第5話:私の運命(Side:シャルロッテ②)
――ハルトが駆けつける少し前、シャルロッテは当てもなく大魔境を歩いていた。
◆◆◆
もうどれだけ歩いたろうか――
足を踏み出すたびに肌が痛み、呼吸のたびに喉や肺が刺激され非常に苦しい。
大魔境は噂に聞く以上に劣悪な環境だった。
お父様がこの土地を行軍ルートから外した理由がよく理解された。
婚約者たるハルト・ムーングランツとはここで落ち合えと言われているが、そもそも出会えるかどうかさえわからない。
大魔境は極めて広大で延々と続くように見えた。
似たような景色が続くこともあってか、疲労の蓄積をより感じる。
目の端で何か動く影を確認した私は岩陰に身を潜めた。
西の方角から三匹の狼魔物――ガルドヴォルフだ。
等級はCランク。
強靱な爪と牙は金属製の防具さえ容易に切り裂いてしまう。
動きも素早く、手練れの冒険者パーティーでなければ返り討ちになるだろう。
今の私に討伐などはできないため、気配を殺して立ち去るのを待つしかない。
数分も息を殺していると、ガルドヴォルフは南の方角に歩いていった。
私は小さく安堵のため息を吐く。
このように時たま見かける魔物は外界の個体より大きな身体をしたものが多く、瘴気による強化だと推測された。
今は昼間だからまだよいが、日が沈んだら状況は一気に悪くなる。
夜行性の魔物も数多く棲むはずだ。
神経を張り詰めた一夜になることは簡単に推測された。
仮に、今日は無事に過ごせたとして明日からはどうなる?
未だ、食料はおろか水さえ確保できていないのだ。
こうして彷徨い、魔物から隠れてやり過ごす。
一週間……いや、せいぜい三日も保てばいいだろう。
最悪、サンフィオーレ王国に密かに戻るという選択肢も存在はしていた。
大魔境と隣接する国境には豊かな森が広がるし、警備の目を搔い潜れば私一人の潜入は可能と思われる。
それでも、私の足は進む度に母国から遠ざかった。
お父様やお母様、お姉様たちに負けたくない。
ここで国に戻っては彼らに屈した気持ちになる。
たとえ王国の森に住んだとしても、どこからか情報が漏れ出るリスクもあった。
今、私は自由なのだ。
ここにいる間だけは確かで、疲弊した私の心をどうにか保ってくれる。
いずれにせよ、そろそろ夜を明かせる場所を見つけなければならない。
徐々に日が落ちつつある。
運良く遠方に大きな洞窟を発見し、周囲に気を配りながら歩を進めた。
数m離れた岩陰から警戒して様子を伺う。
魔物のねぐらだった場合はとても住めたものではない。
静かに様子見する中、"そいつ"はゆっくりと姿を現した。
頭からは捻れた角が二本生え、全身の分厚い筋肉は焦げ茶色の鱗で覆われる。
棍棒を持った体躯は5mほどもあろうか、牛を思わせる大柄の人型魔物だった。
――Sランク魔物、鎧凱牛人。並外れた膂力で、敵を一撃の元に叩き潰すことに喜びを感じる。硬い鱗は魔法攻撃を大幅に遮断する性質を持つ。
書物で学んだ情報が脳裏を巡り、不気味な冷や汗が流れる。
先ほど対峙したガルドヴォルフとは桁違いの強敵だ。
魔物の討伐には、それと同じ等級の人間が少なくとも二人必要になる。
この場合はSランクが……英雄とも称される戦力を誇る冒険者が二人も……。
広大な我が王国でも、わずか三人しかいない。
一人目は宮殿の管理下に置かれ、二人目は所属先の冒険者ギルドの依頼で遠征中、三人目は長らく表舞台に出てこずどこにいるのかさえわからない。
この大魔境にいるとは考えない方がいいだろう。
『ゴアアアアッ!』
「っ!」
鎧凱牛人の咆哮が轟き、全身の血が揺れた。
私は魔物と対峙したことはない。
突然、棍棒が振り下ろされ、かろうじて回避した。
地面が砕け、吹き飛ばされた土塊が顔に当たる。
身を隠していた岩陰より鎧凱牛人の方が大きいので、容易に見つかってしまったようだ。
このまま殺されてなるものか。
両手に魔力を集め、鎧凱牛人の顔に目掛けて放つ。
「《魔弾》!」
魔法でも何でもない。
集めた魔力をぶつけるだけの攻撃だ。
鎧凱牛人は避ける素振りもなく受け止める。
傷一つついていない様子から、この魔物にとってはそよ風に撫でられた程度だと容易にわかった。
退避を決めて駆け出す。
足の速さは私の方がやや早いだろうか。
鎧凱牛人の分厚い筋肉は走ることに向いていないようだ。
必死に逃げるうち、目の前に大きな丘が現れた。
追跡を諦めてくれるよう、一縷の望みをかけて駆け上がる。
頂上に到着した瞬間、石に足を取られて私は体勢を崩した。
辛うじて前方に身体を動かし、ガラガラと底面まで転がり落ちる。
鎧凱牛人は?
身体を起こすと同時、この魔物は即座に飛び降り私の前に立ち塞がった。
見逃すつもりはないらしい。
逃げ切るのは不可能になった。
「……《魔弾》!」
再度攻撃を仕掛けるが足止めにもならない。
私にはどうしてこれほどまでに力がないのか、と悔しくなる。
力があればそもそもこんな場所には来なかっただろうし、何より……。
ムーングランツ帝国との戦争を止められたかもしれない。
数多の孤児を生み出す運命を防げたかもしれない。
そして……。
誰かに愛されたかもしれない。
自分の非力さが悔しい。
鎧凱牛人が棍棒を振り上げても私は逃げなかった。
せめて、最期の瞬間だけでも顔を上げていたい。
"死"が目前に迫ったとき……。
『……ギャアアアアアッ!』
突如として突風を思わせる大変な衝撃波が発生し、鎧凱牛人の右腕が切り飛ばされた。
遙か後方に落下したのを地面の揺れで感じ取る。
「何が……起きたの……?」
私が呆然とする間も鎧凱牛人の夥しい血が滴り落ち、茶色の地面を赤く染め上げた。
ふと気配を感じ、顔を上げる。
丘の上にぼんやりと確認された人影は、かなりの高さにも拘わらず躊躇もせず飛び降りた。
「……大丈夫ですか!」
私を守るように鎧凱牛人の前に着地したのは、不思議な形態の剣を携えた黒髪黒目の男性だった。
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