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伍伍 九尾の狐

1


 ルイとレイと思われる小天狗が、大鎧(おおよろい)の鬼に瓢箪(ひょうたん)から水をぶっかけた。

「武蔵坊。お顔を洗いなされ。血だらけじゃ」

 大鎧の鬼は、武蔵だった。


「やっぱり、武蔵さんだ…」

 咲良は不動堂の中で、震えながら様子を見ていた。

 紅葉が咲良の手を繋いだ。

「咲良ちゃん。はぐれへんようにな…」

「わかった」

 咲良が返事した。


 不動堂の屋根から大きな羽音が聴こえ、大天狗が飛び去っていった。

 武蔵と小天狗も夜闇に消えていった。


 紅葉と咲良の前に雨が降りしきり、景色を掻き消した。

 場面が流れていく間、二人の立つ場所も流れていくようで気持ち悪かった。




2


 次に紅葉と咲良が目にしたのは、またどこかのお寺の境内。

 彼女達は本堂の縁の下にいた。

 雨で泥が撥ねて、湿気でじめじめした土の匂いがした。

 紅葉達は本堂の根がらみに手を掛け、束石に尻を載せて、近付く者の気配を待った。


 雨を弾く笠と、びしょ濡れの墨染めの僧衣が見えた。

 一人はずば抜けて大柄で、後ろの小天狗と体格に差がある。

 小天狗は痩せてひょろっとしている。


 武蔵は目深に被っていた笠を少し持ち上げ、鋭い眼差しを地蔵に向けた。

「これが有名な鎌倉地蔵か…。鎌倉も久しぶりじゃ…」

 武蔵はとても辛そうに呟いた。


「累加(るいか)、戻減(れいげん)。我々はいくつ、殺生石の欠片を砕いた?」

 武蔵が小天狗のルイとレイを振り返った。


「五十五になりますかな、武蔵坊。これでは、わざわざ鎌倉まで来た甲斐がありませぬな。この殺生石の地蔵様は、何の穢れもなく浄化されております。九尾の狐の念すら残っておりませぬ」

 ルイが答え、

「よい地蔵様じゃ。ご利益がありましょう」

 レイが言い添えた。


「我々が砕いたのは、百年かかってこれだけか…」

 武蔵は小天狗の背負う笈(おい)を見詰めた。

 粉末となった殺生石が入っている。

「これだけでも、九尾の狐の力を相当弱めております。さて、封印から抜けた九尾の狐の魂は、一体いずこに潜んでおるやら」

 ルイとレイがケタケタ笑った。


 武蔵は遠くを見やり、

「随分、村人を犠牲にしてしまった…。我々の戦いに巻き込んでしまった…」

 と、悔いた。


 彼の脳裏には、妖狐との戦いに明け暮れた日々が映像としてよみがえった。

 その映像を、紅葉と咲良も感じ取った。

 武蔵が薙刀を振るい、村人達を困らせていた妖狐を狩る。

 辺りには、村人達の凄惨な死体が転がっている。

 武蔵は殺した妖狐の心臓から、殺生石の欠片を素手で抜き取って、薙刀の石突きで砕いた。


「雑魚(ザコ)の狐ばかりでしたな。欠片に宿りし念とは言え…」

 レイが横から声をかけ、武蔵の重い日々の回想を終わらせた。


「玉藻前(たまものまえ)…、美しい女であったと聞いた…」

 武蔵の吐く息が白かった。

「いやいや。あの悪知恵に長(た)けた狐は、いかに化けるか思案して、憑りつく相手を選ぶのです」

「あの狐は真面目な男の人生を狂わせ、権力者を破滅に追いやることに、最高の喜びを見出す性悪です。されど、人とは愚かなもので、そのような性悪女に溺れてみたいと憧れすら抱いておるのです」

 ルイとレイが交互に話す。


 武蔵は雨の滴を払い、

「私は鞍馬の天狗殿に、剣と薙刀の技を習った。そのお礼に、九尾の狐の討伐を請け負ったが…。未だに約束を果たせずにおる…」

 と、紅葉達のいる本堂の屋根の下へ、雨宿りしに入って来た。


「武蔵坊はあの男を捜しておられる。死んだことを知っておいでのはずなのに。今も、意味なき期待を心の隅から消し切れぬ。あの男の死から三百年ですぞ、武蔵坊…」

 小天狗らが言った。

 武蔵は唇を噛んだ。

「確かに。累加(るいか)、戻減(れいげん)。もしあの方が生まれ変わり、再び会えるものならば、今度こそ我が命に換えて、あの方の願いを叶えて差し上げたい…」


 小天狗らは首を振った。

「武蔵坊。誰も生まれ変わってまで、前世の続きなぞ望みませぬ。いつまでも過去に囚われてはなりませぬ。例え会えたとしても、あの男はそなたが鬼になったことを知ったら悲しみましょう。武蔵坊、邪念を捨て、修行して天狗党にお入りなされ」

