壱漆 山上家に伝わる鬼の話
1
咲良と雨音は国立博物館で、蝦蟇麿を倒した。
しかし、紅葉とコマチが地底の鬼屋敷へ拉致された。
紅葉を助けに行きたい咲良を、雨音は別の場所へ連れて行った。
しゅとーん部の近く。
コンクリート打ち放しに格子が付いた、和モダンの建物。
狭い間口で奥行が深い、鰻の寝床みたいな京の町屋を改装してある。
「…建築設計事務所?」
咲良は不思議そうに、町に溶け込んだ建物を見上げた。
「御免下さーい」
雨音が慣れた様子で、格子ドアを開けた。
玄関入ってすぐの、涼しげな石張りの土間。
格子から光が筋状に差し込む。
天井裏と梁が見える吹き抜けになっている。
ゲストを迎える椅子とテーブルが一対。
奥には、濃い緑溢れる中庭。
土間で、山上が来客と喋っていた。
「雨音! 何だ、おまえら…」
山上が椅子から腰を浮かせた。
「お子さんですか?」
二人の制服姿を見て、客が聞いた。
雨音が咲良に、
「咲良ちゃん。山上さんは一級建築士で、ここは会社兼自宅」
と説明し、
「山上さん、僕ら、二階で休ませてもらってもいいですか? 話は後で…。僕、もうぶっ倒れる寸前。眠くて、眠くて…」
と、欠伸しながら話した。
「ええけど。おまえら、学校は!? 咲良ちゃん、何かあったんか!?」
山上が咲良の顔を覗き込んだ。
「山上さん…」
咲良は泣きそうになった。
山上は雨音の額の絆創膏に気付いた。
「雨音。そのおでこ、どうした!?」
「やっぱり、山上さんには見つかっちゃいますよねぇ…」
雨音がおっとりと話した。
雨音と咲良は吹き抜けに面した階段を上がった。
二階にシンプルなリビングがあり、雨音は早速、ソファーに横になった。
そして後は、爆睡してしまう。
咲良は一人でテレビの前に座らされ、じっと待つことになった。
2
山上が二階に上がってきた。
「咲良ちゃん、大丈夫か?」
「山上さん…」
咲良は堰を切って流れ出す水のように、堪えきれなくなって全部話した。
「うん、そうか。よし、わかった…。俺達で紅葉ちゃんを助けてあげるから、咲良ちゃんは家で待ってる方がええな…。…紅葉ちゃんが攫われたこと、蘇芳くんは知ってるんか?」
山上が尋ねた。
咲良は妹思いの蘇芳を思い出し、首を振った。
「隆一に連絡させとくわ。それと、…神泉。これは危ないから、返してもらうね。この護り刀が逆に、鬼を呼び寄せることになってるかも知れへん」
山上は咲良から神泉を取り上げた。
咲良は神泉と離れる時、心細くなった。
「山上さん、私、強くなりたいです…。紅葉ちゃんが鬼に連れてかれたのに。雨音くんが言う通り、私は弱い。鬼に襲われても、自分を守ることも出来ないし…」
「それは違うよ、咲良ちゃん。普通、誰でも鬼に対抗出来ないよ。…結局、雨音が君を巻き込んだみたいやな。堪忍やで。雨音は何も考えてへん…。マナブも、雨音が東京に住んでた頃の知り合いらしいし…」
山上は雨音の寝顔を見下ろした。
山上はクールビズのシャツの襟元を開き、咲良の隣に腰を下ろした。
「咲良ちゃん。今から居合やったとこで、鬼に通用するもんとちゃう。それでええなら、教えたげる。俺も、本気でやろうと思う子にだけ教えたい。流行りの刀剣女子なんて、正直、ムカつく。女の子に刀を語られたくない。何がわかる、と思ってしまう…。カッハッハ…」
山上は苦笑いした。
「例えるなら、コンペイトウのデコボコの部分を削り取って、小さな玉にしてしまうのはつまらん。俺はデコボコにもっと砂糖をまぶして、大きな玉にしてあげたい。規格通りの居合とちゃう。それぞれの個性や、その人のええとこをもっと伸ばして、大きく育ててあげたいんや。こいつにも…」
山上は安心しきって眠る雨音の寝顔を見て、呟いた。
「咲良ちゃんも、既成の枠に収まらんといてくれ。鋼の剣になってくれ…!」
