肆壱 鬼の狂奏曲
1
咲良は鬼を間近に見た。
鬼は擦り切れた白装束を着ていた。
喉の太刀傷の他、一体どんな獣に噛まれたのか、顏や腕に大きな牙の傷跡があった。
傷跡は、紫色の大ムカデが這うように見えた。
特徴は、相手を射抜くような眼光の鋭さ。
咲良はマナブと言いかけて、
「…違う、マナブじゃない。もしかして…、マナブに憑りついた学瀛の…三つ子のお兄さん…!?」
と、聞き直した。
鬼は眉間に皺を寄せ、肩に担いでいた抜き身の大刀を地面に突き立てた。
「ああ、巫女よ。その名を口にしたもうな…。学瀛まで聞こえた…」
と、遠くを顎で指した。
暗闇の彼方で、大鬼の宿にいるマナブが大勢の鬼と酒を飲んでいる。
本来見えるはずもないのに、鬼の力を借りて、咲良にもその場が見えた。
マナブがこちらに気付いた。
「ナカツ兄上と…稚桜…?」
鬼は咲良の肩を掴み、宙に持ち上げた。
「巫女よ、学瀛は確かに、我が弟…」
「い…痛い! 放して…!」
咲良の肩に、鬼の鋭い爪が食い込んだ。
咲良は鬼の手を引っ掻き、足をバタバタさせた。
たまたま、彼女の足が鬼の顔に当たった。
「ちいっ…」
鬼は苛立ち、舌打ちした。
鬼の妖気がじわじわ燃え上がった。
「お願い、暴力はやめてぇ…」
咲良は鬼の迫力にたじたじとなり、心底怯えた。
義父に受けた暴力が、心の傷になっている。
ましてや、静かな語り口と裏腹に、この鬼の顔はグロテスクな傷跡だらけだ。
鬼は突然、咲良を投げ出した。
彼女は石にぶつけて、足を痛めた。
鬼は地面に突き立てていた大刀を引き抜いた。
「巫女よ。我等兄弟の核とも言うべき真実を、おぬしに話そうか…。三つ子の兄は、父と共に京の都へ行き、謀反の罪で流刑になった。濡れ衣を着せられ、怨みから鬼となった…。二番目は実家の神社を継いだ。三番目は出家し、京の大寺院で学んだが、父と長兄が死んだと聞かされ、精神を病んでしもうた。やがて鬼と化し、京の都の人々を襲って喰った…」
鬼が咲良に聞かせた。
「鬼となった兄と弟を二番目が始末して、丹波の大江山の近くに埋めた。…しかし、この二番目も鬼となってしまう…」
鬼は自分を嘲笑った。
三つ子の長兄が島麿、二番目が仲麿、三番目が学瀛こと瀛麿である。
鬼が極端に長い大刀で風を切り、ぶんと振った。
刃長は咲良の身長ぐらいある。
闇夜で、白刃だけがきらりと光った。
刃こぼれして、数カ所が鋸のようにギザギザになっている。
咲良は尻を擦って後退し、背中を大木にぶつけた。
運悪く、背後は胴回りが何メートルもありそうな巨木で、右にも左にも逃げ場が無くなった。
鬼が巨木を一発殴った。
樹皮が砕け、木の粉が咲良に降りかかった。
「痛い思いをさせない為に、一つ申しおく。抵抗せぬこと。その方が楽に死ねるぞ…」
鬼が鬼々しく嗤った。
咲良は腰が抜け、へたり込んだ。
鬼の喉の傷が裂け、空気が漏れてヒューヒュー鳴った。
「龍の首を落とす時、毒牙で噛まれた…。これは龍の呪い…。そして我は人にあらざるものに…。心の臓が空洞になって…、そこに鬼どもが巣くった…」
鬼は苦悩に顔を歪めた。
周囲に鬼火が浮かんだ。
鬼の喉がぱっくり裂け、そこから蛇みたいな二俣の舌が出てきた。
咲良は唖然とした。
その時、話に水を差すように、別の鬼の足音が風に運ばれてきた。
ヒタヒタ、ヒタ…。
鬼は周囲を取り囲む死霊に視線をやり、咲良の襟を掴んだ。
「人間の精気を吸う鬼どもが集まってきた…。時間がない、話を急ぐ」
鬼の手が咲良の喉を押し、彼女を木に押し付けた。
咲良は首を絞められる間、鬼にシンクロして過去を見た。
兄弟の壮絶な戦いを。
