肆漆 鬼蜘蛛
1
トンネルで、車から投げ出されたコマチは、血塗れの女に首を絞められていた。
「ここから生きて出ることは…出来ない…」
女の乱れた前髪の間から、血走った眼が睨んでいた。
車の中、親友の煌星は般若の表情で、成り行きを見詰めていた。
コマチは霞む意識の端で、女が幽霊だと言うならそうかも知れないし、彼女達の妄想が生み出した鬼だと言うなら、それも有り得るかも知れないと考えていた。
しかし、何か変だ。
これは夢を見ているんじゃないか。
トンネルに入った辺りから、嫌な夢にうなされていると、コマチは思い直してみる。
けれど、夢にしては痛くて、息が苦しい。
女の息遣いが生々しく聞こえる。
「助けて、紅葉。この夢、どうやったら目が覚めるの?」
コマチは心の中で呟いた。
コマチがもう諦めかけ、死を覚悟した時、ふと、トンネルの天井を見上げた。
「あっ…!」
コマチは何か異質な気配を感じた。
「何かいる…」
コマチは真っ暗な天井を凝視した。
赤みを帯びたライトがギリギリ届かない、闇。
何かが腹這いで張り付いている。
虫と考えるには大き過ぎ、人間にしては、手足が八本ある…。
コマチは天井の何らかの存在に、心の中で囁きかけた。
「おまえ…、何なの…!?」
そいつは存在がバレて開き直り、
「早う重い身を捨てよ…。おぬしの身はもう持たぬ…。ヒヒヒ…」
低い声で嗤った。
そいつは舌舐めずりして、コマチの魂が抜け出るのを待っていた。
「蜘蛛…?」
コマチはもっと目を凝らした。
そいつは腹側をコンクリートの天井に押し付け、手足の尖った爪先で掴まっている。
首を傾げ、こちらを窺う一つ目。目の大きさは、拳一つ分ぐらいある。
「おまえ…、そこで何してるの…?」
「我は番人…。ここを通る者を監視しておる…。おぬしらを通すわけには行かぬ…」
トンネルの蜘蛛が囁いた。
コマチは壁を蹴って、血塗れの女に頭突きを決め、女の腹を蹴飛ばした。
「ギャッ」
女がひっくり返った。
コマチは蜘蛛を見上げ、毅然と言い返した。
「トンネル通ってすぐ帰るだけでしょ! なんで邪魔するの?」
「罷りならぬ…。源次の仲間を通しはせぬ…」
蜘蛛がカサカサ音を立て、コマチの頭上に這ってきた。
コマチは喉を擦り、考えをめぐらした。
大体の事情が飲み込めてきた。
「おまえが憑りついて、煌星がおかしくなったんでしょ? みんなも怖い夢を見せられてる…。あんな女は存在しない。これは煌星の見てる夢や!」
コマチが女を指差した。
「ああ…っ…」
血塗れの女が霧散した。
霧が晴れていくように、闇が散る。
コマチは本当の景色を見た。
ありふれたトンネルだ。
地下水が漏れて水滴が滴っているところがある。
古くて陰気で、湿気臭い。
車はトンネルの端で停車していた。
タヌキを轢いたわけでも、女の霊を轢いたわけでもない。
新見が転がっているが、車に撥ねられたような外傷は見当たらない。
「鬼は心の内側にいる…。煌星と私の内側に…」
コマチは事実を味わった。
コマチはトンネルの出口を確認し、振り返って車と煌星を見た。
煌星は元の可憐な顔に戻っている。
「コマチ…、コマ…チ…」
悲しそうに呼び続けている。
「大丈夫やで。煌星、悪い夢は終わった」
コマチが伝えた。
「コマチ…。よかった。血塗れの女がどっかに行ったよ…」
煌星が泣きながら走ってきた。
コマチは彼女を抱き止め、
「煌星、ごめんな…。私、あんたに嫌な思いをさせてた。私が悪かったよ。…ワガママで威張ってて…自分勝手で…、お姫様気分の小野真知でした」
と、謝った。
「何のこと!?」
煌星は眸を瞬かせた。
コマチは微かな息がある新見の手を取り、
「新見くんも、絶対死なせへんから。私がみんなを守ってみせる。…降りて来ぃな。蜘蛛!」
と、鬼蜘蛛を仰いだ。
鬼蜘蛛が、もそりと動いた。