山上が言うと、咲良の胸に、何かがじわっと込み上げた。
「…はい…!」
咲良が頷いた。
「咲良ちゃん、こいつは疲れとる。雨音は時々、半分だけ鬼になる…。霊媒の素質があるんやろな。人間に戻った後、死ぬほど眠いらしい。ちょっと待ったってな…」
山上は雨音を気遣い、小声で話した。
山上は溜息をついた。
「この話はしたくなかってんけど…、ここまで来たら話さへんわけには行かへんな…。そうやねん、咲良ちゃん。鬼と関係があるのは、元々、俺らの方なんや…」
咲良は驚いて、山上の顏を見詰めた。
彼は俯き、指で髭をいじった。
「何から話そうか…。千年の封印…。俺らは鬼を昔から知ってる…」
山上が言うと、窓の外でモウソウチクの笹の葉がさらさら鳴った。
六月の湿っぽい風が吹き込み、白いカーテンを揺らした。
3
山上はリビングの大きな書棚から、本を一冊抜き取って、咲良に見せた。
「鬼伝」というタイトルで、山上東雲という著者になっていた。
表紙は、朝日に逃げ出す鬼の絵が描かれていた。
咲良は興味を抱き、ぺらぺらとページを捲った。
殆どのページは鬼の絵で、短文の解説が付いているだけだ。
「…いろんな鬼がいるんですね…。あっ、これなんか可愛い…」
「中国の妖怪とか、日本の妖怪とか。…日本の妖怪はあんまり怖くない。人間を驚かして、面白がってるだけの無害なやつが多い」
山上は咲良のペースに合わせ、話をゆっくり進めた。
「鬼と妖怪は違うんですか?」
「違うと思う。鬼は妖怪じゃなくて、人間のなれの果て…。怨霊と言うたらええかな…」
山上は悩みながら答えた。
「妖怪は長く生きたヘビとかタヌキとか、河童とか…。鬼の大半は、人間としての前半部分がある。そこに仏教の思想が影響して、物語が展開する…」
「本当の鬼は何ですか?」
咲良が質問を投げかけた。
短い沈黙の後、逆に山上が尋ねた。
「咲良ちゃんは何やと思う?」
「私、鬼って可哀相だと思うんです。本当は悪くないかも知れないのに、物語では悪かったことにして、結末で殺されてる気がする」
咲良は持論を答えた。
「前に、しゅとーん部で鬼の話をしたな…。安倍晴明の千年の封印が解けて、鬼がよみがえる。しゅとーん部はそれを阻止せなあかん、ていうやつ。…あれは、マジな話や…」
山上が白状した。
「やっぱり…」
咲良は身を乗り出した。
「咲良ちゃん、鬼はな…、あいつらは俺の仲間やねん」
山上が笑いながら言った。
咲良は彼がふざけているのか、判断に困った。
「つまり、源頼光と渡辺綱に殺された鬼が、俺の先祖…」
「や、山上さん…!! どういうことですか!?」
咲良が慌てて、声を喉に詰まらせた。
「うちの祖先は祝部と言って、昔々から神社の神官やった。…まだ神社に拝殿がなくて、山に注連縄を張って結界を作り、麓から山の神を拝んでた…そんな頃からの」
山上は本の後半のページを開き、絵を咲良に見せた。
鳥居の前で暴れる鬼と、戦う武者の絵だ。
はふりとふり仮名を付けて、はうり、またはほうりと発音する。
「安部晴明は稀代の陰陽師。彼が封印した十二の鬼。その半分近くが、元はシャーマンやった…」
と、彼はわかりやすく省略しながら、説明した。
「山上さん。なんでシャーマンが鬼になったんですか?」
「生まれつき、シャーマンは自然の力と調和する力を持っていて、それが鬼と紙一重なんやな。ちょっとバランスを崩すと、鬼になってしまう。特殊な力を持ったシャーマンが、特殊な能力を持った鬼に…」
咲良は考えた。
自分も鬼になりかけた。
蝦蟇麿が憑りついた三木先生が、彼女の心の中に鬼を放った。
咲良は恐怖で心が壊れそうになり、皮膚の下で鬼が増殖した。
山上は咲良が震えているのに気付いた。
「一度鬼になり始めたら、もう誰にも止められへん。咲良ちゃんは巫女の素質がありそうやから、気を付けて。鬼なんて、普通の人間にそうそう視えるもんとちゃうねんで」
