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伍漆 狐憑き


 紅葉は雨音に送られ、しゅとーん部の他のメンバーより先に帰った。

 帰り道、彼女は何度も自分の影を振り返った。

「九尾の狐がどこにいるか?」

 彼女は自嘲気味に呟いた。

「私に憑りついてる気がする。咲良ちゃんもそう思ってそう…。殺生石の鎌倉地蔵へ行った日から…」

 と、心の中で思った。


 街灯に並木の葉が照らされている。

 鎌倉地蔵のお堂の前、頭擦れ擦れまで枝を広げていた、綺麗な紅葉を思い出す。

「咲良ちゃんは…私を殺すわけにいかへんから、きっと気付いても黙ってる…」


 紅葉は雨音の綺麗な横顔を眺めた。

「ずっと好きやった雨音くんと、今、つきあってるのになぁ…」

 昨日、約束していたUSJに雨音と行ってきた。

 初デートは緊張して疲れたけど、とても楽しかった。


 紅葉の家に着いた。

 雨音は何も気付かないように、優しい笑顔で手を振った。

「じゃ、また来週ね。来週は居合の稽古だよ、紅葉ちゃん」

「うん」

 紅葉は雨音を見送って、玄関の鍵を開けた。


「私、武蔵さんに殺されるのかな? 巨門(こもん)、聞いてるんでしょ?」

 紅葉の鞄の中から白光が閃き、ポンッと光が飛び出してきた。

 平安時代の着物の裾を引き、識神・巨門が一緒に玄関を通った。


「なるようになる…。心を弱くすれば、鬼は付け込むもの。強い鬼ほど、祓うのも容易ではない…」

「巨門、寝るのが怖いよ…。意識がないうちに、体を乗っ取られてしまいそう…」

「心を強くすることじゃ」

 巨門は長い髭を撫でつつ答えた。





 紅葉はリビングのソファーで、うたた寝してしまった。

 夜風に吹かれ、カーテンが揺れている。

 リビングのドアが風で開く。

 廊下は真っ暗。

 階段を誰かが降りて来る足音がする。


 紅葉は薄く目を開き、ドアの方を無意識に見る。

 きっと、兄の蘇芳が来て、

「紅葉。あんたは。こんなとこで寝んと、寝るんやったら自分の部屋で寝よし」

 と、いつものように口うるさく言うのだろう。


 階段の手摺と、手摺に掛けられた手が見える。

 暗がりで、階段を降りて来る人の手首から先だけが見えている。

 色白で華奢な、女の指だ。

 トントン、トントン…。

 軽い体重の誰かが降りて来て、その手が手摺の最後で停まった。


「誰…!?」

 紅葉は起き上がろうとした。

 体が重くて、起き上がれない。

 背中にぞわぞわと悪寒が走り、廊下に異様な気配を感じた。


 廊下の天井から、ぬぬっと女の頭部が逆さに現れた。

 長い髪が乱れた、十四歳ぐらいの少女の顏。

 人形みたいに美しいけれど、無表情。


玉藻(たまも)…?」

 紅葉は思わず、名を口にしてしまった。

 鬼はさくらんぼのような丸みと淡い色の可愛らしい唇を開いた。

「紅葉…。そなたに頼みがある…」


「来んといて…」

 紅葉は奥歯を噛み締めたまま、唸った。

 天井から出た逆さの生首が、少しずつ紅葉に近付く。



 突然、廊下の照明が点いた。

「紅葉。どこで寝てんの、あんたは?」

 蘇芳が怒った顔でリビングに入ってきて、鞄をソファーの横に投げ出した。


「お帰り、おにぃ…」

 紅葉は目を擦って、廊下を覗いた。

 廊下には誰もいなかった。


「紅葉。雨音から聞いたで。昨日、楽しかったんやて?」

「おにぃ。そんな個人的なこと、後輩に報告させんといてよ」

 紅葉が言い返し、蘇芳は妹の頭をポンと叩いた。

「あんたが幸せなら、それでええねん。鬼とか、もう関わったらあかんで」

「…心配し過ぎやわ、おにぃ」

「紅葉を不幸にしたら、俺が雨音をボコボコにしたる」

 蘇芳が細い腕の、くっきりした力瘤を見せた。


「おにぃ…。今日だけ、一緒に寝たらあかん? 最近、怖い夢ばっかり見て、一人で寝るのが怖いねん…」

 紅葉が蘇芳の腕にすがった。

 蘇芳はのっぺらぼうの鬼女が紅葉になりすました時のことを思い出し、少し固まった。

「…あんた、いくつやねん。もう中三やで」

 蘇芳は紅葉の眸を覗き込んだ。

「紅葉、何かあったら大声出して、俺を呼べ。何があっても守ったる…」