 ルイが武蔵に囁いた。


「我等も忌み嫌われた双子。村で育てられず、親は我等を天狗の首領に託しました。天狗党は半端者ばかり。みな、修行して天狗になりました。鬼とは一線を画す者なり」

 レイが言った。


 紅葉と咲良は苦悩する武蔵の気配を、無言で窺っていた。

「次に向かうのは、戸隠(とがくし)じゃったな…」

 武蔵が力無く呟いた。




3


「戸隠…」

 紅葉が反応するのを見て、咲良が、

「どこにあるの? そこに何があるの?」

 と、聞いた。

「長野県の戸隠。ほら、前に話したやん。紅葉という鬼女の伝説があるところ…」

 紅葉は自分のことを話すみたいに緊張した。


「紅葉ちゃんと同じ名前の鬼女なんだね」

「有名な物語なんやで。鬼女・紅葉は平維茂(たいらのこれもち)に討たれる。太平記では、源頼光の父・満仲が戸隠の鬼を斬ったことになってて、その刀が鬼切と言う…。雨音くんの太刀の鬼切ね…」

 紅葉は苦笑いした。


「ふーん。それで?」

 咲良は興味津々で、前のめりに聞いてきた。

「物語の舞台になった村は、後に鬼無里(きなさ)と呼ばれた。鬼女・紅葉は妖術を使ったらしい…」

「狐だったの?」

「知らん。上杉謙信も信仰した飯綱(いづな)権現は、狐に乗った烏天狗として描かれる。前に見た天狗の絵に、飯綱三郎って天狗いたやん。戸隠一帯は修験道の霊場やった」

 紅葉が説明した。

 飯綱山と戸隠山は、戸隠スキー場辺りを挟んで向かい合う山だ。


「鬼とか妖怪、狐憑き。色々あるけど、一番ヤバいのは、狐に乗った鬼女のダキニ。人間の髑髏とか生肝をお供えするの。密教の中で、絶対あかんやつ…」

「ふーん。昔の人は本当にそんなことしたの? 生肝って、それも物語なの?」

 咲良が顔をしかめた。



 場面は変わり、武蔵と小天狗らは険しい山道を登っていた。

「もう少しで、大天狗の飯綱三郎殿のお館に着きます…」

 小天狗らは法螺貝を出し、合図に吹いた。

 独特の音色が、深い山々の間を響いていった。


「なぁ、戸隠の鬼とは、もしや九尾の狐では?」

 武蔵が小天狗らに問うた。

「ここはそのような話が事実でもおかしゅうない土地です」

 小天狗らはカモシカのように素早く岩場を駆け上った。

 武蔵は体重が百キロを超える。彼は息を切らした。



 霧の狭間に異界が広がり、断崖絶壁の岩場に突き出た館が見えてきた。

 神社と寺院が混ざったような、異様な瓦葺き木造の建物だ。

 下の階より、上の階の方がでかくなっている。

 館は澱んだ淵(ふち)を見下ろし、吊り橋で入り口と繋がっていた。


 小天狗らは喜んで吊り橋を揺らした。

 細い吊り橋は、武蔵の体重でギリギリまでしなって、縄が悲鳴を上げていた。

 踏み板の隙間から、緑濃い淵が見えた。


「龍神が棲む淵ですので、落ちないようご用心下され。ここの龍神と天狗は親しくありませぬ。ほれ」

 レイが吊り橋を揺らし、武蔵を冷やかした。

 武蔵はゆっくり吊り橋を渡った。



 紅葉と咲良は吊り橋に近い、館の窓から武蔵達を眺めていた。

 余りの景色に、彼女達は気を失いそうになった。

 窓台にしがみ付き、百メートル以上も下の谷底を、怖くて見られない。


 武蔵達が吊り橋を渡りきった。

「武蔵坊。実は戸隠山に、本物の鬼女がおるそうです。我等は飯綱三郎殿にその話を聞いております。鬼女は今も洞窟に棲んでおり、周囲の草木は枯れ、岩から瘴気を発しておるとか…」

