第9話:敵国の第三皇子(Side:シャルロッテ③)
室内に満ちる藺草の青々しい香りが、風呂上がりの火照った身体を冷ます。
シャンプーやボディソープといった物品を使うのは初めてだったが、いずれも私の身体と心を綺麗に洗い流し、ずいぶんと癒してくれた。
宮殿で大魔境行きを告げられてからずっと緊張していた身体が、ようやく平穏を取り戻した気分だ。
明かりを消した部屋の中、ベッドに横たわった私は今日の出来事を反芻する。
ハルト氏は悪い人物ではなさそうだ、というのが半日ほどともに過ごしての印象だ。
大魔境を訪れる前は勝手に冷酷な男性像を想像していたが、実際の本人は温かい人物だった。
私と話すハルト氏の表情は穏やかで、言葉にも刺々しさはない。
王宮で暗い時間を過ごすうち、その者の人間性は目つきや表情に現れると私は学んだ。
いくら本心を取り繕っでもふとした瞬間に顔を出し、私の心を暗くしたことは幾度となくある。
ハルト氏にはそのような変化がなかった故、彼の言葉は全て本心だと推測された。
(真っ白ですごく綺麗)
自分の長い髪を撫でる。
あのときの彼の言葉も本心なのだろうか。
今まで誰もそんなことを言ってくれる人いなかった。
なにも言葉だけではない。
ハルト氏はあのSランクの魔物――鎧凱牛人から私を守ってくれた。
彼が来てくれなければ、まず間違いなく私は死んでいた。
振り上げられた棍棒の威圧感は凄まじく、まさしく死の恐怖に身体が震えた。
目を閉じるたびハルト氏の戦いぶりが蘇る。
大変に上品で美しい黒刀――〔幻夢〕を目にも留まらぬ速さで振るい、極めて頑丈なはずの鎧凱牛人をいとも簡単に切り裂いてしまった。
その光景を思い出す私は静かに笑ってしまった。
王国が誇る騎士団のトップやSランク冒険者でもそんな芸当はできない。
これはハルト氏が王国の誰よりも強いことを示している。
〔幻夢〕以外にも【和風工匠】スキルの有用性や凄さを目の当たりにする一日だった。
今いる家を一瞬で建築してしまい、私に雨風や魔物を防ぐ場所を与えてくれた。
彼が作る食事も非常に美味で、心身ともに回復してくれた。
ハルト氏の傍にいれば、少なくとも命の危機はないと相当に安心させてくれた。
今まで私を虐げてきた人間たちと比べると、ハルト氏はずいぶんと善人だ。
心が温かいのは入浴だけが理由ではない。
彼の人となりに触れたためだ。
とはいえ、まだ完全に信用するのは時期尚早だとも考える。
ハルト氏は敵国――ムーングランツ帝国の皇子だし、私と同じように暗殺を命じられている可能性もあった。
今日は歓待されたし好待遇を受けているが、私を油断させる計画かもしれない。
寝静まった頃、気がついたら〔幻夢〕で喉元を斬られているのでは……。
小さなため息とともに馬鹿げた空想を吐き出す。
無意識のうちに何度も無防備の背中を向けていたし、そもそも戦闘力の違いは明白だ。
油断させる必要もない。
何より、こうして明かりを消して寝るつもりになっているのは、ハルト氏に対する信頼を心の奥底では感じているからだろう。
私の直感はハルト氏は信用に足る人物だと主張している。
一方で、今までの人生経験がその直感を抑え込む。
未だかつて、私に本物の優しさを向けてくれた人間はいなかった。
淡い期待など抱かない方がいい。
現実との落差に心が疲弊するだけだ。
「私を"人"として認めてくれる人はどこにもいないのだから――」
力ない呟きは、誰もいない虚空に消えていく。
ハルト氏は想像以上に優しく、強く、そして私を愛してくれる存在だということを私が知るのは、もう少し先となる。
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