 紅葉は蘇芳の眸を見詰め、小さく頷いた。





 もちろん、咲良は気付いていた。

 親友の紅葉に、恐ろしい鬼女の妖気がまとわりついている。

 直接鬼の姿は見えなくとも、妖気が灰色の霧になって、紅葉の背後から肩にかかっていた。

「紅葉ちゃんが怖がるといけないから、黙っておこう…」

 咲良は普段通りの笑顔で、紅葉と接した。


 紅葉が帰った後、東雲(しののめ)神社で、咲良は山上に打ち明けた。

「たぶん、九尾の狐は紅葉ちゃんに憑りついてると思うんですけど…」

「狐憑きのお祓いは色々あるけど、俺はやったことない…」

 山上が舌打ちした。


「ちょっと、山上さん。動かんといて下さい」

 コマチが山上の額の傷に、薬を塗ったガーゼを貼っている。


「静先生と武蔵さんには言わないで下さい…」

 咲良が頼んだ。

「言わんでも、あの二人はじきに気付くで。雨音も気付いてるやろな」

 山上はヤバいと思った。


「あかん。雨音は、自分の彼女でも斬りそうや…」

 言いかけて、山上はハッとして、口を(つぐ)んだ。

 咲良が泣き出しそうになっている。

 山上は慌てて、

「ああ、大丈夫。憑りついたって、すぐ何かあるわけちゃうな? 九尾の狐ってのは、昔の中国の皇帝やら、権力者やら魅了して、意のままに操ったって言うだけでな…」

 と、ごまかした。


 旭と雲林院も考え込んだ。

「どうします? 何とかしなきゃ…」

「九尾の狐って、やっぱり最強なんですか?」

 咲良は九尾の狐をやっつけると、鬼一法眼と約束したのだ。

「紅葉、前から半分鬼化しかかってるもんなぁー」

 コマチはズバッと言い切った。


 山上は記憶を海馬から絞り出し、

「そう言えば、うちの祖父さんが狐憑きを見たことがあるって。狐に憑かれた人は奇声を発して、座敷で飛んだり跳ねたり、暴れたらしい。落ち着いてから、ご神託みたいな仕事を始めてな。村の人達が、お伺いに行くわけや。やれ今年の収穫はどうの、神社や家の建て替えはどうの、そういう相談をする。…めっちゃ怖いんやけどな。狐憑きの家に嫌われたら、村にいられへんぐらいの酷い目に遭わされる…」

 と、話した。


「狐憑きが出たら、その家は憑き筋とか言って、嫌われたんでしょ。聞いたことあります。でも、集団ヒステリー的なもんじゃないんですか? 有り得ないし」

 コマチは迷信だと思っている。


 山上は声を低くして、

「そやから、うちの祖父さんが頼まれて見に行ったらしいねん。最初に暴れた時、その狐憑きになった男の人、座敷の外に飛び出して、歌舞伎の狐みたいに手を曲げて、コーンコーン叫んでな。2メートル以上も垂直に跳んだらしいで。跳べるか? 普通?」

 と、真似をして、軽く握った拳の手首を曲げ、数歩跳んだ。

「実話やで。二階の窓から、垂直に跳んだ男の人の顔が見えたんやて。垂直跳びでそんなに跳んだら、オリンピックに出れそうやわ」


「怖いー。でも、紅葉ちゃんはそういう狐憑きじゃないかも…」

 咲良は想像して、ちょっと怖くなった。





 静先生と武蔵は五条大橋を渡りながら、言い争っていた。

「落ちぶれたもんだ。九尾の狐を狩る為とは言え、あのしゅとーん部の山上と手を組むなんて…」

 武蔵は歩道に唾を吐いた。

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう。私を助けてくれたんですから、天狗党で聞いた噂よりは、いい人なんでしょう」

 静先生が宥めるように言う。


「俺は気に入らん。あいつの親父も、そのまた親父も、好かん相手だった…。いや、問題はそこじゃないな。静も気付いたな? しゅとーん部の、あの紅葉ってガキ…」

「武蔵。子供には手を出さないで」

 静先生が反対した。


「さっき、あのガキの背中にかかってた妖気は九尾の狐だ。俺が言うんだから、間違いない……」

 武蔵のへの字口を、静先生が手で塞いだ。

「黙って、武蔵!」

「ただの妖狐でも、俺は容赦しない。心臓から殺生石の欠片を取り出さなきゃならねぇー。大体、九尾の狐は人間の生肝を喰う妖怪だからな! もし、九尾の狐があのガキに憑りついてるなら、俺は迷わず、こうするだけだ…!」