 ルイが言った。

 ゴゴゴ…、と歯車の回る音がして、吊り橋に向かって入り口が降りてきた。

 武蔵達は門を潜り、館に入っていった。


 紅葉と咲良は顔を見合わせた。

「戸隠の鬼女!?」



 場面が館の内部と切り替わり、囲炉裏に背を向けた大男がいる。

 武蔵と小天狗らは囲炉裏の炎を見詰めている。

 薄暗い板間。暖かな囲炉裏の炎。

 囲炉裏の鍋から、白い湯気が上がっていく。


「九尾の狐を捜していると聞いたものでな…」

 大天狗の飯綱三郎が呟いた。

 武蔵からは広い背中しか見えない。

 飯綱三郎は翼が生えた背を丸め、胡坐をかいている。


 飯綱三郎の体格は、武蔵と互角。近寄りがたい威圧感を漂わせていた。

 見ているだけで、咲良と紅葉も身が縮み込む。


 飯綱三郎は少し顔を傾け、

「ならば、戸隠山の洞窟を訪ねてくれぬか。鬱陶しい妖気が漏れ出ておってな、儂(わし)は苛立っておる…。狐臭い匂いがする…。何者であったとしても、斬ってくれてよい…」

 と、言った。


「承(うけたまわ)りました」

 小天狗らが平伏し、武蔵の足を抓(つね)った。

 武蔵も慌てて、床に手を着いた。

「承った。お任せあれ」

 武蔵が言うと、その場に霧が立ち込めた。


 紅葉と咲良の視界が白くぼやけていった。




4


 武蔵と小天狗は戸隠山の峠道を歩いていた。

「百年前、那須で玄翁上人が砕いた殺生石の欠片が、この戸隠にも飛来したのじゃろう…。それで瘴気を発している…。分身の妖狐が生まれたのじゃ。今まで粉砕してきた欠片と同じ…」