節脹れた八本の手足が、歪に曲がって天井に掴まっている。
彼女は鬼蜘蛛と視線を交えた。
「源次って、雨音くんのことを言ってるんやろ?」
「そうじゃ…ァ…。源次は鬼族の血を引きながら…、鬼を狩りよる…。ヒヒヒ…、強がるな、娘…。夢は未だ終わっておらぬぞ…」
鬼蜘蛛が囁いた。
「愛宕は獅子鬼・マナブ様の本陣。ここより先へ行かせぬ……」
視界が暗転した。
パソコン画面でネガポジを切り替えるように、画面の白かった部分が影に飲まれ、黒かった部分は赤いライトに飲まれた。
2
ぴちょん、ぴちょん…。
水滴が固い地面に落ちる音が響く。
コマチはトンネルの中、手で友達を探した。
「煌星、新見くん…。どこ…?」
返事がない。
コマチは唇を噛んだ。
周囲に誰の気配もしない。
コマチは普通の中学三年の女の子みたいに、暗がりで震えた。
トンネルに取り残された夢を見ている。
車は走り去り、みんな帰ってしまった。
もう長いこと、誰もここを訪れていない…。
コマチは腹ペコで、地面に座り込んだ。
トンネルから出る手段はない。
髪は伸び放題、爪も伸びまくり、魔女のようになった。
自分が垢で薄汚れ、汗臭かった。
「これは夢や!」
自分に言い聞かすけれど、この世で何が夢で何が現実かなんて、これほど確かめようのない不確かな現実ってあるだろうか?
何を基準に、自分は今目覚めていて、これが夢でないと断言出来るだろうか?
コマチはトンネルの夢に呪縛され、このまま老いていく。
短時間なのか、あるいは長時間なのか、時の過ぎゆく感覚さえ鈍る。
最初には焦り、そして次には孤独。
「どうしよう。ママが心配する…。きっと神谷先生も心配する…。紅葉と咲良ちゃんは来てくれたやろか? あれから一ヶ月ぐらい…? 中間テストはどうなった? ううん、学校は…みんなは…?」
コマチは胸を押さえ、切なさに身悶える。
「私だけ取り残された…。旭さんと雨音くん、私を捜してくれたかな…!?」
コマチは段々死にたくなってきた。
「どうして出られへんの…!?」
彼女は何度も暗がりを往復した。でも、出口が見つからなかった。
今度こそ出られますように、彼女は祈りながら歩いた。
背後から誰かの足音が近付いてきた。
「また来た…。あいつが…」
コマチはぞっとして、走り出した。
血塗れのあの女が、手に持ったロープを引き摺っている。
「コマチ…。ほらね。出られないでしょ…?」
女が嬉しそうに囁く。
血がこびり付いた指で、ロープの輪を作って、
「ほら、首にかけてごらんよ…。楽になるから。私が引いてあげる…。あの世に繋がるトンネルの出口まで…」
と、ずるずる引き摺る。
「御免こうむるって言うの」
コマチは息を切らして走った。
しばらく後、疲れ果てて立ち止まると、今度は反対側からまた、
「ここには私とあなたしかいない…。私達は互いに慰め合うしかないよ…」
と、女が手に包丁を持って現れた。
「ほら、コマチ…。軽くぶっ刺してあげる…。簡単なの。一番簡単だから…。痛いけどね…」
女が叫びながら、包丁を構えて突っ込んで来る。
「お願い、休ませて…。気が狂いそう…」
コマチはひっきりなしに現れる女にうんざりして、身をかわす。
たまにコマチが避け損なって、包丁が彼女の脇腹に刺さった。
血がボタボタ地面に垂れて、リアルな激痛が襲ってきた。
「これもきっと、夢…」
コマチは歯を食い縛った。
夢を終わらせるには、スイッチがある。
それは、頬を抓って、目を閉じて開けること。
ただし、一日に一回しか効かないらしい。
苦痛に耐えられなくなって、コマチが頬を抓った。
一瞬だが、悪夢が終わった。
コマチは中学に来ている。
中間テストの成績は、紅葉を抜いて一番だった。
学校の帰り、旭が車で迎えに来て、二人で食事に出掛ける。
「違う、これも夢…」
