表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/92

肆弐 黒き龍との戦い


 咲良は鬼・ナカツの一言に、頭の中が真っ白になった。

「酒井さんを…沼に沈めた…?」

「あれは酒井という男ではない。なれの果てよ」

 鬼はせせら嗤った。


 鬼は大刀に付いた血の汚れを舐めた。

「巫女よ。おぬしが(いかづち)の小刀を使うほど、体力を消耗して動けなくなる。もう一度雷を落とすと、失神するぞ…」

「それ、酒井さんの血…?」

 咲良は怒りを込め、猫が毛を逆立てる時の()をした。


 咲良は心の内で、

「落ち着け、咲良。こいつは一度、学瀛(がくえい)を殺したほど強いんだ…」

 自分に言い聞かせようとした。

「でも、戦わなきゃ殺される…。ここには誰も来てくれない。雨音くんも…」

 咲良の内側に蓄積していた小鬼が一つの塊になって、鎌首をもたげるようであった。


「咲良…? どうするつもり?」

 神泉が問いかけている。


「やる気か。巫女よ」

 鬼が面白がった。


 咲良は御守りから山上神社の呪符を取り出し、広げた。

(なつ)かしいな。我が一族に伝わるもの。だが、それは我には効かぬ」

 鬼が忠告した。


 咲良は呪符を破り始めた。

「それは鬼を遠ざけ、おぬしを護るもの。自ら破るとは……おぬし…」

 鬼は声を絞り出すのをやめ、ぱっくり喉を開いて、蛇のような舌を出した。

「ヤメロ…。オヌシモ、酒井ノヨウニ、内カラ鬼ニナルゾ…」

 鬼の中の龍が喋った。


 咲良は呪符を細かく破り、捨てた。

「咲良。一時的に鬼と化して、この鬼と戦おうとしているのですか!? 危険過ぎます、人間に戻れなくなりますよ…!!」

 神泉が察し、止めようとした。

「だって、他に方法がないよ…」

 彼女は心の内の、鬼を見詰めた。


 咲良の中に、黒い咲良がいる。

 そいつはいつも、優しい咲良の行動を嘲笑っている。

 その存在は認めたくなかったけれど、早くから気付いていた。


 しばらく、咲良は無言で俯いていた。

 鬼は彼女が動き出すのを、じっと待った。



 ナカツの目の前から、咲良が一瞬にしていなくなった。

「消えた…!? 鬼になったか…!?」

 ナカツは咲良の気配を追った。


 崖の急な傾斜に、木の根を浮かせて大木が立つ。

 崖の下はお寺の境内で、村人や寺の下働きの人々が、松明(たいまつ)を手に集まってきた。

「面倒な…」

 ナカツは嫌悪の眼差しを向けた。

 人々は声を荒げて騒いでいる。



 崖の上方に、咲良が脱ぎ捨てたレインコートが落ちていた。

 ナカツは大刀を担ぎ、膝を屈め、崖上の岩場まで跳躍した。


 岩場にぽつぽつと、また降り出した雨が当たった。

 咲良は岩場の一番高いところ、尖った岩の先端に立っていた。

 彼女の目に黒い縁取りが付き、鬼と等しく目がきつくなった。


 ナカツは空に立ち込める雷雲を仰いだ。

「巫女よ…。雨を降らしたとて、我を追い込めると思うな。更なる雨はこの地に(わざわい)をもたらすのみ…」

 ナカツは喉を押さえ、掠れた咆哮を上げた。

「ぐぅぅる…。我の内なる龍が暴れたがる…。挑発は止めろ。雨を好むのは、我が方だぞ…」

 二俣(ふたまた)の舌が喉から出て、シャーッと鳴いた。



 雲が低く下がり、大雨を降らす。

 鉤裂(かぎざ)きの稲妻が閃いた。

