伍参 識神 対 鬼
1
静先生が崩れ落ち、天狗党のレイの剣が振り下ろされる。
雨音はルイと、一瞬も気が抜けない接近戦の最中。
「静先生!!」
駆け寄ろうとした雨音は、ルイに腕を斬られた。
紅葉と咲良は裏門の外側で、思わず目を閉じた。
その時、突風が二人の側を吹き抜けた。
「あれは貪狼じゃ…」
識神・巨門が呟く。
半透明の獣が跳躍し、レイの剣が飛ばされた。
レイの体は地面でバウンドした。
彼は風に裂かれるように傷だらけになった。一瞬で、体のあちこちに獣の噛み傷が付いた。
草きれが散った。
「貧狼…?」
紅葉と咲良が目を開いた。
獣が尻尾を一振りし、女の姿に化けた。
スリットが入った艶めかしい着物を着て、結い上げた髪に輝く石をちりばめた冠を付けている。
女は肢体をちらつかせ、レイの頭に片足をかけた。
「コマチとかいう娘に託された鬼神じゃ。心は欲望のままに生きる獣。外見は、小悪魔的な美貌を持つ」
巨門が貪狼を紹介した。
紅葉と咲良がコマチを振り返った。
コマチは道端で煌星を抱き抱え、呪符を開いて、こっちを見ている。
「レイ!!」
ルイが雨音の前から消えた。
ルイは瞬間的に移動し、レイを貪狼から奪い取った。
その次には、杉の木のてっぺんにレイを担いで移動していた。
ルイは雨音に向かって、
「鬼月校長はもう逃げました。あのゲスな男を逃がしただけで、今日は充分です。識神を使うという情報も得たことですし。続きはまた今度と言うことで」
と、告げた。
天狗の気配は、ぷつんと途絶えてしまった。
雨音は静先生に駆け寄った。
彼女は微かに息をしていた。彼は胸を撫で下ろした。
巨門が裏門を擦り抜け、
「源次、いかがか。我等も多少の役には立ったじゃろう」
と、喋りかけた。
貪狼は雨音に流し目をして、肢体をアピールした。
「識神…ですか。山上さんにもらったお札の…」
雨音は斬られた腕を押さえ、巨門と貪狼を見た。
紅葉は雨音が死ぬかと思って、心臓が潰れそうなぐらい緊張した。
彼女は自分の制服の胸元を掴んで、裏門に凭れかかった。
「校長先生、許せないよね…。紅葉ちゃん、神谷先生の仇を討とうよ」
咲良が言った。
2
コマチが煌星を送って行った。
ひとまず、静先生は雨音に背負われ、咲良の自宅のお寺へ運び込まれた。
「お邪魔しまーす」
紅葉もお寺の庫裏に上がり込んだ。
静先生は咲良のベッドに寝かされた。
紅葉は雨音の怪我の手当をしながら、つい、
「何がどうなってんのか、サッパリわからへんけど」
と、腹を立てたような言い方になった。
「ごめん」
雨音は一言だけ呟き、何も弁解しなかった。
紅葉は包帯を巻き終わり、雨音の腕をパチンと叩いた。
「なんで教えてくれへんの? 神谷先生、死んじゃったよ!」
雨音のせいではないとわかっているのに、当たるような口調になってしまった。
「ごめんなさい…。助けてあげられなかった…」
静先生が起きた。
静先生は喉を押さえ、咳をした。
彼女は雨音の包帯を見て、眉間を寄せた。
「私のことは放っといてくれたらいいのに。私は渡邊くんの味方でもないんですよ…」
「僕の先生じゃないですか」
雨音は口を尖らせて言い返した。
静先生はベッドに座り直した。
「説明お願いします」
咲良が頼み、静先生は窓の外に視線を逸らした。
墓地が街灯に照らし出されていた。
「何が元凶なのか、よくわからなかったけど、鬼が関係しているのは知ってました。恐らく数十人が猫に噛まれ、寄生虫に侵されて死んだ。多くの死体は病院へ搬送される途中で消滅して、一連の事件は京都府警でも、上層部から圧力がかかるほどのタブーになっています…」
静先生が話し始めた。
「私はゾンビ状態になった人から証言を得る為に、五条へ通っていました。清水寺の辺りは平安の頃から埋葬地で、空に昇る霊道があるんです。私は鬼プラズマの被害者から、黒猫に噛まれたことを聞き取りました…。君達を巻き込みたくなかった。本当です…」