 武蔵は静先生の手を払い除け、大薙刀を振り回した。

 橋のたもとの弁慶像が、一撃で粉砕された。





 紅葉は自分の部屋の灯りを消し、ベッドに入った。

 目を閉じると、誰かの息が頬にかかる感覚があった。

 嗅いだことのない、お香のような匂いが自分の側にまとわりついていた。

 すぐ側に誰かいて、一緒に布団に入っているみたいだ。

「大丈夫。誰もおらへん」

 紅葉は自分に言い聞かす。


「紅葉…」

 誰かの声が頭に響いてくる。

「幻聴や。何もない」

 紅葉は耳を手で塞いだ。


 ベッドの周りで、何かが歩く微かな足音がした。

 人間じゃない。

 四つ足の獣が軽く跳ね、歩き回る。

 ハッハッ、と犬のような息遣い。

 獣がベッドの周りを練り歩き、時々布団に前脚を掛け、爪で掻く。

 紅葉はうとうとしながら、気配を感じている。


 獣がベッドに登ってくる。

 足元が重くなり、布団が沈む。

 フウフウ、息が聞こえる。


 緊張して、紅葉の体が強張っていく。

 獣が紅葉の上に伸し掛かった。

 生温かい舌が紅葉の耳から頬を、ぺろぺろと舐めた。

 獣の息が顏にかかり、臭かった。


 パタパタと何かが布団を叩いた。

 尻尾が揺れて、布団を叩いている。


「嫌や。誰か助けて…」

 紅葉の声は乾いた喉の奥で消える。

 彼女は薄眼を開けた。

 目の前に、獣のアーモンド形の眸があった。

 眸の周りの毛は白く、長い三角耳の毛は黄金色だった。


「うっ…」

 紅葉は失神した。



 人間と同じぐらいの大きさの狐が、紅葉の上に寝そべっていた。

 白面金毛の九尾の狐が、紅葉の顔を舐め回した。

 九本の尻尾はどれも長く、一番長い尻尾は2メートルほどもあった。


 九尾の狐が紅葉の顔に、長い鼻を突っ込んだ。

 紅葉の顔は、豆腐のように柔らかく崩れた。

 九尾の狐の鼻がめり込んでゆく。


 狐の頭部がまるまる紅葉の顔の中に入り込み、続いて狐の胴体も入っていった。

 そして、遂には九本目の尻尾の先まで、全て紅葉の内部に入った。



 紅葉が目を開けた。

「くらくらする…。眩暈(めまい)が…」

 彼女は呟き、頭を抱えた。

 そして、ベッドから這い出し、よろめきながらスタンドミラーの前に立った。

 ミラーがパジャマ姿の全身を映し出す。


「懐かしい…。久しぶりに生身の体…」

 紅葉は嬉しそうに、鏡に映る自分を見た。

 眸が金色で、目頭が尖り、目尻がいつもより上がっていた。


「お腹が減った…。人間の肝が食べたい…」

 紅葉が呟き、ワードローブの扉を開いた。

 可愛らしい服がたくさんハンガーに掛かっていた。

 彼女はワンピースを手に取った。

 パジャマを脱ぎ捨て、素肌に花柄のワンピースを着た。


 真夜中、紅葉は玄関ドアを開け放し、裸足で家を出た。






 紅葉は夢うつつで道を歩いていた。

 何故道を歩いているのかわからなかったが、何となく理解している気もした。

「お腹空いた…。コンビニ行こうかな…」

 彼女はふらふら歩いた。


 対向のタクシーが急ブレーキを踏み、

「こらっ! 急に飛び出して、危ないやろ! …こんな夜中に女の子が一人でいてたら、犯罪に巻き込まれるで!」

 と、運転手が怒鳴った。

「ご親切にどうも…」

 紅葉は頭を下げ、コンビ二へ入った。



 レジ前にいた店員が二人、紅葉を目で追った。

「綺麗な子やなぁ…。でも、なんか気持ち悪いな。めっちゃヤバい感じがする…」

「関わらん方がええな…」

 店員はカウンターの奥へ引っ込んだ。


 紅葉はジュースの冷蔵庫の前をうろうろした。

「君、大丈夫? 子供やのに、酔っ払ってんの?」