鬼は過ぎし日の戦いを思い返し、
「…三つ子の二番目は一族を代表し、鬼と化した兄弟と戦った。それは、龍退治の失敗を挽回する機会とも言えよう。人としての最後の戦いに、男は自ら命の全てを賭けた。男にとって、兄弟ほど大事なものは無かった。血を分けた分身。その兄弟を殺めて以来、男は人でなくなった。…おもても裏も、…鬼になってしもうた…」
と、言葉に自己嫌悪を込めた。
彼の体を、龍の呪いが蝕む。
彼は退治したはずの黒き龍に、体を乗っ取られた。
咲良はその映像を脳裏で観ている。
顏に噛み傷がある男が、学瀛の胸を剣で貫いた。
弟の返り血を浴び、彼は狂っていく。
弟を凄惨に殺しながら、彼は嗤っている。
「静かに眠れ、瀛…!」
「ナカツ兄上……!?」
あの時の学瀛は口から血を噴き、眸を見開いていた。
鬼は記憶に耐えられなくなって、目を閉じ、睫毛を震わせた。
「兄と弟を殺めて、百年過ぎた…。学瀛は墓の中で目覚め、再び都で暴れた。そして、源頼光と渡辺綱に捕えられ、殺された。…千年経った。巫女よ。鬼の頭の芯を潰さぬ限り、我等は何度でも蘇るらしい…」
咲良はだらんと両手を下げた。
息苦しくて、意識が飛ぶ。
死が迫ってくる。
瞼の裏まで眩しかった。
もう死後の世界に来たんだろうか?
「咲良…」
咲良は澄んだ声を聞いた。
「咲良…。しっかりしなさい…。紅葉やコマチを守れるのは、あなただけですよ…」
咲良は眩い光の中で、潮騒の音を聞いた。
髪を一つに束ね、男装の麗人が微笑んでいた。
「神泉…」
咲良は目を覚ました。
稲妻が走った。
鬼は雷の直撃を受けた。
咲良の手が神泉から鞘を払う。
鞘とは、封印なり。
夜空に爆音轟き、強烈なエネルギーが弾ける。
鬼は後ろに吹っ飛んだが、雷撃では死ななかった。
バチバチと青い電光が、周囲一帯に流れた。
咲良は巨木の周りを回って、鬼・ナカツから逃げ出した。
だが、既に別の腹を空かせた鬼達に囲まれていた。
鬼達は目前の獲物が誰か知り、盛り上がった。
「これは運がいい。大当たりだ。さぁ、誰が巫女を御前のところへ連れて行く?」
咲良は神泉で空気を切り、雷電を放って鬼達を遠ざけた。
石にぶつけた足が痛くて、走れない。
彼女は片足を引き摺りった。
「逃がすと思うか?」
鬼・ナカツが白無地の、本来は神職の着物である浄衣を靡かせ、咲良の側まで迫った。
咲良は荒い息で立ち止まった。
「やぁ、こんなところにおったんか…。話は聞かせてもらったで。俺は真っ暗のながぁーいトンネルを、やっと今抜けて来たよ…」
巨木の高い枝の上から、よく透る声が聞こえた。
咲良はびっくりして見上げた。
「さ、酒井さん…!?」
ばさばさっと、黒いものが飛び降りて来た。
2
巨木の葉が舞い散った。
黒い獣が、咲良の視界を塞いだ。
咲良は熊かと思い、悲鳴を上げた。
肩の筋肉の盛り上がりも、腕のごつさも、熊のようだ。
漆黒の毛並みも、獣の匂いも、熊そのものだ。
「ぐぉるるる…」
熊のような野獣の咆哮。
熊みたいに長い手で剣を持ち、そいつは、
「はよ逃げろ!!」
と、酒井の声で怒鳴った。
「さ、酒井さんですか!? 全然そうは見えないけど!」
「誰でもええやんか。通りすがりの、ただの鬼や。はよ逃げて!!」
獣が背を向けたまま、吠えた。
咲良は覚悟を決め、
「ありがとう…。先に行くね、酒井さん」
大急ぎでその場を脱出した。
鬼・ナカツは、喉を手で押さえて声を絞り出した。
「誰ぞ、きさまは?」
「鬼の警察官や。女の子を苛めた罪で、逮捕してやらァ…」
獣が突進した。
鋼のぶつかり合う音が高く響いた。