 武蔵が推測した。


 小天狗らは反論した。

「この妖気の濃さを覧て、それでも武蔵坊は、今までと同じ格の妖狐とお思いか!?」

「殺生石から抜け出た九尾の狐、あやつの魂と思いませぬか!?」


 紅葉と咲良は木の陰から、武蔵達を眺めている。

 森の多様な生き物の存在が、二人の気配をうまく隠してくれる。


 武蔵は鼻をぴくぴく動かし、風に乗ってきた妖気を嗅いだ。

「なるほど、ぞっとする…」

 彼は鼻に皺を刻んだ。


 敵は妖気を隠そうとしておらず、近付く者を威嚇している。

 かなりのランクの鬼が、どろどろと妖気を垂れ流していた。


 妖気は近付くほど強烈になって、武蔵は吐き気と頭痛を感じた。

 小天狗らは愚痴を言うまいと思っていたが、まだ子供だったので、

「我等だけで、これほどの敵に立ち向かうことになろうとは。援軍を三郎殿に頼めばよかった…」

 遂に愚痴を零した。


「これでよい。今まで何度も、村人を犠牲にしてきた…」

 武蔵は大薙刀をしっかり握り直した。


 道が砂利で覆われ、石がごつごつとしてきた。

 両側に岩場が迫り、崖から木の枝が垂れ下がって、花もなく青空もなく、ただ風が吹き付ける。

 武蔵の僧衣が風に煽られる。

「洞窟が近いな…」

 武蔵は濃くなる妖気から距離を測った。

 ますます頭痛がひどくなり、頭が割れそうだった。



 昼間なのに、夕方のように薄暗くなった。

 向かい風が強く、黄色い土埃が視界を濁らせる。

 急傾斜で歩くのが困難になる。

 彼等は黙々と登った。


 武蔵は鬼女の姿を想像した。

 般若の能面のような顔をしているだろう。

 もしくは、数百年を生きた醜い老婆。

 髪はばざばさと荒れ、みすぼらしい格好をしているに違いない。

 鬼のように角を生やし、九つの尻尾を孔雀の尾羽のように広げているだろうか。



 やがて、武蔵達は洞窟のすぐ近くまで来た。

 洞窟の側に、一本の倒木があった。

 武蔵は倒木に腰を下ろした少女に気付く。

 少女の年は十四、五歳。

 さらさらした髪で、花のように白い肌。百姓の娘にしては日焼けしていない。


「あれは麓(ふもと)の里の娘か…!?」

 武蔵は瞬きした。

 少女は質素な身なりだが、清楚で品がある。


 彼女は鬱蒼とした梢を見上げて、何か唄を口ずさんでいる。

 彼女の淡く色づいた唇は、サクランボのようである。


「おい、そこの娘。そこは危ない。今すぐ里へ帰れ…!」

 武蔵が声をかけ、少女が振り向いた。


「武蔵坊!! その娘、人間ではありませぬ!!」

 小天狗らが背後から叫んだ。


「何を馬鹿な…」

 武蔵が言いかけ、次の瞬間、全身に悪寒が走った。

 彼は少女の側に落ちた、数羽の小鳥の死骸を見た。

 毒で神経をやられたみたいに、ピクピク痙攣している一羽もいた。


 少女の周辺で草花が萎(しお)れ、木々の葉が赤茶けて枯れていく。

 木々はみるみる、数年経過した倒木のように朽ちた。

 彼女の存在が死のように、終わりを広げていく。 



 小天狗らは結界を張り、白い光の球に隠れた。

 武蔵はベキベキと自分の骨が軋む音を聞いた。

 蛇女神メドゥーサに睨まれて石になるように、彼の体が金縛りに遭って、動かなくなった。

 武蔵は不動明王大咒(だいしゅ)を唱えた。

「ナウマク・サラバタターギャテイビヤク…、サラバボッケイビヤク・サラバタ・タラタ…、センダ・マカロシャダ・ケン・ギャキギャキ…、サラバビナン・ウン・タラタ・カンマン…!」


 少女は顔色を変え、眉を上げた。

「何者!?」

 声は小鳥のように高く綺麗だった。


 武蔵の右手の指が、一本だけ動くようになった。

 彼はぎこちない指の動きで早九字を切り、

「天魔(てんま)外道皆仏性(げどうかいぶつしょう)、四魔(しま)三障成道来《さんしょうじょうどうらい》、魔界仏界同如理(どうじょり)、一相(いっそう)平等無差別…」