コマチは裏切られた思いで肩を落とす。
また、あの暗いトンネルにいる。
出られない。
時折、通る車が恨めしい。
肝試し気分の、怖いもの見たさの、女の子を連れてワイワイ騒ぎながら通る車が。
コマチは車の窓から覗く笑顔を見て、腹立たしくなる。
驚かせてやりたくなる。
わざわざ前に跳び出して、ボンネットに飛び乗る。
フロントガラスに張り付いて、口から血を吐いて、
「ちょっと、あんたら、ふざけてんの…!? うざいわ!」
と、罵りたくなる。
コマチは恐怖で凍りつく女の子の顔を見詰め、その相手がかつての自分にそっくりで、愕然とした。
「あれは、私…?」
長い髪の女の子、美人なのがご自慢で、学校のカッコイイ男の子は全部自分に傾くとか思っている。
そんなこと、後で思えば、お笑いだけど。
フロントガラスに、コマチの現在の顔が映る。
髪は汚れてバサバサ。
爪は長く反り、顔はやつれて骸骨のよう、眼だけ血走ってギラギラしている。
「あの時見た血塗れの女は、もしかして、私…?」
コマチは戦慄し、
「いやぁぁぁ…!!」
と、絶叫した。
コマチの体はボンネットから転がり落ち、骨が砕けて、血が迸った。
彼女の身にタイヤが乗り上げ、轢いて過ぎた。
死ぬほどの激痛だった。
車が急に止まり、中から少女が走り出た。
「痛いやん…。何してくれるの…」
コマチが少女を追いかけた。
少女はコマチを見て、悲鳴を上げた。
「ここからは誰も出れへんって。思い知らせてあげるわ…」
コマチがコマチの首を絞めた。
相手の首を絞めるほど、我が身に苦痛が起きる。
「もう死んだらいいねん。死んだ方が楽なんやから…」
コマチはコマチの首を絞め続けた。
「たぶん、私、もう死んでる…」
コマチは泣きながら、少女だった頃の自分の首を絞めた。
少女のコマチが言った。
「こんな女は存在しない! これは夢や!」
首を絞めていたコマチは、ガラスが割れるように粉々に砕けて散った。
虚しい。
全てが虚しい。
コマチは暗がりを一人で歩いていた。
トンネルはどこまでも続いていた。
「ねぇ、出口はどこ…!? 誰でもいい、教えて…!!」
コマチは泣きながら言った。
3
コマチは同じ夢を繰り返し見た。
絶望に打ちひしがれながら、出口を求めて彷徨う。
どこにも陽の光が射さない。
地下世界みたいに。
繰り返し夢見ながら、コマチは少しずつしたたかに、思考を試みる。
「何かがトンネルにいたはず。そいつが…夢の原因…。何だっけ…?」
涙を拭い、考える。
彼女は老いて、髪が白くなってきた。
記憶は遥か遠く、薄れてしまった。
それでも、時々思い出す。
「何かがトンネルの天井に…棲んでたような…?」
地下水が滴っている。
赤いライトが行く先を照らしている。
靴の底が擦り減って、足の裏に地面を感じる。
ここは暗くて、肌寒い。
コマチは薄汚れ、鬼のようになって、暗がりを徘徊していく。
口の中でぶつぶつと、何かを唱えながら。
「何かがいた…。きっと何かが…。そいつが…悪夢の…何だっけ…?」
思い出すことが出口の鍵のように思う。
彼女は何度も思い返そうとする。
「あいつは…ぶらさがってた…。たぶん、本当にいた…はず。そいつは、この夢を終わらせることが…出来たような…」
コマチは思い出そうとして、自分の頭を叩いた。
髪留めが落ち、長い髪がはらっと全部垂れた。
その瞬間、何かが閃いた。
冷たい水が流れ込むように。
誰かがコマチの名を呼んだ気がした。
「そう、…思い出した。私はここに煌星と新見くん達と来た。…私には大切な友達がいた。例え、この身が傷付いても…守りたいと思う相手が…」
コマチは記憶が解れていくのを感じた。
すると、黒々とした妖気と異質な気配を身近に感じた。
「最初からずっと、おまえはそこにいた…。蜘蛛…」
コマチが天上を見上げた。