「うちの校長先生、鬼なんですか?」
紅葉が尋ねた。
「鬼月校長と天狗党が繋がっていたので、少し心当たりがあります。私と弟の武蔵で何とかします」
「僕らも手伝います」
雨音が言った。
静先生は首を振った。
「渡邊くん。君は勉強しなさい。勉強することが学生の本分なんですから」
「静先生は鬼に勝てるんですか?」
咲良が聞くと、静先生は冷たい無表情を崩した。
「君達は…勝てるとでも思ってるの?」
「最初から諦めてる大人より、うちらの方がマシです。やってみないと、わかりません」
紅葉が答え、巨門を召喚する為、呪符を開いた。
咲良の祖母と母親が心配して、様子を見に、部屋にお茶を運んできた。
祖母のトキは半透明の巨門を見て、
「珍しいお客さんやなぁー。ごゆっくりー」
と、言った。
咲良の母親は巨門が見えないらしく、話がわからなくてキョトンとした。
祖母と母親が下がってから、咲良は文曲を召喚した。
琵琶を持った天女が現れた。
「文曲は人見知りで面倒臭がり」
巨門の説明に、紅葉が吹き出した。文曲と咲良は性格が同じだ。
「貪狼はワガママで気性が激しい」
巨門がコマチの預かる識神について話した。
紅葉達は先刻見た、スリットが入った赤い着物の、吊り目の女を思い浮かべた。
貧狼とコマチは雰囲気からして似ている。
その場の空気に促され、雨音も仕方なく、呪符を取り出した。
青い袍を着て弓矢を持つ、凛々しい若武者が現れた。
顔立ちは雨音とそっくりだった。
「かの者の名は、破軍。とんでもない暴れん坊でな、誰の言うことも聞かぬ」
巨門が困ったように打ち明けた。
破軍は雨音と巨門すら無視し、すぐに消えてしまった。
「旭さんと雲林院も、お札をもらってますよね…」
雨音は指折り数えた。
「武曲と簾貞じゃ。武士の魂を持つ識神」
巨門が答えた。
「なんで私の識神だけ、こんなお爺ちゃんなの?」
紅葉は心の中で思った。
巨門は紅葉の心を読み、
「儂を任されたということは、それだけ、おぬしが山上に信頼されておるという証しじゃ」
と、笑った。
咲良が紅葉と雨音を玄関まで見送っている間に、静先生はベッドからいなくなっていた。
部屋の窓が開き、ベージュのカーテンが揺れていた。
3
秋空が高く、雲一つない。
風が爽やかになった。
蘇芳は風を頬に受け、公園の木立を見詰めていた。
「俺はあの時、夢を見てたんや」
蘇芳は武蔵と戦った際、睡魔に襲われた。
呪いの刀・雷帝を握り締めたまま、寝てしまった。
「どんな夢を見たんですか?」
雨音がベンチから聞いた。
今思い出しても、目が覚めた時の蘇芳の様子は、明らかにおかしかった。
あの時、蘇芳はいきなり、雨音に妹の紅葉とつき合ってやってくれと頼んできた。
以前は、妹に関わるなと脅していたのに。
「…地獄を俯瞰した…」
蘇芳が苦々しく答えた。
思い出すだけで冷や汗が出た。あんな恐ろしい夢はもうたくさんだ。
「雨音、紅葉を頼む…。咲良ちゃんのことも…」
蘇芳が雨音に頭を下げた。
雨音は面食らった。
「蘇芳さん。死ぬみたいな言い方、やめて下さいよ」
「俺、次こそ死ぬかも知れへん…」
蘇芳は本気で呟いた。
4
翌日も翌々日も、咲良は学校に行きたくなくて、欠席した。
神谷先生の死の衝撃が大きくて、受け入れ難かった。
彼女は識神・文曲を召喚した。
相談相手が出来て、何となく落ち着いた。
文曲は無口な女で、ずっと琵琶の弦を撥で弾いていた。
彼女の奏でる曲は咲良に聞こえなかったけれど、人を癒すような光を感じ取った。
コマチの呪符の、敵愾心に燃える貧狼とは、性質がまるで違った。
「文曲さん。校長先生はこれからどうするのかな?」
「…たぶん…また人を殺す…」
文曲は短く答えた。
「文曲さん。天狗って、京都だと愛宕か鞍馬にいるんでしょ?」
「…行かぬ方がよい…」