力任せに大刀を振るう鬼・ナカツと、熊の筋力を持ち、技でも鬼に匹敵する獣。
鬼は驚いて、相手を見た。
「やるな。きさま、その剣術は天狗に習ったのか?」
「あんたこそ、やるやん…。さすがにスゴイ傷だらけの顏してるだけあるわ…」
酒井も敵を褒め称えた。
「昔、龍に噛まれてな…」
鬼が顏の傷を撫でた。
鬼は片手で重い大刀を構え、重心低く、大きく股を開き、歩幅を広く取った。
長い手足を生かし、瞬時に遠くまで届くだろう。
「ひゃはは。やめて、龍にやられたって…冗談やろ?」
酒井は両手で剣を構え、小幅でゆっくり歩いた。
「ふざけてなどおらぬ…。この大刀の刃こぼれも、龍の首を切り落とした時のもの…」
二匹の鬼が同時に走った。
鋼から火花が散った。
鬼・ナカツの第一撃を、酒井が迎撃し、敵の右腕を斬って出る。
間合いの深さで負ける酒井は、最初からカウンター狙い。
ナカツはきき腕を斬られても動じない。
百キロはありそうな体重を載せ、破壊力抜群の重たい斬り下ろしを放つ。
酒井はその場にいない。
もしあの一撃を食らったら、例え受けても、止めきれずに頭を砕かれるだろう。
酒井は左右へ細かくポジションを変え、ナカツの側面を打つ。
ナカツは軽く受け流す。
ナカツは息つく暇もなく、積極的かつシンプルに攻める。
パワーとスピードは、ナカツが上。
酒井は最短の手運びで、切先を旋回させ、技を繋ぐ。
剣術は江戸時代に最も発達したから、技術は酒井の方が上。
酒井は上から迎撃し、刃を一線で擦らして、ナカツの刃を打ち落とす。
酒井の剣が跳ねて、ナカツに斬りかかる…。
ここで、ナカツの額の傷が割れ、長い鼻が隆起し、龍の如き歯が現れた。
尖った歯が酒井の剣をくわえ、ポキッと折った。
「ひっどいなー!! それ、反則ちゃう!?」
形勢を逆転され、酒井が文句を言った。
酒井の剣は半分の長さになった。
「我を倒したくば、全身に九つの頭を探さねばならぬぞ」
ナカツが哄笑した。
「こ、九つー!? めっちゃズルくないー!?」
防戦一方となった酒井を、ナカツの鋭い剣が攻め立てる。
3
酒井との勝負を、ナカツは愉しんでいた。
まだ人であった時に巨大な龍を倒したほどのナカツだから、まだまだ余裕があった。
いずれ、酒井を倒して咲良に追いつくだろう。
咲良は悲しくなった。
「可哀相なお兄さん。可哀相な弟、学瀛…」
どうしたらいいか、自分に何が出来るか、彼女にはわからない。
このままでは酒井が危ない。
咲良は息が切れるまで、雑木林を全力で走った。
足の痛みは増してきた。
彼女の背後に、精気を吸う鬼が迫った。
「巫女よ。ちょっとだけでいい…。その若さを分けてくれ…。腹が減って、気が狂いそうだ…」
木立の間に、白い着物がちらつく。
咲良はひんやりとした風を感じた。
濡れた岩場で滑って転び、もう歩けなくなった。
鬼に追いつかれそうになった時、彼女はとうとう、トートバッグから鬼灯を取り出した。
「ほら、鬼。人間の首だよ」
と言って、一個ずつ鬼灯をもいで、背後に投げた。
「人間の首だ!!」
鬼達は鬼灯にむしゃぶりついた。
餓えていた鬼達は鬼灯を食べ終わり、初めて満腹感を得て、きらきら光りながら空へ昇っていった。
「マナブにあげたかったのに…」
咲良は泣きそうになった。
そのうち、鬼灯を全部使い果たした。
精気を吸う鬼の襲来も、ぎりぎり途切れた。
咲良は崖の下に建物を見つけた。
大きな規模の伽藍、咲良の自宅の小さなお寺とは随分違う。
「助かった…」
咲良は一安心した。
咲良は崖の側から、境内へ入った。
お寺の裏手で、塔や鐘堂がある。
「紅葉ちゃんがいたら、ここがどこのお寺かわかるかも知れないのに…」
