安時代が重なって見える。
山上が何やら神妙に、祓いの詞を唱える。
夜風に松明の火が散る。
編んだ藁で作られた方陣。
鉢に張られた水に、小さな白い紙切れが浮かんでいる。
紙きれは水文に揺れ、鉢の中を行ったり来たりして、縁に当たる。
山上は溜息をついた。
「あかん。祓いきれへん。誰かに邪魔されとる。…九尾の狐、京都にいる。まだ力はそんなでもないけど、なんでこんなに近いんや?」
「近いって、具体的にどこなんですか?」
旭が聞いた。
「そうやな。たぶん…」
山上が鉢を覗き込んだ、その瞬間。
水面が眩しい光を発した。
鉢が真っ二つに割れ、水が流れ出した。
「あっ…」
山上の黒い冠が額の部分で割れ、血が流れ出た。
紅葉と咲良は沸き立つ湯気のようなものを見た。
特に紅葉は、
「ふふふ、ふふ…。無駄じゃ。妾の復活を何人も止められぬ…」
と高笑いする、玉藻の声を聞いた。