「うちも、おじいちゃんが神社の神主だったけど…」
咲良はビクビクした。
「神官の家系が全員鬼になるわけちゃうし、大丈夫。昔の神社は豪族の氏神で、特に京都は…、平安時代に藤原氏が圧勝する。陰謀と栄華の陰で、没落していった勢力もあった…。…そこに始まる、千年の呪い…」
山上は腕時計を見た。
「時間がない。後で詳しく話すわ。ほな、俺は残りの仕事を片付けてくるから。ちょっと待ってて」
彼は咲良の肩を叩き、階段を降りていった。
「ええー! 山上さん、気になるんですけど。十二の鬼って何ですかー!?」
咲良の言葉は、山上の背中に届かなかった。
4
咲良は鬼伝を読んでいた。
鬼女の話があった。
その昔、山奥の貧しい村に、夫に先立たれた若い女がいた。
女は乳飲み子と数え年二歳の娘を抱え、食べるものにも困っていた。
その年は凶作で、村人も自分達が食べるだけで精一杯で、その母子を助けてやる余裕がなかった。
女は村の窮状を知っていて、身寄りもなく、元々おとなしい地味な性格で、誰にも助けを求めなかった。
虫やカエルを食べるほどに飢餓が迫り、遂には二歳の女の子が死んでしまった。
嘆き悲しんだ女は自分を責め、昼夜、女の子の死体を抱いて離さなかった。
子供を幼くして死なせることほど、母親にとって辛いことがあるだろうか。
女は気も狂わんばかりになった。
しかし、数日経つと子供の死体は腐り始め、異臭を放った。
女はとうとう、決心した。
子供を埋葬したのか?
違う。
「この子は自分の弟を救う為に、犠牲になったのだろう。私は乳を出さなくてはならぬ…」
女はそう思い込むことにした。
辛いが、泣きながら我が子を喰った。
それでも、運命は苛酷だった。
乳は出なくなり、赤ん坊も死んでしまった。
女の涙も枯れ果てた。
女は呟いた。
「可哀相に。この子は母親を救う為に、犠牲になってしまった…」
女は二歳の娘を切り刻んだ時と同じ包丁を持ち出し、赤ん坊の遺体の前に置いた。
女の口元に薄笑いが浮かび、やがて、額から角が生えてきた…。
咲良は読んでいて、気分が悪くなった。
挿絵は、女が赤ん坊の死体を前に、包丁を研いでいるところだ。
咲良は次の鬼の話を読んだ。
ある男の話。
それは千年よりもはるかに前。
男はその地域の支配者だった。
その国では先代まで、支配者がめまぐるしく替わっていた。
利益をめぐり、主家だけでなく分家や家臣も巻き込んで、壮絶な後継者争いが起こっていた。
その男は運に拾われて権力の座についたが、安泰ではなかった。
彼による身内の粛清があり、彼に対する暗殺未遂事件もあった。
男は特に悪い治政をしたわけでもなかったが、最後の日が来た。
男の甥が裏切り、男を兵士らによって捕えさせた。
男は支配者であるのに、後ろ手に縛り上げられ、宮の奥深くで首を斬られた。
その刃物が切れ味悪く、なかなか首が落ちない。
数人がかりで男は押さえ込まれ、首の後ろから何度も斧を振り下ろされた。
首が斬れる前に、骨が砕けた。
余りの凄まじい痛みに、目が飛び出そうになった。
男は甥を呪い、身内を呪う言葉を叫びながら死んでいった。
やっと首が切断された時、男の首は空を飛び、山を越えて飛んで行った。
男の体は果てたが、首はそのまま鬼となった…。
咲良は読んでいて、ぞっとした。
「鬼の物語って、可哀そうな話ばっかり…」
その後も、背筋が凍りつくような、恐ろしく痛ましい話が綴られていた。
5
咲良は本を読むうちに、うとうとと眠ってしまった。
窓から流れ込む微風が、彼女を浅い眠りに誘った。
夢の中、咲良は町を歩いていた。
埃っぽい路地と、瓦屋根の塀が見える。
どこかの神社の鳥居がある。
咲良は鳥居を潜った。
彼女は何者かの気配に気付き、振り返った。
鳥居は空間を隔絶するよう。