 夜間工事の警備員が、ヘルメット片手に紅葉に近付いて行った。

 警備員は紅葉を間近で見て、金色がかった眸に気付くなり、本能的に固まった。

「なんかヤバい…」

 大の男がおずおずと後退した。


 紅葉は欲しいものを見つけられず、コンビニを出た。

 彼女は赤信号なのに横断歩道を渡った。

 それで、コンビニの駐車場に入ろうとしていた車が、ギリギリで紅葉を避けた。

「何や、あれ!? 幽霊か!?」

 運転席の若い男が、助手席の女に尋ねた。

 紅葉の全身から、青白い炎のような妖気が立ち昇っていた。



「綺麗な子や…。中学生か…」

 コンビニの客の中年男が、紅葉の後を付けていく。


 紅葉は強烈な飢餓を感じ、眩暈がした。

「何でもいい。ガブッて食べたい。ハンバーガーとか…、お肉…」

 彼女はこんがり焼けた、肉汁がいっぱいのハンバーガーのパティを思い描いた。

 口の中にヨダレが湧いてきた。


 中年男は痩せ型で、身長は普通ぐらい。帽子を被り、眼鏡を掛けている。

 天然石のチャームが付いたブレスレットを付け、ダサくもない、若作りでもない、それなりにオシャレな格好をしている。

 男は足音を忍ばせ、紅葉について行く。

 人通りのある表通りから少し遠ざかったところで、声をかけてきた。

「ねぇ、何してんの。どこ行くの…。明日は学校ちゃうの?」


 紅葉が街灯の下で、男を振り返った。

 男は彼女が立ち止まったので、調子に乗った。

「裸足やん。何があったん? なんで一人で歩いてるん…?」

 男は馴れ馴れしく近寄った。


「うるさいわ。あんた、マズそう…」

 紅葉が小声で呟いた。

「へ? 何って?」

 男が耳を寄せた。

 紅葉がいきなり、男の耳をむしった。

「何…するねん!?」

 血を流しながら、男は蹲った。


「お腹空いて、苛々してんねん…」

 紅葉が男の帽子を払い落とし、遠慮無しに頭髪を掴んだ。

 彼女はすごい力で相手を引き回し、男の方が悲鳴を上げた。

 頭髪が束で抜けた。

「痛てて…。…やめろや。男をナメとったらあかんで。しばいたろか、このガキ…」

 男が本気を出し、紅葉の手を強く掴んだ。


「うるさい…」

 紅葉が手を勢いよく振り払った。

 男は塀まで吹っ飛んで、背中を叩き付けられ、地面に落ちた。

「やめて…。何かわからへんけど、俺が悪かったわ…」

 男は怖気づき、声も震えた。

「もう遅い…」

 紅葉が男を一発殴り付け、相手の顔面が半分ぶっ壊れた。


 紅葉はそこで、我に返った。

「私…、こんなとこで何してるの?」

 彼女は血に染まった右手を眺めた。

 目の前には、顔面血塗れの男が倒れている。


「嫌や。なんで血が…」

 紅葉は何も覚えてなかった。

 彼女は右手に付いた血を、ワンピースで拭った。


 腹の虫がぐうぐう鳴った。

 紅葉は路地の先を見据えた。

「もっと…美味しそうな食べ物…」

 彼女の後ろ姿が暗がりに消えていった。





 蘇芳は嫌な胸騒ぎを感じて、目を覚ました。

「さっきの紅葉…、様子がおかしかったな…」

 彼は隣の部屋のドアをノックした。

「紅葉…、寝てる…?」

 そっとドアを開く。


 月明かりがカーテンの隙間から差し込む。

 ベッドは空っぽ。

 羽毛の薄い布団が捲れたまま。

 ワードローブの扉が開いて、掻き混ぜたような状態。

 パジャマが脱ぎ捨てられている。


「紅葉!!」

 蘇芳が階段を走り下りた。

 玄関のドアが開けっ放しだ。

 彼は玄関から飛び出しかけて、部屋に引き返し、呪いの刀・雷帝を取った。

 真夜中の二時。

 寝静まった住宅街。電車も走ってない。


 彼は自転車であちこち走り、紅葉を捜して回った。

 警察に相談するべきか?