咲良は白い砂利の上を、痛い足を引き摺って進んだ。
「誰か、いませんかー。土砂崩れに遭って、鬼に襲われて困ってます。誰か、助けてー!」
咲良が声を張り上げた。
お寺は静まり返っていた。
やがて、一人の僧が参道に出てきた。
咲良を見て、蒼白になって何か叫んだ。
この若い僧が、他の僧とお寺の使用人らしき者達を連れてきた。
彼等は口々に何か騒ぎ立てた。
けれど、咲良には一向に話が聞き取れなかった。
確かに日本語なのに、何だかヘニョヘニョ喋っている。
やがて、咲良は気付いた。
ここは現代じゃない。
彼等が余りにも古い時代を生きているので、互いに通じないのだ。
それでも、たまに聞き取れる語呂があった。
「…オニ…!! オニ…!!」
僧達が騒いでいる。
咲良も頷いた。
「そうなんです、鬼に襲われたんです。すぐ近くにいっぱいいます。お祓いって、出来ますか!?」
「オニ…!!」
お寺の下働きらしき誰かが、咲良に小石を投げた。
「…え…!?」
咲良は目を瞬かせた。
人々は松明を掲げた。
数人の僧がまとまって、お経を唱え始めた。
下働きの者達は地面から石を拾い、咲良に投げつけた。
「去レ、オニ…!! 去レ!!」
人々は咲良の服装を見たり、彼女の意味不明な日本語を聞いたりして、異端の鬼と勘違いした。
咲良は石を投げる人々の憎々しげな表情を見て、鬼よりも恐ろしくなった。
鬼に虐げられた村人達、その憎悪。
「やめて。私、鬼じゃないです。普通の中学生です…」
咲良は両手で頭を庇い、慌てて崖の方へ戻った。
崖の下で、腕組みをした鬼・ナカツが待っていた。
咲良はもうこれ以上ないほど絶望して、
「酒井さんは!?」
と、鬼に聞いた。
「沼に沈めてやった…」
ナカツが会心の笑みで答えた。
4
雨音は落雷の音を聞いた。
「咲良ちゃんの神泉だな…」
彼は咲良に危機が迫っているのを感じた。
彼等はノア・キラ姉妹と母親を、山上の結界まで送り届けた。
結界には十数人の避難者が身を寄せ合い、震えていた。
コマチが火の番をしていたが、木ぎれは残り僅かだった。
旭は山に救助に出て、山上が単独で結界の前を守っていた。
辺りには、死滅した鬼の腐臭が漂っていた。
「雨音、雲林院くん!! 紅葉ちゃんも!! 君ら、無事やったんか!!」
山上が嬉しそうに呼びかけた。
「山上さん、咲良ちゃんがどこにもいません!!」
紅葉が叫んだ。
「あの子は頭がいい。うまいこと隠れたんやろ。神泉も持たせてあるし、大丈夫と思いたい」
山上は山の方向を見回した。
そこらじゅう妖気に満ちて、咲良の気配はわからなかった。
「山上さん、鬼役の人達は?」
「人間役を追いかけて、山の方へ入って行った。ぬかるみに足跡が残ってて、おまけにあの懐中電灯の明かりや。こんなん、逃げ切れるゲームちゃうわ…」
山上が悔しがった。
鬼ごっこが始まってすぐ、鬼夫婦は人間を追いかけて銃を無茶苦茶に撃ちまくり、チェインソーを振り回して藪を切りまくった。
悲鳴が立て続けに聞こえた。
断末魔と思われる絶叫もあった。
鬼双子は金棒と日本刀を振り回しながら、雑木林を走り回った。
木が邪魔で、最初はなかなかうまく人間を殺せなかった。
しかし、そのうち、彼等は夜目に慣れ、凶器の扱いに慣れた。
「あの鬼饅頭と鬼料理を食べたせいだ」
と、山上は言う。
鬼役は鬼の力を手に入れた。
あの着物の女子大生・ミカとミナも例に漏れず、殺戮に酔い痴れた。
彼女等は逃げ惑う人間達を遊び半分に追い詰め、嬲り殺していったそうだ。
けれども、そんな鬼役に終わりが来た。