 と、唱えた。

 数秒して、武蔵の金縛りは完全に解けた。


「ふふふ…。そなた、何者? 子供の天狗を連れて…、ああ、飯綱三郎の使いか?」

 少女が笑窪を刻んだ。

「私は武蔵坊。鬼坊主じゃ。おぬしは…あの玉藻前(たまものまえ)…か?」

 武蔵が低い声を絞り出した。


 無邪気な表情から大人びた表情へ、少女は急激に変化した。

 少女は盛りの花が香り立つような色気を発した。

「その名で呼ばれたこともあった…」

 腰掛けた木の幹で裸足をゆらゆら揺らし、甘い吐息をついた。


「玉藻前。おぬしの命をもらい受ける為、ここまで来た…。三百年かかった…。さぁ、覚悟せよ!」

 武蔵は薙刀を振り上げ、一歩踏み込んだ。

 けれど、彼は斬ることをためらった。


 武蔵は間近で玉藻を見て、見惚(みと)れずにはいられなかった。

「美しい。ここまで美しい少女(おとめ)は見たことがない…。帝の寵愛を受けたのも頷ける…」

 魔性に惹かれそうになる心を、僧である武蔵は必死で制した。


 玉藻は華奢な体を、木の幹にもたせかけた。

「ふふふ…、そなたは懐かしい、都の匂いがする。妾(わらわ)に酷い仕打ちをした、あのお方を思い出す…」

 玉藻は武蔵の振り上げた大薙刀に怯えもしない。

 それより、堂々としている。



 紅葉と咲良は遠く離れた森の中で、武蔵の眸を通して、その光景を映画のように見ていた。

 紅葉は言葉にならない恐怖を感じた。

「あの子、なんか怖い…」

「ね、紅葉ちゃん。あれが戸隠の鬼女? どこかで見た顏なんだけど、思い出せない…。誰かにすっごく似てる…」

 咲良は思い出そうとして、黙り込んだ。



 結界の中から小天狗らが叫んだ。

「武蔵坊、早う鬼女の首を斬りなされ!!」


 武蔵は小天狗らを睨んだ。

「わかっておる。今すぐに…」

 武蔵は体重を乗せ、大薙刀をここ一番の速さで振り下ろした。


 玉藻は片手でちょいと、武蔵の大薙刀の刃を受け止めた。

 細腕で軽々と、岩をも砕く武蔵の一振りを摘んだ。

 武蔵は驚いて、その場に居着いた。

 玉藻は大薙刀の刃を砕いた。


 彼女は木から降り、武蔵の坊主頭に触れて、笠を剥ぎ取った。

 そして、いかにも精悍な武蔵の顔を見詰めた。

「凛々しいお顔をしておいでじゃ。鬼坊主殿…」


 武蔵は危機を感じ、小天狗らに怒鳴った。

「累加(るいか)、戻減(れいげん)。集めてきた殺生石の粉を出してくれ!!」

「爆発しますぞ…。火に油を注ぐようなものじゃ…。そやつが力を取り戻します…!!」

 ルイとレイは始め、拒否した。


「よいから、殺生石の粉を鬼にかけよ…!! 早う!!」

 武蔵が声を荒げた。

 小天狗は急いで笈(おい)を背中から下ろし、殺生石の粉末が入った袋を取り出した。


 玉藻はつつつと指を這わせ、武蔵の首筋から胸元へ、指を滑り込ませた。

「妾を殺しに来たと仰ったな? 妾を救って下さるのか。この無明の生地獄から…」

 武蔵の襟がはだけて、逞しい大胸筋の下で、心臓が大きく鼓動していた。


「早う!!」

 武蔵がルイとレイを急かした。

 小天狗らは決死の覚悟を決め、結界を解いて飛び出した。

 小天狗らは翼を羽ばたかせ、玉藻の頭上から殺生石の粉末を降り注いだ。


「あっ…」

 玉藻は小さく叫んだ。

 玉藻の体から白い煙が上がった。


 玉藻は身を捩らせ、武蔵から離れた。

 彼女は踊るようにもがき、煙に包まれた。

「熱い…!! 煮え湯か、これは…!!」

 玉藻が叫んで、跳ね回った。


 玉藻の頭に金色の耳が生え、尻から九本の長毛ふさふさの尻尾が生えた。

 玉藻は正体を現した。

 尻尾は九本とも長さが異なり、一番長い尻尾が2メートルほどあった。


「やはり、九尾の狐…」

 武蔵が唸った。


 玉藻の周囲で突風が発生し、木々が吹き飛ばされ、岩が崖を転がり落ちた。

 地上から天へ、逆さに雷が閃いた。


 玉藻は九尾の狐として妖力を、殺生石の欠片分だけ取り戻した。

 完全な復活には至らないが、バチバチと電気が周囲に走った。



 玉藻は武蔵の眸を通して、紅葉と咲良を見つけた。

「誰じゃ、そなたらは…!? 異なる時空から、妾を覗き見る…」

 玉藻の全身から妖気が迸り、着物の袖と長い帯がパタパタ鳴った。


 玉藻と目が合って、紅葉と咲良は震え上がった。

「こっちが見えてるの!?」

 紅葉と咲良は手を繋ぎ、森の中で抱き合った。

 武蔵の眸を覗き込む玉藻が、魚眼レンズを通して眺めるように歪(ひず)んだ。


 玉藻が武蔵の眸に手を突っ込んだ。

 黒い特異点を通し、紅葉達の目の前に玉藻の華奢な手が出て、宙を掴むように指を動かした。

「ああ、紅葉か…。見つけたぞ…」

 玉藻は紅葉に目を留めた。


「うわぁ、何をする!?」

 武蔵は片目に手を突っ込まれ、折れた薙刀を振り回した。

 玉藻を突き飛ばそうとしたが、彼女は鉄のようにびくともしない。


 玉藻は袖を捲り、特異点へ腕を伸ばした。

「紅葉、待っていたぞ。早う来い。妾の元へ…」

 魚眼レンズの歪んだ映像から手だけ伸びて、紅葉に手招きする。

 玉藻の眼窩が真っ黒の闇に陰り、眸が見えなくなった。

 その口は両耳近くまで裂けている。


 鬼だ。

 今までで一番恐ろしい鬼に出会ってしまった。

 紅葉は戦慄し、ガクガク震えた。


 咲良はまだ考え込んでいる。

「誰に…似てるんだっけ…?」


「紅葉…。妾の可愛い鬼…」

 玉藻が武蔵の目を通し、手で紅葉の髪に触れた。

 玉藻の爪が紫色で、長く尖っていた。


 玉藻が触れた途端、紅葉の中から何かが溢れ出した。

 藍色の光だ。

 細かなシャボン玉が噴き出すように、藍色の光が紅葉の口や眸から溢れ出す。


 そして、彼女に大きな異変が生じた。

 紅葉の額から、二本の角が生えていく。

「嫌や!! 角が…!!」

 紅葉は慌てて、角を押さえた。


「紅葉ちゃん! 思い出したよ!」

 咲良が紅葉の手を引っ張った。





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