天井に節くれ立った蜘蛛男が一匹、もぞもぞと動いていた。
「目を覚ましてしもうたか…」
鬼蜘蛛が呟いた。
その周りに、蜘蛛の巣が張りめぐらされていた。
細い銀の糸で編まれた蜘蛛の巣は、トンネルの出口を塞ぎ、車の上まで覆い被さっている。
長い時間が経過したように思ったが、コマチはほんの数分、幻想に泣いていただけだった。
「許さへん…」
コマチが怒って、髪留めを拾い、鬼蜘蛛に投げ付けた。
髪留めは天井に当たり、落ちてカラカラ鳴った。
蜘蛛の巣が破れた。
櫛は古来、魔除けのようなものだったと言う。髪留めも似たようなものか。
結界が破れた。
鬼蜘蛛は天井の穴に滑り込んだ。
髪留めの音が響き、運転席の新見兄が目を覚ました。
「今の何の音!? 俺、寝てたわ!!」
煌星が新見兄を呼んだ。
「お兄さーん。新見くんが倒れてます。手伝ってー!」
黒田と水木が目を覚まし、新見兄と一緒に、新見を車に運び込んだ。
「コマチー、早くー!!」
煌星がコマチを呼んだ。
「うんっ」
コマチも乗り込み、スライドドアを閉めた。
「こんな気持ち悪いとこ、すぐに出よう。誰か、1号に電話しろや!」
新見兄がアクセルを踏んだ。
今度はあっさりエンジンがかかり、車は蜘蛛の巣を蹴散らかして、出口に突き進んだ。
「何か…あったん!?」
新見が目を覚ました。
「何もない。何もいなかった。タヌキが出てきてびっくりして、ハンドル切って壁にぶつかりかけて、慌てて止まっただけよ」
コマチが答え、全員がその答えに納得した。
彼女は煌星の耳元に、
「煌星、新見くんのこと、頑張ってな。私、めっちゃ応援するわ」
と、囁いた。
やや時間がかかったが、2号は1号と無事に合流を果たし、トンネルを折り返した。
4
車を路肩に停車させ、彼等は口々に感想を言い合った。
「何もなかったなー。面白くないなー」
「その割には、2号遅かったでー」
コマチはホッとして、話が盛り上がる彼等を眺めていた。
ガードレールの側。
「コマチちゃん!!」
誰かに名前を呼ばれ、彼女はびくっと、身を硬くした。
「あれ…? 旭さん、なんでここにいるの…?」
コマチは黒のライダースジャケットの旭を見た。
「コマチちゃん、ふざけてるんですか!? 何考えてるんですか!?」
旭がヘルメットを草むらに叩き付け、激怒して言った。
コマチは意味がわからなくて、周囲を見回した。
「旭さんだけ? 雨音くんや山上さんはいないんですか? メッセージ見てくれたんですか!?」
旭は一人で、バイクで駆け付けた。
稽古が終わって帰宅した後、コマチの清滝トンネル行きますメッセージを読んだ。
それから、スピード違反級にかっ飛ばして、ここまで来た。
「あのね、コマチちゃんは割と危ない体質でしょ!? 今までも、何度も鬼と遭遇して、怖い目に遭ってるでしょ!? なんでこんなとこ来るの!?」
旭はブチ切れモードで、普段より言葉遣いも粗かった。
コマチは旭の様子に面食らった。
「そんなに怒らなくても…」
「あの人、誰…?」
新見が煌星に尋ねる。煌星は旭のことを、紅葉の友人だと答えた。
旭はコマチの頭を軽く叩いた。
「心配したんですよ。てか、心配させんなよ、バカ!!」
「私は何も…。だって、無事ですよ…。たぶん」
コマチは鬼蜘蛛の話を伏せた。
「心配するでしょーが。このバカ。ああ、ムカつく」
旭はヘルメットを拾い、被り直して、早々にバイクに跨った。
彼の長い足が映える、限定解除の大型バイクで、銀色にきらきら光っていた。
「あ…、あの…、旭さん。もしかして…、そんなに私のこと心配して…」
コマチが喜んで近寄ったら、旭はハンドルを反らし、
「触らないで下さい。ピカピカに磨いた、大切なバイクに指紋が付くでしょ?」
と、神経質そうに言った。
「マジ、バカ!!」
旭が言い捨て、重低音のエンジンの唸り声を響かせた。