 咲良とナカツはびしょ濡れになった。


 咲良は体力のありったけで、出来る限りの雷を呼んでいた。

「うう…うう……」

 神泉を捧げ持つ、彼女の手が震えた。

 彼女のエネルギーが吸い込まれ、神泉が白い雷気を吐く。


 咲良の耳が尖り、額に二本の角が生えた。

 より深く、鬼化していく。

 血管が張り、自分の脈が大きく聴こえてくる。

「どうなっても知りませんよ、咲良…」

 神泉が呟く。


「酒井さんは…、どこ…!?」

 咲良は意識を四方へ投げかけて、沼を探した。


 沼でブクブクと、(あぶく)が上がっている。

 ガボッ、と泡が水面で弾けた。

「………」

 獣の思念が泡と一緒に弾け、苦しそうに(あえ)いでいるのが伝わった。


「酒井さん…、今助けに行くから…」

 咲良の心が空を()けた。



 咲良が沼に膝まで()かって、泥を掻いた。

 何か手に引っかかった。

 人間の大腿骨だ。

「骨…」

 咲良は人間の頭蓋骨や大腿骨を大量に見つけた。

 濁った泥水の下に、人間の骨で出来た山があった。

「何、これ…!?」


 骨がばらばらに水面から立ち上がり、デタラメな人体模型みたいに組み合わさった。

 頸椎骨折の角度で首が付いた骸骨(がいこつ)が、

「サクラ…、雨ガ止マヌ。川ガ氾濫シテ…村ガ沈ンデシマウ……」

 と、歯をカタカタ鳴らして喋った。


「山ノ神、河ノ神ニ祈ッタガ、雨ガ止マヌ…。コレハ鬼ノ(タタ)リジャ…」

「昔は、水害を祟りだと思ってたんだよね…。でも、関係ないんだよ。ただの気候のせいなんだよ」

 咲良は骸骨と話した。


「鬼ヲ(シズ)メテクレ、サクラ…。コノ村ヲ救ッテクレ…」

 骨の山が隆起して、咲良を水面から持ち上げた。

 骨の島となった頂で、咲良は骸骨達を見下ろした。

「ごめん、もう一回だけ。最後の雷を落とさせて。私は雨を降らすことしか出来ないの…」


「鬼ヲ殺シテモ、何モ終ワラヌ。カツテ、人間ハ龍ヲ殺シタ。シカシ、未ダ禍ハ尽キヌ。見ヨ、サクラ。コノ乳呑児(チノミゴ)ヲ…」

 骸骨は骨を繋いで、咲良と同じ高さまで()り上がってきた。


 抱いていた赤ん坊の骨を、彼女に手渡す。

 水害で死んだ赤ん坊の骨らしい。

 受け取ろうと手を伸ばした瞬間、赤ん坊の髑髏(どくろ)がぱかっと割れ、血飛沫が彼女の顔面に吹き注いだ。


「う…」

 咲良は慌てて血を拭った。

 しかし、両手に付いたのは泥だった。



 彼女の心は元の岩場に戻っていた。

 咲良は鬼に直接尋ねた。

「ねぇ。どうやったら、鬼の祟りは終わるの…!?」

「鬼に身を(ゆだ)ねよ。…おぬしの心の臓を喰らった後、教えてやろう…」

 鬼が舌舐めずりして、大刀で神泉を叩き落とした。

「あっ」

 神泉は岩と岩の間まで落ちていった。


 ナカツが仮面のように無表情になり、首ごと背後へ反っていく。

 喉の傷から二俣の舌が伸び、龍の鼻が前に突き出た。

 龍の金色の眼が現れた。


 ナカツの頭部は飾りのように、龍の後頭部にぶら下がっている。

 龍が大口を開き、咲良に噛み付こうとする。

 咲良は思わず、眸を閉じた。

 龍に生きたまま喰われるなんて、死ぬほど痛そうだ。


(いかづち)!! 最大の雷よ!!」

 咲良が鬼の力を解き放って、空に叫んだ。



 天から光の矢が放たれる。

 龍の(あぎと)を正確に射抜き、龍の頭部が紅蓮の炎に包まれた。