文曲は嫌がって、呪符に戻ろうとした。
咲良は呪符の出入り口を手で押さえ、
「待って。助けてほしいの。どうしたらいいか、わからない。校長先生をやっつけたいの」
と、頼んだ。
そこに、紅葉から電話がかかってきた。
紅葉は学校に行ったが、先生達が一度に何人も行方不明になり、学校は大騒ぎだった。
授業は当然、自習ばかり。
静先生も来ない。コマチも休んでいると言う。
「コマチ、電話に出ぇへんねん。よっぽど落ち込んでると思う。私もやけど…」
紅葉は元気のない声で話した。
「今から、校長先生のところに行ってみる…」
紅葉は学校の廊下を歩きながら話していた。
「紅葉ちゃん一人で!?」
咲良が聞き直した。
咲良は急いで制服に着替え、庫裏玄関を出た。
祖母のトキが竹箒で庭を掃いていた。
「咲良。これ、持っていき」
祖母が小さな紙袋を手渡した。
中身は洗濯用のゴム手袋だった。
「これがなんで必要なの?」
咲良は笑ってしまった。
咲良がお寺の門を出て、電話の向こうの紅葉に、
「今から行くから、無茶しないで。紅葉ちゃん」
と、お願いした。
「今、校長室の前に着いた…」
紅葉が呟いた。
5
紅葉は校長室のドアをノックした。
返事はない。
校長先生は先生達の失踪に関して、何も知らないふりをしているらしい。
「警察に言っても信じてもらえへんやろし、校長先生の正体暴いて、仇を討ちたいな。巨門、いい方法はありませんか?」
紅葉は巨門に相談した。
「先生が死のうが、生徒が死のうがお構いなしの、とんでもない校長じゃの。奴は人殺しが楽しいのじゃ。他人の命を支配することで、優越感を味わっておる…」
巨門は長い髭を擦った。
「山上には伝えておく…。山上が今回、己れの識神として選んだのは、禄存。かの者は伝令じゃ…」
巨門は息を吹き、手で飛ばした。
巨門の息は半透明の白鳩になって、飛んで行った。
「先日の天狗らは、鞍馬の者じゃ」
巨門が言った。
「鞍馬…」
紅葉は鞍馬寺で起きた、僧正ガ谷の戦いを思い出した。
あの時、咲良はのっぺらぼう・鶴の策に嵌り、千年の封印から火の鬼・神王を復活させてしまった。
神王の眷属の天狗達は、千年、神王の墓を守っていた。
復活を遂げた神王は火の里に移動し、引き籠った。
「紅葉よ、知っておるか? 愛宕の天狗は太郎坊。鞍馬の天狗は僧正坊。天狗党は僧正坊の配下に非ず。となれば…」
巨門が言葉を濁した。
紅葉は、
「えいっ。入っちゃいます…」
校長室のドアを開いた。
校舎の一階に職員室、校長室はその隣り。
正面に大きな窓と書斎机、背凭れの高い書斎椅子があり、手前に革張りのソファーとテーブルがあった。
テーブルとソファーの位置がずれ、ペルシャ絨毯の一角が捲れていた。
校長先生はいない。
ペルシャ絨毯の捲れた床に隠し戸があり、地下室への降り口がぽっかり開いていた。
「嘘でしょ…」
紅葉は隠し戸の存在を初めて知った。
新校舎になって、まだ二年ほど。その地下室は旧校舎の遺物であるらしかった。
ひびの入った古いコンクリートの壁が、湿気でカビていた。
「校長先生はこの中に?」
紅葉は緊張しながら、地下室を覗いた。
木製の梯子は垂直に降りている。地下室は真っ暗だ。
「無人のようじゃな」
巨門が地下室を見透かした。
紅葉は電話で咲良に伝えた。
「今から、校長室の地下室に入ってみる…」
「待ってよ! もうすぐバス停だから!」
歩きながら答える、咲良の声が焦っていた。
紅葉はテーブルに置かれていた懐中電灯を持って、梯子をゆっくり降りた。
梯子は古く、ギシギシ鳴った。
地下室の深さは、約3メートル。広さは六畳分ぐらい。
降りるにしたがって、空気がひんやりとしてきた。
コンクリートの壁で囲まれていたが、床は張られてなくて、土が露出していた。
足元が柔らかく、酸っぱい土の匂いがした。
紅葉は懐中電灯で辺りを見回した。
何の為の地下室だろう?