ほどなく、拳銃の弾丸が尽き、チェインソーが壊れた。
日本刀は真ん中から折れた。
金棒や包丁は崖の下へ落ちた。
鬼役には、人間役と同じ悲しい結末が待っていた。
武器を失った、まだ弱い鬼である彼等。
精気を吸い取る鬼の群れには、獲物としか認識されなかった。
鬼役も皺くちゃの、白髪の老人になっていった。
体が冷え、動けなくなり、続いて現れた屍を喰う鬼に、骨までしゃぶり尽くされたのである。
「鬼役はあの子以外、全員喰われた」
山上が最後の鬼役を指差した。
呪いの藁人形を持つ女、ナツミ。
ナツミは正気を失った目つきで、山上らの焚火を見詰めていた。
服を脱いで半裸になり、頭に鉄輪を嵌めてロウソクに火を点し、目の下に赤い絵の具を塗っていた。
「怖っ!」
雲林院と紅葉が、雨音の後ろに下がった。
「完全に鬼と化してますね…。こっちを襲って来ないんですか?」
「自分の呪いに集中しとる…。同じ職場の女を呪ってる最中らしい…。女ほど怖いもんはない。最凶の鬼やで」
山上が呟いた。
ナツミはぶつぶつと呟き、五寸釘で木に打ち付けた藁人形を、包丁で突き刺した。
鍔のない刃物で勢いよく刺すので、手が滑り、自傷していた。
血塗れになっても、ナツミの憎悪は増すばかりだ。
「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね…」
ナツミは何百回も繰り返して言う。
ナツミの中学の同級生でいじめっ子だった女が、同じ職場で、一番人気の男と婚約した。
彼女にとっては、その男だけが優しく接してくれる話相手だったらしい。
紅葉はナツミを見て悲しくなり、嫉妬がどれほど醜いか、自分自身に立ち返った。
こんな嫉妬は、誰の心の内にもあると思った。
雨音はナツミの背に、自分の上着を脱いで、掛けてやった。
「もうそのぐらいにしましょう。その職場、早く辞めて、生まれ変わった方がいいですよ。ね?」
ナツミは包丁を止め、無言で雨音に切先を向けた。
彼女はじっと雨音を見た。
「うっ…」
ナツミが啜り泣き始めた。
片思いの相手と、雨音の顔と声が重なった。
「コマチ。熊男さんはどこ?」
紅葉が尋ねた。
「あそこにおるやん。あの裏切者」
コマチが答えた。
紅葉と雨音が振り返った。
鬼火がいくつか塊になって、渦を巻いている場所がある。
横転したバスの上だ。
鬼の新人研修に来た熊井と、犯罪者の猿男、蛇男。
三人は合体して、三面六臂、六本脚の醜い鬼になっていくところ。
こんなことは、本人達も予想していなかったに違いない。
今、ちょうど腰が一つになって、一つの腰から六本の足が生えている状態になった。
一つの尾骶骨だけ伸びて、蛇のような数メートルの尻尾が出来上がった。
「うぉー、痛い…。痛いいいィ…」
熊井は軋む骨に悲鳴を漏らし、激痛に涙を流した。
腰から上は、まだ三人の上半身に分かれている。
それがミシミシと軋みながら繋がっていく。
彼等の顔も歪み、変形していく。
「あれ、鵺だよ。三種の獣の集合体…。今回のは失敗作かな!?」
雨音が紅葉に言った。
「平安時代に出没したとか言う鵺と、ちょっと違うよね?」
紅葉は呆気に取られた。
熊井らはどんどん繋がって、混じり合っていく。
渦に巻かれるように、背骨が捻じれ、結合していく。
凶悪な男達が、激痛に大泣きしている。
バキバキッと、凄い音がした。
骨がいっぺんにひしゃげるような音だった。
「ひぃぃ…!!」
熊井らが泣き叫んだ。
泣き顔のまま、三面が並び、背骨は一本、手足が六本の鬼が誕生した。
鵺は人間としての知性も何ら感じさせず、ただ獣の声で鳴き喚いた。