 咲良は失神しかかった。

 彼女の意識を、酒井が繋ぎ止めた。

「咲良ちゃん!! それだけやと、ダメなんや!!」

 酒井の思念が泡となって連なり、沼の底から湧いた。


「九つの頭全部を一気に切り落とさなあかん!! そいつは安倍晴明が封じた十二の鬼の、九角(くづの)龍王や!! 人間の姿に騙されたらあかん!!」

「酒井さん!?」

 咲良が沼を振り返った。


 龍の頭をめらめら燃やしつつ、ナカツが咲良の前に数歩出た。

 彼の右手と左手に、龍の新たな頭部が出現する。


「咲良ちゃん、危ない!!」

 沼が膨らみ、大波が連続して岸に押し寄せた。


 咲良は手に吸い付けるように神泉を拾い、龍の頭を切り落とした。

 生々しい手応えがあった。

 ナカツの全身が激しく震った。


 咲良は龍のたてがみを掴んだ。

 鬼になり、動きが倍速になっている。

 鬼になったせいで、彼女は何も考えずに二つの首を切り落とした。


「あと六つの頭はどこか、わからん!! そいつの全身切り刻むしかない!!」

 沼が波立ち、酒井の声を運んだ。


 龍の頭と手を失った鬼がよろめき、反らせたナカツの頭部をガクガク揺らした。

 咲良は伝説の黒き龍を目撃した。


 ナカツと一体化していた龍が、彼の内から流れ出し、分離した。

 龍の長い尻尾の先が九つに分かれ、どんどん伸びていく。

 首が九つ、ヤマタノオロチのようにうねる。

 頭部は三つ欠けていた。

 残る頭部には夫々、長い角があった。


 九角龍王が復活しようとしている。

 傍らで、ナカツの右手が再生され、彼も大刀を振り上げた。



 咲良は無我夢中で走り出て、ナカツの大刀をぎりぎり右に()けた。

 そして、また一つ、龍の頭を切り落とした。


 龍の頭は炎に包まれた。

「ぐがあぁーっ!!」

 龍とナカツが、同時に(うめ)いた。


 龍がのたうち、山で土砂崩れが起きた。

 寺の境内まで、土砂が流れ込む。

 松明を持って集まっていた人々が飲み込まれそうになって、慌てて逃げていく。


 龍が暴れる度、山が地滑りして(ふもと)へ崩れ落ちる。

 龍が巨体をずるずる引き摺って、割れた山にとぐろを巻いた。


 龍が咲良の首に噛み付いた。

 鬼化した咲良の首筋から、青い血飛沫が飛んだ。

 龍が彼女をくわえて振り上げ、数字の8の形に首を振り回した。


 咲良が岩場に投げ付けられた。

 龍が咲良を掴み、口元まで持ち上げた。

「コレデ終ワリダ、巫女ヨ!!」

 龍が咲良を飲み込む。


 龍の口の中、咲良は牙にしがみついて、大声で叫んだ。

「学瀛に会わせてあげる!! 弟に会いたいんでしょ!? 私と一緒に行けば、すぐに弟に会えるよ!!」


 龍に(もた)れ、腕組みしているナカツが答えた。

「巫女よ、命乞いか…? おぬしの死体を、弟に見せつけてやる…。弟の片思いの相手を殺し…、我は溜飲を下げる。あの世に逝く…、弟の亡骸(なきがら)を抱いて…」


「違うでしょ。本当は学瀛に謝りたいんでしょ!? 鬼になった弟を救えなかったんだ。あなたは殺すことしか出来なかった…」

 咲良が叫び、ナカツはぐっと詰まった。


「心配しなくていよ。学瀛はあなたを恨んでないから。学瀛は怒り狂って、わけわからなくなってるだけ。会いに行こうよ!!」

「わかったようなことを申すな…」

 ナカツが苦々しく呟き、荒ぶる龍が消えた。

 咲良は岩場にふんわりと下ろされた。