紅葉の神経がぴりぴり尖った。
彼女は何気なく、懐中電灯の光を地面に下げた。
瞬間、白いものが光を反射した。
紅葉が通り過ぎた場所へ光を戻し、白いものを見た。
人間の頭蓋骨が落ちていた。
下顎の骨がずれ、歯がしっかり残っていたので、笑っているように見えた。
「きゃあっ!!」
紅葉が驚いて、背中を壁にぶつけた。
巨門は溜息をついた。
「生贄じゃな。大方、鬼を召喚する為に、ここで人を殺め、供えたのじゃろう…」
「殺された人なんですか…!?」
紅葉は光をずらして、その頭蓋骨の横に女子生徒の制服を見つけた。生贄はこの学校の少女であったらしい。
「ひどい…」
紅葉は奥歯を噛み締めた。
遺骨と制服は数体分あった。
紅葉は怖くなった。
「警察に通報しなきゃ…。これはもう、殺人事件ですよね。早く110番を…」
「その必要は無い!」
鬼月校長の声がした。
隠し戸が半分閉められた。
紅葉が梯子の上を見上げた。
クローゼットに隠れていた鬼月校長が、床に跪いて、紅葉を隙間から覗いていた。
「ククク…。来ると思ってたぞ。まんまと地下に降りたな…。そこで餓死したらいい。次の鬼を天狗から借りる為に、君を生贄にするとしよう」
鬼月校長が隠し戸を、ピシャッと閉めた。
校長室から地下に漏れていた光が、急に遮断された。
「いやぁ、閉めんといてー!!」
紅葉は梯子を駆け上った。
戸を地下室側から開けようとしたが、上に鬼月校長が乗っているので、びくともしない。
「ひひひ…。楽しいな。君はそこから、一生出られない。完全に白骨になっても…出られない」
鬼月校長は鍵をかけた。
「開けてぇー!!」
紅葉が叫び、戸を下から叩いた。
地下室は暗い墓穴のように、紅葉を飲み込んでいる。
紅葉のポケットには、スマホが通話状態で入ったまま。
咲良は声と物音だけ聞いて、とても慌てた。
「大変だ。紅葉ちゃんが危ない。文曲さん、紅葉ちゃんを助けて!!」
咲良が呟いた。
紅葉のスマホから、ポンッと、光の球が走り出た。
光の中から半透明の天女が現れ、羽衣を靡かせ、琵琶に撥を当てた。
鋭く弾かれた、一本の弦。
「文曲!?」
紅葉は間近に文曲の、毅然とした顔を見た。
咲良に似た横顔だった。
小躍りしていた鬼月校長は、突然、隠し戸が腐ったように抜けて、地下室に転落した。
舞台の奈落に落ちるように、
「ひいっ」
彼は無様に落ちた。
紅葉も衝撃で、梯子から落ちた。
鬼月校長の上に乗っかるように、尻餅を着いた。
「咲良ちゃん、ありがとうー。校長先生、お先ー」
紅葉は校長先生を踏み付け、梯子を上った。割れた隠し戸から手を出し、鍵を外す。
紅葉は地上に這い上がった。
「待て…」
校長は地面を掻き、起き上がろうとした。
彼の手に何か当たった。
暗闇にぼうっと光る、白いもの。
骸骨の歯が校長の指に食い込み、齧るように引っかかった。
「ひいっ…」
校長は慌てて指を抜き、髑髏を投げ付けた。
指には歯形が残った。
校長は地下室で立ち竦んだ。
白い頭蓋骨が輪になり、校長を囲んでいる。歯がカタカタ鳴った。
地下室の片隅で、半透明の古代装束の女が、全身から白い光を発している。
光が炎のように揺らぎ、立ち昇っている。
女は琵琶を搔き鳴らすが、校長にその調べは一切聞こえない。
しかし、骸骨達は拍手喝采を送るように、歯をカタカタ鳴らすのだ。
「ひいいーっ…」
校長は口から泡を噴いた。
紅葉は隠し戸の穴の上にペルシャ絨毯を被せ、テーブルの位置を整えた。
地下室はすっかり隠された。
校長は出て来られるはずだが、梯子を昇って来ない。
それもそのはず、彼は地下室で失神していた。