鳥居の向こうにあったはずの町は、白い光に霞んでいる。
強い光の中に誰も見えないのに、鳥居の下に人影が差した。
人影だけが、すっと鳥居を潜って伸びてくる。
誰かが来た。
しかし、姿は見えない。
咲良は怯えた。
胸が締め付けられるようで、強い不安に駆られた。
咲良ははっとして、目を擦った。
人影が更に、参道の石畳に長く伸びてきた。
すると、異界と境内の空間が交差するように、人の姿が出現した。
咲良は目を見張った。
鳥居の真下に、藍色の着物を着た子供が立っていた。
ふっくらした頬の、十歳ぐらいの男の子。
切れ長の一重瞼で、鋭い眼光を放つ。
女童のような長い髪を、額の真ん中で分けている。
今時の子供ではない、とても古めかしい空気が漂う。
「…どちら様ですか…?」
咲良が恐る恐る尋ねた。
男の子は老人のようなしわがれた声で返事した。
「儂は琵琶湖のヌシじゃ…」
「琵琶湖の…」
瞬間、咲良はビワコオオナマズと言う鯰を連想した。
琵琶湖のヌシは大鯰だと、聞いたことがあった。
「儂は鯰ではないぞ…」
ヌシは赤い虹彩の眸を細め、笑った。
子供の姿なのに、貫録は老人だ。
咲良の脳裏に、広い海のような琵琶湖のイメージが広がった。
暗緑色の浪間。
琵琶湖は一番深いところで、水深百メートルを超える。
岸の近くまで山が取り囲む。
「儂を呼んだ、おぬしは何者じゃ?」
琵琶湖のヌシが尋ねてきた。
咲良は首を傾げた。
「お呼びした覚えはありません…。私は咲良です。○○寺の住職の姪です」
「先日、おぬしは琵琶湖から流れる宇治川で…、橋姫に助けを求めていたな…」
ヌシが呟いた。
「そうです…。もしかして、あなたは封印されていた十二の鬼の一人…ですか?」
咲良の問いに、
「そのような輩と儂を同じにするな。あの時の鬼はどうなった…? 死んだか…」
ヌシは嫌悪感を込めて話し、咲良の頭の内を読んだ。
「蝦蟇麿ごときは、鬼の下僕に過ぎぬ。咲良、急げ。封じられていた鬼がよみがえるぞ…」
咲良は相手に問うた。
「あなたは私達の味方ですか? 元は人間だったんですか?」
ヌシは咲良を侮蔑して言った。
「ふん、味方であるものか。鬼族の末裔でありながら、鬼を狩る呪部ども。…しかし、十二の鬼の復活も好ましくない…。あの輩は千年前の、十二の場所に封じられた。それを探すがよい。…おぬしが喰われるもよし、おぬしが倒すもよし…」
琵琶湖のヌシは青い爪を噛み、咲良を見た。
一瞬で移動したのか、咲良はヌシをすぐ側に感じた。
「え…。呪部じゃなくて、祝部って言うんじゃ…?」
咲良が聞き返した。
咲良はヌシの着物に描かれた刺繍が、青黒い龍であることを見て取った。
暗く冷たい水底に棲む、龍の息吹が聞こえそうだった。
その龍は牛のような角を持ち、牛のような前脚を岸に着き、半身を水から引き上げる。
そういう場面が、咲良の空想の中で動いていった。
長い体は藍色の鱗に覆われ、背鰭があった。
龍は湖の波のように、静かに身をうねらせる。
しかし、彼が寝息を立てる日は、風が激しく水面を荒らし、舟を沈める。
彼が荒ぶる日には大雨になって、川や湖が氾濫し、人も村も飲み込んでしまう。
彼が鎮まれば、水は田畑に行き渡って作物が豊かに実る。
ヌシは変幻自在。
牛のような前脚で島に上がる日もあるし、鼎のような曲がった三本指で人を掴み、滝に引き擦り込むこともあった。
「かつて、三人の男が琵琶湖のほとりに城を築き、天下を取った」
ヌシが言った。
信長は安土城を、秀吉は長浜城を、光秀は坂本城を築いた。
「誰にどれだけ天下を任せるか、神々が琵琶湖のほとりに集って、決めてきたのじゃ…」
ヌシは過去を振り返った。
古くは壬申の乱、大海人皇子と大友皇子が近江で激戦をくり広げた。
それより後にも、数多の軍が近江を通った。
関ヶ原の戦いの時も、維新の時も。