 咲良は神泉を(さや)に戻した。

 鞘とは、封印なり。

 鬼化していた咲良が、普通の女の子に戻った。


「咲良ちゃん、鬼なんか信じたらあかん…!!」

 酒井が沼の底から叫んだ。


 咲良はナカツに手を差し出した。

 しかし、体力の限界が来て倒れ込んだ。


「ならば、行くか…」

 ナカツが咲良を抱き上げて空へ昇り、大鬼の宿を目指して飛んでいった。





 雨音は鬼切を抜き、生まれたばかりの(ぬえ)に向かった。


 熊井と蛇男・猿男は混じり合って、三面六臂(ろっぴ)の鬼になった。

 蛇の尾を持ち、猿のような毛に覆われ、顔は真っ赤で、肩と腕の筋肉は熊のようだった。

 鵺は苦痛に顔を歪め、三つの顔で泣き叫んでいた。

「ふぎゃー、ふぎゃー…」

 産声と言えるかも知れない。


「雨音くん、危ない…。誰か、助けて…」

 紅葉は竹刀を握り締め、気付いたら祈っていた。


「山上さん、火が消えてしまう…」

 コマチは火にくべる木を使い果たし、山上に訴えた。

 結界に張られた藁紐(わらひも)が、風に煽られる。

 鬼達は火が弱まるのを見て、じりじり近付いて来た。


「雨音、熊男さんを斬れ。俺が許す」

 山上は切羽詰まって、雨音に指示した。


 雨音は額に貼っていた絆創膏を剥がした。

 彼の第三の眼を見た雲林院(うじい)は、

「うわっ、雨音が鬼になったぁー!!」

 と、後ろへ飛び退いた。



 鵺が横転したバスに降り立った。

 バスが歪み、鋼鉄の壁が凹んで、渦巻いて曲がった。

 鵺が地面に足を着くと、地面が割れて、岩が砕けた。


「鵺の周りで、空間が曲がってるぞ。斬ろうとしたら、刀が折れるかも」

「雲林院は見てて。これはオレの仕事なんだ」

 雨音が言った。


 鵺は三つの顔を傾げ、意味不明の咆哮で威嚇し続けた。

 鋭く尖った牙が口からはみ出て、ヨダレが溢れてきた。


 鵺の猿じみた長い腕は、二本が地面を擦っていた。

 他の四本はバスの残骸を捩じ切り、鋼鉄を割いて武器を造った。

 その鋼鉄製の武器で、近くの岩を砕いた。

 風が鵺の側で渦巻き、ヒュウヒュウ唸っていた。


「あんなん直撃食らったら、頭砕けて一発で死ぬぞ。雨音、逃げよう!! そいつは無理や!!」

 雲林院が言った。



 鵺が雨音に躍りかかった。

 六本の足で地面を蹴り、空中に浮かんだ。

 二つの拳が雨音の頭を打ち砕こうとする。

 二本の棒が雨音の身を刺し抜こうとして、二本の棒が足元を狙って低く交差した。


 雨音は半歩引いて間合いを切り、次の瞬間、体重を載せて打ち込んだ。

 空間が歪んで、雨音は弾き飛ばされた。


 雨音は急いで起き上がり、山上を見た。

 結界の炎が消え、山上は迫る鬼や妖怪と戦っていた。

 雲林院と紅葉が背中合わせに立ち、鬼と対峙している。


「紅葉ちゃん…!」

 雨音は駆け寄ろうとして、鵺に阻まれた。

 鵺が突進してきた。


「ひゅあ…」

 雨音が息を吸い、鬼切の切先を飛ばしてゆく。

 パーンと美しい弧を描き、鬼の腕がまとめて三本飛んだ。


 雨音は手の内で柄を弾くように切り替えて、逆向きに切り返した。

 鮮やか過ぎるほど簡単に、残る腕がまとめて三本飛んだ。

 鵺は一瞬で腕を全て失い、恐竜のような咆哮を響かせた。


「雨音、スゴイ…」

 雲林院は口が半開きのままになった。