コマチは感極まって、
「やっと来てくれた…!! 旭さん、千年ぐらい待った気分なんですけど!!」
と、腕にすがりついて言った。
「あっ、そう。俺は寿命が五十年ぐらい縮まった気分だったんですけど!! もう心配させないでね!!」
旭は冷たくコマチの手を外し、バイクで駆け出した。
5
週明けの教室。
昼休み。
紅葉の席を中心に、咲良やコマチ、コマチの友達の煌星、スミレらが集まって話している。
コマチの怖かった体験を聞き、紅葉と咲良は大笑いした。
「うちら、清滝トンネル行かなくてよかったね。コマチ、そんなとこ行くから怖い目に遭うんやー」
紅葉は旭のところまで話を聞いて、笑い過ぎて目に涙を浮かべた。
咲良は三階の教室の窓からビル越しに、京都市街を囲む山の稜線を見た。
「マナブの本陣、愛宕なんだ…」
鮮やかに澄み渡る九月の空。
「小野コマチ! 紅葉! 咲良!」
背後から担任の神谷先生が、彼女達の名を順に呼んだ。
「君ら、危ないことには関わったらダメですよ。そんなことしてたら、僕がもう卒業させませんよ!?」
「先生、うちらに何が出来るって言うんですかー。鬼を見つけても、全然何も出来ない。うちらはパワスポマップを作るだけ…」
紅葉が笑顔で元気よく答えた。
「紅葉、どこ行くの!? 先生はみんなのご両親から、大切なお子さんをお預かりしてるんです。知らないわけには行かないんです!」
先生が言う。
「次はどこ?」
咲良が紅葉に聞く。
紅葉はタブレットを開き、
「五条行こうか。まだ行ってないパワスポがたくさん残ってる。清水寺、六道珍皇寺、市比賣神社、少し離れるけど、五條天神宮も行ってみたいな」
と、マップを指差した。
六道珍皇寺はこの前話に出た、小野篁があの世に通ったという井戸がある。
井戸は一般公開されてない。
「五条大橋のたもとに、牛若丸と弁慶の像がある。平安時代末には、五条にまだ橋がかかってなかった。別の橋やったか、それとも二人が出会ったのが全然別の場所やったか。ま、弁慶が刀狩りをして牛若丸に出会うなんて、史実として有り得ないけど…」
紅葉が咲良に笑いかける。
咲良の心は既に、空想の五条大橋に飛んでいる。
鞍馬駅で見た、天狗と弁慶を描いた月岡芳年の絵の世界だ。
牛若丸を襲う弁慶を、天狗達が邪魔していた。
鞍馬僧正坊、愛宕栄術太郎、比良次郎坊、飯綱三郎、彦山豊前坊、白峯相模坊、大山伯耆坊、大峯前鬼。
全国の名だたる天狗が、弁慶の動きを阻んだ。
「今宵こそ、千本目の刀を得る…」
天狗のせいで身が重くなった弁慶の前で、美し過ぎる牛若丸が笛を吹き、朱塗りの橋の擬宝珠に立つ…。
咲良は笛の音まで聞こえたかに思う。
「うん、行きたいな。近いし、電車で行けるね」
「うちのおにぃも来るって言ってた。おにぃ、過保護やから…」
紅葉が蘇芳のことを話した。
「私も行く。清水寺行くんなら、みんなで行こうよ」
コマチが言い、煌星らも手を叩いた。
6
深夜。
静まり返った交差点。
車も殆ど走っていない。
鴨川を見下ろして、五条大橋のたもとに立つ雨音。
薄曇りの月に、傘を差したような金色の輪がかかる。
それほど暗い夜じゃない。
広い道路の両端の欄干は擬宝珠が付いて、古い橋のデザインを再現しているけれど、木造じゃないし、地味な色合いの石造だ。
牛若丸と弁慶の像は、昔話のキャラのような二~三頭身で、子供っぽい。
雨音がじっと動かないでいると、橋の東側から誰かが歩いてきた。
一人は髪を束ね、細身で小柄。
一人は2メートル近い巨漢で、長物の武器を布で包み、背負っている。
まるで牛若丸と弁慶のようなシルエット。
雨音が鴨川から視線を上げ、二人連れに向き直った。
相手も雨音の姿を確認して、無言で足を停めた。
「すっごく鬼の匂いがするんですけど」
雨音が相手に言った。