「何をやってるんですか!?」
女の先生が入って来た。
英語の先生だ。ガマガエルに憑かれて死んだ三木先生の後任だ。
「校長先生を捜してて…」
紅葉が口籠った。
「校長様を?」
英語の先生は、何故だか、鬼月校長を様付けで呼んだ。
この先生は貝で出来たペンダントをしていた。乳白色と灰色の巴が、陰陽の形に向かい合う。
「そのペンダント…、他にも付けてる先生がいたような…」
紅葉は首を捻った。
先生は嬉しそうに、
「ああ。これは校長様から頂いたんです。最近、校内で不吉なことが多いので、校長様が魔除けに下さったんですよ」
と、自慢した。
「そうか。黒猫ブラッディはそのペンダントを付けてる先生を噛まなかった。付けてない先生を噛んだ…。そういう仕組み…」
紅葉は納得した。
「あなたは成績優秀な生徒だから、見なかったことにしてあげます。早く校長様のお部屋から出なさい」
紅葉は女の先生に押し出された。
その後、紅葉は警察に通報した。
鬼月校長は地下室で、数体の白骨と一緒に発見された。
京都府警の巡査が尋ねても、校長はふにゃふにゃした動きで、
「天女がぁ…、琵琶を弾いてぇ…、髑髏達がぁ…笑ってぇ……、ひひひ……」
と、意味不明の話をするだけだったと言う。
6
咲良は紅葉の無事な顔を見て、とても安心した。
「よかったぁ、紅葉ちゃん…」
「校長先生、警察に連れてかれたよ。これでええねん。神谷先生はもう戻って来うへんけど…」
紅葉は青い空を見上げた。
「天気いいなぁ。せっかくやから、どっか行こうか。こんな晴れた日に、鬼も出ぇへんやろ?」
「そうだ。あの九尾の狐の殺生石で作ったお地蔵様、見に行きたい」
咲良が言い出し、
「ああ、殺生石の入った御守りが買えるらしいよ。魔除けになるかな?」
紅葉も賛成した。
紅葉達は京都大学のキャンパスに挟まれた東大路通りを歩き、地蔵のある真正極楽寺に向かう。
「こっちが医学部か。頭よさそうな人ばっかり歩いたはるな…」
紅葉達は大学生のグループや、自転車に乗った大学生と擦れ違った。
桜並木、古いレンガの講堂と、新しい建物が並んでいる。
紅葉達は道を曲がり、左手に吉田神社のある丘を見上げた。
森がこんもりと茂って、小さな山のように盛り上がっている。
古くは神楽岡と言い、今は吉田山と言う。
「平安京を囲む三つの丘、船岡山、双ヶ岡、そしてここ、神楽岡。後で吉田神社も参拝して、パワスポマップ用の写真を撮ろうよ」
紅葉が言う。
「徒然草の吉田兼好は、吉田神社の神職の子やったんやで。他に、吉田神社の神主の、吉田兼見の書いた兼見卿記も有名や。織田信長や明智光秀や豊臣秀吉と繋がりがあった人で、日記が価値の高い資料らしいよ。今も本能寺の変について書かれた本には、兼見の名前が登場するの」
「ふーん。そうなんだ。それで、紅葉ちゃん、殺生石ってどんな石だろうね?」
咲良は少しワクワクしてきた。
「九尾の狐と言われるようになる前、元は普通の妖狐伝説みたい。よくあるキツネ憑きの話とか、キツネに化かされる話とか、昔の人は信じてたんやね。ほんまは呪いとか祟りって言うより、火山ガスが原因で、近付く生物が倒れたりしたみたいやけど…」
紅葉はスマホで資料を見つつ話した。
「今は殺生石もお地蔵様だから、お参りしても死なないね。祟りは終わったんだねぇー」
「おいおい、咲良ちゃん。聞いてた? 妖狐なんて物語やってー」
紅葉はスマホのカメラを起動し、真正極楽寺の正門と、参道の先の三重塔に合わせてシャッターを押した。
目指す地蔵は、脇のお堂に安置されている。