 雨音は空間の歪みを見て、僅かな隙間から斬ったが、直後に歪みに巻き込まれた。

 鬼切は高く跳ね上がり、離れた場所に落ちた。


「ぐぁああ、ぐぁあ…るる…」

 鵺が唸った。

 中央の熊井が泣き顔で、

「タスケテ、タスケテ…。タスケテェ……」

 と、涙を流して頼んだ。

「熊男…さんでしたっけ? …斬らせてもらいます、すみません」

 雨音が謝った。


 丸腰の雨音に、鵺が飛びかかる。

 鋭い爪が生えた六本の足で、車輪のように地面を蹴って、(ひね)りの入った回転をしながら襲いかかった。


 雨音は素早く避け、額の金色の眸で歪みを見切り、鬼切を拾った。

 鵺の蹴りと蹴りの間から、神業の速度で太刀を差し込み、三つの首を串団子みたいに貫いた。

「ぎゃおっ…!!」

 鵺が短い叫びを漏らした。


 雨音は跳んで、空間の歪みの渦から逃れた。

 鵺は痙攣(けいれん)し、地面に沈んだ。


「ひゅあ…」

 雨音が鬼切の柄に手を掛け、刺したまま一閃させた。

 鵺の頸動脈から後頭部へ、三つまとめて斬り上げる。

 ざあっと血が飛んだ。



「…嘘…」

 紅葉は驚いて、鵺の終焉を見た。

 鵺は燃え上がり、黒い(ちり)になって夜空に舞い散った。


 鬼と妖怪達は、鵺が簡単に斬られたのを見て、急に委縮した。

 後はちりぢりに逃げて行った。


 雨音が荒い息で戻って来ると、山上もぼろぼろの格好で迎えた。

「雨音、ようやった。おまえ、いっぺんに腕上がった…」

 山上は息子を抱くように抱き締めた。


 その時、ぽつぽつと雨が降り始めた。

「山から離れた方がええな。また土砂崩れが起きるかも知れへん。みなさん、行きましょうー」

 山上が結界に避難していたツアー客を呼んだ。


(あさひ)さんは!? 離れ離れになるやん。ここで待ってた方がいいんじゃないですか!?」

 コマチが慌てた。

「旭は放置しても大丈夫や。あいつが死ぬもんか」

 山上は旭を信頼していた。

 コマチはわあわあ泣き出した。

「旭さんが死んでしまうー」


「コマチ、いっつも旭さんと喧嘩してたよね?」

 紅葉と雨音は不思議そうに顔を見合わせた。


 雨が激しくなり、雷鳴が聞こえ始めた。

「これ、もしかして咲良ちゃんか? 神泉で雷落とそうとしてへんか?」

 山上が心配になって、雨音に聞いた。

「僕もそう思います」

 雨音は額の眼をきょろきょろ動かした。


 一等大きな雷が、山の裏側に落ちた。

 その後、土砂崩れの地響きが伝わった。

「うわっ」

 紅葉達は村落へ続く道の途中で、低くしゃがみ込んだ。


「山上さん、僕…、咲良ちゃんを捜して来ます!」

 雨音が突然、道を引き返した。

「雨音くん!! 私も行く!!」

 紅葉が走った。


「紅葉ちゃんは山上さん達と、後から来て。僕は懐中電灯も要らないから、先に行く。紅葉ちゃんは元の世界へ還る方法を考えて。それは紅葉ちゃんにしか出来ないんだよ」

 雨音が微笑んで、紅葉を遮った。


 紅葉の涙腺がゆるみ、眸がきらきら光った。

「嫌や…。好きやもん。…心配やもん。私だって…、雨音くんと咲良ちゃん、両方…大事で……」

 堪えられない涙が一粒、頬を流れる。


 紅葉の頬から落ちる滴を、雨音が指で受けた。

「大丈夫。絶対、咲良ちゃんを助けるよ」

 紅葉の胸がちくんと痛んだ。

 雨音は岩から岩へヤギのように跳ね、急傾斜を近回りして行った。