「次の天下は誰にくれてやろうか…、儂らはそれを話しておる」
彼は神々の話を打ち明けた。
咲良はヌシの名前を聞こうと思った。
ヌシの姿はその途端に、水のように弾けて流れ落ち、鳥居の下をすーっと引いていった。
咲良が目を覚ました。
琵琶湖のヌシは夢の中の出来事だった。
彼女はリビングの窓から、山上宅の裏庭を眺めた。
しゅとーん部の建物の横に、小さな祠と鳥居、手水舎の屋根が見えた。
その鳥居が、夢の中の鳥居と似ているように思った。
彼女はぱっと駆け出して、一階の山上の前を通り抜けた。
「咲良ちゃん!?」
山上が叫ぶ。
咲良は夢中で、玄関から通りに走り出た。
5
咲良は神社の、細い参道に入った。
表のスポーツ施設が居合の道場で、裏の倉庫がしゅとーん部。
「咲良ちゃん、何を捜してるの…?」
咲良を追いかけてきた、雨音の声がした。
彼女は雨音を振り返り、日が暮れかけた薄闇の中で、
「雨音くん。しゅとーん部は鬼と戦う為に、居合の稽古してるの?」
と、聞いた。
「…なわけないよ。やっぱり、精神の鍛練と、昔の人の技を継承していく為にやってるんだよ…」
雨音が肩から鬼切のケースを下ろし、微笑んだ。
「私、鬼の話を聞いちゃったの…。山上さんから…」
咲良は祠の前に立つ。
雨上がり、風が凪いだ。
西の空に、僅かに光を残すのみ。
「咲良ちゃん。しゅとーん部は…祝東雲流という秘伝の流派なんだよ。聞いたことないよね…」
雨音が言った。
「別名は、呪東雲流だけどね…」
咲良は呆然とした。
雨音が、
「祝部って言うのがあってね…、ハウリは祝いと書くんだよ。神社の社家のことだった。…その家の者から鬼が出たんだって。鬼になった弟を、兄が殺して、内緒で始末した…。でも、その兄もまた鬼になってしまって…」
と、わけわからないことをブツブツ言った。
咲良は彼に、いつもと違う違和感を感じた。
雨音がケースから、鬼切を取り出す。
「私の中にも、鬼が居るよ。雨音くん…」
咲良の中で鬼がざわめき、ブクブクと増殖していく。
恐怖が引き金となって。
「知ってるよ」
雨音が鬼切を抜こうとしている…。
「咲良ちゃん、なんで神社と居合? って思う? 別におかしくない。他にも神社と剣術の流派が結びついたとこもあるし。伝説の京八流なんて、鬼が伝えた流派だよ…」
雨音が鬼の気配に反応している。
咲良の背中を汗が流れる。
「僕も、わりと最近、山上さんから話を聞いたよ。話の出だしはこうだったでしょ? …山上神社は、イザナミ尊とカグツチ尊を祀る、ごくごく平凡な神社だった。三つ子が生まれるまでは…」
彼がすらっと太刀を抜いた。
「…江戸時代ほど、多胎児は嫌われてなかったんだ。それより、三つ子は歓迎されたらしいよ。…だって、三貴子と言って、アマテラス、ツクヨミ、スサノオも三つ子だし、天孫降臨したニニギ尊の子もホデリ、ホスセリ、ホオリの三つ子だ…」
彼はそこで話を思い出そうと、ちょっと手を止めた。
「実は、アマテラスは三つ子じゃなかった。日本書紀によると、阿閉臣事代が月の神の神託を受け、京都で祀った神社が、最初の月読神社なんだよね。スサノオは元々、出雲の王だと思われるし…」
雨音が話すうち、日が完全に沈んで、参道はどんどん暗くなってきた。
「それで?」
咲良は混乱してきた。
「…平安時代、山上神社の社家に三つ子が生まれた。…ここから先は古文献にも記載がない。先祖の口伝を、山上さんのお祖父さんが鬼伝という本に書き残した。三つ子の母の名は、小童女…」
雨音はゆっくりと名前を言った。
「山上は地名。三つ子の父は地域の勢力者だった。三つ子の長男の名は、嶋麿、次男は仲麿、三男は瀛麿。三男だけ寺に預けられて、出家後は学瀛と言った。この三つ子はとんでもない怨霊を連れて生まれたんだ…」
「学瀛?」
咲良は何故か、懐かしさを感じた。