「待てよ。たぶん、鬼がらみの事件なんや。刀なんか持ってて、俺が逮捕されるだけかも…」

 彼は冷静に判断した。


 蘇芳は一本の電話をかけた。

「雨音! 紅葉がおらへん…」

 数秒置いて、

「はぁ…、蘇芳さん…? 紅葉ちゃんが…どうしたんすか…?」

 雨音の寝ぼけた声がスマホから漏れた。



 蘇芳と雨音はすぐ合流し、近隣を捜し回った。

「おまえ、紅葉の行きそうなところ知らんの!?」

 蘇芳は雨音のカンに期待した。

 雨音は風の匂いを嗅ぎ、

「こっちだと思います…。公園の方。血の匂いがして来ます…」

 と、イヤな返事を寄越した。


「また鬼と関わったやろ!? おまえは何しててん!」

 蘇芳が自転車から足を伸ばし、雨音を蹴った。

「すみません、蘇芳さん…」

 雨音は走って、彼の自転車について行った。



 夜中の児童公園は、暗くて不気味だった。

 間隔が微妙に広い街灯、その光に丸い時計と、葉を茂らせた大木が浮かび上がっている。

 公園の向こう、霞むように市街地のビルがある。


 キイキイ揺れる、錆びた鎖のブランコ。

 青い滑り台。

 それと、人影。


「紅葉!! 無事か!?」

 蘇芳は人影に駆け寄った。

 紅葉が花柄のワンピースで、砂場に立ち尽くしていた。


 彼女は二人を見て、大慌てで手を振った。

「違う!! 私ちゃうし!! こんなこと、やってない!!」

 叫ぶ彼女の両手が、真紅の血に塗れていた。


 蘇芳と雨音が砂場を見た。

 尻餅を着くように、砂場にひっくり返った若い男。

 食い縛った歯の間から血が流れている。

 目玉が飛び出しそうなぐらい、白目を剥いている。

 男の腹から脇にかけて、めちゃくちゃにシャツと肉が裂け、内臓が飛び出している。


 蘇芳は赤い花が咲き乱れるような、惨たらしい死体を見詰めた。

「紅葉…。あんたが……」

 声が掠れた。


 蘇芳は呪いの刀・雷帝を、鞘から抜刀した。

「紅葉から離れろ、悪霊!!」

 剣道のように、切先を正眼に構える。

 魔性の切れ味の刀が、街灯に照らされてギラギラ光った。


「私がやったんとちゃうってば…。おにぃ、雨音くん、信じて…」

 紅葉は大量に返り血を浴びた顔で、二人に訴えた。





 紅葉の識神の巨門が山上を通じ、禄存(ろくぞん)を連絡に寄越した。

 咲良とコマチは識神・文曲(もんごく)貧狼(とんろう)を伴い、紅葉の救出に向かった。


 光る球に包まれ、禄存が言う。

「九尾の狐が動きました。紅葉様は体を乗っ取られ、お家を出たとの知らせでございます。雨音様、山上様も現在、こちらに向かっておられます…」


 事情を聞き、咲良は焦った。

「ねぇ。九尾の狐が紅葉ちゃんから離れた瞬間に、雨音くんに斬ってもらおうよ…」

「甘いんちゃう? うちらの前で、九尾の狐が紅葉から離れると思う? 私は念の為、持って来たわ」

 コマチは洋裁用のハサミを取り出した。ぴかぴかに研いであった。


「近い…。血の匂いがします…」

 コマチの識神・貧狼が鼻をヒクヒクさせた。



 咲良達は児童公園の裏側に到着した。

 その時、誰かが公園から走り出てきた。

 咲良は走って来た誰かとぶつかった。

 接触の瞬間、静電気にビリッと感電するような衝撃を互いに感じた。


 走って来た女の子は、目がぱっちりとして、人形のような美しい顏。

 ただ、表情が冷たく固まっている。

「玉藻?」

 擦れ違う時、咲良は思わず口走った。


 名前を耳にした女の子は、一瞬、咲良を振り返った。

 女の子は長い髪を振り乱し、花柄のワンピースで裸足だった。

 唇の端から、血が一筋流れていた。

 赤い果汁の滴る果物に齧りついたみたいに。


「紅葉、どこにいるのー!?」

 コマチが公園の暗がりに呼びかけた。


 コマチも誰かとぶつかった。

 相手は闇と見間違うほど、全身黒ずくめだった。

「おっと。お嬢さん達でしたか…」

 天狗党のルイとレイが黒い翼をはばたかせ、公園のフェンスの上に飛び上がった。


「ぐぅるる…」

 貧狼が吠えた。

「話は後で。私達もあの鬼女を追っています。それでは…」

 ルイとレイは咲良達に一礼し、夜空へ飛んだ。





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