「私達もついて行きます。この鬼ツアーの最後まで…」

 ユキエが山上に言った。

 ユキエの母親や、白髪になったノア・キラ姉妹、結界に避難していた全員が賛成した。


「行こう、紅葉。雨音くんを追いかけるよ。私達みんなで、咲良ちゃんを助けよう!!」

 コマチが紅葉の手を繋いだ。

「うん…」

 紅葉は切なくなった。


 紅葉だって、咲良を助けたい。

 一方で、心の片隅では、咲良なんて死んでくれたらいいのに、とも思う。

「こんなこと思いたくないのに…」

 紅葉は嫉妬を抑え込む為に、自分の手の甲を(つね)った。





 旭は雑木林で、土砂崩れの音を聞いた。

「もう誰も残ってないな。ここも危険だ…」

 彼は沼に続く道を歩いていた。


 雨が強く降りしきり、沼は風で荒れていた。

 ボコボコと泡が湧いている場所があり、酒井の声が聞こえた気がした。

「はは、まさかね…」

 旭は草を掻き分け、沼を見渡す岩に昇った。


「酒井さーん…」

 旭が大声で叫んだ。

 雨風に彼の声が消された。


「酒井さーん、何やってんだよー!! 私達はー今からー、マナブと戦いに行きますよー!!」

 体を反らし、腹の底から声を出した。

 沼の泡が呼応するように、ボコボコと噴き出た。


「あはは、河童が出て来そうだよ。こりゃ…」

 旭は刀を構え直した。

 既に鬼を多数斬り、刃こぼれでガタガタになっていた。

「山上さんに弁償しなきゃな。この刀はもう、使い捨てだ…」

 旭は居合の(かた)のように、ぴっと血振るいして納刀した。


 彼は抜刀術に自信がある。

 柄に手を添え、妖気噴き上がる沼から、鬼の登場を待つ。


「旭…、旭…」

 泡から声が聞こえた。


「酒井さん!? マジで!?」

 旭は岩に両手を着いて、濁った水を覗き込んだ。

 透明度は一切ない。

 人間が入れそうなほどの大きな泡が、沼の底から出て、ボコッと弾けた。

「旭ぃー…」


「何やってんすかー、酒井さん!! かなり捜したんですよ!!」

 旭は笑いながら、沼に向かって話した。

「面目ない…。鬼になってしもた……」

 酒井は恥じて、顔を見せようとしなかった。


「出て来て下さいよ。酒井さんの手を借りたいんです。相手はマナブだし、他にも大物の鬼がいそうなんですよ…」

「おお、そやろ…。その大物の鬼に…、水草で手足を縛られてしもてね…。刀で切ってくれへんか。動けへんねん…」

 泡がいくつも弾けた。


 旭はそろそろと沼に入った。

 泥水が驚くほど冷たい。

 彼の体重で、膝まで沈んだ。

「大丈夫かな…。怖いな…」

 沼の中央に進むほど、深く沈みこんでゆく。

 足元がかなり軟らかく、底なしに引き込まれそうだ。


 旭は(もも)まで浸かった。

 波飛沫が顔にかかった。

「酒井さーん、どこを切ればいいんですかー!?」


 大きな泡が彼に当たって、弾けた。

「これを切ってくれ…」

 水面ぎりぎりに、醜悪な鬼が浮かんできた。

 首から下が、水草でめちゃくちゃに絡まっていた。


「うわわわっ!!」

 旭は後ろ向きにコケた。

 鬼の顔は黒い獣のようで、とてもじゃないが、酒井とは思えなかった。


「鬼が俺を騙そうとしてるのか!?」

 旭は泥水を飲み、むせた。

 動揺しながら、抜刀一閃、鬼に斬り付けた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